医学界新聞

NURSING LIBRARY 看護関連 書籍・雑誌紹介


隠し味のきいた「現場人」への教科書

〈生きいきケア選書〉いきいきザ老人ケア-生活ケアの現場から
高口光子 著

《書 評》大田仁史(茨城県立医療大附属病院長)

 本書の第1部ドキュメント/なるほどザ・老人ケアの1章・ザ・遊びリテーションの「不幸くらべ」は仲間内ではもう古典的な語りぐさになっているほど有名である。「これをグループでハウツウとして利用されると危ない」と著者も述べているが,私もそう思う。やってもうまくいかなかったという話を幾度か聞いたが,そうだろう。というのはすべて著者の「感性と表現力」で築いた老人との関係の中ではじめて可能な手法だからである。

「治療の場」の創造

 すべてにおいて感じるのだが,意識しているしていないにかかわらず,著者は老人に対して言語としぐさで自分の想いを強力に発信する。著者と出会ったその瞬間,老人は強いインパクトを受け心を動かされる。ときには鉄砲弾のような口調で,ときには体を微妙に動かし,表現しがたい速度で変化する表情によって著者が作り出す独特の状況や場面は,著者だけがもつ才能によってしか生まれないであろう。老人と「居る」その「場」を著者は思いのままに創造し,その中に老人を誘い込む。老人が主体ではあるが実は彼女の「治療の場」の創造なのである。老人はそこで癒され元気を取り戻す。

老人へのぬくもりのある感性

 第2部のパフォーマンスシアター「田中松吉・入院物語」および「田中松吉・退院物語」は筋書きはそれほど目新しくはないが,おそらく著者の独壇場であろうことが想像される。著者は現場でなくとも「自分」を演ずることができる。役者なのである。世の中,大根役者が多いのを著者はこの本で嘆いているのである。
 謙遜して著者は,内容は科学的でも教科書でもないというが,実はこの本の第1部に書かれているドキュメントでは老人との対応で何を汲み取り,それによって何をどう表現するかを著者の「感性と表出力」で演じてみせる。そして,通しての主張が「老人へのぬくもりのある感性」ということがわかる。これは,隠し味のきいた立派な「現場人」への教科書である。繰り返すが,鈍い人がハウツウものとして読むと危険である。鈍い人の感性を研く教科書として読んで欲しい。そして,機会があったら本を通読した後,著者の話をじかに聞かれることをお薦めする。
B5変・頁216 定価(本体2,300円+税) 医学書院


精神科看護の臨床的学習への指標

精神看護学ノート 武井麻子 著

《書 評》相田信男(群馬病院長)

 看護婦としては経験20余年ながら精神病院に勤めて1年半しかたっていない同僚に,同じ本を渡して1か月,読後の感想を語り合う試みを持った。彼女は,「これって読みはじめは入門用によく,私に向いてるわって思ったんですけど,随分難しいじゃないですか。わからない言葉があって子どもの辞書を借りちゃいましたよ」と言う。
 ときに,難しいと言われても,使う言葉には著者が込めた意味がある。読者に向けた期待もある。書き手とすれば当然の仕掛けだと私は承知するし,そう,本書くらいの用語の概念は,もう共有した上で現場の臨床を語り合いたいものだと思う。

本気で書かれた書

 今日,国家的にも各種学会でも新たな資格が云々され,その時流に乗ったような「ハンドブック」や「教科読本」,それに「ノート」などが出ても,何しろ内容は古すぎボリューム稼ぎの無用な繰り返しがあって,何よりも書き手の責任なんて響いてもこない事実に,とうに読者たちは気づいている。そのような折,本気で書かれたのだろうと思える出版物が1つ増えて,ほっとした。実は本書の用語はそれほど極端に難しいわけではない。ただ“これまでの”と言うか,“旧来の”医学モデルに沿った精神科看護(というのは後述の通り矛盾なのだが)から言うと,目新しい言葉もあるかも知れない。そこで,もう1つピンとこない用語を見つけたら,是非とも各専門書に広げてより深く学んでいきたいものだと思った。そういった臨床的学習の指標になる「ノート」になる本だというのが私の読後感である。
 同僚が当初感じたというおもしろさ,また難しさの源は,こんな特徴のゆえではないだろうか。つまり本書は,果して著者がそこまで意識的だったか否か不明だが,私たちが従来の医学教育で習ったところとは異なる,目次の組み方あるいは筋立てをしている。つまり私の考えでは,疾病分類に始まって原因論,症状の特徴,そして必要な看護や治療といった具合に展開する医学モデルは,そもそも精神科看護には馴染まない。だから,本書が精神看護学ノートである所以かも知れないが,そういったモデルの違いは,こと精神科臨床に関する限り決定的に大事な作業だと私は思う。
 本書に用いられているのは“ひとりの人”に沿って,発達,家族をはじめ出会う困難,またそれをめぐる臨床家たちの理解,そして理解や援助を阻害する要因といった具合に進んでいく思考のモデルだ,と私は読んだ。これが著者による人間理解の基であり,臨床感覚であり,患者への共感とおそらくは裏づけられている経験の披露だろう。だから(医学モデルではなく)精神科看護なのだと,私は思った。精神科看護の領域に止まらず,ひとを看護するという営為について考えていく基礎へと発展する可能性をはらんだ「ノート」がここに出たと言えるだろう。精神科看護以外の領域の人々にもお薦めしたい。
 「先生,なかなか鋭いじゃないですか」と件の看護婦は言う。お世辞半分だろう,どうせ。だが彼女は改めて仲間たちと読み直してみたいと言う。
 突如沸いたアイデアだが,本書には,同じ臨床場面にいる数人でグループを作り,読後感から連想されるところを互いに披露しながら読み進むやり方がふさわしいかも知れない。「それはいい」と彼女も賛成してくれた。

“私の”精神看護学ノート

 各頁の脇に空白を持つこの編集方法を何と言うのだろう。その余白に載った“ひと口メモ”や“おすすめブック”が実に示唆に富んでいて,また楽しい。読者の中には私と同様,かつて幼い頃に待ち遠しく手に入れた雑誌に,もう1つわくわくできた付録にも似て,密かに得した感じを持つ人がありはすまいか?
 この余白に,同僚たちとの討論やご自分の感想,ことに「あっ,これは私の知っている○○さんの××の場合に似てる」といったメモを残していったら,大変よい「“私の”精神看護学ノート」ができそうだ。そんな風に読み手たちもまた,「ノート」を発展させていったらこの上なくすばらしいことだと考えた。
B5・頁192 定価(本体1,900円+税) 医学書院


高齢者の心の変化を捉える

在宅高齢者のためのメンタルヘルスケア 武藤清栄 編集

《書 評》香川幸次郎(岡山県立大教授・保健福祉学)

健康の三角錐

 健康とは,「精神的,身体的,社会的にwell-beingな状態」であるとWHOは健康をcomprehensiveに捉えることの重要性を指摘している。とりわけ,高齢者にとってこの3側面を立体的に捉えることが,高齢者の方々を理解する視点を提示してくれる。すなわち,これら3つの側面が相互に寄り合い,三角錐を形成し,高齢者の健康を作り出しているのである。三角錐の各面は単独では脆弱な存在であるが,これらが相互に補完することにより,たとえある一面に障害が生じようも,他の側面がそれを支え,個の存在を確かなものにしてくれる。
 健康の身体面や社会的な側面は,外界から観察可能であり,その変化を視覚的に捉えることができ,他者からの共感も得やすい。一方,「こころ」の側面は他者からも,また自分自身でも捉えがたい。

援助する者が越えなくてはならない壁

 著者は,言葉や話の内容を音声として聞くヒヤリングと異なり,リスニングは「気持ちや感情を聴くこと」であると指摘し,傾聴の重要性を強調している。すなわち,相手が語る言葉だけでなく,その背景にある相手の気持ち,こころのあり様を積極的に聴き,共感することを説いている。しかし,自分のこころのあり様すら捉えがたい自己にとって,他者のこころに共感するなど,至難の技と考えられるが,援助する者にとってはこの壁は越えなくてはならないものである。著者はそれを他者理解に求めるのではなく,自己一致の概念から解き明かし,援助者自身のこころのあり様を説いている。
 本書は,高齢者のメンタルヘルスケアに関わる者のみでなく,広く高齢者ケアに携わる人々に,こころのケアの重要性を指し示してくれている。そして,難しい理論よりもわれわれが日々経験している心の動きが描かれていること,また多くの事例を通した実践的な解釈が,初心者にとってもとっつきやすい点であろう。同時に,キーワードの見つけ方やあいづちの意味,聞き手の理解を確かめる明確化,情報の提供や質問の仕方,そして間の意味といった実践に役立つポイントが列記されている。また,リスニングでの態度や心がけなど,細やかな点についても触れられている。
 しかし,著者の理論の理解を促すためか,事例の解釈とアドバイスが1つのパターンに閉じこもりがちである点が難点であり,本書の意図が十分に表現されきれていない点が残念である。とはいえ,高齢者のメンタルヘルスケアの重要性を指摘している著者の意図は傾聴に値するものである。なお,高齢者のケアに携わる1人として,こころのケアの重要性は痛感しているが,高齢者にとって,健康の3側面が相互に深く関連しているだけに,こころのケアだけでなく,身体面と社会的な側面を統合したメンタルヘルスケアのあり方を,今後より一層追求していただきたいと願っている。
A5・頁184定価(本体1,800円+税) 医学書院