医学界新聞

日本看護科学学会第3回国際看護学術集会参加印象記


さる9月16-18日の3日間,日本看護科学学会第3回国際看護学術集会(3rd International Nursing Research Conference:Innovation & Creativity Nursing into the 21st Century)が,「21世紀への飛翔」をメインテーマに,小島操子会長(大阪府立看護大学長)のもと,東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催された(本紙2311号既報)。
 世界20か国から約850人が参集した本学会では,会長講演,外国人演者による基調講演,駅伝シンポジウム,パネルディスカッションを中心に,ワークショップ,インフォメーションエクスチェンジの他,世界各国から229題の一般演題発表が行なわれた。
 本号では,学会参加者3名(一般参加発表者司会者)の印象記を掲載する。

川島みどり氏(健和会臨床看護学研究所,左より2人目)らによる,パーキンソン病患者への音楽療法に関するポスターセッション発表。川島氏は,この発表を機に韓国から招請を受け12月に訪韓。同国で開催される「韓国看護学会・国際ワークショップ」において,同テーマでの特別講演を行なう


国際感覚を肌身で感じた学会

古橋洋子(健和会臨床看護学研究所)

台風も歓迎?

 第3回国際看護学術集会が,皇居に近い,まさに東京の中心地である有楽町の東京国際フォーラムで開催された。台風5号の関東地方直撃で,新幹線の遅れや飛行機の欠航が相次ぐ中,やっと会場にたどりついた参加者は,大雨で濡れた衣服をハンカチで拭きながら入場受付をする。その受付には,まだ到着しない参加者の名札がたくさん並んでおり,台風の影響を物語っていた。
 会場となった東京国際フォーラムは,ガラス棟とホール棟をガラス張りのスロープが立体的に幾何学模様を作り上げ結びつけている。そのためか,両棟での各発表会場への動線も複雑で,大きな会場把握まで時間を要した。しかし,要所要所に立つ学生ボランティアの案内で,あまり迷うこともなくスムーズに移動できたのはうれしい。
 学生ボランティアは,3つの看護大学から150名ほどが手伝っていると聞いた。また,実行委員の方は台風のための到着が遅れている司会者を,急遽変更しなくてはならなかったり大変であっただろうと思われたが,そのそぶりを感じさせることもなく学会はスムーズに運営されていた。その司会者も国際学会のため,英語にも堪能である人が要求されるが,役員の人選の厚さとチームワークのよさにも感服した。
 開催直前まで参加登録者数が少ないと心配されていたが,参加者は800名を超え,そのうち海外からの参加は70名くらいとのことであった。国内の参加登録者の出足が悪かったのは,本学会は公用語が英語だということ。また,参加費が高い(5万円)という理由からだろうとの声を聞いた。また,公用語が英語のためほぼすべての会場に通訳者用ブースが完備されていた。ワークショップやインフォーメーション・エクスチェンジ,ポスターセッションの小会場は同時通訳はなかったものの,他の会場ではわかりやすい同時通訳のため,英語の苦手な私には大変ありがたいことであった。

各会場では白熱した討論が

 会長講演で小島操子氏は,21世紀の看護のイノベーションと創造性について,「患者の生きる権利や自己決定を倫理と文化的特徴に根ざした,看護教育の方向性を示し21世紀に向けての教育に糧を根ざしていきたい」と熱っぽく語った。
 基調講演では,フィンランドのヘレナ・キルピー氏が「患者が自分でコントロールできることを知ることの必要性」を強調し,アメリカのジョアン・シェーバー氏は「研究を通して看護のリーダーシップの見通しについて」を語った。
 また16-17日の2日間,「駅伝シンポジウム」が開催されたが,両日とも白熱した内容の討議が行なわれた。そして最終日となった18日には,2日間のまとめとしてパネルディスカッション「21世紀の看護の改革と発展の方向性について」が開かれた。フロアを交え,インターナショナルな討議がされたが,スウェーデンの方から「東京のレストランには,テーブルに灰皿があるがどこでもタバコが吸えるのか」と,喫煙についての国民性について質問が出されたのは印象的だった。
 7つの「インフォメーションエクスチェンジ」も開催された。その中でもPBL(Problem-Based Learning)をテーマにした会場では,コーディネーター(神戸大新道幸恵氏,聖路加看護大 小山眞理子氏)から主旨説明および実施報告の後,参加者全員で実際の取り組み方や方法論が論じ合われた。討論には,実際にPBLを行なっているカナダのマクマスター大の先生方も参加。学生に興味を持たせるためのシナリオ作りの重要性,いかにして大学全体で取り組むか,また各大学間でいかに連携を取りながら推進していくかなどが話し合われ,PBLの実際の教育への導入のあり方を継続研究していくことが確認された。
 口演やポスターセッション会場では,専門的な質問が英語や日本語でとびかい,日本にいながらにして国際感覚を肌身で感じとれる,大変有意義な学会であった。


国際学会での研究発表をして

田中マキ子(山口県立大)

時代の趨勢を感じた国際学会

 日本看護科学学会第3回国際学術集会に参加し,研究発表をすることができました。折しも台風5号が直撃する東京でしたが,会場は外の悪天候を感じさせることなくアカデミックな雰囲気に包まれていました。
 今学会での研究報告は,開催国である日本の研究者によるものが多く見受けられましたが,全体を通した企画は,学会のメインテーマである「21世紀への飛翔」にふさわしく,「科学としての看護」の確立を明確に意識した内容構成でした。また,テーマごとの部会では,Oncological Nursing(がん看護)やNursing Management(看護マネジメント)など19部会に分かれ,看護を取り巻く問題状況の多様化が感じられました。さらに150題の口述発表と約90題にものぼるポスターセッションがありましたが,Nursing Politics and Economics(看護政策と看護経済)やNursing for the Elderly with Dementia(痴呆性老人の看護)といった部会は,まさに時代の趨勢を感じさせる目新しいものでした。

看護教育部会での発表

 私は,学会2日目のNursing Education(看護教育)の部会で“A Change in Occupational Aspiration of Nursing Students;看護学生における職業アスピレーションの変容”と題した発表を行ないました。これは,看護学生の職業アスピレーションの変容について1995年に行なった調査の分析結果の報告です。
 今日,急速に進む看護系大学や大学院の設置・増加は,看護教育の高次化を示すものです。しかし,その反面看護教育界では,看護専門学校での教育も行なわれています。改善されない看護教育の多様な経路がさらに増加すると指摘され,臨床現場の混乱を逆に引き起こすのではないかといった懸念も持たれます。今回の発表では,このような看護教育の高次化や多様化が,看護学生の職業意識やモラル,アスピレーション,役割意識などにどのような影響を及ぼしているのかについて,その実態を明らかにするのが第1の課題でした。
 今日,「少子・高齢社会」という新たな社会の変化に伴い,看護や介護に対する社会的な「期待」は増大しつつあります。しかし,現実の臨床現場では,看護婦さんの離・転職は深刻な問題であり,さらに従来からたびたび指摘されてきた看護婦の燃えつき症候群は,減少するどころか増大の傾向にさえあると言われています。つまり,「看護や介護を支える者たちは,いかにして支えられるのか」といった問題が浮上してきているのです。この問題は,看護の勉強を始めた時点から,「看護の専門性」といった点において引きつけられ徐々に作りあげられるもので,看護学生の職業モラルや職業アスピレーション,あるいは望ましい役割意識を刺激し,看護学の修得をすすめ,燃えつきやすいメンタリティを事前に形成させて,世に送り出していたのではないかという認識に行き着いたのです。
 実際の調査からは,看護専門学校と看護短大の学生間での職業意識形成において若干の差が見出されました。看護専門学校では学校生活全般において,「できるだけ大きな衝撃が起こらないようにすることで,看護婦になろうとする意欲を維持することができる」といった傾向が示されました。一方,看護短大では,学校生活においてさまざまな危機的な体験を通しても,最終的には「看護婦になろう」という意識が高められているという傾向です。この結果から,「看護における専門教育のあり方,あるいはどのような専門性を構築していくかが今後の課題である」と報告しました。

世界に共通する看護者の課題

 発表後,フロアからの質問にも助けられ,看護婦あるいは女性の社会的評価の問題や,看護の専門性についてのディスカッションができました。海外の参加者の発言からは,アメリカやスウェーデンにおいてもバーンアウトする看護婦の問題や,社会的に正当な評価はどのようにすれば受けられるかといった問題は重要であるとのこと。司会者からは,「これは,日本の看護の問題,あるいは諸外国における特徴ということではなく,各国に共通する問題であって,看護教育における今後の重要な課題である」とのコメントを受けました。女性の地位が比較的に高いといわれる先進諸国においても,「看護の評価」をめぐって基本的な課題があることを再認識させられ,国際比較の必要性も痛感した次第です。
 今回,この発表を経験したことを糧に,看護の専門性構築に向けて具体的な内容を示していけるよう研究を積み重ねて行きたいと実感しました。国際的に看護職の位置づけは大きく,期待されるものになっていること,その中にあって,専門職看護婦としてのモチベーションを維持しながらも燃えつきに至らないメンタリティの形成,つまりは自律・主体的な看護の「専門性」をどのように構築していくか,また同時に具体的な労働条件改善や社会的な評価の向上に対する課題について,積極的なアプローチの必要があることが確認できた国際学術集会だったように思います。


東は東,西は西?

余 善愛(米・ミシガン大)

3回目の持つ意味と確かな変化

 もと都庁のあった東京・有楽町の東京国際フォーラムで,日本看護科学学会第3回国際学術集会が開かれました。
 私は今回,ノースウエスト航空のストライキのあおりをくって,デトロイト-成田の直行便をあきらめさせられ,シカゴで飛行機を乗り継いで東京入りをしました。本当に久し振りに見る東京で,やはり変わったと思わせられることはいろいろありました。例えば,「JRや地下鉄ではテレフォンカードと同じようなカードが使える」と昔の友人が教えてくれたり,「プリクラ」というインスタントの写真がステッカーになるのを見つけたり(早速,大学院の仲間とステッカーを作りました)ですが,最も驚いたのは携帯電話の氾濫です。アジアに旅行してきた人々から聞いてはいましたが,「ケータイ」がこれほど氾濫していようとは思いませんでした。おかげで会場の公衆電話の数がずっと減っていました。
 ともかく,アメリカの中西部での生活に慣れてしまった私にとって,本当にちーさくちーさく見えるビジネスホテルに荷物を置き,前日(15日)の夕方から行なわれるWelcome Party出席のために,東京国際フォーラムへ出かけて行きました。が,私はその建物の立派さに圧倒されると同時に,会場費のケタ数に思いを馳せられました。

第1回から参加して

 幸か不幸か(もちろん「幸いに」と断言したいところですが,それだけ年をとったということに,何かしら一抹の寂しさをも感じます),私はこの国際看護科学学会には第1回目から,ずーっと参加させていただいています。第1回目(1992年10月)は,東京の笹川記念館で開かれました。基調公演の1つとして,コロラド大のペギー・チン氏(現コネチカット大)が「ヒューマンケアリング-その政治的側面」を行ない,「看護の進展における女性主義の重要性」について説かれた際に,私が「西洋の個人主義のワク組みの中で構築された女性主義が,果して日本で根づくと思われますか?」というようなことを,質疑応答の折りに質問したことを覚えています。
 それに対するチン氏の曖昧な応え方が,私の心の中にずーっとわだかまりとして残っていたのですが,今回の学会に参加して,後で記しますがその謎がようやく解けたような気がします。何はともあれ,第1回目の開催は,誰もどうしてよいのかがよくわからないままに,とりあえずやってみたという感じでした。
 第2回目(1995年9月)は,思い出深い神戸市での開催です。阪神淡路大震災での被害からの復興を目的に,あえて神戸市で行なわれました。正常に戻ったかに見える街はまだ震災の悲惨さを残し,高速道路は崩れ落ち,ビルはまるで引き裂いた絵のように途中階でズレていました。そういった非現実的な光景を,畏怖の目で見ながら学会に参加したのを覚えています。
 この2回目は,UCSF(南カリフォルニア大サンフランシスコ校)の先生方の参加で圧倒されていたように感じました。その頃,海外の大学院に派遣されていた日本の若い先生方が,海外での指導教官とともに晴れがましく会場を行き来しておられたのが印象的でした。参加後に,日本看護科学学会誌の誌上に「翻訳の学問から,独自の学問へ」というタイトルで感想を書きましたが,本当にアメリカ「直訳」の,そして博士論文からの要約のような発表が多かったと記憶しています。
 そして,今回が第3回。1回目から数え6年の歳月がたったのを,確かに感じられる学会でした。まず,日本の看護教育界の過去の努力を反映してか,数名ながら米国の著名な先生方が日本の看護大学の籍で参加しておられました。そして,日本の機構の中で必要とされている,またはそれに限定されることを考慮しつつ,模索されている看護政策に基づいた研究が少しずつ増えてきているような感じを持ちました。

パネルディスカッションに参加して

 今学会で興味深かったのが,最終日(18日)に開催されたパネルディスカッションです。前原澄子氏(三重県立看護大学長)と菱沼典子氏(聖路加看護大学部長)を司会に,小島操子会長,基調講演の演者であるヘレン・キルピー氏(ツルク大),ジョアン・シェーバー(イリノイ大)氏,そして駅伝シンポジウムの司会者である村嶋幸代氏(東大),キャロライン・ホワイト氏(長野県看護大),岡谷恵子氏(日本看護協会),エレン・イーガン氏(大阪府立看護大)をパネリストとしての討論は,学会の最後を飾るにふさわししい企画でした。
 そこでは,討論を通して皆が一様に「国際看護研究」という目標の遠さと,またそれゆえ,このような学会の持つ意味を再認識させられました。
 討論の目的は,今回のテーマである「革新と創造性:21世紀への看護(Innovation and Creativity: Nursing into the 21st Century)」について,基調講演と駅伝シンポジウムの内容を基に語る,というもので,最初に2日間にわたって行なわれた駅伝シンポジウム(I:看護ケアシステムと文化,II:看護介入と科学)での討議のまとめが村嶋氏と岡谷氏から報告されました。村嶋氏からは,日本のホームケアと各国との比較が紹介され,そこから,「ホームケア」を規制する文化や社会状況,特に保険制度等が討論されました。
 あえて,誤解をおそれずに言うのなら,村嶋氏をはじめとする日本側の意見が「ホームケアこそが21世紀の看護である」という方針に対して,シェーバー氏は,「ホームケアを経済的に採算の合うものとしてやっていくのは難しい」という立場をとられました。
 シェーバー氏の言を,私なりにもう少し勝手に推し量ってみますと,彼女の言わんとするのは,「看護専門職能団体の将来性を鑑みて意見を言うなら,米国では,ホームケアに看護婦が直接手を出すのは,経済的にも採算が合わないだろうし,職能団体としての看護の将来にとっても賢明かどうかわからない」ということではなかったかと思います。

文化の違いと言葉の難しさ

 これに対して,日本側は同時通訳の微妙なズレも手伝ってだと思いますが,「患者のために,最もよいケアを求めるならば,ホームケアに焦点を置くべきで,アメリカでそれができないのは,保険制度,特にマネージドケアがそれを阻んでいるからである」というように,なぜか議論が少し飛んでしまいました。それに応えてシェーバー氏が,「マネージドケアの導入を否定的にとっておられるようだが,それは主に医師側からみた観点で,看護職の発展からみるとこの制度はなかなかありがたいものがある」と応えられました。これは誠にその通りで,いわゆるマネージドケアの保険制度で,一番(ではないかもしれませんが)利を得て,その職域を伸ばしているのは看護,特にナースプラクティショナーなのです。
 日米の社会をまあまあ知っており,討論を通して同時通訳のレシーバーなしで聞ける者の特権を鼻にかけながら言わせてもらえば,同じ言葉,例えば「ホームケア」とか,「医師」,「看護婦」という言葉などを使っても(もちろん英語と日本語で),各々が独自の社会文化を背景に言葉を使用しているために,必ずしも同じ概念,内容を意味していないのではないでしょうか。その言葉の規定する内容や概念,その言葉が置かれている社会構造を,お互いがよくわからないままに,議論だけがどんどん白熱化していったという感じでした。しかしながら,少しかみあわないながらも,なかなか熱の入った討論ができるようになったこと自体,日本の看護が発達した何よりの証拠であると私には思えます。
 ここで最初に戻りますが,1回目の国際学術集会でチン氏が曖昧な応え方しかできなかったのは,彼女には日本の社会・文化といった構造に対する,そこまでの理解がなかったからなのではないかと気づいた次第です。
 それはともかく,このパネルディスカッションの中で浮き上がってきたことは,保険制度の違いでも,ホームケアの需要構造の差でもなく,やはり「洋の東・西」の差でした。シェーバー氏をはじめ,日本で活躍されているアン・デービス氏(長野県看護大)は,「最終的には,いかに経済が社会のシステムを決定するか」を知っているがゆえに,「看護の目標の成就を図るには,経済の動向を利用しなければいけない」と力説されていたのに対し,日本側の岡谷氏は,「経済だけでは物事を決めたくない。患者さんの気持ちに沿った看護をしたい」という,「希望」を述べておられたのが印象的でした。蛇足ながら,米国の両氏も,希望は岡谷氏と同じであることはいうまでもありません。この両者の差が,単に専門職能団体の成熟度の差を反映しているのか,または日本の文化・民族性に帰するのかを観察するには,これから後10年ほどを要するような気がします。

今後の発展を願っての私見

 学会の公式用語は英語ということでしたので,参加者の大多数が日本に住んでおられる方のようにお見受けしたのにもかかわらず,発表はすべて英語でなされました。発表後の質疑応答だけは,各自の第1言語で行なわれました。しかしながら,16年米国で生活してきたおかげで,私は通常同時通訳のレシーバーはいりません。ところが,日本の方の発表を聞いていると,時々レシーバーを使わざるを得なくなることがありました。同行した2人の大学院生は,その発表を聞いていて,私が後で英語で要約を説明してあげるまで,何を言っているのかさっぱりわからない(むろん日本語は理解できません)ということが数回ありました。そこで提案ですが,発表者の第1言語で発表する方法を考えられてはいかがでしょうか。言語は,お互いを理解するための道具にすぎないのですから。
 また,できるならば次回からは参加費をもっと安くして,世界中の学生さんもたくさんポスターセッションに参加できるようにしませんか?こちら(アメリカ)では,よくポスターセッションのところでレセプションをやります。また,よくできたポスターには賞をあげることもあります。もし可能なら,他の看護学会(日本看護科学学会,日本看護研究学会等)や学生の集会等を同時進行させれば,参加するほうも旅費が節約できますし,会場費の節約にもなるのではないでしょうか。
 最後となりましたが,実行委員の方々,本当にご苦労さまでした。3年後の学術集会を楽しみにしています。