医学界新聞

鼎談

地域医療における“公私”の役割を改めて問う

田辺栄吉氏
東京都青梅市長
全国自治体病院開設者協議会副会長
河北博文氏
河北総合病院理事長〈司会〉
土屋正忠氏
東京都武蔵野市長


地域医療における“公私”の役割

河北(司会) わが国は現在,あらゆる分野で変革を求められています。病院も公私を問わず大きく変わっていかなければいけないと思います。そこで本日は「地域医療における公私の役割を改めて問う」と題しまして,東京都のお2人の市長さんに,自治体立病院をお持ちの市とお持ちでない市の立場からご出席いただきました。
 まず最初に青梅市の田辺市長から,全国自治体病院開設者協議会のお立場も含めて,地域の中での公立病院のあり方や期待などをお話しいただきたいと思います。

全国の自治体病院の実態

田辺 平成8年度の統計によると,全国に984の公立病院があり,その中で930が自治体病院で,52が精神病院,2つが結核病院です。そのうち300床持っている病院が約17%あるわけですが,それらの病院が大体その地方の基幹病院,中核病院として高度の医療設備を持ち,地方の医療水準を高める役割を果たしている,と全国自治体病院開設者協議会では解釈しています。
 その中で不採算の病院が177施設あります。自治体病院の使命から,当然そういう病院に助成していくことが本来の流れでした。自治体病院の使命は,いわゆる先駆的な医療と特殊医療です。最近はそれに加えて,医療水準を高めるという大きな使命を持っているのではないかと考えています。
 しかし,実態は全国の病院の約59.2%が赤字です。そして赤字が大きい病院が,大都市に集中してしまっています。それが問題になっているわけです。
 地方自治体において中核的な,基幹病院としての役割を果たしている病院は大体300床以上の病院ですが,自治体病院では500床以上持たないと経営は黒字にならないというのがどうも実態のようです。それに対して「負担区分」というものが法律で決められていて,それに基づいて助成していくわけですが,その他にも経営に対しての赤字補填や会計補助金があり,負担金と補助金と両方合わせて経営されているわけです。最近は,経営も以前よりはいくらかよい傾向にあります。

公立病院を持つ自治体の立場から

田辺 青梅市立総合病院は現在497床あり,そのうち52床が精神病,20床が伝染病です。一般病棟はいつでも満床で,青梅市民でも入院できないという状態です。そのため,急患が運ばれても診れないという事態になり,住民の感情として,「青梅の市立病院は,われわれの病院でありながらなぜ救急の患者を診てくれないのか」という声が出てくることになってしまう。
 そこで何としても国の指定をもらって,ベッドを100床増やし,市民の素朴な願いを叶えたいということが救命救急センターの設置に踏み切った経緯で,平成12年に完成する予定です。
 ベッド数を増やす時には,いつも医師会の反対があったらしいのですが,今回はほとんどありませんでした。私どもは公立病院として赤字を出さないように努力しますが,しかし,先ほど申しました高度医療,先駆的な医療,特別な医療,特殊医療を提供するために,資金を投入しても経営すべきであろうと思います。
 自治体病院が赤字になる大きな理由の1つは,1962年に共済組合ができた時に,その年に在籍した公務員の年金を共済年金の基金として各病院が負担せざるを得ないことがあったからです。ですから,私たちの病院でも毎年約1億5,000万円を負担せざるを得ません。この辺の病院経営の事情を,もっと議員の方や首長さんにもご理解いただく必要があるだろうと思います。いずれにしても,60%の自治体病院は赤字対策に頭を悩ましているのが実態だと思います。
河北 東京の場合,西多摩,青梅市を中心にして,老人病院のベッドは非常に多くなりましたが,急性期に対応する医療機関があまりなかったということがございます。

公立病院を持たない自治体の場合

河北 次に公立病院を持たない武蔵野市の土屋市長からお話をいただきたいと思います。
土屋 武蔵野市には,567床の武蔵野赤十字病院があります。日本赤十字社法という特別法に基づく病院で,分類では公的病院になり第3次の医療機関です。次に100床から150床程度の2次の医療機関である民間病院が9つあり,その次が前線の診療所という医療体系になっています。
 私どもは,私立の病院の運営費に対しては補助金はいっさい出しておりませんが,大規模な改築などを行なう時には,一定のサポートをします。現在武蔵野赤十字病院は実質84床の増床になりますが,約100億円規模の予算で工事を行ないました。それに対して市は,原則的に運営費用は出しません。しかし,“地域の中における中核病院”という役割,つまり武蔵野赤十字病院の約20%の患者さんが武蔵野市民であり,また救急救命病院として活躍いただいていることから,6億円というイニシャル・コストの補助を出したわけです。
 武蔵野市の地域医療機能連携の実態を申し上げますと,武蔵野赤十字病院の平均在院数は16日程度ですから,非常に短い部類に入るだろうと思っております。いつも満床状態ですが,武蔵野市のプライマリケアを担っている医師会の会員が,「武蔵野赤十字病院の高度医療が必要だ」と判断した場合には紹介があります。そうしますと,その紹介を受けた患者は優先的に入院して治療を受けています。
 また,患者さんの日頃の状況を知っているのは,いうまでもなく主治医ですので,主治医が総合的な所見,判断をし,武蔵野赤十字病院の医師に必要なアドバイスを行なうことまでできるようになっております。オープン病院ではありませんが,準オープン病院的な役割を果たしております。
 反対に,武蔵野赤十字病院からの逆紹介も行なっております。それから治療のアフターケアをするために,プライマリケアの診療所を逆紹介します。
 都会の特性として主治医がいないことが多いので,主治医を紹介しています。また突然発病することもあるので,後のフォローするということもやっております。そういうネットワークのために,武蔵野市は市立の保健センターを10年前に作りました。その保健センターと武蔵野赤十字病院に,お互いに空きベッドの情報を交換,紹介する「医療連携室」を設置して,パソコンネットワークで病院の空床の情報交換や調整を行なっています。
河北 ネットワーク型で既存の資源をできるだけ有効に使うことで,市の財政負担が軽減されるというお考えと承りました。

地域医療における“公私”の問題点

公立病院が担うべき役割を問う

河北 私は,いつも安心して何でも相談できる医療機関が身近にあることが,地域医療の基本だと思っています。
 つまり,信頼関係がきちんと作られていて,24時間,365日すべてのことに対応できるシステムがあるということです。ところが,単独の医療機関や独りの医師ではそれはできませんので,できるだけネットワークを作っていくことが不可欠だろうと思います。
 そこで公立病院が果たしている役割は何かが問題になり,また公立病院でなくてもそういうことができるのではないかと思うことがあります。先ほど,都市の大病院が財政的に苦しい状況であると言われましたが,地域医療の中で公立病院はどのような役割を担っているのでしょうか。
田辺 公共性と経済性をどのように噛み合わせて,病院を経営していくかということが大きな課題です。先ほど申しましたように青梅市立総合病院は今度100床増やし,救急のベッドを今までの約2倍の40床にしましたが,それでも救命救急センターとして国の指定をもらうのは難しいということで,現在交渉中です。40床の救命救急センターで約1億8,000万円の赤字になるだろうと言われました。
 西多摩地区は病院が少ないので,公立病院は特に機能分散する必要があると思います。地方自治体は広域的に病院を持つ必要があって,一私立病院が対応するのは大変ですから,私たちも組合立のほうがいいのではないかと言っています。

行政に混在する“公と私”の問題をどう考えるか

河北 東部地域病院,南部地域病院やリハビリテーション病院を含め,東京都立の病院は17ございます。これに対して多額の補助金が出されています。地域には競合する民間の医療機関がありながら,都立病院にだけ補助金が出ているわけです。
 都立病院は合計で約7000床しかありません。また,特に外来はできるだけ紹介外来制をとり,入院が主体となっています。在院日数が現在22-26日ですから,1つのベッドを1年間に利用できる人はせいぜい14-15人で,7000床あっても1年間にこれを利用できる人は8-9万人くらいしかいないことになります。しかし,1200万人の都民で入院医療を必要とする人は,おそらく百数十万人になります。都立病院のベッドを利用できる人が,その中のごくわずかということは,この補助金が一部の人にしか使われていないことになります。
 そういうものを「箱物補助」ということで医療機関を支えていくのか,それともいわゆるクーポン制みたいな,あるいはバウチャー(voucher,証書)という方式で都民全体に広げるほうがいいのか,土屋さんはどう思われますか。
土屋 今のお話は2つの側面を持っていると思います。1つには,行政全般に同様なことが言えます。教育の場合には義務教育は憲法上の義務だから別格にしても,例えば保育園の場合には公立と私立があり,公立の保育園は手厚く遇されていますが,民間はそうでもありません。すべてのサービス行政の分野には必ず公と私が混在しているのが,現在の行政のありようだと思います。しかし,一般論としてどこでどれだけ公で行なうかという問題と,医療行為というかけがいのない行為をする医療機関の特殊性をどう考えるかということは別ではないかと思います。
 大都市型病院の成り立ちは各々ありますが,身近なところに医療機関がないためにみすみす助かるべき命も助からなかったというような苦い経験の中から地方自治体立の病院を作っていったという経緯があったと思います。しかし,公立病院を作った後で私立病院ができてきた場合にどうするかという議論もありましょう。
 ですから,一般的な意味の公私の混在をどこで線を引くかという問題と,かけがえのない医療行為をどう考えたらいいのか。この問題点を整理してみる必要があるのではないでしょうか。
田辺 青梅市では民間の梅園病院(石田信彦院長)が訪問看護と中間施設的なリハビリテーション病院,さらにリハビリテーションのスタッフの養成校も作ってくださいました。リハビリテーションを必要とする患者さんは,そちらの施設にお引き取りいただいて,それから在宅へ移行することができます。これからはそういう中間施設,または後方病院と言われているような施設を作らなければなりません。これは公私の役割分担という意味もあると思いますが,先ほど土屋さんが言われた病診連携は,われわれの病院でも進めています。

“公”が行なうべき3つのサービスをめぐって

河北 すべての人が医療を受ける権利を平等に有するという意味では,まだまだ整備が足りない地域もあると思いますが,私は公が行なうサービスに関しては基本的に3つしかないと思います。
 第1番目は,「何もないところに種をまいて,その市場が育ったら撤退をする」ということです。育った後でも,公のサービスがなかなか撤退しない,というところに問題があるような気がします。
 第2番目は,「きわめて公的なサービス,例えば外交,裁判,あるいは軍隊とか秩序に関するものはやはり公が直接行なうべきである」ということです。
 第3番目は,先ほど田辺さんが不採算医療と言われましたが,いくら種をまいても育たないもの,これに関しては公が予算化して,その範囲の中で直接サービスを行なうか,あるいはいい民間のサービスに委託する。不採算であってもそれだけ予算化をされていれば民間が受けられる。この3つのことしかないと思います。
 ところが,約1000に近い自治体立病院の中には,ある程度の資源の整備が終わってしまった状態で,民間と同じ水準のサービスで競合している医療機関が非常に多いように思われます。これが撤退できるかどうかということが今後の1つのポイントではないかと思いますが,いかがでしょうか。
田辺 地方公営企業法全部適用(以下,全適)ということがありますね。昔は3年間黒字が継続しないと許可しなかったのですが,現在は全適をどんどん許可しています。そうなってきますと,今度は公のほうが放したくなってきます。息のかかった病院を作っておきたいのですね。
 私たちも全適にしたらどうだろうと言っていますし,病院側も全適にしてくださいと言います。そうすれば自立してやる気を持つと思いますから。

「箱物」に対する住民のニーズはまだあるか

河北 箱物を作ることに選挙の票が集まるような意識は,まだ住民にありますか。
土屋 何が必要かということでしょうね。箱物といっても特別養護老人ホームもコンサートホールも箱物です。
 現在スローガン的な政治が行なわれておりまして,「“土建屋自治体”から“福祉自治体”へ」などというと聞こえはいいのですが,箱物行政もそういうニュアンスがあります。ただ,そういう割り切り方は気をつけないと乱暴な議論になるような気がします。
 とりわけ病院をとってみると,医療の領域で公立が行なう分野は,田辺さんがおっしゃったように,不採算あるいは不足しているところで役割を担うこと。また高度な研究や,民間の病院だけではできにくいことをカバーすることだと思います。
 それから,特徴を持った病院,例えば現在都内のリハビリテーション病院の病床数は約2000ですが,これは決定的に不足していると思いますし,現実に東京都市長会でも都に対して要請をしています。
 墨田区にある東京都立リハビリテーション病院へ私も行きましたが,墨田区は東に寄りすぎて,むしろ千葉の人などが来たりして,少なくとも三多摩からはなかなか行きにくい。しかもこの病院が165床と非常に少ない。もし今後公がシフトを変えていくとすれば,とりわけ難病やリハビリテーション病院,あるいはまだ無医村的なところがあれば,それをカバーできる機能を持った病院,そういう“特徴のある病院”という方向ではないでしょうか。
 一般的に「21世紀は,作る時代から使う時代になるだろう」と言われます。そういう意味では,箱物行政は終わりつつあるのかなと思いますが,しかし中身の問題も考えたいものです。
田辺 私どもも10年も前から,「中間施設は,どうしてできないのですか」と言っていたのですが,あれはペイされなかったかららしいですね。
河北 ところが,不思議なことに老人保健施設を作ってつぶれた医療機関の話は聞かないですね。
土屋 ただ中間施設といっても,いわゆる介護を中心とした老健施設と,先ほど言った,専門性のあるリハビリテーション病院では明らかに性格が違いますよね。
 老健施設が特別養護老人ホーム化していくという問題点も若干あるわけですが,ショートステイを含めて在宅介護とつなぐ輪としては,これからかなり重大な役割を担っていくのではないかと思います。
 とりわけ最近は,医療知識や医療器具が発達したこともあって,例えば,常時酸素療法を必要とするような人も自宅に帰したりしますね。そういう時代には老健施設のような高齢者の慢性疾患に対する介護プラス医療知識を持った施設が必要になってくるでしょう。もっとも,これも箱物になってしまいますが。
田辺 確かに病院医療のうち,一般の治療は民間に受けてもらうという姿勢は将来強まるだろうと思います。ただ問題は,先ほど土屋さんもおっしゃったけれども,いわゆる高度な医療,特殊な医療,先駆的な医療もやらなければならない。それと合わせて,今後の公立病院の大きな使命は,医療水準を向上させることです。
 公立病院は入院医療だけにして,外来はすべきではないという意見もありますが,市民の側になってみるとそうも言い切れないですからね。
河北 自治体立病院の院長人事は大学の医局に任されている所もまだありますね。
田辺 病院経営からいうと,大学の先生が必ずしも経営者に適任ではありません。
土屋 ええ。大学での教育と研究の能力と,組織を経営し,管理していく能力はまったく異なります。ここをよくわきまえないといろいろな問題が出てくると思います。

日本人の医療観の変化に伴って病院の役割も変わる

土屋 現在の公的病院が抱えている問題の1つに,伝統的な医療観の変化があります。伝統的な医療観というのは,赤ひげ先生に代表される自分の生命を預ける先生という感じで,日本人はそれを持ってきました。医療訴訟なども未だに少ないですね。そういう医療観をそろそろ変えなければいけない時代になってきた。医療技術がどんどん高度化・専門化してくると,患者全体を把握する視点が弱くなります。
 したがって,コメディカルやその他のスタッフと協力する総合的な見方が必要になってきます。そうなると,医療に対する考え方が変わって,医療というのは医療知識を持った専門家集団が行なう一種のサービス,科学的知見に基づいたサービス産業なのだという考えに変わらなければいけないと思います。まだそういう視点に,十分脱皮しきっていないところに現在の問題があるのかなという感じがします。
 一方で,医学・医療は細分化されてきた。これはむしろ病院の中でも医師の責任になると思うのですが,逆な面で,統計などが発達して,「こういう数値ならこうだ」というように非常にマニュアル化してしまっているのではないかと思うのです。
 私が経験した例ですが,ある大病院に私の同級生が末期癌で入院して,「あと半年の命だ」と言われたのです。その医師は40代の前半ぐらいで,いわゆる脂の乗り切った年代でしたが,この友人は家族と主治医である開業医に支えられ,結局2年間も生きました。その経験を顧みて,この医師はいい勉強をしたと思いますね。
 これからのあるべき医療ということを考えると,病院は高度な技術と非常に専門性を持って集中的に治療する所であると同時に,医療情報をどんどん開示して所でもあります,良質な医療サービスを行なっていく。しかし,それはまた一定の限界があり,そこから先は生命体としてのトータルな人間が生きる力をうまく伸ばしていく。そういう2つの課題を抱えているのではないかと思います。病院経営においては,収益の問題は非常に重大なことですが,同時に情報開示に関して明快なポリシーを持っていけるかが鍵になると思います。
河北 病院を運営していくうえで,管理者に期待されるのはオーケストラの指揮者的な側面と,もう1つは,医師としての知識・見識だろうと思います。

地域医療における“公私”の今後の展望

これからの病院運営:公設民営

田辺 今一番問題なのは,収益比率の中で人件費率が非常に高いことです。大体63%,都内の病院では70-80%ですよ。
 それともう1つは,都立の病院については発言するのがタブーになっています。
土屋 そういうことは発言したほうがいいですよ,そういう時代ですから。
河北 残念ながら日本の診療報酬体系は,損益計算書上の経費項目に対する費用弁済ではなくて,医療行為に対する費用弁済です。ですから,その医療行為1つひとつがそれぞれ違ったコストを持っているにもかかわらず,それを補填するものではないために,診療報酬体系がゆがんでいると思うのです。
 その中で1つ,病院の資本的費用といいますが,先ほど武蔵野赤十字病院に6億円のイニシャル・コストをお出しになるというお話がありましたが,この資本的費用の部分は医療行為ではありませんので,診療報酬体系の中でどんどん落とされてきてしまったのですね。ですから,将来的には自治体立病院は公設民営という大きな資本的費用を別会計として誰かが手当てしなければいけません。ただ,運営に関しては民営化をして権限と責任を持たせるということが理想的な姿なのかなと思うのですが,いかがでしょうか。
田辺 それは確かに考えられますが,私のところは保育園はすべて公設民営で,公立の保育園は1つもありません。公設民営のほうが成功しています。公でやると完全なものでやるから,融通はききませんし,コストがどうしても高くつきます。
土屋 人材の問題もあるかもしれません。千葉県の旭中央病院の諸橋芳夫先生が,「医師を採用する時は病院の近くに住まわせる。何かあったらすぐ飛んで来られない医師は医師ではない」とおっしゃっていましたが,そこまで言えるのは大したものだと思います。

地方自治体は公共性と経済性のバランスがとれた医療政策を持って

河北 いろいろな形態の自治体立病院があると思いますが,私はいつもこう言うんです。ある地域に,例えば青梅市立総合病院と武蔵野赤十字病院と民間の医療法人があったとします。そして同規模,同機能という前提のもとで,この地域の人たちが最初に選ばない病院はどれかというと,やはり民間の病院なのです。
土屋 そういう傾向はありますね。
河北 ということは,一番努力をしなければいけないのは民間の病院であると思います。3つの中のどの病院に行っても,同じ機能だから同じ水準の医療が受けられるはずなのに民間は選ばれないということは,情報の開示の問題を含めて,民間がもっと頑張らなければいけないということです。21世紀に向けて,特に地方分権が今後進んでいくと思いますから,自治体立病院のあり方もそれぞれの自治体で本当に真剣に考えていただきたいと思います。
土屋 今まで市町村には,医療政策がなかったのです。東京都から下りてくるのをそのままやっていた。ただ,私の場合は比較的医師会の先生方とはっきりものを言い合う関係にあります。かかりつけ医とのネットワークがうまく実施できるのもそのような関係があったからです。私どもは補助の6億円を資本費,固定費のところに入れたわけですが,そういう発想は民間病院の活用という点では参考になると思います。
河北 非常にいいと思いますね。
土屋 武蔵野赤十字病院だけではなく,現在9つほどの民間病院の増改築などの場合には一定のお手伝いをしようと考えています。これからは,医療が儲からない時代になるのですから,医療人として一生懸命仕事をしようと思う人が独立して開業したいと思った時,莫大な借金を背負うのはよくありません。新しいタイプの公設民営,場所を市が確保して,そこに志のある人が莫大な借金をしなくても,医療機器をある程度整備すれば開業できる,そういう医療体系を作ろうと思っています。
河北 これから公的介護保険の導入もありますし,財政の許される範囲で医療の公共性を踏まえて,きちんとした経済的な裏づけのもとに,自治体立病院も独立していっていただきたいと思います。
田辺 おっしゃる通りで,公共性と経済性のバランスが大事です。理想を言えば,公共性を強く主張して,もっと経済性を考えてやれということです。まったく医療を知らない議員に,もっと病院の経営を知ってもらいたいと痛感しています。
土屋 最後に付け加えますと,情報開示の話題ですが,昔と違って医療情報を市民がたくさん持つようになりました。それに対してきちんと対応する姿勢を持つことは,これからの自治体および自治体病院には不可欠な要件であろうと思います。
河北 本日は,地域医療の公私の役割につきまして,貴重なご提言をいただきありがとうございました。

 本稿は『病院』(医学書院発行)11月号の特集「医療ビッグバンと公私の役割を考える」の中の「〔鼎談〕地域医療における公私の役割を改めて問う」を医学界新聞編集室で再構成したものです。
 なお,この鼎談の全文は同誌11月号に掲載されます。


土屋正忠氏
 1942年生まれ。市職員から市会議員へ転身し,1983年武蔵野市長に当選。現在4期目。かかりつけ医制度や地域医療機能連携事業の実績のうえに,自治体は医療政策を持つべきだと主張する。

河北博文氏
 1950年生まれ。慶應義塾大学卒業後,シカゴ大学ビジネススクールに学び,現在河北総合病院理事長。医療ビッグバン下,地域医療における公私の役割について問題提起を続ける。

田辺栄吉氏
 1924年生まれ。1987年青梅市長に当選。現在3期目。市立病院に救急救命センターを作ることで公立病院の役割を強調する一方,全国自治体病院開設者協議会副会長を務め,自治体の議員はもっと公立病院の経営の知識を持てと訴える。