医学界新聞

【対談】

医療保険制度と看護
-制度改革が看護に与える影響

川島みどり氏
(健和会臨床看護学研究所長)
野村陽子氏
(厚生省保険局医療課課長補佐)


 1997年11月より厚生省では,「高齢化の進行に伴う医療費の高騰,少子化に伴う現役世代の医療費負担増からの国民皆保険制度の崩壊危機」などの理由から,「21世紀の新しい社会に向けて医療保険制度の抜本的見直しが必要」と,「診療報酬体系のあり方」など医療保険福祉審議会(政策部会)での検討が続けられている。
 同審議会では,医療を受ける国民の側からの見直し,医療費のむだの排除が国民に求められているとして,昨年8月に出された「21世紀の医療保険制度(厚生省案)」および与党医療保険制度改革協議会の「21世紀の国民医療」を基に,医療費の適正化,効率化を促し,国民の負担との調和を図るべく,2000年度実施に向けた改革に着手。「慢性,急性,入院,外来といった区別にとらわれず,原則として疾患別の1件あたりの定額性を導入すべきではないか」,「出来高払いの弊害を除くためには,急性期医療にも定額払いを広げていく必要があるのではないか」などの論議が行なわれるとともに,「看護必要度」など看護料の見直しも行なわれている。
 本紙では,この医療保険制度の改革が,看護にどう影響をもたらすのかを,川島みどり氏と野村陽子氏に対談いただいた。


医療の抜本改革が求められる背景

効率的な医療供給体制へ向けて

川島 看護職というのは,経済に非常に弱い面があり,関心はあるものの関連する本などは読まれない傾向にあります。また,毎日の目先の看護に追われているせいもあって,金銭的なことも考えずに仕事をしてしまうという傾向があると思います。そのような中,野村さんは診療報酬やそのバックにある医療保険制度の問題などにつきまして,最近看護系の雑誌に精力的に解説をお書きになりました。
 厚生省では医療保険制度改革案を出されましたが,その中には出来高払いから定額制への移行,それから「看護必要度」の評価設定といった内容が盛り込まれ,すべてが看護と関係してくるかと思います。そこで今日は,診療報酬が日常の看護業務に今後どのように影響するのか,また私たち看護職が,日常的に最低押さえておくべきこと,そしてこれからの見通し,展望につきまして,厚生省の野村さんにいろいろとお聞きしたいと思っています。
 最初に,簡単に診療報酬や医療抜本改革が必要とされてきた背景などを解説いただきたいと思います。
野村 看護婦さん方が経済の問題に関心がないというのはごく当たり前のことで,私自身も厚生省の医療課に来るまでは診療報酬のことを考えたことすらなかったというのが正直なところです。しかしこの仕事に携わるようになり,いかに医療保険制度が根源的なもので,すごく大きな影響を与えているかがよくわかってきました。そうしますとこれらの考え方を現場の看護婦さん方に伝えなければいけないという思いが生じ,雑誌での連載〔「看護管理」(医学書院),1997年9月-1998年3月〕を始めました。ちょうどその連載を始めた時が,医療保険制度が改革へ向けて動き出した時で,その動きもきちんと伝えておきたいと考え,それと絡めての連載となりました。
 医療保険制度改革が起きた背景ですが,高齢化,医療の高度化などの要因から医療費が大幅に伸びてきて,保険財源が赤字になるという深刻な問題が起きてしまったというのが一番の原因です。一昨年の秋には赤字になることがはっきりしましたので,その対策をどうするか,医療保険審議会で議論が重ねられ,その成果の1つが,昨年 6月の健保法の改正です。
 そこでは,患者負担を増やし,保険料を引き上げて何とか赤字にならないような対策をとりましたが,結局その財源というのは,大きく分けて6割が保険料,3割が税金で,1割が患者負担となっており,財源が赤字になったら,そこの部分で負担をしないといけないわけです。
 保険料とか税金というのは経済が上向きでないと増えていかないものなんですね。経済の伸びは1%くらい,ですから私たちの給料もその程度しか伸びないわけです。税金だって同じです。しかし,医療費だけは7%伸びているというのが現実です。そのような状況に直面して,仕方なく患者負担増としたわけですけれど,その過程で患者負担を強いるのであれば,医療提供体制,つまり医療費を使っている側についても早急に改革をする必要があると国会で言われ,抜本改革案の検討が出てきたわけです。どうすれば医療の供給体制を効率的にできるか,このまま続けていけばまた赤字になってしまいますので,7%という伸びを何とか抑制することはできないのだろうかと考えざるを得なくなったわけです。 

定額制と出来高払い

川島 抜本改革案ですが,例えばその中に慢性期の疾患や高齢者の人たちの定額制を急性期疾患にも適用しようという動きが出てきました。
野村 急性期の定額制試行の話は,実は平成8年の診療報酬改定の時からあるのですが,実施されないままに翌年に引き継がれ,現在もなお試行の時期を明確にできないままに中医協で議論が続いているという状況です。また,実現に向けては,かなりの患者のデータを集めてコンピュータに入力し,分類作業を進めているところです。今後は分類の整理を行ない,診療科ごとの整合性をとって,それぞれの診断群ごとに額を決めるという作業が残っています。
川島 病棟を急性期と慢性期の疾患に分けずに混在していると非常にややこしくなると,野村さんは書いておられますが,現実の問題として,急性期と慢性期をより分けることはとても難しいだろうという気もします。その意図を教えていただけますか。
野村 急性期医療や慢性期医療については,厚生省の健康政策局で議論が行なわれています。そこでは,日本の病院は亜急性が含まれていて,なかなか慢性,急性には分けられるものではなく,そこをどうするのかという論議がされています。いまは,その両端を分けて少しずつ整理をしてきている段階だと思います。例えば,療養型病床群はほとんど医療というよりも介護中心の病床として慢性期に分けられますし,ICUやCCUは急性期医療を行なう病床として特定入院料でも定額制になっています。しかし,それ以外のところは出来高払いとなっている状況です。今は急性期と慢性期の患者さんが1つの病棟の中に混ざっている現実がありますが,それをどのようにしていくかが課題ですね。
 そこを,今回の改定では特例病床群というものをつくって,老人の長期入院者をできるだけまとめていく。つまり一般病床から少しずつ動いていってもらって,療養環境の整ったところでケアをしていただく。そういう方向が出されたところです。これからは,ある程度分化させていく必要があると思いますね。
川島 いまをどうするかということと,将来どうするかということ,その将来も長期的な将来,短期的なもの,いろいろなところで議論が錯綜していて,受け取る側も出す側も,かなり遠くのイメージがあるのですが,そこがごちゃまぜになって,うまく議論がかみ合わなかったり,意見が対立しているのではないかという気もしますね。「看護婦は経済に弱い,経済に関心がない人が多い」と言いましたが,最近では看護職の副病院長も増えましたし,総婦長さんや婦長さんたちが,病院経営や医療経済に関して発言するようになりました。それは評価できると思いますし,私自身もだいぶ前から,医療経済,経営を看護職は知らなければいけないと言ってきました。
野村 先ほどの定額制の話をもう少し追加しますと,実は慢性期と急性期で言う定額制はかなり性格が違います。慢性期は,療養型病床群のようなもので,入院日数に関係なく1日いくらという定額制です。しかし急性期は1入院に対していくらという入院日数に関係してきます。例えば「盲腸だったら6日間でいくらです」と額が設定されます。ですから5日で退院させれば,病院としては1日分が儲かる。逆に7日に延びると1日分が持ち出しになってしまうという性質です。
 看護の評価はどちらにしてもその中に含まれます。看護が十分なケアをしない限り,入院日数は短くならないわけで,そういう部分も評価されていくだろうと思いますね。出来高だと評価の基準,割合が決まっていますから,どんなに頑張っても 3割のお金といったら3割のままですが,定額制であれば,10割の中で5割まで増やすことも,また2割にすることもできます。そこで看護がやろうと思えばいくらでもできると思います。

急性期・慢性期医療と在院日数

在院日数の短縮のウラにあるもの

川島 一昨年に日本看護協会が「医療の変革期における看護管理の課題」という調査をし,昨年その調査結果が出されたのですが,20床以上の病院から500床以上の大病院までの約6000人を対象としたもので,2千数百名からの回答があって,その60数%の総婦長さんたちが,自分の所属する医療機関の最大の課題に「在院日数,入院期間の短縮」をあげているんですね。それを読んだ時は,「これはすごい,ここまでみんなの経営感覚が進んでいるんだ」なんて思いました。でも,それと並行したエピソードもあって,どう考えていいのかと悩むことにもなります。
 国立の大学病院に伺った時の話なのですが,「在院日数は何日ですか」と聞いてみたところ,「うちはまだ35-36日あるんですよ」とお答えになった。でも,大学という高機能病院ですから重症者も多いわけで,35日といったらかなりの短縮になるわけですね。しかし,「その患者さんたちは,必ずしも完治して退院なさらないでしょう」と聞きましたら,「チューブをつけたまま退院させています」とおっしゃいます。そこで「どこに退院されるのですか」と聞くと,「さあ,どこに行くんでしょうか。みんな知ってる?」ってその場にいた婦長さんたちに声をかけたのですが,みんなも顔を見合わせて首をかしげるのです。そして,「うちにはケースワーカーは1人しかいませんから,多分把握している者はいないと思います」と答えられた。
 それと連動するのですが,都下の90床足らずの圧倒的に准看護婦が多い老人病院に行った時のエピソードです。そこは診療所療養型(病床群)だと思うのですが,ヘルパーさん,介護の人たちもだいぶいました。そこにいるお年寄りたちは5か所, 6か所,7か所の病院を転々として,在院日数の制限がないと言いますか,ここが終の住みかになっているわけです。それでみんな痴呆とされて,おむつを当てられて抑制もされているのだけど,「この人は痴呆じゃない」と思う人が何人かいましたので,その人たちに話しかけたら,私たちのアプローチに普通に返答されたんですよ。
 私はすごく感激して,どのような経歴で入院したのかを知りたくて,「記録を見ていい?」と言ったけど記録がないんですね。婦長さんに聞きましたら,5か所も6か所も転々としているために,名前と病名はわかっているけど,職業はおろか既往歴も経過もわからないんですね。家族歴もちゃんと聞いていない。その時,私は「はぁ?」と思っちゃった。 今の例からすれば,一昔前の救急患者のたらい回しと同じようなことが老人患者に起こっていて,しかもその方たちは家族も面会に来ないし,そのまま縛りつけられて,もうそこで死ぬ以外にないというか,受け皿がまったくない方たちのように見受けられたんですね。結局1人の患者さんをトータルで見ると,決して在院日数は短くなってはいないわけです。患者さんはずっとあちこちの病院で在院のままできています。そう考えると変革期における看護管理の課題というのは,私はもっとマクロな視点から,相手がどこに受け皿があるのか,在宅はどうなっているのかが重要になると思いますね。どうもそこがうまくマッチングしてない,という感じを強く受けます。
野村 そうですね。確かにそれがうまくいっているとは思えないことがあります。
川島 医療費の節約になっているのかな。
 1病院として見れば,在院日数が短いほうが経営面ではいいわけですね。だけど,今度は先ほどの例のように,国全体としてみたら,回り回ってどうなってしまうのかなという感じがしたものですから。

看護職の達成感のためにも

川島 アメリカでは平均在院日数が4-5日と聞きますと,日本の30日は確かに長いと思います。しかし,みんながみんな在院日数短縮と大合唱していいのかなと考えてしまいます。その背景にはやはり医療費の問題があるわけですね。
野村 医療費の問題というよりは,提供体制として9000の病院がどういう役割を持っているかを考えるべきです。すべての病院が2.5対1看護である必要はないと思いますし,ある程度の役割分担も必要でしょう。大合唱にもなりましたが,2.5対1看護以上の病院が増えたのは確かです。
川島 すごく増えたんですってね。あれが経済誘導なのかな(笑)。
野村 看護婦がたくさん必要だということからだと思います。2.5対1は基準看護でいえば特3ですね。かつて特3というと本当に少数の病院でした。今は5割ですから,昔と比べて病院にはすごく看護婦が増えたと思います。そういう意味では平均在院日数にも影響を与えたかと思います。
 先ほどの「たらい回し」の件は,非常に問題だと認識しています。その原因は,平均在院日数の問題よりも,入院時医学管理料が関連していると思います。医学管理料というのは,最初の2週間までは5,950円ですが,1か月までが3,900円になり,半年で1,400円,1年未満ですと1,210円まで下がります。1年で5分の1くらいまでになってしまうんです。長く入院すれば管理料,つまり収入はどんどん下がるものだから,早期に退院させ病床を回転させたほうが経済効率は有利なわけです。
 このこと自体に問題がないとは思っていません。結局,隣の病院に移ればまた入院時医学管理料が500何点になるわけです。そしてそこから病院を変わればまた500何点支払うわけですから,医療費の面からすればすごくマイナスの話なんですね。急性期で病院に入ってきて,いろいろな治療が必要になるために高い入院時医学管理料を払っているのですが,病状が安定した患者さんに対しても払うことは,適切な評価をしていないことになります。同じ設置主体の病院間の転院は通算する,3か月以内に入院してきた場合は通算することにしていますし,病院を転々とすることを何とか止めたいと思っているのですが,適当な方法がなかなかみつからずにいます。
川島 急性と慢性という従来の概念から言うとそれも成り立つかもしれないけれど,看護職が一番感じているのは,財政逼迫からくる合理化でしょうね。新看護のA加算を取っているある病院では,2対1の良心的な医療,看護をしているけれど,財政の厳しさから経営がいろいろな圧力をかけてくるため,患者ケアの手抜きをせざるを得ず,泣く泣く退院させているという状況があります。250人の入院患者さんのうち10人ぐらいは6か月以上の長期入院の患者さん。それが,ずるずるといるのではなくて,もうちょっと何とかしたら食べられるようになり,自立も図れるかもしれない人たちなんですね。ですから,経口摂取に取り組んだり,アイスマッサージをしたりと,とにかく必死になって尿路感染を起こさせない,肺炎を起こさないようにとしている。そういう手のかかる6か月以上入院の患者さんがいるわけです。経営からすれば不採算の部分です。
 その他にも,バイクの事故などの交通外傷で意識のない若い人たちも同じです。リハビリを必死に行ない,動けるようになった人たちも,最終的には,在院日数の縛りで,いい病院から放り出されてしまいます。それで結局移ったところは看護婦は何もしてくれないという,大学に入ったばかりで事故に遇った患者さんの例を知っていますが,ご両親とおじさんと3人がローテーションを組んで必死にリハビリに取り組んでいます。差額ベッドだから金銭的負担も大きいし,その労力と精神的な負担もすごい。だから,せめて看護婦たちがそろっている病院に行きたいのだけど,いまさら「じゃうちへいらっしゃい」なんていう病院はどこもなくて,「どうぞお入り下さい」という病院というのはかなりグレードの低い病院なのね。それは素人の目から見てもわかるようなところだそうです。
 そういう人たちを救うには,急性期,慢性期というカテゴリーではなく,診療報酬もそういったところに目を向けて,特にチーム医療としての定額制の導入を考えていただきたい。看護が果たす役割というのは大きなものがあります。看護が手を加え一生懸命患者さんにあたれば変化が起きそうな人はいっぱいいます。医学的にはもう望みがない。だから医療収入は上がらないとなるのでしょうが,これまでにも看護の実践で復帰された人たちもかなりいます。そういうところに看護婦たちもチャレンジすると,「やった!」という達成感が生まれてくるわけですから,そこのあたりも手当がされるといいなと思いますね。
野村 いくつかの問題があって,最も手をこまねいている難しい部分だと思います。高齢者の長期入院に関しての方向性はかなり整理されましたが,手のかかる場合が課題です。今回の改定の議論の中でも,長期入院の若年者についても,ある程度看護婦の配置が多い定額制ができないだろうかという提案はありました。今後に向けて何らかの手当が必要だと思っていますので,検討課題と考えています。

看護必要度

看護必要度の中見

川島 抜本改革案の中で「看護必要度」という言葉が出てきます。その看護必要度に応じて点数を決めていくということでしょうか。
野村 看護料を決める時の指標に使えないかなと考えています。
川島 それに対して危惧感を持っている人がいます。看護必要度ですが,私たちは看護職の忙しさを計る研究をいくつかの病棟でもう何年もしています。その結果からみますと,普通の内科と外科病棟は,看護婦の忙しさ実感と実際の多忙さは大体一致しています。「大変だった」という日に点数が高くなり,「きょうは暇だった」という日には点数が低くなるんですね。だから「看護必要度」という考え方はとても理解しやすかったですね。ところが,厚生省案は個別の患者さんに対して看護必要度を決めるのではなく,病棟全体の看護必要度で点数を決めると聞いたのですが,それは。
野村 もちろんベースは個人ですが,病院または病棟全体としての必要度になるのではないかと思っています。
川島 私は,個人個人の必要度が看護料として計算されると思っていました。だから,「どうして看護必要度をそんなにみんなびくびくしているの」と言ったら,「だって,病棟がそう評価されてそれに合った人数しかもらえない,費用もそれだけだったら大問題よ」と言うんです。そこを危惧しているわけですね。
野村 長期目標と言いますか,将来的には患者さん1人ひとりの看護量が違うわけですから,それぞれの必要度を決めて支払いをすればいいのでしょうが,いまの支払いの仕組みからは難しい。全国で9000病院, 160万病床があるわけですが,その患者さん1人ひとりの看護必要度をチェックして,そして患者さんごとにお金を毎日支払っていく仕組みは難しいと思います。
川島 でも,それは慣れと言ったらおかしいけど,ちょっとトレーニングしたらできるのではないですか。
野村 コンピュータを使えばできないことはありません。しかし,その支払いの仕組みまで電算化することについて問題もあって,なかなかつながっていきません。病院もさまざまで,すぐできるような病院から,事務員がコンピュータを使えないなど,全然できそうもない病院まであるわけです。
 「看護必要度」が必要だという理由は, 2対1看護であっても,人の配置プラス平均在院日数で計算しているのですけれど,それだけではその病院の評価をしきれません。例えば,白内障の患者さんをたくさん集めて看護婦が2対1いれば750点です。そうしますと,脳外の2対1の病院と同じ収入額になるんですね。それでいいのだろうかと思っています。やはり実際に本当に手のかかった看護が行なわれているところにより多く支払いたい,軽い患者さんを集めているところは少なくてもいいのではないだろうかという思いが基本的にあって,看護の中身で評価しない限りは,もう限界なのではないかと考えているところです。
川島 でも,その病棟,病院の必要度を決めるまでには,個別のデータ集積が必要になりますね。そうしますと,何か月,何週間というデータを集積して評価をするわけですか。
野村 そうなるのではないかと思います。
川島 そうしますと,たまたまこの月は暇だったってこともよくありますよね。
野村 あります。季節変動も考えられます。ですから,それをどうして正確に計れるかも研究しなければいけないですね。
川島 もう1つは,私たちが多忙度調査をした時に,ものすごく忙しい病棟の人はその忙しさを低く評価する傾向があります。逆に同じ患者さんでも,暇な病棟の人は重く書く傾向がありました。ですから,病院の中でも病棟によっては同じ患者さんの評価が3と1ぐらいに変わってしますこともありますから,集積して評価するのは大変だと思いますね。
 それから,「忙しいからできない」ってよく看護婦たちが言うものですから,それも調査をしました。つまり,忙しい病棟ではいいケアができなくて,暇なところではいいケアができているかというものですが,結果としてはすごく忙しいのにいいケアをしているところと,すごく暇なのに低いところがありました。その後もさまざまな県立病院や国立病院,民間病院などで単発的に調査をさせていただき比較をしてみたのですが,そこから考えますに,看護必要度といった時に,どの範囲での看護必要度なのかが問題になる気がします。
 というのは,保助看法における診療の補助と療養上の世話があるわけですが,診療の補助で忙しく必要度が高くなっている層と,療養上の世話で高くなっている層がありました。普通の病院は重症の人が少なく,セルフケアのできる患者さんが何人かいるから特2類を維持できるという要素があるのですが,ある病院の場合は,普通の病院に比べたらものすごく多忙度が高くて,とにかく手のかかる患者さんのほうが多くて,セルフケアが少ない。命にかかわる重症者も確かにいますが,圧倒的多数がちょっと手を抜くと褥瘡ができる,肺炎を起こしてしまうという要介護度の強い患者さんたちで,看護婦たちの負担感がすごく重かった。
 ですから「看護必要度」という言葉を読んだ時に,私は重症度よりもこちらをイメージし「よかった」と思った。厚生省が看護婦の精神的な負担感を評価する方向に目が向いてくれたと思ったんですね。でも,いまお聞きしたら,病棟,病院というレベルで決めてしまう。そう固定してしまうとかなり危険かなという気もします。
野村 これは看護料の支払い方式にどう加味させるかという話ですので,全体で評価するという方法は第一歩です。このようなやり方がずっと続くとは思ってはいません。とりあえず,大学病院のように重症な患者がいるところなのか,それともセルフケアができる方たちが多いところなのか,分けるとすれば大きく3つか4つ,多くても5種類くらいに区分し,看護婦の人数だけでなく,プラスアルファの味つけをすると考えていただきたいと思います。今は医療費の伸びを抑制しなければいけない厳しい状況ですけれども,看護については,患者さんに対しての直接のサービスですから,逆にもう少し伸ばしていかなければいけないという根本的な考え方はあります。しかし,むだなことはしたくない。サービスが必要ないのに人を置いて高い看護料を算定するような,そういうむだなことはしてほしくないということです。

診療報酬の中での看護料

川島 私たちの研究で,看護婦が直接患者さんのところへ行った時間は頭数で計算すると,1人に最低で1日1.9分でした。
野村 1.9分,たったの?
川島 ええ。しかも某大学病院のかなりいい看護をしている病棟でです。では最高はどのくらいかと言いますと数百分なんですね。つまり,1人の看護婦が1日中張りついていた勘定になります。ほかの病院で24時間観察をしてみたのですが,1.9分はまれでも3分から480分,500分と差が出ました。重症の患者さんは620分。それを7-8人のナースで,1病棟50人なら50人の患者さんをみているのですから,1人に600分かけてしまいますと,あとの人は2分,3分となるのはもうしかたのないことなんですね。でも,それで成り立つのがいまの頭数の定員制の基準看護とか新看護体系の本質と言えるのではないですか。
野村 そうですね。看護はチームで実践している,病棟単位でしか評価しない。だから1人ひとりの評価というのはなかなか難しくなりますね。
川島 看護料金は,診療報酬体制の中の看護であって,看護報酬とか看護保険はないんですね。医療保険としての,診療報酬の中でいつも端っこのほうに看護は扱われてきたわけですね。
野村 端っこと言うよりも根っこです。
川島 レセプトでは,部屋代と食事料は一緒で,ホテル料金と同じわけね。
野村 そう,一緒になっています。ですから,入院したら,いつでも,だれでも受けるサービスの1つで,技術じゃなく,基本料金のように考えられますね。
川島 2000年に始まる公的介護保険ですが,そこでも看護は端っことして扱われるのではと危惧します。つまり,介護が主役になって,看護がどれだけ割り込めるかということですが,看護保険がないことが,私は看護婦が本当に胸を張って「これだけは必要」って言える背景がないのかなって。
野村 介護保険の中で頑張ればいいんです。隅っこにいるなんて思ってはいけないと思いますよ。
川島 でも,介護保険だったら介護ヘルパーさんのほうが中心になりそうな感じがしますし,第一,経営とか経済の論理から考えたら,安いほうにどうしても目が向くでしょう。看護料金が高かったら,やはりちょっと,となるのではないかしら。
野村 しかし,看護がなくてやれる世界ではないわけです。だから,その中でどう看護は力を発揮するか,そこが問題になるのはないでしょうか。
川島 いまの在宅ケアや訪問看護の人たちが,本当に専門職として評価される仕事をしているかという点で見た時に,私は疑問を感じます。これは過渡期における悩みと言っていいかもしれません。だからとても危機感を感じています。それと,新看護と一緒に始まった補助者体系のことですが,病院によっては,補助者にどんどん看護本来の仕事を委譲している病院もあると聞きます。そう考えると,保助看法そのものがなし崩しになっていくのではないかという気がします。また,診療報酬の背景で看護がよほどしっかりして,予防的な看護,看護がこれだけやったから患者さんが早く退院できた,よくなったというところを実証していかないと,難しいかなと思いますね。それだけに技術の難易度の評価とか,それから,何をインプットしてどういうアウトプットが得られたのか,つまり成果が何だったのかということを積み上げていかないと,長期展望も短期展望も危ないと思えてしまいます。
野村 もっと厳しいかもしれないですね。いままで,ある意味では守られていた部分があるけれども,それが取っ払われるかもしれない。それは定額制になってもそうです。介護は定額制になると思いますので,本当に力のある者が台頭することになると思います。役に立たなかったら,「はい,去って」ということにもなりますので,国家資格を持っているから評価されるというものでもなくなると思います。ですから,自分のアイデンティティを大事にしてしっかりやらなきゃいけない。そういう意味では曲がり角にあることは確かですね。
川島 私は今回の改定を見て,前も思ったけれども,リハビリの評価はこれだけされているのに,何で看護は独自の評価ってないのでしょうか。
野村 看護独自の評価,これは随分増えましたよ。
川島 そうですか?
野村 だいぶ増えました。看護って書いていなくても,看護婦が行なった行為に点数がついている項目はいっぱいありますよ。
川島 診療報酬って「診療」というのがついているからいけないのよね。
野村 でも,診療という意味は幅が広くて,看護も含むんですね。
川島 だとしたら,名前を診療看護報酬料にしたらいかがでしょう。
野村 そうしますと今度はリハビリの関係者や放射線科,薬剤のほうから苦情がくるかもしれませんし,多職種でやっているもので,なかなかこれが難しいですね。
川島 本日は,どうもありがとうございました。

(おわり)