医学界新聞

「第3回国際保健協力フィールド
ワークフェローシップ」体験記

李 権二 岐阜大学医学部6年


 私は1997年3月10日から10日間,笹川記念財団主催による「第3回国際保健協力フィールドワークフェローシップ」に参加したので,その報告をしたいと思う。
 本プログラムに参加するにあたり,私は自分に以下の2つの目標を掲げた。
(1)タイ国チェンマイ大学とのエクスチェンジの経験から,日本,フィリピン,タイのそれぞれの医療事情の比較
(2)本プログラムにおける成果を,客観的に,正しく後輩に伝えること

オリエンテーション

 国内研修の1日目は,本ワークショップ企画委員長の大谷藤郎先生(国際医療福祉大学長)の開会挨拶,鴨下重彦先生(国立国際医療センター総長),古田直樹先生(国立国際医療センター)の招待挨拶に続き,オリエンテーリングとなる講義が組まれた。講義は以下の通り。
「日本の国際医療の現状」苗村光廣先生(国際協力事業団医療協力部)
「国際医療協力の現状」紀伊國献三先生(東女医大・現国際医療福祉大)
「日本の国際協力の問題点と今後の動向」島尾忠男先生(結核予防会長)
「開発途上国における感染症,寄生虫症」辻守康先生(杏林大)
 フリーディスカッション:谷口隆氏(厚生省),曽根啓一先生(自治医大教授),吉武克宏先生(国立国際医療センター),篠崎英夫氏(厚生省)
 国際保健,国際医療に興味のある者にとってはたまらない講演がめじろ押しである。普段興味を持っているとはいえ,学生がこれだけの講演を,まとめて聞く機会がそうそうあるものではない。当日集まった20余名からは,当然のごとく活発に質問がなされた。
 私の質問の中で,篠崎先生からの答えが印象に残っている。篠崎先生はお話の冒頭で,小田実著『何でも見てやろう』に触れられた。この本は私の愛読書の1つである。そこで,「小田実と猿岩石はともに貧乏旅行で若者の人気を得ましたが,この両者の旅の違いは何でしょうか」と質問をした。会場からは,「その質問難しいよ」などの声があがったが,篠崎先生は真摯に答えられた。「真の勇気と蛮勇の違いですね」。国際医療にも通ずることだが,いきあたりばったりの行動計画では,大失敗の危険性がある。これが篠崎先生の置かれた力点であった。
 中華料理店「元園」での懇親会には,以前にこのフィールドワークフェローシップに参加された群馬大の永井周子さんと日本医大の吉川理子さんが来た。永井さんは,本プログラム参加者の縦のつながりを持つための,フィールドワーク同窓会の勧誘に来ていた。吉川さんには個人的に,本プログラム成功のための秘訣をうかがった。彼女の助言として,「リーダー,サブリーダー,記録係,カメラ係,報告書作成係などの役職を決めるとよい」とのことで,後にこれが大変役に立った。

ハンセン病資料館・結核研究所見学

 翌日は,ハンセン病資料館見学と講義が行なわれた。講義の内容は以下の通り。
「ハンセン病の現状と国際協力」村上國男先生(国療多磨全生園長)
「ハンセン病の基礎と臨床」並里まさ子先生(国療多磨全生園皮膚科) 園内見学,高松宮記念ハンセン病資料館見学,結核研究所にて講義
 この日の圧巻は,なんといってもハンセン病資料館見学である。大学の講義でもハンセン病は,どうしても軽視されがちである。まして,ハンセン病をとりまく差別など気にもかけたことはない。この日の見学は,ショックであったと同時に,差別を知らないこと,無知の罪深さについて考えさせられた。
 ハンセン病は,感染力が強いのではないかと考えられ,戦前は村八分にされる者も多かった。この資料館では,そんな当時の様子を垣間みることができた。
 ハンセン病資料館でもらった設立趣旨には,次のように書かれている。「ハンセン病に限らず,治療に向けて励む慢性病患者に対し,社会の誤解と偏見を2度と繰り返すことのないよう正しい理解を広めるとともに,なお多くの患者を抱え苦労している開発途上国の救らい事業等に対しても,皆さんの理解と一層の寄与を期待して止みません」
 次に結核研究所では,開発途上国における結核対策についての講義を受けた。今でこそ,日本での結核はさほど大きな社会問題ではないが,開発途上国では深刻である。さらに,HIVなどの流行で,免疫力の低下した患者における結核は大変重要な問題である。
 この日の全日程を終えた後,私たちは宿舎に帰り,反省会を行なった。ここには国内研修のみの参加者の方も3,4名いらしたので,フィリピンでわれわれにぜひ見てきてほしい事柄を伺った。主な内容を以下にあげる。
(1)フィリピンにおけるハンセン病,結核について ・法的差別について,容姿が変わることについて。社会的,宗教的背景の違いから
・一般の人の意識と患者の意識の違い
・疾病についての知識がどのようにアドバタイズされているか
・保健医療体制について
・WHOとJICAの関連性
(2)WHOについて
・マネージメントプランニングについて
・行政としての指令にはどんなのがあるか
・職員の給料が高いのでは
・プロジェクトの失敗について
 反省会の後,希望者は研修室にて映画「砂の器」を観賞。これはハンセン病資料館から借りてきたビデオである。ハンセン病患者の父が幼い子とともに村を追い出され,流浪の旅に出る様子が生々しく描かれていて,ハンセン病患者に対する差別の実態を知る一助となった。

フィリピンでの国際保健研修

フィリピンの保健医療体制を学ぶ

 3月13日からはフィリピンでの研修。最初にフィリピンの保健機構についての講義を受けた後,地域医療の現場見学およびHealth officeにて結核に関する講義を受けるというもの。この日の研修の目玉は,フィリピンの保健機構についての講義である。フィリピンの保健医療を学ぶ上で,保健機構の理解は欠かせない。
 大まかにいって,フィリピンの保健機構は表1の通り。
 「Municipality」とは村・町単位で行なう医療であり,「Barangay」はさらに細分化された医療単位である。このBarangayこそがプライマリ・ヘルスケアを行なう場であり,医師が常勤していないところも多い。助産婦や看護婦,歯科医がその役割を担うこともある。ここでは歯科の治療,家族計画指導も行なう。
 家族計画指導について,日本とは大きく異なっているのに驚かされた。フィリピンでは人口の増加が問題となっているため,家族計画の徹底は急務である。ところが,フィリピンの大多数が信仰するカトリックの影響で,人工妊娠中絶は普通できない。日本でも,特別の理由がないとできないことになっているが,フィリピンと比較すると驚くほど簡単にできてしまう。具体的な避妊法には,子宮内装着リングや,皮下に植え込む避妊薬などがある。日本では,最近低容量ピルが薬局でも買えるようになったばかりなので,この差には大変驚く。
 次に,セブ島での地域医療の現場を訪問。私たちはこの日,セブ島の市街地から車で30-40分のところにある診療所を訪れた。ここでは,医学部4年生が1人で寮に住み込み,1か月の間実習を行なう。実習といっても,見学に毛の生えた程度の日本の病院実習と異なり,問診,検査のオーダー,投薬,治療といった医療行為を,指導医のもととはいえほとんど1人でこなしていく。プライマリ・ヘルスケア重視の体制が徹底している。
 日本でも近年プライマリ・ヘルスケアが重要視されてきているとはいえ,医学生がこれだけの責任ある仕事を現場で直接行なうことはないであろう。

表1 フィリピンの保健機構
Department of Health
      ↓
Regional health office
      ↓
Provincial health office
      ↓
Rural health unit(Municipality)
      ↓
Barangay health station

結核コントロールプログラム

 フィリピンでの3日目は,結核コントロールプログラムについての講義の後,NagaのRural health unit,InayaganのBarangay,Chest centerを訪問。
 フィリピンでは結核患者が多い。その理由として,フィリピンでは結核患者を見つけても,うまく治療を施さないために,耐性菌が氾濫している現状があげられる。結核菌は飛沫感染を起こす上に,感染性の高い成人の結核に対してBCGは予防効果が少ない。
 つまり,結核においては疾患の発見よりも,治療をより重視しなければならない。そこで今フィリピンで普及している治療法が,DOTS(Direct observed treatments)である。早い話,中途半端な治療で耐性菌を作り,やっかいなことにならぬよう薬の服用を確認し,かつ結核治療の必要性を患者にしっかり説くものである。
 ここで重要な役割を果たすのが,上述のBarangayである。薬を服用しているかどうかの確認,治療の意義を指導するのも,まさにBarangayの重要な仕事である。私たちが見学したInayaganのBarangayは大きな道路に面していて,交通の便のよいところであったが,中には山奥深く歩いてしか行くことのできないようなところもあるそうだ。
 その日に行なわれた討論会では,Provincial Health Officeの方を交えて以下のようなことが話し合われた。
(1)「フィリピンでの医療行政はなぜこれほど細分化されているのか」。これは統計上,財政上の問題もあるとのこと。
(2)「JICA結核プログラム以外のプログラムには何があるか」。笹川記念財団のハンセン病プログラム,アメリカの家族計画プログラム,以前に日本住血吸虫のプログラムがあり,成功した。
(3)「マスメディアとの関係は」。マスメディアとはパートナーであり,疾病の予防,治療には役所の各機関と連携をとっているとのこと。
 3月15日は予備日。同行のバルア・スマナさん(東大大学院)と松本源二さん(笹川記念保健協力財団)のご厚意で,セブの海へとくり出す。青い空,白い雲,透き通る水のもと,シュノーケリングやダイビング,日光浴などを各々が楽しんだ。中には,サンオイルを十分に塗らずに,日焼けの痛みに苦しんでいる人も。
 今までの研修のよい骨休めとなった。
 翌日はマニラへ移動。またまたバルアさんと松本さんの粋なはからいで,オシャレなフィリピン料理バイキングの店で昼食をとる。ギターやマンドリンの素晴らしい演奏で迎えられ,皆満足。マニラの街は,セブと違い混沌としている。あちこちに建設中の建物があり,この都市の活気と成長の様子がよくわかる。

WHO訪問

 いよいよWHO西太平洋事務局,JICAマニラ事務局を訪問する日がやってきた。前日の勉強会の成果を踏まえ,皆緊張した面もちで会議室へと案内された。その会議室には,私たち1人ひとりにマイクが備え付けられていて,さながら国際会議でも開こうかという感じであった。机は20人ほどが座れる大きな楕円形で,正面のスクリーンはコンピュータの画面と連動しているすぐれものであった。ここでDr.Ustunomiyaの日本語による講義から始められたのは,私たちにとって幸運であった。いささか,緊張がほぐれたからである。
 以下にWHOで行なわれた講義のメモを記す。
(1)O.Utsunomiya先生(Medical Officer, Technology Transfer)
 WHOの組織について。主に,日本と西太平洋事務局との資金的,人的関わり
(2)S. Omi先生(Directer, Communicable Disease Prevention and Control)
 学生からの質問を1人ひとり聞いて,それに答えるかたち。WHOの職員に求められる資質として,専門性,英語力,人柄の3つがあげられた
(3)Suomela先生(Regional Adviser)
 生活スタイルの変化を受けた健康政策について。性や収入によらず,高い質の医療がどこでも受けられるようにするにはどうすればよいか
(4)Shima Hulian先生(Directer, Health Protection and Promotion)
 環境的側面からクオリティ・オブ・ライフを考える
(5)J. Bilous先生(Regional Adviser in Expanded Programme in Immunization)
 ポリオ撲滅に対する西太平洋事務局の取り組みについて。ポリオの次は,麻疹が撲滅の対象
(6)L. J. Blanc先生(Regional Adviser in Chronic Communicable Diseases)
 ハンセン病対策と結核対策について。抗生物質で癩菌を殺しても,顔の変形が残ることによる差別が問題である
(7)L Kerse氏(Regional Adviser in Development of Human Resorces for Health)
 援助対象国の必要に応じて技術的,人的支援をすることの意義について。「intervisual」という概念が重要
(8)S. T. Han先生(Regional Directer)
 この先生がWHO西太平洋事務局のトップである。講義の内容は今までの講義の包括的なものであった。この先生は韓国人で,占領下の朝鮮半島で教育を受けたせいもあり,大変日本語がうまい。この日,各先生方にご挨拶をするのは私の役目であったので,不肖ながら最近習っている韓国語でご挨拶させていただいた。ハン先生は「おっ」といった表情で私を一瞥した。
 せっかくWHOに来たのだからと,講義は英語でなされた。一方,質疑応答は日本語でなされたので,実に打ち解けた雰囲気であった。ハン先生は,医師に必要なこととして,コミュニケーションの能力を高めること,協調精神を持つことの重要性を強調して,プログラムを終えた。

保健医療に必要な視点

 次に訪れたJICAマニラ事務局では,フィリピンでの政治や経済情勢についての忌憚ない話をうかがった。印象的なものを紹介すると,「医療に関してはフィリピンより日本のほうが包括的である。フィリピンは米国の医療に似ていて,医師個人により責任感に違いがある」,「フィリピンの優秀な医学生は,米国へと流出してしまいやすい。これは社会問題となっている」,「経済は発展しているようでも,日本でいうバブル経済の時期に当たり,先行きは不透明」など。
 医療協力には,政治的,経済的情勢から見るという視点も不可欠である。つまり医療協力には,個人と個人のつながりを越え,大局的な視野が必要なのである。この日の話は,今まで私が考えてきた医療協力を根底から見つめ直すよい機会となった。それでもやはり,草の根の医療協力が,その基本にあるような気がしてならない。

フィリピン保健省見学

 今日は,フィリピン保健省の訪問。これで,フィリピンの縦割りの医療行政を下から上までおおざっぱに見てきたことになる。改めて,本プログラムの優秀さに驚く。たったの1週間足らずで,フィリピンの医療行政については頭に入ってしまっている。
 ロペツ医師とアベリア医師にはそれぞれ,ヘルスケアシステムとハンセン病対策とをうかがった。保健省の人からは,現場の生々しい声は聞けなかったが,政策としての大きな概念が伝わってきた。プライマリ・ヘルスケアを山奥まで普及させるという規模の大きさ,ハンセン病を撲滅するという国家的プロジェクト。いずれも,ある集団が突発的に思いついてできるものではない。あえて抽象的に論ずるならば,現場は他の現場との連携に弱い。まして統計的に評価することはできない。統計的な裏づけのない行動はまさに五里霧中である。つまり,独善に走る可能性もある。医療分野に限ったことではないが,現場をこえて統括・運営する機関というものが必要なのかもしれない。危険を恐れずにいうと,ここにNGOの弱さがあるのではないか。
 翌日はCity Health Office,ラヌーザヘルスセンター,フィリピン大学医学部を訪問。夕方より本プログラム関係者を招きパーティーが行なわれた。
 このパーティーでは,たまたまハン先生と一緒の席になった。ともに同じ韓国人という気安さもあってか,ハン先生とは私の日本に住むに至った経緯や,ハン先生が国際保健をめざされた動機など,個人的なお話もできて大変うれしかった。

おわりに

 当初たてた2つの目標を,私はどれほど達成できたであろう。まず,タイとフィリピンとでは,宗教や風土が違うため,一概に比較はできない。同じ東南アジアというだけで,この2国はまったく異なっている。また,私が本プログラムで得た成果は,AMSAのメーリングリストに報告したので,他の後輩たちとこの経験を少しでも分かち合えることができたら,と思っている。
 最後に,私にこのような素晴らしい経験をする機会を与えてくださった本プログラム関係者の方々に,改めてお礼申し上げる。
Eメール:kenji@gumail.cc.gifu-u.ac.jp