医学界新聞

〈新連載〉

国際保健-新しいパラダイムがはじまる-

高山義浩 国際保健研究会代表/山口大学医学部3年


●連載執筆にあたって
 「健康」は世界のすべての人々に認められた権利の1つです。
 しかし,加速度的に膨張する世界人口について,数字ではなく質的に垣間見れば,その大半がこの「健康」にたどり着けない人々がいることに気がつくでしょう。この認識から「国際保健」は出発しました。国境を越えた共同作業によって「国際保健」は行動し,その到達点とは,「世界のすべての人々が健康を得ることのできる環境」を整備することにあります。
 この連載は,読者のみなさんに贈る「国際保健」への招待状のつもりで,12回シリーズで書かせていただきます。初回は,自己紹介も兼ねて,筆者にとって思い入れのあるエピソードを紹介します。次回からは,「国際保健」が舞台とする人類社会の状況,それに取り組む国際機関やNGOの姿などをお伝えしたいと思っています。近年は,国際保健に関心を抱く医学生が活発に動きはじめています。そのような彼らの試みについて紹介し,またその方向性について再検討してみるつもりでもいます。
 読者のみなさんそれぞれの関心は「国際保健」と同様,多様性に富むものだと思います。その中でこの連載がどれだけ応えることができるのか不安ですが,世界の健康問題に挑戦するおもしろさを筆者と読者が少しでも共有することができれば,筆者にとっては最大の喜びとなります。ぜひご意見,ご批判もお寄せください。


トウキョウトッキョキョカキョク

サンカーホテル

 カンボジアに滞在している時,一番食べたくなるのは,なぜかフルーツゼリーだった。3度目の訪問は1か月におよぶので,これまでの経験を活かして,僕は3個のフルーツゼリーを持っていくことにした。週に一度ずつのごちそう。ささやかな計画だった。
 あの頃はまだ荒れ果てたオリンピックスタジアムの前に,サンカーホテルという瀟洒な,そして家庭的なホテルがあり,僕はそこを常宿としていた。調査を終えて,村から汗だくになって帰ってくると,僕を担当している客室係のノームが,僕をロビーのソファに座らせ,ジャスミン茶を入れてくれる。
 ノームは,不器用だが,とても熱心に働く子で,彼女なりにではあったが,僕の朝の言いつけを夕方までにしっかりこなしてくれた。彼女は,ネズミの出入りする穴をふさぎ,ござを買ってきて部屋に敷きつめ,さらに,部屋に入るときには靴を脱ぐという奇妙な風習を受け入れた。
 ただし,僕がある朝,天井にいくつも張られたクモの巣を,すべて撤去しておくように,と命じたときだけは少し違った。この時ばかりは,彼女は猛烈に反対した。どうも,クモの巣は蚊を捕らえてくれるので,僕の健康のために必要だ,というのが彼女の言い分だった。しかし,僕は寝ている間に,つつっと落下してくるクモが,我慢ならなくなっていたので,もう一度,強く命令してから村へと出発した。結局のところ,クモの巣はそのままで,僕も何も言わないことにしたのだったが……。
 まあ,こうした居心地のよい拠点を得て,毎日,僕は足しげく村へ通っていた。僕がテーマとしてたのは,難民キャンプから農村に再定住した子どもたちの精神衛生であった。その前年,国立小児病院でボランティアをしていた時,そこの医師から「難民キャンプで育った子どもたちには,生命力の弱い子が多い」と聞かされたのが,そもそものきっかけである。僕は村をまわり,難民キャンプから帰還してきた子どもたちの話を聞いてまわり,レポートにまとめるつもりでいた。
 そんな村との往復が2週間も続き,調査も軌道に乗って,ホテルのスタッフたちとも僕はうちとけていった。また,僕のクメール語も少しだけ上達し,ノームと僕は互いのことを少しずつ知りはじめた。ノームが16歳であること。父親はクメールルージュに殺され,母親は病気でいること。彼女ひとりで,その母と弟の生活を支えていること。僕が日本という遠い東の国から来ていること。僕の両親は敗戦という不幸のなかで育ったが,その子どもの世代はとても幸せであるということ。あるいは,「トウキョウトッキョキョカキョク」と上手に言えれば,日本人が喜んでくれるということとか。そんなことを僕たちは,しどろもどろに語り合っていた。

フルーツゼリーのほろ苦い想い出

国際保健のはじまり

 その日は焼けつくような太陽も容赦なく,なぜかいつもの叩き付けるようなスコールが午後にもやってこなかった。僕は,今日こそあのフルーツゼリーを食べるべき日に違いあるまいと,勇んで村から帰ってきた。ノームにジャスミン茶を部屋へ持ってくるように命じ,僕は部屋に入るなり冷蔵庫を開けた。ちょっと気が遠くなった。2つあるはずのフルーツゼリーが,1つに減っている。すぐに心当たった。犯人は明白である。先日,ノームがそのフルーツゼリーを手にとって,僕に,これは何なのか,どんな味なのか,としつこく聞いていたからだ。しかも,僕は意地悪くも,世界で最も美味なるデザートだと自慢していた。
 僕はベッドに座ってノームを待った。やがて,ジャスミン茶を持って彼女はやってきた。ノームは僕のコップにお茶を注ぎ,僕は彼女にお茶を勧めた。ただ,その間,僕はずっと彼女の目を見つめ続けていた。かしこい娘だ。すぐに彼女の顔は真っ赤になって,うつむいたまま,しばらく硬直していたが,やがてポソリとつぶやいた。「ニャムニャム(食べちゃった)」。僕は大笑いした。とにかく,その口ぶりがおかしくてたまらなかった。目が点になっているノームに,僕は笑いながら,「うまかったか?」と聞いた。彼女は,さらに耳の先まで真っ赤にして,「おいしかった!」と叫んだ。今度は,ふたりで大笑いした。ずっとふたりで笑いつづけた。僕はカンボジアに来てよかったと思った。そして,国際保健をやってみようと決断した。ノームのいるカンボジアの幸せを,一緒に追いかけてみたいと確信した。

病の淵で眺めたもの

 カンボジアとも,そしてノームとも,本当にうちとけてきたと思えるようになった頃,僕は赤痢になった。目にみえて血便が出ている。たぶん,村人が勧めてくれた水菓子が原因なのだろう。僕は,地域医療に従事していたネパール人医師ナラヤン先生からORSをもらい,部屋にこもって闘病生活に入った。水分補給さえ続けていれば自然治癒する,という話を信じることにした。この闘病は3日で終わったが,長い長い3日間だった。1日に十数回,大量の水様便が出る。高熱が出ていて,朝,目を覚ますと,シーツがぐっしょりと濡れている。どんなにORSを注ぎ込んでも,すぐに体から出ていってしまう。死ぬのが恐いと思った。
 昼夜,僕が眺めていたのは,クモの巣だった。1日中,観察していると,クモにも人生ドラマがあることを知る。いじめられている新入りも,やがてはたくましく巣を張り,年老いたクモを食い殺す。巣の形はめまぐるしく変化してゆく。そこが白い箱のような日本の病室だったとしたら,僕は発狂していたかもしれない。なるほど,クモの巣はこの部屋に欠かせない。ノームの話は本当だった。
 やがて病も全快して,久しぶりに村を訪れてから帰ってくると,ホテルのスタッフたちが,ヒロの快気祝いにディスコに行こうと相談していた。なんと,全員分のお金をオーナーが置いていったのだと言うのである。これを断る手はないだろう。僕たちは,バイクに3人,4人と乗り込んで,大騒ぎをしながら,「太平洋夜総会」へくりだした。
 しこたまビールを飲み,ひたすら笑った。中国語とクメール語が入り乱れる。僕も負けじと日本語でしゃべりつづけた。そして,また笑った。
 ノームは,僕にクメールダンスを親切に手ほどきしてくれた。ディスコと言っても,カンボジアでは,みんなで盆踊りのように練り歩くのだ。やがて,チークタイムになった。ノームは僕のところにとんできて,手を引っ張った。しかし,僕は首を横に振りつづけてしまった。それがショックだったらしく,彼女は泣き出してしまったが,僕は酔った頭で頑固になっていた。ホテルのスタッフたちは,僕を押し出そうとしたが,うぶな高校生のように,頑として動こうとはしなかった。たぶん,僕はノームに恋をしていたのだろう。

最後の事件

 帰国する数日前,村から帰ってくると,僕のビデオカメラが部屋からなくなっていた。ホテル中が大騒ぎになり,オーナーと話している僕のところにノームが駆け込んできて,僕にすがりついた。「しまった」と思った。たしかに,真っ先に疑われるのは彼女に違いない。黙っていればよかったのかとも思ったが,すでに遅い。オーナーは大変な剣幕で,ノームを含め,疑わしい者すべてを一室に監禁し,長時間の尋問を開始してしまった。結局,1人の少女が,僕の留守中に忍び込み,盗んだのだということが判明し,すぐに出身の村へと帰されてしまった。僕はノームでなかったことにほっとしたが,それでも後味の悪い事件で,僕は自分の無防備さを恥じた。
 オーナーが僕の部屋にやってきて,ビデオカメラは,すでに盗品市場で売られてしまっていて取り戻せないと詫びた。そのかわり,僕の1か月分の宿泊費200ドルを帳消しにさせてほしいと頭を下げた。びっくりした僕は,盗難保険に入っているのだから,心配しないでほしいと説明したが,カンボジア人の誠実さには本当に胸が熱くなった。
 帰国の日,僕はタクシーに乗りながら,スタッフ全員の見送りを受けた。目を赤くしてくれているノームを呼び寄せ,僕は耳元でこうささやいた。 「冷蔵庫に残っている最後のフルーツゼリーは君へのプレゼントだよ」
 キザな言葉だが,これが僕の国際保健の原点となってしまった。

めぐり合わせ

 この話には,後日談がある。翌年,僕がプノンペンの空港を訪れると,改築されていて,免税店までオープンしていた。ツンとすました制服の店員に,「馬子にも衣装だな」と感心しながら,店内を見回すと,なんと,僕のビデオカメラが一番上の棚に飾られているではないか。
 店員を呼んで,取ってもらい,丹念に調べた。間違いない。僕のビデオカメラだ。店員は何も知らずニコニコして,「スペシャルプライスでございます」と僕に勧める。そこで,僕は「ケースと説明書はどこにありますか?」と聞いてみた。と,店員,「ございません。ですからスペシャルプライスとさせていただいてます」。「あたりまえだよ。僕が持ってたんだからね」。
 キョトンとしている店員に,ビデオカメラを返して店を出た。不思議なめぐり合わせだ。だからカンボジアはおもしろい。ただし,僕とノームが再び会うことはなかったのだが……。

高山義浩氏プロフィル

1970年,福岡県生まれ。
東京大学医学部保健学科卒。
国際保健研究会代表。山口大学医学部に在学しながら,世界各地を旅している。主な情報発信源に『国際保健通信』がある。