医学界新聞

1・9・9・9
新春随想

お医者さんのこと

鴇田忠彦(一橋大学経済学部教授)


 本誌の読者の多くは医療関係者であるから,医療経済学の末席にいる小生が,患者としてこれまでに知己を得た,お医者さんについて書くのは,なにがしか意味があるだろう。
 小さい頃から身体の丈夫なことだけが取り柄で,歯医者さん以外にはかかったことはなかった。小学生のころから歯医者さんには毎年お世話になる始末で,ずいぶんたくさんの歯医者さんのお世話になったが,2人だけここでは紹介しよう。
 学生時代まで東京の下町で過ごしたが,そこのK先生という歯医者さんは90歳近くまで現役で,すこぶる元気な方であった。ふつうの人の少なくとも倍以上は働いただろう。仕事だけでなく趣味も多彩であったが,特に登山は一番好きだったのだろう。確か88歳の時に誘われて,北アルプスを縦走したことがあった。たぶんその年の登山者中の最高年齢だったろう。帰途に先生と浅間温泉で疲れを癒やしたが,当時学生の小生には一風変わった楽しい旅だった。
 紹介したいもう1人の歯医者さん,A先生には,すでに20年近くお世話になっている。小生の不養生のせいもあるのだが,ほとんど毎年伺っていて,いつも実に丁寧に治療してくれる。治療が難しいのかもしれないが,30分以上の治療が10回程度にわたる。しばしば日本の医療を称して,“3時間待って3分間の診療”と極論することがあるが,それは一般論ではあってもA先生のような方もおられることを強調したい。彼の歯の噛み合わせの調整などの仕事ぶりは,まさしく職人芸である。海外旅行の直前などは,何かと配慮してくれて,応急措置をしてくれるのもありがたいことである。
 現在の松戸に移住して数年は,新しい土地で信頼できるお医者さんはどこにいるのかわからなかった。試行錯誤でY先生という病院長を知ってからは,家内の胃の手術や小生のアキレス腱の手術など,ずいぶんお世話になった。この老先生は単にお医者さんであるだけでなく,人生の先達として尊敬できた。ある時,中学生の男の子とその母親が小生の前に診察を受けていたが,病名はてんかんで母親は診断書を学校に提出したいと願っていた。しかしY先生は,この病気は時として年齢とともに消えてしまうことがあり,この段階で世間にそれをオープンにするのは早計だと説得していた。母親はその真意がわからず,先生は手こずっていたが,今でも本当の医師とは何かを教えてくれたと思っている。
 最後に,この1年半余り,それこそ小生の命の恩人である,もう1人のK先生を紹介しよう。ドックで疾患が発見され,そこの医師から紹介された,誰でも知っているであろうトップランクの病院の勤務医である。手術の執刀からその後1年半の今日に至るまで,ずっとお世話になっている。この先生もY先生と同様に,医師は患者の身体だけでなく,精神状態までケアする点で小生は尊敬している。手術の前後の患者や家族に対する十分なインフォームド・コンセントは病院の方針だろうが,この先生のような患者の症状に応じた暖かい精神的な励ましがあってはじめて,それは機能するのではないだろうか。小生は今回初めて生死に関わる大病を経験したが,この先生に出会えたのは本当に幸いだった。
 他にも何人か,忘れ得ぬ先生がいる。家内の病気を見つけて早期に措置してくれた先生,小生のテニスの友人でいつも気さくに医療政策などで医師の立場を解説し,かつ一家言お持ちの先生等々。確かに世間では医師一般の評判はあまり芳しくなく,特に組織的に医師の利益を守る時には,沈没するタイタニックで相変わらずスイートルームを独り占めしているようで理解に苦しむが,このような先生もたくさんいることを忘れてはならない。