医学界新聞

 Nurse's Essay

 連句にみる介護と老い

 久保成子


 朧月 愛しき君と 戯れて
  旅路の夢か 「井筒」舞う人

 大学時代のクラスメイトと,連句・歌仙を巻く遊びを始めて20年近くになる。
 この道を専門にする者はいない。「ぼけ」防止と親交を暖めるため,近況などもコメントしながらノートを回す方法で,という提案がクラス会であり,それ以来続けられている。大学での専攻は仏文であったが職業はさまざま。海外単身赴任の者もいることから,ノートは欧州や東南アジアなどの赴任先まで届けられ,三十六句一巻が巻き上がるのは1年を優に越してしまう。それでもコメントで友の近況が知れる。
 ここ数年,父母または義父母の介護の模様が,コメントや句で示されることが多くなった。冒頭の句もその1つ。
 今春のクラス会では,介護,ぼけ状態の老人をどうみるかが話題になった。

 離乳食 美味いといいし 父哀し

 これを「こども還り」とみるか。
 いえいえ,「こども還り」ではその人の人生の終わり,余りにも切ない。いや,本人が結構それで幸せならいいではないか。いや,やっぱり承服しかねる。とワイワイ,ガヤガヤ。
 討論は,もう老いがすぐそこまできている自らと重ねられ,自らの老い方を父母のありようから実感し,人生に想いを駆せて白熱する。そして,一同の帰結が冒頭の句からもたらされた。
 すなわち,生活史で個人差はあるが,ぼけ状態になった老人の言動を,能の世界=死から生をみるといった態度でみるのがベター。この場合,女性は演目「伊勢物語」の井筒の女=たけくらべの少年少女に見たてられる。恋しい人への情念が駆り立てる言動は激しい。一方,男性の場合は「俊寛」=己れの社会的功績や道程への執着が強く言動に反映されている,というものであった。
 月の定座で,母を詠んだ友はジャーナリスト。彼女は,退職後に介護要員2級の資格を得た。付句は筆者。この帰結,皆さまいかがなものでしょう?