医学界新聞

短期集中連載 DRG導入が米国医療に与えたインパクト(1)

DRG導入-止めどない医療インフレを抑制するために

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部助教授


 1983年にDRG(Diagnosis-related groups,診断群別定額支払い制)が米国の政府管掌老人医療保険メディケアに導入されてから15年となる。昨今,日本でもDRGの導入が現実味を帯びてきているが,DRGが米国医療に与えた影響について『市場原理に揺れるアメリカの医療』(医学書院刊)の著者,李啓充氏が集中連載を行なう。


 米国の公的老人医療保険メディケアは,1965年にジョンソン政権のもとで創設されたが,米国医師会(AMA)はメディケア設立に猛反対した。当時のAMA会長ドノバン・ワードは「政府が税金で運営するような医療保険は止めどなく支出が増え,いずれ財政的に破綻する。財政的破綻を取り繕おうとすれば,サービス制限か増税か政府による医療内容への介入かの選択しか残らない」と議会で証言しているが,AMAはメディケア創設は政府による医療介入・医療の「社会主義化」を招くと強硬に反対したのである。
 国民の圧倒的な支持を受けていたメディケア創設にAMAが頑なに反対したことは,AMAに対する国民のイメージを回復しがたいほどに悪化させたといわれている。国家権力が医師の「オートノミー(自律性・裁量権)」に介入することを防がなければならないというAMAの主張は,国民には医師の「収入」を守るためとしか受け取られなかったからである。

医師のオートノミー

 AMAは伝統的に医療における医師のオートノミーを絶対視し,医師のオートノミーが損なわれるような状況に遭遇すると強烈な拒否反応を示す体質がある。古くは1930年代に医療保険制度そのものに対し,「第三者(支払い者)による医療介入は許さない」と反対した歴史があり,現在ではマネージド・ケア(拙著『市場原理に揺れるアメリカの医療』を参照)の医療介入に対し,これを規制する「患者」権利法を制定しようという運動を繰り広げている(医師のオートノミーは患者のために最善を尽くすには必須のものであり,これを侵すマネージド・ケアは患者の権利を侵すものであるという論法を展開しているわけだが,あくまでも患者を前面に立てるところに歴史をくぐり抜けた洗練度が感じられる)。
 メディケア創設から35年,AMAは今やメディケアの強力な支持者に変身したが,その一方で,AMAが固執し続けてきた医師のオートノミーはその実体を失い続けてきた。そして,メディケアへのDRG導入が,実は医師のオートノミーは絶対のものであるという幻想を崩壊させることに大きく寄与することになったのである。

止めどない医療インフレ

 医療サービスは「贅沢品」である。国民総生産の総額が増えるほど医療費が国民総生産に占める割合が増える傾向があり,富める国の国民ほど高額な医療サービスを気前よく購入する。米国における医療費支出も国民総生産の伸びをはるかに越える速度で上昇を続けたが,特に,メディケアの支出増は1970年から1983年までに年率平均17%と突出した。被保険者である高齢者人口が増え続けたことも理由の1つだが,メディケア創設時にAMAの猛反対にあったことなどから「医師・病院のメディケア離れを防ぐ」ために医師・病院に対し手厚い支払い制度としたことにも起因している。病院に対してはコストに基づく出来高払いを,医師に対しては「慣習的かつ妥当な額」と実質的に自由診療とさほど変わらない支払いを保証したのであるが,結果として,メディケアは医療サービス供給側に「金額は自分で入れて下さい」と白紙小切手を渡すこととなったのである。メディケアの気前のよい支払い制度が,米国医療全体の止めどないインフレを加速したとまでいわれている。

政府による規制強化

 メディケアの入院部門にDRG導入が決まったのは,1982年,レーガン政権のもとであるが,当時メディケア財政は数年のうちに破産すると喧伝されていた。創設から35年,メディケア財政は数年後に破産すると常に言われ続けてきたが,政府も国民もメディケアのコストがこれほど高く付くとは,そして医療インフレが国家財政を食いつぶしかねない勢いで進展するとは,予想していなかったからである。「政府による規制はできるだけ撤廃する」ことを謳って発足したレーガン政権であるが,皮肉なことに,こと医療インフレについてはこの原則と正反対に,政府による「締め付け」を厳しくするDRG導入を提案したのである。米国病院協会は「病院が工場の生産ライン化する」と反対したが,出来高払いから定額支払いのDRGへの移行という革命的ともいえる変化は,あっさりと議会を通過した。メディケア支出を抑制するためには抜本的改革を行なう必要があるということで民主・共和両党が一致していたことに加えて,DRG導入は年金制度改革という大きな法案の一部として扱われたため,さしたる議論の対象とはならなかったからである。
 議会で正式に承認されてから6か月後,そして保健省が各診断群別の支払い額を公表してから1か月後の1983年10月1日,慌ただしい雰囲気の中でDRGが施行されることとなった。

どこまでケアを切りつめられるか

 DRGは,全疾患を468の診断群に分類し,入院患者がどの診断群に入るかに応じて,(患者のケアに実際にどれだけコストがかかったかとは無関係に)あらかじめ定められた額を病院側に支払うという制度である。外来ケアへの支払いは出来高払いのままとされた(外来ケアにも定額支払い制を導入することが1997年の財政均衡法で決定されたが,メディケアを管轄する保健省医療財政管理局はコンピュータの西暦2000年問題対策に追われ,外来への定額支払い制導入は遅れている)。
 出来高払いのもとでは医療サービスの量を増やすほど病院側の収入が増えるのに対して,DRGの定額支払いのもとでは医療サービスの量を減らすほど病院側の差益が増えることとなる。「これまでは1ドルの払い戻しを受けるためには1ドル使えばよかったが,DRGのもとで1ドルを得ようとしたらまず1ドルを節約しなければならない」とは,当時の米国病院協会会長,アレクサンダー・マクマーンの言葉である。医療サービスのコストを切り詰めれば切り詰めた分だけ病院の利益が増える仕組みのDRG導入を契機として,入院ケアがどこまで切り詰められるかという未曾有の実験が始まった。
 DRGのもとで病院側のコストを減らすもっとも効果的な方法は患者の入院期間を短縮することであり,逆に患者の入院が長引けば病院の持ち出しとなる。DRG導入後わずか1年でメディケア患者の平均在院日数は9.6日から7.4日と2割以上短縮し,回復期の患者のケアは一般病院からリハビリ病院,在宅医療の場へと移行した。点滴がはずれる前の退院,在宅でのレスピレーター使用などは当たり前となったのである。
 平均在院日数の短縮に加えて,入院数が減少し,ベッド稼働率はDRG施行後わずか2年で73%から65%へと激減した。83年の102万床から96年には86万床とベッド総数は減り続けたが,ベッド稼働率は回復せず,現在の全米平均は62%となっている。ベッド稼働率の減少とともに病院間の競争が激化し,DRG導入を境に全米の病院数は減少を始めた。83年には5843あった一般病院が96年には5160となり,13年の間に病院9軒のうち1軒が姿を消した勘定になる(米国病院協会調べ)。

入院数はなぜ減ったか

 ここで問題なのは,DRG施行後なぜ入院数が減ったのかということである。というのも,定額支払い制のもとでは平均在院日数の短縮により生じる空きベッドを埋めようと,病院側に入院患者を増やしたいという動機づけが生じるはずだからである。それだけでなく,入院適応を広げケアの必要度の小さい軽症患者の入院を増やせば,それだけ病院側が受け取る差益を拡大させることができるのである。実際,全米に先駆けてDRGが試験実施されたニュージャージー,メリーランドの2州ではDRG施行後に入院数が増加している。
 「DRGによる定額支払い制を導入しても,医師が入院数を増やせばその節約効果は帳消しとなる」と警告した論文がニューイングランドジャーナル・オブ・メディスン誌に発表されたのは1984年8月である(311巻295頁)。メイン州を30の地域に分け各地域における医療行為の頻度を分析したところ,その頻度が大きく異なり,頻度がもっとも高い地域と低い地域を比較すると,子宮摘出術で3.5倍,椎間板除去あるいは椎体融合術で8.2倍,扁桃摘出術で14.3倍異なるなど,地域により極端な差があるという結果が報告されたのである。地域により医療行為の真の必要度にこれ程の違いがあるとは考えがたく,医療行為の適応についての医師の裁量が大きく異なることが示された。別の言葉で言うならば,本来は必要のない医療行為が医師のオートノミー(裁量権)の名のもとに多数行なわれていることが示唆されたのである。

医療警察PROの設立へ

 米国政府は,新制度を悪用して病院側が不正な利益を上げることを防止するとともに,DRG導入が医療の質の低下につながってはならないと,徹底した医療査察制度を導入した。もともとメディケア・メディケイドの利用度審査は1972年から行なわれていたが,この審査制度を大幅に改編し,全米各州に医療専門家による民間査察機構(Peer Review Organization,PRO)を設立したのである。
 PROは,特定の疾患については入院の必要性を事前審査するとともに,適切な医療が行なわれたかどうかについて退院患者のカルテを抜き取り審査した(約半数の患者で事後審査が行なわれた)。実際の審査を行なったのはPROに雇われた看護婦・医師であるが,「不必要な入院」・「不適切な医療」についてはメディケアの支払いを拒否するとともに,悪質な医師・病院をメディケアから排除する権限も与えられ,メディケアにおける「医療警察」としての役割を担わされたのである。
 メディケア創設時に「メディケアは政府による医療介入への道を開く」と,米国医師会会長ドノバン・ワードは政府による医師のオートノミーへの介入を危惧したが,その懸念が現実のものとなったのである。

つづく