医学界新聞

あけぼの会創立20周年記念大会が開かれる


 乳がん体験者の全国組織である「あけぼの会」(会長=ワット隆子氏)が創立20周年を迎え,その記念大会が東京,熊本,大阪,札幌において開催された。
 「あけぼの会」は,「(乳がんの手術をした者同士が集まって,話し合う場を持つことは)単に,体験者同士の救いになるのみでなく,一歩進んで,自分たちの体験を生かして,今,がんではないかと気にやんでいる人から,実際に手術を受けて入院している人,それから手術後,ショックから立ちなおろうとしている人たちすべての助けになろうと努めるのであれば,大変意義のある集まりになると信ずる」というワット会長の一通の新聞への投稿が契機となって1978年10月に誕生。当初17人で発足した同会は,その後,(1)機関誌「曙」やニュースレターの発行,(2)母の日と乳がん月間(10月)における乳がん検診の促進や早期発見のキャンペーン,(3)講演会,支部集会の開催,(4)全国会員名簿の作成,(5)会員の親睦旅行,(6)ABCSS(Akebono Breast Cancer Support Service)病院訪問ボランティアなど,地道な,しかし精力的かつユニークな活動を続け,現在は3500人を超える会員を擁している。


「誇り高く美しく-あけぼの会20年のあゆみ」

 20周年を記念して発行された小冊子「誇り高く美しく-あけぼの会20年のあゆみ」の冒頭でワット氏は,「1977年2月9日に日赤医療センターで手術を受けた私は,退院後,自宅へ戻ると,日に日に不安が募り,再発ノイローゼのようになって,同院内の精神科,さらには慶応病院の精神神経科に通い始めたのです。そんな時,新聞に乳がんが原因で自殺をしたり,一家心中をしたりというニュースが報じられました。がん患者のサポートシステムが必要と感じ,この新聞投書になったのです」と,その当時の心境を述懐している。
 またこの小冊子は,あけぼの会の20年の歴史が編年体で構成・記載されているが,後半部に寄せられた12名の医師の祝辞の中には次のような記述もある。
 「“治療法は自分で選択するのが自立した患者だというような薄っぺらな理屈にふりまわされて,医療の質も生命の重みまでもが浮わついてしまうことが一番怖い。選択しなければならないのは,自分の命を預けるに足る信頼できる病院と医師である”。私は会員のこの言葉を肝に銘じて努力目標にしております」(浅石和昭札幌ことに乳腺クリニック院長)。
 「あけぼの会創立当時の20年前を振り返ってみると,日本の乳がん発生数は1年間に約1万人でした(略)。その後の乳がんは急激に増加し,現在では1年間に3万人の乳がん発生があり,もうすぐ女性のがんでは乳がんが第1位になろうとしています。そのことを別な面から見てみると,20年前には日本乳癌研究会に出席する医師の数は200~300人であったのが,現在では日本乳癌学会の会員が6千人を越えていることからでもおわかりいただけると思います(略)。乳がんには個性があり,1人ひとりの乳がんは異なっていますので,最良の治療はその乳がんの個性に合った治療を行なうことです(略)。乳がんの発生はますます増えていきます。これまで以上に“あけぼの会”も必要となります」(坂元吾偉癌研究会癌研究所乳腺病理部長)。

「命の質を見つめて-Dr. Hinoharaの医の心」

 熊本市(10月3日)に続いて,さる10月11日,東京・有楽町マリオンで開かれた東京の記念大会では,まずワット会長が「あけぼの会と20年」と題して挨拶。壇上に家族を招いて,ここまでに至る公私の歴史を振り返えるとともに,「これまでの20年に満足することなく,ぜひとも10年後にもこの会場でお会いしましょう」と,全国の支部からの参加者で立錐の余地のない会場に向けて呼びかけた。
 続いて壇上に立った日野原重明氏(聖路加国際病院名誉院長・理事長)は,「命の質を見つめて-Dr.Hinoharaの医の心」と題して,たくまざるユーモアを交えながら講演。数日前に米寿の祝事を済まされたばかりの日野原氏は,“平均余命”が持つ意義を概説し,「生命の長さ(量)より,質が重要であることは言うまでもないが,しかしながら,一般的にはその質を計る尺度がない」と述べ,「自分自身の体感を言語化して医師に正確に伝えることが必要である」と訴えた。
 そして,結核の罹患,腎臓病による入院や59歳の時に遭遇した「よど号ハイジャック事件」などの自らの体験を踏まえ,敬虔なクリスチャンの立場,および長い臨床経験者の経験から,“与えられた生命”という自覚,“人間は死ぬべきもの(シェークスピア)”という言葉の意味を解きほぐし,会場の共感を誘った。

「ショパン序破急幻」

 午後は,同会の「男性名誉会員」でもある永六輔氏(作家)の「バラの贈呈式」に続いて,遠藤郁子氏による「ショパンの世界」と題するピアノコンサートが開かれた。
 遠藤氏は,「能」における“夢幻”の世界と“ショパンの世界”を繋いだ「ショパン序破急幻」の演者として知られる。
 またそのCDが松本サリン事件の不幸に遭遇した河野澄子さん(第1発見者の河野義行氏夫人,意識不明のまま)の声を呼び覚ましたことから「サリン被害者支援コンサート」をサントリーホールで開催。以降数多くのマスコミが取り上げ,社会的に大きな反響を呼んでいるのは周知の通り。
 『いのちの声』『いのちの響き』(ともに海竜社刊)という著書を持ち,自らが乳がん患者の経験者でもある遠藤氏は,和服姿で登壇し,氏自身の言葉によれば,“動法によるピアノ演奏”の合間に「失うことは生かされること」,「みえるもの みえないもの」(ともに上記2著の副題)と形容されるに十分な自身の体験を静かに語り,参加者に深い感銘を与えた。

『私たちは闘う-乳がん再発体験記』

 また同会は創立20周年を記念して,『私たちは闘う-乳がん再発体験記』(ワット隆子編著)を刊行した。
 扉ページに,“果敢に乳がんと闘った,そして今も闘っている全女性に捧ぐ”と序詞を謳った同書は,(1)患者体験記,(2)パネルディスカッション「功を奏した再発後の治療」,(3)乳がんの化学療法,の3部から構成されている。
 (1)の患者体験記では「肝転移,でもあわてない」(5編),「りんどうの花を見るたびに」(4編),「身も心も再建」(2編),「夫からの手紙」(2編)に続いて,ワット氏による2編の追悼記「懐かしい仲間たち」が綴られている。
 (2)のパネルディスカッションは,福田護氏(聖マリナンナ医大),佐野宗明氏(県立新潟がんセンター),田島知郎氏(東海大)をパネリストに迎えた昨年の秋の大会のパネルの再録。再発・転移の恐怖,医師である患者さんが“何もしないこと”を選択した経緯,「夫の会」の意義,費用が高いがん治療の仕組み,“効く”ことは“治る”ではない,末梢血幹細胞移植,そして「医師-患者関係」,「インフォームド・コンセント」も含めた精神的な面での問題が赤裸々に語られている。
 また(3)では,佐々木康綱氏(国立がんセンター東病院)が腫瘍内科医の立場から乳がん化学療法の現状を分析している。
 なお,あけぼの会では「普通会員」および「賛助会員」を募集している。前記書も含めて詳細は下記まで問合せのこと。
◆問合せ先:〒153-0043 東京都目黒区東山1-27-1 あけぼの会事務局
 (03)3792-1204/FAX(03)3792-1533