医学界新聞

1・9・9・9
新春随想

働き過ぎのワーキングメモリと
その再生 心の脳科学的解明に向けて

澤口俊之(北海道大学文学部心理システム科学講座)


 心の科学が脳のレベルにシフトし始めて久しいが(10年ほど),そうした学問潮流にあって「ワーキングメモリ(working memory)」はキーワードのような意味をもっていた。
 ワーキングメモリはもともと認知心理学のコンセプトで,「意味のある情報を一時的に保持しつつ操作するはたらき」である。何かの作業のために働いている記憶,というわけで,「ワーキングメモリ」(たまに「作業記憶」と邦訳される)とネーミングされたのだ。
 この認知機能が脳研究で注目されてきたのは,それが言語や思考,あるいは推論といった高度な精神活動のベースであること,そして,私たち人類で最もよく発達している「前頭連合野」の中心的機能の1つであるせいだ。さらに,主要な精神疾患(とくに分裂病)にワーキングメモリの障害がともなっているという事実も大きい。ワーキングメモリを調べれば,高度な精神活動やその障害,さらには,人類の謎・特徴がわかるのではないか,と,まあ,期待されたのだ。
 実際,ワーキングメモリに関する脳研究は,まさに飛躍的に増えてきた。昨年(1998年)の北米神経科学大会(神経科学では最も大きく権威のある国際学会)では,ワーキングメモリに関する発表が目白押しだった。私は,15年ほど前からこの学会には欠かさず参加しているが,去年ほどワーキングメモリ関連の演題が多かった年はない。
 国内に目を向けても,様々な書籍や雑誌,さらにはTV番組でもワーキングメモリはかなり頻繁に登場してきている。昨年にはワーキングメモリの特集号を組む医学系雑誌もあった。
 まさに,ワーキングメモリ花盛り,である。

疲れてきたワーキングメモリ

 しかし,ワーキングメモリは少し働き過ぎなのではないか,と私は思い始めている。
 私自身,ワーキングメモリの脳内メカニズムの研究をしてきたし,「ワーキングメモリ」という言葉が入ったタイトルの神経科学的論文を出したのは私たちが最初ではないか,と思う(Sawaguchi & Goldman-Rakic,Science 251:947-950,1991年)。そういう私が言っては身も蓋もないことかもしれないが,この言葉は使われ過ぎて色褪せてきたようにみえるのだ。
 ワーキングメモリはたしかに便利なコンセプトだし,思考に代表される高度な精神活動のベースであることもまちがいない。しかし,エントロピーの法則というのがある。いろいろな人たちがワーキングメモリという言葉を多用するうちに,その定義は様々かつ曖昧になり,研究内容も拡散し,何が何だかわからない混沌状態になってきている。たんに流行を追っているような研究も多い――そんな研究に限って質は低く,「ごみ」を生産しているような有り様なのだ(少し言いすぎだが)。
 ワーキングメモリは働き過ぎで,疲れてしまったとしか言いようがない。

ワーキングメモリ脳システムの解明へ

 科学も人の営為であり,展望をもって進めるのにコンセプトは重要だ。ワーキングメモリというコンセプトは心の脳科学において,大きな役割を演じてきたことはまちがいない。しかし,そろそろ,小規模ながら「パラダイムシフト」が必要になってきていると思う。
 ここで思い起こされるのは長期記憶の脳研究である。長期記憶というコンセプトも,ワーキングメモリと同様,認知心理学から生まれた。そして,やはりワーキングメモリと同様に,長期記憶に関する脳研究が一時期流行したことがあった。ただし,そんな中で,きちんと成果と考え方が生まれたのである。認知心理学ではなく,脳研究の成果から長期記憶を定義・分類したほうがベターであり,また,長期記憶に関する実際の脳研究も進むという考え方である。
 これは「心は脳の(特殊な)活動である」という事実からすれば当然のことだ。感覚を五感に分けるから脳内に5つの感覚システムがあるのではないように,長期記憶というコンセプトがあるから,脳内に長期記憶のシステムがあるのではない。逆である。だとすれば,脳内の長期記憶システムを調べたほうが,適切に長期記憶を定義できるし,また,当然ながら,その脳研究も進むのである。
 これと同じようなことが,ワーキングメモリの研究に関しても当てはまる。というか,ぜひそうしなくてはならないと思う。ワーキングメモリというコンセプトがあるから,脳内にワーキングメモリのシステムがあるのではない。だから,脳内の「ワーキングメモリシステム」を丹念に調べることによってこそ,「ワーキングメモリ」の適切な定義や分類,そしてその脳研究が進展するはずなのだ。
 ワーキングメモリは(くどいが)私たちの高度な精神活動のベースである。私見では,自意識や自我といった人間存在の根幹にも関わる機能である。これを働かせ過ぎ,疲れさせてはもったいない。ワーキングメモリという言葉に振り回されず,「ワーキングメモリ脳内システム」を着実に研究することによって,私たちは自我を含めた高度な精神活動の謎を脳レベルで解き明かしていけるにちがいない。そしてそれは,「心を解明したい」「自分自身を知りたい」という人類の悲願にダイレクトにつながっていく方途でもあるのだ。個人的にも,来たる21世紀に向けてそうした研究をぜひ発展させていきたいと願っている。