医学界新聞

1・9・9・9
新春随想

生殖医療-どこまで許されるか-

佐藤和雄(日本大学教授・産婦人科,日本産科婦人科学会長)


 1998年は日本産科婦人科学会にとって,また学会長を務めた私にとっても忘れ得ない年になりました。生殖医療について学会がこれまで対応してきた中でも最重要ともいえる問題の処理をせまられた年であったからです。

学会の社会的責任

 同年6月6日付の読売新聞朝刊に報道された下諏訪の産婦人科N医師による非配偶者間体外受精・胚移植の実施が1983年に学会の定めた体外受精・胚移植のガイドラインの婚姻している夫婦に限るとの条項に抵触していたことが事の起りです。急遽倫理委員会(委員長=藤本征一郎北大教授)が開催され,事実確認がN医師本人に面会することで行なわれ,6月27日開催の理事会で慎重な審議の結果,学会から除名することを決議したのです。その後学会の定款に基づき,8月29日サンケイホールにおいて臨時評議員会を開催し,N医師を学会から除名することを決定しました。
 このような除名という苦渋の選択を行なわざるを得なかった理由は,このガイドラインは1983年当時の理事会で決定され,評議員会および総会で承認され学会誌に会告として掲載され会員に周知されたもので,N医師はその会告を熟知し会告違反であることを承知の上3症例に非配偶者間体外受精・胚移植を実施したという会告違反がまずあげられます。このような会告として出された倫理規定は学会内の自主規制として会員の総意によって定められたもので,その遵守は会員1人ひとりの自主性と責任に委ねられております。それが会員によって故意に破られることになれば,学会の自律性が失われることになり,また学術団体であると同時に職能団体としての社会からの認識を自ら放棄することにもなり,社会に対する責任を完遂できないことになります。
 N医師は非配偶者間人工授精(AID)のガイドライン(1997年5月)によって非配偶者精子を認めたのであるから非配偶者間体外受精も認めるべきとの意見のもとに行なったと述べていますが,学会としてはAIDのこれまでの実績を考慮し,男性不妊のわが国における唯一の治療法と位置づけ,むしろその規定によって非配偶者間での不妊治療の応用の範囲を限定し,AID実施に伴う患者ならびに出生児の権利,過去には認識されていなかった感染症(AIDSなど)の問題などに関する注意をあらためて会員に喚起し,AIDにあたって実施医師が負うべき医学的・倫理的責任を明確にするために制定したもので,非配偶者間体外受精を容認するためのものではないのです。

医の倫理とは

 医師は患者の求めに応じて医療を行なうべきといわれていますが,忘れてはならないことは不妊治療ではその恩恵を受ける夫婦とともに治療によって生まれる子供がおり,子供の社会的な権利を保護しなければなりません。それが不十分な段階で患者の求めがあるからといってただちに治療を行なってよいかどうか考えなくてはならないのです。どのような病気でも患者のためならそれを癒してあげるべきでしょうが,やはり医療にも限界があり,医療によって起こる結果を十分に考慮することが医の倫理と考えます。
 米国は生殖医療に関しては何でもありといわれ,生殖医療というより生殖産業になっているといえる状況で,このまま進むと人類が守ってきた生物的なルール,例えば近親婚は許さないということが崩れてしまいます。遺伝的なものを含め,自分たちがコントロールできる範囲で医療など物事を進めるべきと考えます。生殖医療の問題は学会で議論できる範囲をすでに超えており,そのため学会だけでなく多方面からの専門家の意見を集約できる場を作るべきで,幸い厚生省の厚生科学審議会の中に生殖医療を検討する専門部会が設置され行政の取り組みも始まっていますが,法曹界の協力もぜひ必要です。
 日本産科婦人科学会としては生殖医療が自由診療の旗のもとにあまりにも無制限,無秩序にならないよう,また患者のための最もよい治療が提供できるよう,その品質管理を行なうなどさまざまな方向で検討を進めていきたいと思っています。