医学界新聞

新春対談

社会とともにあゆむ医学

開かれた医療の世紀へ

第25回日本医学会総会開催に向けて

高久史麿氏
(自治医科大学長・
第25回日本医学会総会会頭)
岸本忠三氏
(大阪大学総長)


研究発表の場から勉強の場へ

高久 今年4月2-4日にかけて,第25回日本医学会総会(以下,医学会総会)が開催されます。今回は医学会総会開始から約100年ということで,1つのピリオドであり,同時に20世紀最後の医学会総会になります(展示・博覧会3月30日-4月8日)。
 医学会総会のあり方についての議論の中で,これまでの医学会総会は新しい医学を発表することも必要だが,同時に自分の専門以外の領域を勉強する機会も必要ではないかとの考えから検討され,事実実行されてきました。つまり,専門家同士が集まり新しい研究の発表をするのは各学会の中で進めていただき,医学会総会は,医学・医療のすべての分野をカバーすることから,「新しい研究の発表の場」から「勉強の場」に変えていこう,という議論がなされ,実行されてきたわけです。
 そして,この第25回目の医学会総会については,従来の医療関係者の勉強の場に加えて,国民一般に現在の医学,医療の問題を勉強していただく機会にしようではないかという方向で進んでいます。皆に医学,医療のことを知ってもらいたいし,また知る必要があるのではないかということです。医療は国民全体のためにあるものですから,そのことを推進する医学会総会にしようではないかということで,今回の医学会総会のメインテーマを「社会とともにあゆむ医学-開かれた医療の世紀へ」としました。

20世紀はどのような世紀であったか

感染症の時代

高久 この第25回医学会総会は,1999年と今世紀の最後の開催にあたります。そこで,この20世紀は一体どのような世紀であったのかを,医学・医療の面から考えてみたいと思います。
 岸本先生は医学研究を長年されてこられて,20世紀とはどのような世紀であったか,先生のお考えをお聞かせください。 岸本 最も印象的なのは,「感染症を克服した」ということだと思います。実際にはそうではなかったのですが,そのような考えが生まれたことではないでしょうか。19世紀末から北里柴三郎や,野口英世が出てきて,病気を引き起こす細菌ウイルスの発見から20世紀の医療は始まっていると思います。
 また,日本の平均寿命をたどっていくと,1950年代に10歳ぐらい一挙に伸びています。これは,ペニシリン,ストレプトマイシンなど抗生物質の発見が関係していると思います。それから,小児麻痺ウイルスの培養からワクチンの開発などが起こったことがあげられるでしょう。
高久 それはとても大きな出来事でしたね。
岸本 小児麻痺などの病気の克服という一連の事柄はとても大きいですね。医学の画期的な出来事の中からノーベル賞を受賞した研究をみると,戦後しばらくはその多くが感染症に関する研究です。ペニシリンの発見,ストレプトマイシンの発見,小児麻痺の病原ウイルスの培養,B型肝炎ウイルスの発見と続きます。そして,その後でロイコトリエンやコレステロール代謝の制御やβブロッカーなどが,医学の大きなトピックになってくるわけです。
 そう考えてみますと,20世紀の医療で最も特徴的なのは,「感染症を一応克服したようにみえた」ことだと思います。ところが,21世紀を目前にして,また新たに問題が浮かび上がってきました。
 世界中でマラリアに感染する人は2億人います。しかし,マラリアワクチンがまだできていないという状況であり,日本でもエイズやO-157などの問題が浮上しています。やはり感染症の問題は大きいですね。そして21世紀には,感染症の問題に向かって,また新しい展開が起こってくると思います。

移植医療

高久 移植医療が始まったのも,この20世紀ですね。私の専門の分野で最も画期的なことは骨髄移植療法の成功でした。1968年に初めてロバートグッドがデイビット・キャンプという少年に骨髄移植し,それが最初の成功例です。それからE.D.トーマスが系統的に確立しました。J.E.マレイとともにノーベル賞を授賞しましたね。
岸本 臓器移植の方法を確立して,非常に多くの人の命を救ったのが骨髄移植です。それが,免疫学の基礎的なことにも支えられ,また,免疫学の研究自体を進めることにもつながりました。その前後で初めてB細胞,T細胞という概念が出てきます。
高久 HLAの概念も出てきましたね。
岸本 免疫抑制剤のサイクロスポリン,FK506の有用性は,そこで最も提示されると思います。
高久 白血病は100%助からないと言われていた時代がありました。骨髄移植は移植医療の中でも最も普及率が高いようです。

癌化学療法-免疫機能とのバランス

高久 癌の化学療法も,20世紀の医療の大きな出来事でしたね。
岸本 画期的なことではありますが,これもここにきて,もう一度見直さなければならない段階にありますね。これは非常に難しい問題です。例えば肺癌を考えた時,果たして化学療法をしていいのか,しなくていいのかという問題に直面します。これは,自分の防御機構,免疫機構を完全に壊しても,治療を優先するのがいいのかどうかという兼ね合いです。免疫機能と化学療法とのバランスが非常に難しいですね。
高久 癌の治療は,だんだん「ターゲットを絞る」治療になってきていますね。
岸本 そうですね。遺伝子治療もその1つでしょう。
 1つには,自己の免疫をいかに強めるかです。免疫賦活剤を使用すると,癌と共存し生存する方が確かにおられます。しかし,それを化学療法のように数値化して,癌が縮小したかどうかを統計的に処理しても,結果は出てきません。つまりはっきりとした数字にならないのです。しかし明らかに癌に対する免疫があり,いかに上手にこれを使っていくかが問題だと思います。
高久 アジュバントテラピー(補助抗癌薬療法)ですか。
岸本 血液幹細胞を同定して,自分の幹細胞をin vitroで増殖して戻すという方法がルーティンになれば,化学療法をさらに強力にすることができます。心臓や肝臓にしろ,骨や筋肉にしろ,もととなる細胞を同定・増殖する方法を発見し,それを移植することによって臓器移植の新しい医療とすることを,多くの人が考えていると思います。
高久 かつて一時期,癌の免疫療法がクローズアップされましたが,フェイドアウェイしてしまいました。しかし最近,先生の見つけられたIL-6などに対するモノクローナル抗体を使っての癌の治療が,新たにクローズアップされてきた気がします。
岸本 例えば,非特異的なアジュバントや,NK細胞,血管新生を防ぐことなどは,免疫系にダメージを与えないため,癌の化学療法としては今後の1つのターゲットとなりますね。アンギオテンシンなどはまだまだこれからの問題としても,このようなアプローチが注目されています。
高久 最近,乳癌の治療として,乳癌細胞に発現しているHER-2遺伝子の受容体に対するモノクローナル抗体であるハーセプティンが,FDAで認可になったことが話題になっていますね。しかし,モノクローナル抗体をずっと続けて大丈夫ですか。
岸本 完全にヒューマナイズ(人型)化したモノクローナル抗体では,例えばIL-6受容体抗体はほとんど抗イディオタイプ抗体はできません。なぜならIL-6は抗体を作らせる因子で,その受容体をブロックする抗体ですから,こういうタイプの抗体はできにくいのです。普通,抗体はできますが,そのできる率が人型化モノクローナル抗体でうまくいっている例が少なく,有用性との兼ね合いが問題だと思います。
高久 こういう形の免疫療法は,これからどんどん開発されるでしょうね。
岸本 抗体というのは,思ったより使いやすいというのが実感です。
高久 メラノーマについても,特異抗原に対する抗体が作られています。岸本先生はそういう意味ではパイオニア的なお仕事をなされたと思います。

遺伝子治療の展開

高久 先ほど話題になった遺伝子治療,特に癌の遺伝子治療については,先生はどのようにお考えですか。
岸本 遺伝子治療で免疫を賦活化する方法は,現在最も使われています。GM-CFSなどが最もやりやすい方法ですね。しかし,癌細胞自身の細胞周期をどうするか,あるいは癌抑制遺伝子を導入してどうなるかなどは,細胞分裂や細胞周期は1つのことで決まっているわけではありません。また,癌の発症にはいくつもの染色体の欠失や変異など,何段階にも変化が起こっていますから,難しい点が多いと思います。肺癌だけをみても,p53もRBなどの癌抑制遺伝子もないという,いくつもの変化があります。ですから,遺伝子を1つだけ戻して,果たしてどの程度までうまくいくかが問題だと思います。また目的とする遺伝子がすべての癌細胞には入らないため,癌細胞自身に何かを入れるという方法は,非常に難しいということになります。
 最近ではこのような癌に対する生体の防御を強化する方法が多く行なわれています。
高久 どうしてマウスではうまくいって,人間でなかなかうまくいかないのですかね(笑)。
岸本 どれもそうですね。というのも,マウスの実験系は移植の癌を使っている場合が多く,極端に言えば,つくのが難しいぐらいのところが条件ですから,癌が消えるのは簡単です。自然発生の癌といっても,そんなに何段階も変異していないのかもしれません。そういう点ではマウスは人の癌よりも単純かもしれません。

医学・医療の基盤となるもの

高久 岸本先生は,医学部卒業後まず臨床の方面に進まれ,それから基礎医学に移られて最先端の研究をなさり,また臨床に戻られました。基本的には研究は,基礎と臨床とでそれほど違いがないということでしょう。
 基礎の教室の研究でも臨床のマテリアルを使っていますし,臨床の人も動物を使っていますから,基礎と臨床が,研究の面でお互いに共同して仕事をするということになりますね。
岸本 そういうことだと思います。例えばアメリカでは,内分泌学も,免疫学も,薬理学も,すべて「デパートメントオブメディシン」(内科)の中にあり,そこにいろいろな教授が集まって,基礎と臨床を行なっています。したがって血液学についても,基礎的研究からすぐにモノクローナル抗体で白血球細胞をパージングして,その後移植してと,一連の流れで行なわれます。
 一方日本では,例えば免疫学と内科とはまったく別の教室です。よく,日本から画期的な研究が出てこないということが言われていますが,その理由の1つには,垣根のない融合がうまくいっていないからです。欧米では,「基礎」や「臨床」とは言いません。渾然一体となっています。大講座制で,若い力をできるだけ早くインディペンデントにしていく,そうすることで,目立つ人が出てきます。ヒエラルキーで教授が1人いてという形を作っていると,なかなかそれができません。

大学院重点化大学

高久 病院が特定機能病院や,療養型病床群と機能別に分かれるように,大学も,医科大学を含めて機能分化せざるを得なくなるでしょう。その1つの表われとして,「大学院重点化大学」が増えつつあります。先生は,大学院重点化大学が将来どのような方向に進んでいくとお考えですか。
岸本 医学部と他の学部とは,ある程度違うと考えています。
 医学部における大学院重点化とはどういうことかを考えてみましょう。理想的なのは,4年間カレッジで勉強した人に,その後4年間を大学院としての医学部に進んでもらい,そして医師の資格を得るという,メディカルスクール構想が1つの方向だと思います。
 もう1つは,研究中心のところと臨床の専門家を育てるところをどう区別するか,4年たった後に,あるいは在学中でもいいのですが,MD.PhDコースのような,研究を中心としたものを作るのかどうかといった問題が出てきます。生命科学の研究を行なうには,医師としてのバックグラウンドを持ち,患者を診る資格もあることが重要です。大学院重点化した大学の医学部の中に,このようなMD.PhDコースを設けるというのが1つの方向ではないでしょうか。
高久 その利点はどこにあるのでしょう。
岸本 そのような形にしないと,すべて一緒であれば今と同じことになります。みんなが医学部を出てから同じように研修をして,同じように研究をして,ということになると,だんだん遅れてきます。理想的には,医師のバックグラウンドを用いながら,しかも基礎的な研究をする人もいるというのがよいですね。医師の研修後に30歳を過ぎた人が,20歳の時からDNAクローニングしている人と同じことをしても勝負にはなりません。しかし,疾患を知っていることは大きな利点で,病気に立脚したよい研究をすることができます。
 基礎的な研究というのは,何も遺伝子クローニングなどばかりではないのです。ここでいう研究とは,病気がなぜ起きるのかを,ユニークな方法で掘り下げて新しい原則を見つけることであり,それが患者の治療に応用できることになれば最高です。それは医師の訓練を受けた人だからできることです。
 そして,患者もいて,基礎的な研究をする理学系の研究者もいるという場で,その全体を統括できるような人材を育てなければいけません。

新しい医療を作りだす病院

岸本 大学病院も,今までの国立病院とどこが違うのかと言われるようではいけません。現在日本には,エクスペリメンタルセラピーといいますか,「新しく何かを作る医学」,「新しい医療を作る病院」というものが必要です。日本は実験的と言ったら怒られますが,それがないと新しい医療は生まれてきません。
高久 本当はそうですね。日本のメディアはそういう方向を否定的に見ていますが,一部のアメリカの病院はとても積極的ですね。
岸本 それがあって初めて,さきほどの白血病の化学療法も確立されたのです。骨髄移植も,初めてX線の全身投射すると,毛も抜けて,発熱するなどの症状が出てきます。それを徹底的に化学療法をすることは,普通ではできません。そこを通り越して初めて確立してくるものがあります。
高久 大学院重点化大学をむしろ大学院大学にして,他の医学部を卒業した人を大学院生としてとったほうがよいのではないかという声もあります。そのことについていかがお考えですか。要するに,医学部を卒業した人を,全国公募で大学院生としてとったら,ということですが。
岸本 それでは長くなりすぎるのではないですか。
高久 大学院だけにするという考えですが,医学部だけ大学院大学にするのは,難しいかもしれませんね。
岸本 通常の大学は学部だけにして,後は大学院重点化大学を作った場合,医師免許は大学院重点化大学ではない大学の医学部を出ただけで取得できるわけですよね。そうすると,差別してはいけませんが,そこで医師になってしまっては,患者を診る医師の質が下がらないかという疑問が出てくると思います。医学部自体が大学院で,そこを出て初めて医師の資格が取得できるのならばそれでよいのですが,学部を出たところで医師になり,大学院大学は別にあり,医師は他で作るとなると,トータルとしての医師の質の問題が出てくるのではないかと思います。
 最も理想的なのは,4年間をカレッジでリベラルアーツを学び全人的教養をつけた人の中から,医学を志す人を受け入れる大学院とする形だと思います。
高久 それを導入するとすれば,全国的に実施したほうがよいでしょうね。群馬大学の医学部では,学士入学者をかなり多くとりましたね。
岸本 阪大も20年前からやっていますよ。
高久 学士入学で入学した学生は,臨床医となる方が多いのではないですか。
岸本 かつてはそうでしたが,この頃はそうでもありません。生命科学を研究する研究者として,医師としての背景があったほうがよいということから,方向性を変える人が多いですよ。
高久 最近の傾向として,学士入学の場合,医学部に入る前の4年間はどこの学部でもよいということなっていると思いますが,理工系と文系との違いはどうですか。
岸本 例えば,MD.PhDコースにして,ある決まった段階で,MDの資格もPhDの資格もすべて取得し,時間を短縮するという考え方があります。そのような場合には,生化学や遺伝学,生物学を習得してきた人を医学部に入れて,臨床を学んでいただくという形でないと成り立たないと思います。
高久 2010年に18歳人口が120万人ぐらいになるようです。そうなると,誰でも大学に行けることになり,大学は特別な場所ではなくなります。その時に,成績の上位の者だけが医学部に行き,医師になる,また生命科学を研究することになれば,人の命を救うことに重点を置かなくなるという問題が起こる可能性がありますね。

臨床医を育てるシステム

北村 いま,きちんと臨床家が育っているかどうか大きな疑問ですし,また大学の中に,臨床家を育てられる人材が不足しています。研究者で名をあげた人ばかりが教授になって,臨床を教える教官が少ないという意見もありますが。
高久 スタッフ数にも問題がありますね。
岸本 横並びでみんな教授だという形にすればよいのです。今まで,教授が1人でやっていたことを分け,その中には,研究する人もいれば臨床家もいるという形になればいいわけです。臨床能力があるから臨床をきちんと教えられるというわけでもなく,やはり研究がないといけません。しかし,1人で両方とはいかないならば,その両方の人材を増やすことが必要です。
高久 今度,文部省で「臨床教授」という制度を作りましたね。臨床を教えるという点はこの制度の導入によってうまくいくことを期待しています。
岸本 外国の場合,自分で外にオフィスを持ち開業しながら大学で学生を教えたり,手術したり,講義をなさる方がいます。大学からは別に給料をもらうわけでなく,ただ患者を紹介してもらい,その患者から報酬をもらうという形で成り立っています。日本にはそれがありません。しかし,臨床教授という制度にして,臨床医が大学で教え,それによってプレステージを得てと,お互いにギブアンドテイクが成り立てば一層幅が広くなります。
高久 京大は臨床教授を決めたようですね。難しい問題はあるにしても,実行してみることが重要だと思います。学士入学も私は基本的によいと思っています。しかしそれにも医学部終了までの年限が延びるという問題はありますね。
岸本 少子高齢化時代だから後ろへ延びます。定年も延ばせばいいわけです。スタートする時間が後ろへ延びた分,年のいった人を有効に活用することができます。
高久 今の大学院重点化大学を4年制にするのか,などの問題も出てくるでしょうね。
岸本 いろいろな方法を入れておいて,21世紀の最初あたりでどの方法がよいかを検証していくのではないですか。もちろん財源的な問題から,国立大学がどうなるのかということもありますが。そういう中でもっと独立採算制になるだろうし,財政的に成り立たないといけないようになりますからね。
高久 そのような制度を導入しようとすると,大学審議会からの答申にあるように,任期制をとるのがよいのではないですか。
岸本 阪大は,先端医学部門の両教授とも任期制です。
 ある程度独立採算を導入しますと,自分の大学はこれで成り立つかを考えることになります。そうしますと,よい人材を集めようとします。そこでは馴れ合いは成り立ちません。ですから,単に財政をカットする目的ではなくて,このような競争原理を導入するために,ある程度は必要ではないですか。
高久 自由化を導入しますと,徐々に大学間の格差が拡大するでしょうね。地方の新設の大学などにとって,厳しくなる可能性があります。大都会にあって,歴史のある大学のほうが有利になるでしょう。それは仕方がないことで,その競争に勝つために自分たちが努力することが必要でしょうね。

新しい世紀の医学・医療

遺伝子研究のその先にあるもの

北村 一読者として知りたいのは,「遺伝子研究の後に来るのは何か」ということです。ぜひ先生方のお考えをおうかがいしたと思います。
岸本 ここにきて,クローン生物,クローン羊,クローン牛が誕生しました。自由に体外受精ができますし,自由に受精卵の遺伝子を変革できるようにもなるでしょう。ヒトゲノムは10年ほどしたらすべてわかりますし。それをもとに遺伝子を入れ替えたら,人間が改変されていきます。簡単なことは,例えば強い筋肉を得たい,そしてこういうことはすぐにできますね。そうすると,人間は歯止めが効かないのではないでしょうか。例えば,自分の細胞をとっておいて,そのままクローン人間ができるなら,そうしたいという人間は必ず出てきます。それが人間の改変につながり,人間が地球上から消滅していくのではないでしょうか。精子も減ってきたし,若い男女が早くには結婚したがらないなど,人間としての生物種が消えていく前兆が起きています。
 恐竜と同様,何十万年か何万年か,その種が存続したら消えるという原則が,このような遺伝子のテクノロジーが進んだことによって,加速してくるかもしれません。
 問題は,出生前診断などを考えた時,人間の知識と知恵とがうまくバランスをとっておらず,一方だけがどんどん進んでいくようなおそれがあります。知識のほうは進んでいくけれども,人間としての知恵が進まないのです。ところが知識は積み重なって,そのギャップがどうにもならないところで,21世紀になってしまうようです。

生物学の意味を理解する

岸本 第25回日本医学会総会のメインテーマである「社会とともに歩む医学―開かれた医療の世紀へ」について考えたことは, 今,社会の大部分の人はDNAが何か,体外受精やクローンがどういうことを意味するのかなど知らないし,生物の教育なんて受けてない人のほうが圧倒的に多いのです。受けたとしても19世紀の生物学ですから。  しかしこれからは,その人自身があらゆる場面で判断しなければならないわけです。インフォームド・コンセントといっても,化学療法にしても,出生前診断でもこうだと説明をしても,なかなかわかりません。しかし,やはり1人ひとりが判断する問題ですね。
 これからは,生物教育があらゆる分野で非常に大事であると言われています。できるだけ多く人に,そのような基本的なことを知ってもらおうという,医学会総会の意味は大事だと思います。
高久 確かに高等学校での生物の教育は,非常に憂うべき状態です。すべての医科大学は生物学を入試試験科目に課す必要があると言っているのですが。
岸本 法学部や文学部へ進む人が,生物学の知識を一切知らずに,クローン羊や出生前診断,体外受精といっても,癌の化学療法がいいのか悪いのかといっても,そんなことはわかりません。ですから,ある程度は個人が知っていないといけないのです。
 これからの社会は,誰かが「こうしなさい」と言ったことをそのままするのではなく,1人ひとりが判断していかなければなりません。そうなった時に,ある程度勉強してもらわなければならない,ということだと思います。
高久 インフォームド・コンセントの問題も含めて,新しい医療技術を臨床の現場に導入するかどうかを決めるのは,本当は受益者である国民だと思います。その恩恵を受けるのも,またお金を払うのも国民ですから。日本でまだひろく行なわれてはいませんが,スイスではさまざまな問題を国民投票で決めていますね。
岸本 国民投票をして決めるのも1つの方法かもしれませんが,今の生物学の知識では問題があるでしょう。
高久 これは私たちの努力も当然ですが,マスメディアの影響が大きいので,メディアがきちんと報道してくれないと困りますね。
岸本 むこうも勉強しなければいけないし,こちらもどんどん情報を公開しなくてはいけません。
高久 社会を教育することは,大学人の1つの仕事です。
 ある会議で,Evidence-based medicine(根拠のある医療)を,診断,治療に反映させることは本来,臨床系の学会の仕事であるという議論になりました。学会で学問の進歩を議論する必要はあるが同時に,患者さんの多い糖尿病,循環器,消化器などの疾患の場合には,学会がガイドラインを作成して,特定の疾患の治療法について,科学的根拠に基づいた,今の段階では最も合理的と考えられる治療法を示す必要があるという議論をしました。
 学会も国民に対して教育をする必要があると思います。個人の経験からだけでは患者が納得しないし,それこそ,インフォームド・コンセントが得られません。

誰が医療にお金を払うのか

高久 どれだけのお金を医療に使えるかという問題は,国民皆で考えなければならない問題です。医療保険が破綻するだろう,年金も破綻すると言われています。
 医療保険の基本的なあり方について,先生はどのようにお考えですか。
岸本 医療はほとんどタダだという観念が,みんなに染み込んでいます。しかし,この頃は少しは変わってきました。風邪をひいて薬局で薬を買ったらお金がかかるけれども,病院に来たらタダだということがありました。だからこそ病気が早くみつかるという面もありますが。一度払って,そしてそれを返してもらうという保険制度ならば,ある程度は考えるようになるのではないでしょうか。欧米では,貯金の目的は何かというと,病気になった時のためというのが,最も多いそうです。そういう感覚を皆が持たないと,成り立っていかなくなるのではないですか。
高久 私の知っている70歳の女性は,1瓶1万5千円もするような怪しげな錠剤を飲んでいます。アメリカでもそういう傾向があって,警告が出ています。
 善し悪しは別にして,健康保険ではあるレベルまではカバーして,それ以上のお金は収入に応じて払うという体制に将来なる可能性がありますね。
岸本 欧米では,その成り立たない部分に対しては,お金のある人が寄付をするという,それが人間の生き方だという考え方がありますね,芸術や学問に対してでもそうです。
高久 日本にはそのような考え方はあまりないですね。
岸本 医療に対しても,建物ができたり設備が新しくなったり,新しい機械が入ったりと,寄付金によってさまざまな面がカバーされているわけですよね。しかし,日本にはそういう文化の考え方がありません。ですから,脳死による臓器移植もなかなか起こらないし,骨髄移植でも,外国ではバンク登録数はとても多いのですが,日本ではなかなか大変です。
高久 アメリカでは非血縁者間の骨髄移植のコーディネートの費用として300万円請求しています。一方日本では50万円位ですが,それでも高すぎると言われます。アメリカ式の医療がいいのか,イギリス式の医療がいいのかという問題はありますが。
 医療経済は難しい問題ですね。経済は資本主義の社会では生命線ですから。経済の問題は今後の医療の中心的な課題の1つですね。
 20世紀を振り返るところから,これからの医学教育の問題,大学のあり方に加え,医学・医療の新しい展開や医療経済の問題まで,今日本の医学界が抱えている種々の問題を提示することができたと思います。
 先生,本日はお忙しいところおでかけくださり,さまざまなお話をいただきまして,本当にありがとうございました。

(医学会総会の詳細は本紙にて逐次紹介する)


  
  協力:北村聖氏
  (東大助教授・臨床病態検査医学)