医学界新聞

〈連載〉

国際保健
-新しいパラダイムがはじまる-

高山義浩 国際保健研究会代表/山口大学医学部3年


〔第5回〕安全な水を求めて-あるカンボジア農村の試み

 水がなければ,生命の営みは停止する。人体の60%以上が水分であることを思い返すまでもなく,国際保健活動の基本的な行動指針として,まずは「水衛生の確保」があげられることに疑問の余地はないだろう。前回紹介した,カンボジアのテインスララウ村においても,水衛生の確保については,独自の努力が展開されていた。
 今回は,水衛生という側面から,同村で僕が目撃してきたことを語ってみたい。

従来の水源(1992年以前のこと)

 僕が初めてテインスララウ村を訪れたのは1993年のことであるが,その頃までの村人にとって,飲用水には2つのルートがあったようだ。まず,年間を通して中心となったのが,村の中央にある小さな池である。この池は,湧き水ではなく,雨季の雨水が溜まったものだ。そのため,乾季にはかなり水位が下がり,水の濁りもひどくなってしまうが,それでも枯れることなく,年間通して村人に恵みの水を提供し続けてきた。
 そしてもう1つの飲用水は,雨樋からの雨水を軒先に置かれた瓶へと溜めた水である。この雨水は,池の水が茶色に濁っているのに比べ,見た目にも澄んでおり,味も臭いもなく,今でも好まれている。そのため,雨季には池の水を洗濯や水浴びに,雨水を炊事や飲用にと使い分けられていたようである。

近代化による水質悪化(1993年~)

 さて,この水衛生事情に変化を生じさせたのは1993年から発生したゴミ捨て場の問題である。戦後復興の流れの中で,村にもさまざまな近代物資が流入してくるようになった。国道から村に足を一歩踏み入れると,すぐに異臭がしてくる。正直言って,はじめて僕がこの村に入った時,あまりの汚さに逃げ出そうかと思ったほどである。ゴミ捨て場には,空き缶,ビニール袋,古タイヤ,破れたポリタンクなどなどが散乱しており,鼻をつまんで近寄るとボウフラがたくさんわいているのをみた。実際,ゴミ捨て場に隣接して住む村人にとって,蚊の問題は深刻でありマラリアの蔓延が危惧された。
 それでも当初,これはゴミ捨て場に隣接して住む村人たちだけの問題だった。しかし,7月になり雨季がやってきて,ついにゴミ捨て場のよどんだ水があふれ出し,池に流入するに至った。これで,ゴミ捨て場のことは村人全体の問題となった。
 「蚊の発生にたまりかねた誰かが,ゴミ捨て場にDDTをまき散らした」という噂もたった。一方では,合成洗剤を使い,池で直接洗濯する人もいて,池の汚れは一層ひどくなっていた。実際に,見た目のみならず生物学的な汚染も進んでいた。
 この連載の第1回目で,僕が赤痢になった話をしたが,あれは,この頃,僕が村の老婆に勧められるままに生水を飲んでしまったことに起因している。村の子どもたちにも下痢が蔓延していた。村人たちが,「子どもたちが死にはじめた」と言うので,調べてみると,5歳未満児35人のうち,実に1年以内に6人が死亡しているのを確認した。
 情けないことに,この時僕は,ただただ,「ゴミ捨て場を片づけること,そして水を沸かして飲むこと」。これしかアドバイスできなかった。しかし,あの大量のゴミを,誰が,どこに,どうやって運べばよいと言うのだ。そして「水を沸かして飲め」と言っても,両親が農作業に出ている間は,子どもたちが火がおこせるわけもなく,生水を口にするのは仕方のないことでもあった。とにかく村人たちは,「次の雨季までに何とかしなければ」と,それぞれ危機感を抱きながらも,何ら手を打てずにいたのだった。

人工池の完成(1994年~)

 しかし,池に隣接して住む長老には,1つのアイデアがあった。彼は,乾季,池がほぼ干上がった頃に,畦を築いて池の一部を区分したのである。そして,区分した池をさらに1メートル掘り下げ,周囲を鉄条網で覆った。かれは,この人工池を飲用として確保したのである。確かに,人工池の水質は,それまでの池からは格段に改善された。それは,ゴミ捨て場からの汚水の流入を食い止めたということのみならず,洗濯など飲用以外の生活水とも区別することも可能になっていた。また,鉄条網によって,豚や牛が水浴びをしに入り込めないようにしたことは,水系感染症の拡大を予防できる点でも注目すべきだろう。
 加えて,村人たちが水衛生の話をする時,「みんなで努力しなければ」というような口ぶりが目立ちはじめたことに僕は気がついた。つまり,人工池の水質保全をきっかけとして,水衛生は,水の煮沸という世帯別の対策から,村全体が共同してあたるべき課題へと変質したといえる。

井戸の完成(1995年~)

 しかし,翌年の乾季,再び村を訪れると,人工池は枯れてしまっていた。小さな人工池では,村の人口を支えきれなかったようだ。結局,村人は元の池の水に頼ることになっていた。そして,このことは村の健康状況をより悪化させていた。
 というのも,住民は人工池ができたことで,元の池の水質保全に気を配らなくなったからである。人工池が枯れるまで,村人は池で洗濯をし,存分に牛や豚に水浴びをさせていた。そして,乾季の5月から6月にかけて,おそらく池の水が感染源と思われるコレラが流行した。僕が村を訪れた7月の時点でも,面接した238人中の少なくとも6人は重篤なコレラ患者であった。
 しかし,このコレラ流行を回避していた地区が村の中にあった。それは,村の西部の比較的裕福な地区でのこと。この人工池から遠い地域の住民たちは,枯れる人工池に見切りをつけ,出資しあって井戸を掘っていたのである。僕は,このあたりの水脈は見つけにくいと聞いていたので少し驚いた。聞くと,村人は長老の教える伝統的な手法で水脈を発見することに成功したらしい。それは,「村の比較的低い数か所に皿をうつぶせにして丸1日放置し,皿に水滴が多くついていたところに水脈がある」というもの。
 その夏,国際保健研究会の会員である,本村和久氏(現・沖縄中部病院研修医)は,村人が飲用している水各種を持ち帰り水質検査を実施している。その結果を下表に示すが,確かに井戸の水質の高さは他の水源と比して群を抜いており,井戸の整備がいかに効果的かが理解できる。ただし,この井戸を利用している村人の一部には,「井戸水は沸かさなくともよい」という誤解があり,彼らには技術とともに教育が不可欠であることを実感させられた次第である。
 さらに加えたいことは,地雷の撤去のおかげで井戸が掘れたということだ。もともと,井戸が設置された場所一帯は地雷が埋められていた危険地帯で,しばしば牛が迷い込んで地雷を踏む事故が多発していた草地であった。ここは,1994年の乾季に地雷撤去を専門とするNGOが担当して,撤去作業を完了していた。つまり,カンボジアのような内戦からの復興をめざす国の場合,井戸の設営に先立ち,地雷撤去も必要なのである。

よりよい水を求めて(1996年~)

 1996年の乾季に,人工池は井戸のように掘り下げられながら,何とか持ちこたえた。西側地区の村人の一部は質のよい井戸水を手にしている。しかし,1996年の雨季の人工池では,水質の劣化が見た目にも明らかであった。森林伐採が進んだカンボジアでは森の保水力が失われ,大雨が降れば洪水となり,自然池の水も農地の水も簡単に人工池へと流入してしまうのである。
 また,村人の作った井戸には,環境を維持するためのプラットフォーム(井戸の周りの環境を保全するため,コンクリートで地面を覆ったもの)がなく,すでに井戸の周囲はぬかるんでいた。井戸の周囲では,村人が簡単な調理をしたり,シャンプーを使って髪を洗ったりしたりしている。これらは,やがて土壌に染み込み,井戸水の水質劣化の原因となりかねない。井戸の保全についても,村人が知識をつけていく必要を感じる。それでも,井戸水は実現可能な最高の水源である。そういう意味では,井戸を村全体へと普及されていかなければならない。しかし,浅井戸を1つ掘るのにかかる費用は約40万リエル(日本円で約1万6千円)。平均的月収が1万円の村人たちにとっては,団結なしには掘ることはできないことは目に見えている。団結を促すのは知識,そして成功例を積み重ねていくことだと思う。
 昨年の乾季,会員の浅田和豊氏(現・山口大3年)が,井戸掘りの技法を学んで村を訪れ,現地の僧侶とともに井戸をもう1つ完成させた。こうしたささやかな協力もまた,村の水衛生における成功の1頁といえよう。さまざまな試行錯誤を繰り返しながらも,安全な水を確保するため,村人の闘いは続けられている。


テインスララウ村における水質検査結果
検査した水源COD(mg/l)

人工池
雨水
井戸
24.69 
12.15 
12.15 
3.13