医学界新聞

<インタビュー>日下隼人氏(武蔵野赤十字病院 小児科)に聞く

医学部へ導入進むOSCEの背景


医学部教育の責任とは

なぜOSCEか

――東邦大,千葉大,日大にかぎらずOSCEの活用は広がっていく様相です。日下先生は東京SP研究会の皆さんとともに,その普及に協力されていますが,まず広がるOSCEの背景についてお話しいただきたいと思います。
日下 その3校の他に埼玉医大も実施していますし,女子医大が6月の下旬に,昭和大が8月に行なう予定です。全国的に見ますと先駆者の川崎医大以外にも,佐賀医大,広島大,山口大,東京医大などでも実施されていると聞いています。
 活用のされ方としては,臨床実習に入る前のバリア的な試験(ベッドサイドへ出るための最低限の臨床技能が身についているかを評価する)として行なわれているところが多いようです。ペーパーテストによるバリア試験はこれまでも多くの大学で行なわれてきましたが,臨床実技ができていないこと,たとえば基本的な聴診器の持ち方や打腱器の持ち方が身についていない,あるいは接遇の技術,患者さんへ接する態度とかインタビューの取り方が身についていないというようなことは今日まで強く指摘されてきました。
 一方で先日もある大学で教員の方に,患者さんへの接遇の教育について話をする機会があったのですが,「それは医療教育であって,医学教育じゃないでしょう」と言う教員がまだおられます。医学教育の目標は自然科学としての学問をいかに教えるかとともに,よい医師を養成することなのだという前提の共有化をはかっていかなければならないのが現状なのです。
 「よい医師になるということ,それは教育すべきことではなく,自ら努めることだ」という認識は根強いものがあります。しかし,実際にそれでよい医師ができるかというと,なかなかそうはいかないということは,これまでの実績で明らかです
 最低限の基本的な診察の仕方や,基本的な患者さんへの接し方がまったくなっていない医師を育てていてよいのでしょうか。BSLの場合には,実際に患者さんに接していくわけですから,その手前のところで実技試験をするのは,非常に実践的な意味があります。
――率直にうかがいますが,今まで医学部の卒業生たちが,臨床に出たときに問題が起こっていたということですか。
日下 皆が問題を起こしていたわけではないと思いますが,問題を起こす医師というのはたくさんいるわけです。ところが,それが個人の資質に還元されてしまってきた。殊に態度に関しては,それは育ちの問題であり,大学教育で教えることではないと。しかし,本当にそうなのか。高校生までの間に,医師に求められる人間的な資質がすべて教えられるわけはありませんから,それは医学部で教育する責任があるはずです。

OSCEによる評価の妥当性

――学生に協力していただいたアンケート(図2参照)によれば,多くの学生は自分の臨床能力を培う上でOSCEを有効だと答えています。しかし一方で,それによって自分の能力が評価され,成績化されることについては,不満を感じてる人もいます。「客観的臨床能力試験」というけれども,その「客観性」に疑問があるというのです。どのようにお考えですか。
日下 この場合,「客観的」とは点数の差が間違いなくはっきり評価される,という意味ではなく,一定の基準で第3者から評価をされるということなのです。点数化して順番をつけようという趣旨ではないのです。

東京SP研究会の皆さん
 東京SP研究会はSP(模擬患者)の養成と利用に関する活動を通して患者と医療者との相互理解を深めることを目指して,1995年に設立された団体である。多くの大学・施設でのOSCEの実施およびSPを用いた教育に協力している。なお,通常SPは模擬患者(Simulated Patient)の略語として用いられるが,試験等を行う場合には標準化された患者像を反復するため,標準模擬患者(Standardized patent)の略語としても用いられる(写真は千葉大で)

学生の声

OSCEの実技練習をする学生たち,評価者役の学生も見える(千葉大)

「テスト前にはクラスが団結して情報を収集し,互いを被験者にして一生懸命練習した。前日の教室内は大きな診察室のようになっていた」
「実技の練習を友人としたのは初めてだった」
「留年という言葉は学生を真剣にさせる。必死だった」
   (学生アンケートより)

互いの体で学ぶ(東邦大)

「実際に“人”を相手に実技を行なうと頭では理解しているつもりでも,口や体がうまく動かない。自信をもって面接や診察を行なうことの難しさを知った」
「ペーパーばかりの学校人生より実技で評価されたほうがいい」
「先生(科)によって教えることが違う」
「おかげさまでBSLに行ってから患者さんの前でおろおろすることはないと思います」
   (学生アンケートより)

図2 OSCE学生アンケート(千葉大,東邦大)

教員が変わる,大学が変わる

日下 いま大学で実施されているのは,概ね形成的評価と言われるものです。ある段階で評価をし,問題のある点を直そうという使い方です。また,バリア試験的な性格のものでも,大学入試のように「上から何点まで」が合格というようなものではなく,どの評価者でも,どのSPでも差が出ないほど問題のある人しか落ちないものだと思います。何点で線を引くかというよりは,最も基本的な技能や患者への態度がなっていない学生を振るい落とすというものだと思います。学生は受験の時のように点数の違いが気になるのかもしれませんが。
 また,評価者の差,あるいは演じるSPによる差というものも検討されてきています。たしかにSPにも個性がありますから,SPと学生の相性によって差が出る可能性は皆無とはいえません。しかし,基本的な態度ができているか,できてないかを見ているわけです。学生が心配するようには評価者やSPによる差はでないと思います。
 大切なのは試験の合否ではなく,診察の仕方とか患者さんへの接し方が,医師にとってとても大事なのだということを学生が自覚することです。 不可欠な教育者の意識改革
――学生以外にOSCEの与える影響についてはどうお考えですか。
日下 OSCEを大学で行なうことの大きなメリットの1つは,実は教育者自身が基本的臨床技能の重要性を再認識することです。教育者たちは,学生を教育し,試験を行ない,評価することを通じて,自分たちが日々診療する患者さんへの接し方を見直すようにもなる。日本の医療の大問題は,先輩の医師たちがこういう問題を切実に考えていないということです。後輩に,患者さんへの接し方や気持ちをくみ取ることが重要だということをしっかり教えていない。特に大学の教員は学問指向ですから,そういうことを切実に感じていない人も少なくない。そのことを教えても業績にもならないわけです。しかし,その人たちが変わらない限り,医学教育は決して変わりません。
 OSCEを実施したどこの大学でも「教員が変わった」と言われます。これは本当に大きな成果です。OSCEを受けた学生が,「あんなこと先生教えていないじゃないか」と言えば,教員の側も,たとえば面接の技法をしっかり教えるようになります。カリキュラムそのものが変わっていく場合もあります。
 横浜市大や北里大,慈恵大では,授業で面接技法を学ぶわけです。患者さんとのよいコミュニケーションのとり方,患者さんが話しやすい雰囲気,多くの情報の得られる聞き方,患者さんが安心する話し方,信頼してもらえる話し方,といったことを講義で学び,さらにSP演習で実践的に学びます。こういったことがしっかりなされていれば,OSCEは少しも恐いものではありません。授業のまとめとして,特別なものではなくなると思います。そうなれば医師国家試験にOSCEが用いられることにも抵抗はなくなるでしょう。 医師国家試験と 日本の医療の質
――今お話に出ました医師国家試験への導入についてはどうお考えですか。
日下 国家試験でOSCEを実施するためには,実施の仕方,時期等も含めて検討すべき課題があることは言うまでもありません。ただ,本当にすべての学校が基本的臨床能力を培うための教育を行なうようになるために,国家試験にOSCEを導入することが効果的であり,その結果,大学人の意識も一斉に変わっていくことは,確かだと思いますが。
――アンケートでは多くの学生たちが「国家試験にOSCEが導入されたら困る」と回答しています。
日下 現状では当然困るわけです。しかし,実際には,国家試験にOSCEが導入されれば,大学でも「患者さんにこういう接し方をしなくてはいけない」と教えることになります。そういう形でしか日本の医師はよくなっていかないという考え方もあります。
 基本的な姿勢(患者さんの持っている問題を解決する,患者さんにきちんと接するという基本的な姿勢)を身につけた医師を養成することは,日本の医療の質を上げるためのもっとも基礎的な作業です。そこを抜いて「医療の質,医療の質」と言っても,それはただ手術の成績がよいか悪いかというようなレベルにとどまるしかないでしょう。手術の成績はもちろんよくなくてはいけませんが,医療の質とは,根本的には患者さんの満足(client satisfaction CS)によって計られるべきです。患者さんが満足できるような医療を提供できる医師の養成はその前提です。
 よい医師であって初めてよい研究テーマを見つけ,つまり患者さんからよいテーマを見つけ,研究をしていくという流れでないとおかしいのです。
――SPの完成度やその個性によって生じる結果の差異,あるいは評価者よる差異についてはいかがですか。
日下 SPの方たちはそういう差を少なくするように事前に相当トレーニングをしますし,お互いの演技を見て批評しあったりもします。また,実際の医療面接の試験中であってもモニタリングを行ない,必要があれば「あなたは喋り過ぎ」とか,「あなたはもうちょっと喋ったほうがいい」などの修正をしています。
 評価者については,これまでの研究で,胸部診察,腹部診察においてはほとんどばらつきはでないのですが,神経診察については打ち合わせをするとばらつかない,打ち合わせをしないとばらつきが出るという結果となっています。現在,研究班(「医師の臨床能力の客観的評価に関する研究」)では医療面接と神経診察に関しては,標準的ビデオをつくる作業をしています。評価の統一を図るための実務的な調査・研究・作業が進み,それが活用されるようになれば,ばらつきは減っていくでしょう。もちろん,国家試験に用いるのであれば,より厳密な検討が必要ではあります。 新しい教育の喜び
――評価者側のアンケート(10面参照)では,「今後も評価者として協力したいですか」という項目には,半数以上の方が「(ぜひ)協力したい」と回答している一方,「どちらとも言えない」という回答もかなり多いです。また,「OSCEの試験官をすることは大変である」という回答も多いです。OSCE普及に教員の協力は不可欠ですが,今後の展望をお聞かせ下さい。
日下 どこの学校でもある程度の不満は出ます。負担がかかるのは事実ですから。この問題は,その大変さを超えて,「自分たちの後輩を今育てていかなかったら日本の医療はよくならない」とどれだけの人が思ってくれるかだと思います。
 しかし,OSCEに触れていただくことで教員の方たちの意識も変わっていくのではないかと思っています。例えば,年1回開かれる,日本医学教育学会の臨床能力教育ワーキンググループが主催する「基本的臨床技能の教育法」ワークショップなどでも,参加された臨床教育指導医の方たちの多くは,実際にOSCEに触れることによって,その有効性やそれを用いた教育の「喜び」に驚かれます。そして,実際にこれらの研修に参加された先生方が,少しずつ新しい臨床技能教育を各地で始めようとしているのです。地域によっては独自にSPの養成を検討し始めているところもあります。少なくともいろいろなところで種は芽生えてきています。

(了)