医学界新聞

 Nurse's Essay

 仮想としての視覚

 八谷量子


 知人の1人に特殊な能力を持った人物がいる。その人は,自分が好きな時,好きな場所にタイムトリップできるのだという。例えば混雑した乗り物に長時間乗らなくてはならない時や,退屈な会議や講演会に参加せざるを得ない時に,その場にいながらニューヨークの近代美術館でのんびりと絵画を眺めたり,伊豆の海岸で陽光を浴びながら昼寝している自分の姿をビジュアルとして思い浮かべることができるのだそうだ。その間,当人の肉体は会議室の椅子に座っていても,意識はまったく別の時空へ飛んでいる。
 意識だけであればわれわれにもよくあることだが,ビジュアルとして見え,その中で実際に動いている自分を感じるということは驚きに値する。見えないものが見えるということは,一般的にアルコールや薬物の幻覚作用を連想させる。ただ,それらと決定的に違うのは,映像を自己コントロールできるということである。異常で病的な体験とは明らかに異質のものだ。
 先日,新宿のシアターで映画を見ている時,不思議な体験をした。特殊なゴーグルをかけて映画を見ると,映像があたかも実際にその場にいるようなリアリティを持って迫ってくるのである。自分が海中に潜り,魚の群れの中を泳いでいて,大きな魚がこちらに向かってくると,思わず「危ない」と体をよけたり,小さな貝を拾おうとして手を伸ばしてしまう。いわゆるバーチャルリアリティの世界にはまったのである。「これは現実ではない」と意識しているつもりでも,実際はそのビジュアルの中にとり込まれ,笑ったり,驚いたり,逃げようとしたりする自分がいた。
 特殊な能力はない私でも,ある種の装置を使えば,見えないはずのものが見えたり,感じたりすることは確かにある。しかし,仮想を仮想として現実認識できず,コントロールを失った自分を連想すると怖くなる。人間の脳は本当に不思議だ。