医学界新聞

〈連載〉

国際保健
-新しいパラダイムがはじまる-

高山義浩 国際保健研究会代表/山口大学医学部3年


〔第6回〕経済封鎖下のイラク

 皆さんは,イラクという国をどれだけご存知だろうか? 湾岸戦争の舞台,フセイン大統領による独裁国家,経済封鎖により閉鎖された国……。
 しかし,こうした断片的な情報すらも僕たちにとっては古新聞の1頁となりつつある。いわんや,現在のイラクの人々のことを思いやる手だてなどない。それは僕にとっても同じことであった。ところが,ひょんなことから僕は,昨年,今年と2年続けてイラクを訪問する機会を得た。「日本イラク医学生会議」という学生団体が派遣する訪問団に参加することができたのである。そして,紙面をにぎわす政治的な話題の向こう側にある人々の生活が少しずつ見えるようになってきた。

医学生としての医療状況把握

 「日本イラク医学生会議」は,2年前からイラクの医学生との交流を続けている団体である。同会議は,東西アジアの医学生交流を目的として定期的に現地を訪問している。日本を含む東アジアの医療状況をイラクの医学生に紹介し,彼らからはイラクを含む西アジアの医療について話を聞く。さらに,特に経済封鎖下の医療状況にも関心を持ち,現地の医療状況についての視察も重ねている。
 このような話をすると,「独裁国家の国民と交流して何がわかるというのか。フセイン大統領のプロパガンダに利用されているだけではないか?」という批判をよく受ける。確かに,その可能性を無視することはできないだろう。しかし,僕たち医学生は,その国の政治や経済がどうあれ,その国の人々を信じ,その健康を第一に考えていくべきだと思う。国のひずんだ政治体制から憶測して,その国の患者を疑ってしまっては何も始まらないのではないだろうか。保健医療は,患者の人種,国籍,宗教あるいは信条にかかわらず,常にたくましく機能し続けなければならないはずである。
 今回は,僕が見てきた経済封鎖下にあるイラクの人々について紹介しようと思う。そして,いかなる国がどのような状況にあろうとも,国際保健が果たさなければならない役割とは何かについて考えてみたい。

患者の収容所

 イラクの病院をどこであれ訪れて,まず驚かされるのは老朽化した施設と極度の物資不足である。1990年以来8年間続いている経済制裁は,CTはもちろん,保育器,冷蔵庫に至るまで,ほとんどの医療機器を故障させたままにしている。さらに,日中は40℃近くにまで気温が上昇するにもかかわらず,空調設備もすべて停止している。患者と消毒液の臭いが熱気に入り混じったそこは,病院というより「患者の収容所」と呼ぶべき状況であった。さらに,基本的な医薬品が非常に手に入りにくくなっており,医師はわずかな医薬品を散発的に処方するばかりで,おそらくは系統だった医療は行なわれてはいないだろう。
 成人病棟には,熱傷で全身がただれた若い女性が目立った。理由を聞くと,灯油不足のため,代わりにガソリンを使った調理が一般化していることが原因だという。つまり,室温が50℃近くになりガソリンが揮発(ガソリンは30℃から揮発,灯油は150℃から揮発)しているにもかかわらず,これに火をつけたため,爆発事故に見舞われてしまうということだ。
 一方,小児病棟を埋め尽くしていたのは,栄養失調の患児たちである。ガリガリに痩せ,腹を膨らませた子どもたちがベッドに並んでいた。僕は,多くの途上国の病院をこれまでに見てきたが,こんな光景は初めて目にした。何か恐ろしい犯罪を目にしたようで,正直,僕は戦慄した。「Lancet」に,「バグダッドの乳児死亡率が,湾岸戦争前は8.04%だったのに対し,1995年には16.07%に倍増しており,5歳未満児死亡率も4.06%から19.82%に激増している」との報告*)があったが,これを数字ではなく個々の患者として見た時に,いかに大変な事態であるかを僕はようやく理解することができた。
 ある医師はチフス患者を前にして,「薬がもうすぐ底をつくんだ,いったい次はいつ手に入ることやら。彼の治療もいつまで続けられるかわからない」と頭を抱えていた。そして,昨夜手術中に失った子どものことを嘆いていた。
 「150万人のこの街に,たった25本の輸血用ボトルしかないのだよ。1日に10本は必要なケースだってあるというのに……。私たち医師は1割の力すら発揮できてはいない。まるで翼をもがれたような気持ちなのが,医学生の君ならわかるだろう」

恒常化する医薬品不足

 ひとたび保健医療システムが破壊されると,その復旧には相当の時間と多大な労力を要する。
 医学教育の面で言えば,イラクの研修医たちは,レントゲンやエコーの読影の機会が激減するなど,新人医師としての修練に大きな支障をきたしていた。もちろん卒前医学教育についても,例えば,遺体の保存が不可能になったため,肉眼解剖実習は事実上「停止」となっていた。これらは,次世代の医師の臨床能力を維持することをきわめて難しくしている。
 一方,バグダッド大学の医学部長モハメッド・アラビ先生は,「私たちは医学教育において全力を尽くしている。学生たちも医学への熱い気持ちを見失ってはいない。しかし,経済封鎖解除後,イラクの医療が復旧していくのには時間がかかると思う。なぜなら,私たち医師をサポートしている医薬品メーカーや商社が大打撃を受けて多数倒産しているからだ」と将来への不安を語っていた。
 この他にも,予防接種が滞っていることは世代を超えた問題となりうる。ワクチン接種率の低下に伴って,ポリオ,新生児破傷風といった病気の頻度もあがり,かつてイラクが撲滅に成功したはずの腸チフス,コレラ,マラリア,リーシュマニアなどの感染症も拡がっているようだった。また,実際に確認することはできなかったが,薬剤耐性疾患が増加している可能性を感じた。医薬品の不足から,医師たちが継続して服用させるべき抗生剤を節約しがちになっていたからである。

譲れぬ国際保健の立場

 イラクでは,国際政治戦略の一貫として経済封鎖が8年にもわたり継続している。国際保健は,このことについて直接発言する立場にはないのかもしれない。しかし,こうした政治バランスが引き起こしている矛盾が,健康問題へとしわ寄せされている事実を前にした時,常に患者の立場に立ちながら,その声を国境を越えて伝えていくべきではないだろうか。
 21世紀の国際保健に期待されている役割とは,政治や経済に迎合し,許される範囲でささやかな慈善事業を営むことではないはずだ。世界的な経済危機,頻発する独立闘争,これらの課題を前に,それぞれの立場から全力を尽くそうという若者たちがいる。そして,もちろん21世紀における国際保健の専門家たちにも,「人々の健康を守る」という単純かつ究極の理想を掲げ,維持されるべき最低限の保健医療を死守する覚悟が必要である。
 世界中に散らばっているさまざまな政治的,経済的意図,これらと国際保健の理想がいつか混ざり合い1つになれるか,これはその次の問題である。

〔引用文献〕
*)Zaidi S. Fawzi MC.:Health of Baghdad's Children "letter", Lancet, 346(8988); 1485, Dec.2.1995

※「日本イラク医学生会議」は,1999年春に再びイラクへ訪問団を派遣する予定です。参加資格は特にありません。東西アジアの医学生交流に参加してみたい学生は,お早めに下記までご連絡ください。

・日本イラク医学生会議(西嶋康浩代表)
 〒755-0067 山口県宇部市小串1122-1 シンセリティ小串502
 TEL(0836)35-6405
 E-mail:gman-ygc@umin.ac.jp