医学界新聞

1・9・9・9
新春随想

落語の中の医者

桜井靖久(東京女子医科大学医用工学研究施設長・教授)


 法隆寺の改修の時に屋根瓦の裏側に落書きが見つかりまして,「ああ,ひながなや,ひだるやな」とありましたそうで。日が長くなって腹が減ったよ,というくらいの意味ですが,まあ一種のかけ言葉といいましょうか,駄洒落に類した言葉遊びで,こんなのは大昔から普通の人々の間にもあったんですな。当今は洒落の通じない連中が増えて,心持ちのゆとりテェものがなくなっておりますようで。
 寛政10年,今から200年前に初代の三笑亭可楽という方が,江戸浅草の柳稲荷という所で木戸銭を取って興行を打ったのが,寄席の始まりとされております。それ以前は禄をもらうお抱え芸人とか,投げ銭をもらう大道芸人とかであったようです。桂文楽,古今亭志ん生,小さん,円生,三木助,柳好,柳橋,金馬,さらに林家三平,柳亭痴楽など,大師匠林立の戦後の黄金時代が懐かしいのですが。
 私どもは落語というより「噺し」という言い方がぴったりきます。拙は,噺しは音楽だと思っております。リズム,間,抑揚,調子,語り口の心地よさが,それと噺しの中身の時代背景,人間模様てなものと相俟ってたまらないのでございまして,ただ笑うだけなら,腋の下をこちょこちょくすぐったほうが早いかもしれません。何度聴いても落語が飽きないのは,やはり音楽的要素があるからでございましょう。
 医者の出てくる落語というのは,数えてみると20近くありますが,「粗忽医者」,「無筆の医者」,「横根医者」,「医者間男」など,とても国家試験に合格しそうにありませんな。古川柳でも医者は茶化されっぱなしで,
  薮医者は一人いかすと二人しに
  外科殿のぶたは死に身で飼われて居
  そいでとりますと外科殿平気也
  小児いしゃ坊や坊やとにじり寄
  医者衆は辞世をほめて立たれけり
  とどめをば余人にわたす匙加減
最後のは,死亡診断書は他医に書かせるのが開業医のコツだという意味。医業のコツといえば,とにかく患者が来たら「手遅れですな」と一発かましておくことだそうで。手遅れなら病状が悪化してもあきらめがつきますし,万一,病気が治りでもしようものなら,「あの先生は名医だね」テナ誤解が発生することに相成るわけでございまして。
 「先生,大変だ,この野郎を診てやってください」
 「どれどれ,大層蒼い顔をしておるな。ああ残念だが,これは手遅れだな」
 「そんなバカな。こいつは今屋根から落ちたばかりんとこをかつぎこんできたんで」
 「何,今落ちた。ああそうか。でもそれは手遅れだ。屋根から落ちる前に連れていらっしゃい」 という「手遅れ医者」の小噺しですが,よく考えてみるっテェとこれは予防医学の重要性を教えているわけでして。
 要するに,民衆の人情と機微をわきまえ,ユーモアを会得し,共感を持ってコミュニケーションを促進し,かつ商売繁昌を図るために,これからの医者はすべからく落語を学ばなければならないテナことのようで。ごたいくつさま。