医学界新聞

 Nurse's Essay

 既得権は大切

 宮子あずさ


 去年の終わりに車を買ったのを機に,私はオートバイを手放し,17年間に及んだライダー生活に別れを告げました。オートバイを売った時には,またいずれ乗る時も来るだろう,くらいに軽く考えていたのですが,再度オートバイに乗るにはかなりのエネルギーがいりそう。それは,オートバイに乗らない(乗れない)夫の反対が,それはそれはキョーレツだからです。
 考えてみれば,小心者の心配性を絵に描いたような彼がオートバイに寛大だったのは,私がすでにオートバイに乗っていたという,既成事実の力にほかなりませんでした。オートバイに乗るたび,「着いたら電話ね。出る前にも電話ね」と念押しされながらも,私がオートバイに乗ることに対し,彼は決して異は唱えなかったのです。
 しかし,ひとたび私がオートバイに乗らなくなってみると,それはきっと彼にとって,未体験の快適な生活だったのでしょう。その既得権を失うまいと,彼はきっと必死なのだと推察します。
 これって,きっと子どもができたのを機に,妻を家庭に入れた夫の気持ちに似てるんじゃないかな。「子どもが少し大きくなるまで」と,妻は一時的に家庭に入ったつもり。夫のほうも最初はそのつもり。でも,帰るとかわいい子どもと妻の手料理が待っている,みたいな状況が半年も続けば,夫はその既得権を手放したくなくなっちゃうんじゃないかなぁ。
 などという経過で,心ならずも専業主婦を続けている友人や,それに耐えられず別れた友人が,最近ちらほら出てきました。オートバイに乗る乗らないの話なら,自分をなだめる術がいくらでもあるけれど,それまで自分ががんばってきた仕事についてであれば,そうそう簡単に腹の虫は納まらないでしょう。
 そこに,世の中を味方につけた夫が偉そうに,「子どもにとって母親が大事」なんて言いだしたもんなら……。百年の恋も覚める人がいても不思議じゃありません。気持ちは,私,わかります。
 こうした不毛な争いを見ないためにも,やっぱり「働いている」という既成事実は大事にしないと……。水は低きに流れるものだから,いったん家事をしなくなった男性に家事をさせるのは,ゼロから関係を作る以上に難儀なことになるでしょう。資格があれば,途中で辞めてもまた働けるというのはあくまでも理屈。現実はそうそう甘くはないようです。