医学界新聞

【座談会】

老年医学の新たなる展開
-介護保険導入を前に-

井口昭久氏
名古屋大学教授
老年科学
井藤英喜氏
東京都老人医療センター
内分泌科部長
佐々木英忠氏
東北大学教授
老人科
鳥羽研二氏
東京大学助教授
老人科


老年医学の新たな地平

佐々木〈司会〉 本日は「老年医学の新たなる展開-介護保険導入を前に」というテーマで,老年医学の第一線でご活躍の先生方にお集まりいただきました。介護保険法が成立した今日,単なる病気の追究だけではなく,介護に役に立つ医学をめざすことも老年医学の重要な目的だと思いますが,まずは老年医学の現状と最近の成果についてお話しいただきたいと思います。

老年医学の現状

井口 医学の流れは分化へと進み,そのことによって進歩もしました。その一方,過度な分化により,全人的な医療が疎かにされてきたことも事実です。今までの老年医学は,どちらかというと臓器別診療に偏ろうとしていたのです。しかし最近,ディスアビリティ(能力障害)などに老年医学全体が注目するようになり,学会もそのような方向に向かう雰囲気が出てきました。
井藤 ようやく,老年医学というものが,大きな研究分野として認知されてきたのだとも思います。それに大きな役割を果たした厚生省の長寿科学総合研究が始まってほぼ8年が経過しましたが,その中で,今まで医学が無視していたディスアビリティの問題,長期縦断調査などにおいても単純にリスクファクターサーベイというような形の問題ではなくて,ディスアビリティが予後にどう関係するのかなどのきわめて興味深い,しかし今まで手がつけられなかった老年医学的な課題が,具体的な課題として設定されるようになりました。老年医学が果たさなければならない役割が,少しずつ明確になりつつあるのではないでしょうか。
佐々木 痴呆症や,失禁,歩行障害,あるいはすぐに倒れる。そういうことが,今までは歳だからと片づけられてしまっていましたが,それをしっかり見ていこうということですね。
井藤 そうです。また,老年者における種々の疾患の診断・治療ガイドラインを作るという動きが出てきました。その際,若い人と老年者の医学的な課題がどう違うかということをはっきりさせる必要があるわけです。若い人の延長線上での老年者の理解から,少し視点を変えた老年者の捉え方にシフトしつつあります。
鳥羽 確かにそのような課題に取り組む先生は増えてきています。ただ,最近の成果を,老年医学会の成果と老年医学全体の成果とで分けて考える時,例えば老年基礎医学の分野では,テロメアのことや老化モデルのクロトー遺伝子のように,老年医学会以外の分野からブレイクスルー的な基礎医学が発展しており,一方,介護保険の問題やディスアビリティの問題についても,正面から取り組んできたのは,学会とは別の地域の小さな団体やリハビリテーションの人たちであったという事実を否定することはできません。
 しかし,そのような中で,例えば佐々木先生は厚生省の指標などを使ってデータを収集し,今まで医師が使っていないデータを用いて,新しい視点を開発してきていますし,他のグループも,さまざまな老年医学の指標を使って,多角的にディスアビリティに対して現状分析を行ない,方向性を提言しつつあります。多方面からそのような提言が集まっている状態であるけれども,全体としてそれを取りまとめ,進むべき方向性を打ち出せていないというところが,現在の問題かと思います。

露呈した矛盾

井口 老年医療を担う医師の位置づけには,概念的に2つあると思います。まず,老年医療というものを老人の経済や住環境,社会福祉などを含有した広範な老人の生活を支える社会保障制度の中の1つと捉える考え方です。この考え方では,高齢者のケアに対する責任は医師だけに与えられるものではなくて,医師はむしろ厳密に医療問題だけを取り扱う技術者として位置づけられます
 もう1つは,老年医学に携わる医師は,老年者の疾病の正確な診断を行なって,そこから得られるさまざまな問題を整理し,老年医療の抱えている問題を社会に提示していく。医師こそが老年医療を担う責任者であるという立場ですね。
 この2つの概念はずっと潜在化していたのですが,介護保険制度の創設によって,表面化せざるを得ない状況になってきました。しかし,どちらが本来的なあり方かと問うべきではありません。まずは,高齢者のケアに関わる他職種の方たち,福祉や看護の人たちとの共通の言語を持ち,いかに円滑に連携していくかを考えるべきです。例えば,高齢者総合機能評価(後述)のようなものは,その際のツールとして考えるべきではないでしょうか。
井藤 日本の医療が担ってきた構造上の問題も大きいと思います。確かに老年者に対する福祉というのはあったのだけれども,それは「措置」というあり方でした。社会的な救済措置として特別養護老人ホームなどが作られたわけですが,サービスを必要としている絶対数からみると非常に少ない量しか供給されませんでした。この措置による福祉からはずれた人たちのケアを誰が担ってきたかというと,医療機関だったわけです。ケアも含めてすべては医療のシステムの中で解決されてきました。必然的に老人の問題に対しては,医療は自らの枠の中だけに留まるわけにはいかず,社会的な問題や家族の問題などを扱わなければいけない立場に置かれることになったのです。病院が老年者の社会的入院を許容し,ある種福祉の肩代わりをしつつも,医療内容に関しては,単純に若い人への医療と同じような医療を老年者に適用していたという時代が今日まで続いてきたのだと思います。
 そこでさまざまな矛盾が起こってくる。それを解決するものとして老人のQOLという視点が,ここ10年の間に急速に出てきて,単純に医療の枠の中で考えていたらダメだと強く指摘されるようになりました。そこへタイミングよく介護保険という構想が出てきて,「今まで医療が担っていたものを,違う分野の人が担うようになるんですよ。医療,医師はいったいどうするんですか」ということを問われているのが,今の時代だと思います。
鳥羽 慢性疾患がいわゆる定額制の支払い方式になっていく中で,老年科医だけではなく,むしろ,一般医の方たちが,専門性と総合性のバランスをどのようにとりながら,お年寄りの診療をしていくか迷っておられる。在宅医療に取り組む若い医師も増えてきていますが,彼らに,私たちはどういうアドバイスができるかということが問われているのだと思います。総合的な機能評価とか,チーム医療の方法論などを,私たちは今までの成果を踏まえてアドバイスできるはずですし,しなければいけないと思います。

高齢者総合機能評価

継続する患者の生活を捉える

佐々木 さて,高齢者総合機能評価というものが話題にのぼってまいりました。そこでまず,高齢者総合機能評価とはどのようなものであり,また,その中に何を盛り込んでいくのかということから議論をお願いしたいと思います。
井藤 たとえていいますと,ある病気が病院にいる間はうまくコントロールでき,治りました。では退院した後どうなるでしょうということを,私たちは考えなければいけないわけです。その時に,その人が1人暮らしであるのか,あるいは非常にいいキーパーソンがいて生活を支援してくれるのか,家族がいたとしても,そのお年寄りにどれくらい関心を持っているか。同じ病院の中で同じ状態で治った人であっても,個々の将来はまったく違ってくるわけです。したがって,治療方針をはっきり定めるためには,今後も継続していくであろう患者の生活そのものも含めて評価すべきです。ですから,高齢者の総合機能評価では,医学的なものに加え,精神神経的な状況,これはADLも含まれます。さらにその人が持っている家族的あるいは社会的,経済的基盤といったもの,そして,その人個人が社会においてどういう位置にいるのかというようなことも評価すべき項目になると思います。
鳥羽 一般的な高齢者総合機能評価をに示しました。また,その原型にあたる米国で行なわれているCGA(comprehensive geriatric assessment)について簡単に説明しますと,1935年にイギリスの女医ウォーレンが当時捨て置かれた患者さんたちを,いわゆる総合的機能評価―メディカルだけでなくてADL,ムード,コミュニケーション,ソーシャルエコノミカルを含めた評価手法を駆使してまず判別し,老人ホームに入所させたり,在院を続けさせるといった評価結果に基づく医療サービスの提供を行なったのです。するとたちまち症状が改善された人が多かったという。これがいわゆるCGAの元祖だと言われています。
 ところがこの手法はその後50数年にわたって,まったく見直されることがなかったのですが,1980年代になってから「ニューイングランド・ジャーナル」にある論文が発表されました。それによると,老年者の機能評価病棟(geriatric evaluation unit GEU)で治療したところ,いわゆる生命予後が延びた,また,MMSE(mini-mental state examination)という評価法を用いたところ,知能レベルが改善して,ADLもよくなったという成績が報告されたのです。それ以降,主にアメリカ・マウントサイナイ病院をはじめとして,盛んにCGAと呼ばれる老年医学的総合評価法が用いられています。それらをまとめた成績が出て,多くのものは肯定的な成績であったようです。
井藤 米国で行なわれているCGAもいろいろな方式があり,試行錯誤の状態です。米国でのやり方が日本に適応できるかというと,社会的,文化的な背景も異なりますので,やはり日本は独自の総合評価システムを作っていくことが必要だと思います。また,一括して高齢者総合機能評価という時には,例えば糖尿病の診断基準のように非常にクリアにできるかというと,それは不可能です。高齢者総合機能評価とは概念上はきわめて正しいのですが,その1つひとつの評価手法につき,何をどういう項目でどのように評価したかということをしっかり検討していかないと,その有効性は検証しきれません。そういうファジーな難しさを含んだ概念だと言えるでしょう。
 東京都老人医療センターをはじめとして,日本でも総合機能評価法が開発されつつありますが,現実にどの程度の有効性を発揮するかという評価を,当然しなければなりません。その場合,総合機能評価をした上で,いくつもの医療・福祉サービスの選択肢があって,どれを選ぼうかという状況があれば,有効性の評価が可能だと思います。しかし,残念ながら現状では,私たちがもっている選択肢というのはそれほど多くないのです。ですから今行なっていることは,その患者さんの背景がよくわかりましたというところで留まってしまい,その後のケア,サービスになかなかつながらないという矛盾があります。

表 高齢者総合機能評価
高齢者総合機能評価
comprehensive functional assessment
 
日常生活機能(ADL)
 Basic ADL(起床,トイレ,食事,更衣,整容,入浴)
 Instrumental ADL(電話,買物,料理,洗濯,薬管理,旅行,社会活動)
 
精神的機能
 認知-長谷川式スケール,MMSE(mini-mental state examination)
 情緒-GDS(geriatric depression scale)
 
社会的評価
 (離別,死別,経済的困窮,独居などが悪化要因)

医療・看護・福祉の共通言語

井口 先ほども言いましたが,総合機能評価をする意味は,福祉と看護と医療との間で共通言語を持つという意味で,実践的に活用されるべきものだと思います。
井藤 付言すれば,見落としをしないということでもあります。患者さんが本当に抱えている問題は,実はお嫁さんとうまくいっていないことだったと,あらゆる医学的な評価をした上で,最後の最後にわかるということもあり得るわけですね(笑)。
 ですから評価をする上では,考えられるいくつもの視点をもれなくやっていくことが必要です。しかし,これがある程度形式化されていないと,忙しい診療の中では,ついつい見落としてしまいます。
井口 総合機能評価表を用いたアセスメントにはどれくらい時間がかかるのですか。
井藤 私たちのところでは,医師の持ち分と看護婦さんの持ち分と分けていてトータルで1時間近くかかると思います。
佐々木 そうすると普及させるためには,もう少し簡便に作るということも考えなければならないですね。
井藤 必要だと思います。介護保険で用いられるアセスメントシートも最初は300項目ぐらいあげられていたのが,有効な情報を与えるものとして最終的には73項目にまで絞られてきました。そういう作業は不可欠です。

各科の医師をつなぐ共通言語

鳥羽 私たち医師の間で,高齢者総合機能評価の位置づけを明確にしておく必要もあります。臓器別の診療をされている医師たちはあまり興味を持ちません。時間ばかりかかって何の役にも立たないと思うわけです。そのような方たちに対しても総合機能評価の有効性を示していくべきです。例えば心不全や骨粗鬆症,あるいは糖尿病など,従来の指標を用いた時に有効でないものに対して,この新しい指標の有効性をエビデンスとして示していかなければなりません。実際,井藤先生のところで,心不全の患者さんに対する高齢者総合機能評価を導入したことにより,入院期間の短縮と治療費の縮減に効果があったというデータを出されていますね。
 私のところでも最近,骨粗鬆症の患者さんに総合的機能評価を行なって,今までわからなかった,例えば腰背痛とか猫背,円背によって,非常にうつの症状が多いということが最近わかってきました。そこで,QOLを損なう原因が,骨の治療をしただけでは治りませんということを,事実として出せるわけです。これは,総合的な機能評価をしなければ出せません。
 また,専門医師の方たちと協力していくためには,各科の先生からどのような評価をすればどのようなことがわかり,患者さんの治療方針を立てる上で役に立つのかということを示していただき,各々の専門性を反映させながら総合的な機能評価というのを根づかせなければなりません。
井藤 今,医学は,特に大病院は完全に専門分化の方向です。また各科の先生はそうでないと生き残れないというか,興味が持てないということもあるようです。そうすると,各科が全力を尽くして,それぞれ担当した病気を治療するというスタイルになってしまい,治療を受ける側は,ある科にいけば薬を3剤投与され,ある科にいけば5剤投与されるという,まるで無限の治療を受けるために生き続けなければならない(笑)。しかし,患者さんにとっては,たぶんある種の病気はもうどうでもいいのかもしれない。そういう意味で,どこかで各科の医師をつなぐ共通言語も必要です。患者さんにとって何が主要な医学的問題なのかということを,整理・判断することも必要なわけです。
鳥羽 最近,興味深い症例を経験しました。嚥下障害をお持ちの患者さんで,消化器の病院で経皮内視鏡的胃瘻を造設されて,転院してきたのです。私が診療をしている老人病院でリハビリテーションや嚥下訓練をして,食べられるようになり,胃瘻はいらなくなったのですが,いろいろ不都合なことが起きても,老人病院ではその胃瘻を閉鎖することはできないのです。
 胃瘻を造設することは専門医の人ならばできるけれども,リハビリテーションで治るという可能性を評価しておけば胃瘻を造設する必要もないし,閉鎖のための再手術も不要になります。総合的な評価というのはこういう意味で患者さんの利益に直結しています。
佐々木 非常に考えさせられる話です。何種類も増えていく薬,そして治療,それらは本当に必要なのか,検証されるべき時期にきているのだと思います。その際の有用なツールとして高齢者総合評価が期待されているわけですね。

治療からケアへの橋渡し

チーム医療とチームケア

佐々木 高齢者の患者さんは,疾患や障害を抱えながら生活していかなければなりません。いつまでも医療機関にいるわけにもいきませんから。高齢者の「ケア」の部分へ老年医学の成果を還元していかなければならないと思うのですが,この点についていかがでしょうか。
井藤 松田道雄先生がごく最近の著書の中で,「もう私は90歳を超えた。もう治療はいいからケアをしてほしい」という言葉を述べておられます。90歳を超えると,治る病気であろうとなかろうとどうでもいい。ただ,苦しみたくはないのだということを表明されているのですね。しかし,医師の立場からは「治る病気で死ぬことはない。だから治療をしなさい」という立場もあり得えます。医師と患者さんの考え方には,どこかにギャップがあるのかもしれません。
 その意味では,治療とケアをどう橋渡ししていくかという課題に対しては,医師がすべて回答できる問題ではなく,患者とその家族,あるいは実際にケアに当たる人との,総合ディスカッションで決めていくチーム医療・ケアが不可欠です。医師が今までの全権委任者から,チームの一員として機能していくという立場の変更が,ケアという側面では必要になります。
井口 先ほど,医師が老年医療に関わる時に2つの概念があると言いましたが,これを思い知らされたのは,ケアを専門としている方たちとの議論を通してです。ある福祉大学の教授が,「生まれる時と死ぬ時は医師は関係ない」と言うんですね。生まれるも死ぬも,それは自分たちでやることだと。私はショックを受けました。私たち医師は,生まれる時と死ぬ時は医師が関係するものだと考えていますから。そのくらい,ケアと治療する側というのは離れているんですね。これを橋渡しするのは大変なことです。今後,その形態はどうあれ,総合評価の手法を用いて治療からケアへ橋渡しをしていくことになるでしょう。ただ,その際に予後はしっかり伝達していかなければなりませんね。
佐々木 老年者の問題というのは,例えば悪性腫瘍を治療すべきか,すべきでないかなど,どこで線引きをするかというようなデータがまったくないのです。そのような意味では,予後急変等の可能性については最低限言う必要があるということは同感です。
井藤 治療の有効性とは,本来延命効果に関わりなく,その人のQOLをよくするかどうかという尺度で計られるべきですが,少なくとも日本での治療の試みの多くは延命効果が治療を行なうべきか否かの判断基準となっています。井口先生がおっしゃった,どれぐらい予後が続くんだろうということも,実は日本にはほとんどデータがないということですね。やはり私たちが何かを,ものすごく大きなものを見落としながらつき進んできたのではないかと反省をしなければならないのではないかと思います。
鳥羽 「ケア」というのは最近出てきた言葉です。もともと,医療の現場には治療したら転院するか家族のもとへ帰すという観念しかありませんでしたから。ようやく今,「ケアへの橋渡し」ということが課題となる時代です。しかし,そのあり方はケースによって実に多様です。家族に橋渡しする場合には,月に数回の外来的なアドバイスしかできません。入院治療から手薄な管理になるわけですから,先ほどの予後急変のこととか,きめ細かいアドバイスをしておかないといけない。そういった病院の医師と地域のケアチームとの連携はそう簡単にできるものではありません。
佐々木 もう1つの重要な視点は,介護者への配慮です。補助器具なども開発されてきていますがより多くのテクノロジーの投入と,医療職・福祉職が患者さんだけでなく,その具体的な介護をされる方へ常に目を配らなければなりません。

チーム医療のために何をなすべきか

井藤 医師と看護婦,また介護職の方との関係は決して親密なものではありませんでした。今後,看護や介護の分野の人が,大きく老年者の医療,介護に介入するのだとすると,医学を理解しなければなりません。逆に医師が介護保険をきっかけとして,多くの人がかかりつけ医となり,老年者の継続的な医療・介護に取り組むためには,看護とか介護に関する理解を深めていかなければなりません。そうでないと専門職間で統一性のない意見が出て患者さんを苦しめるという状態になると思うのです。もっと頻繁にミーティングをしたり,書籍・雑誌等の媒体を使って情報交換をし,お互いの認識を深め合うような努力が必要となるでしょう。
井口 大きな枠組みで見れば,共通の場を作っていくことも大切です。例えば,老年医学会の中にそういうものを作るとか。
鳥羽 確かに,コミュニケーションの場は不足しています。チーム医療に参加する複数の専門職が,最低限の知識を共有でき,互いにレベルアップできる,例えば1つの症例を囲んだケース会議のようなものを持つことが大切です。
 老年医学会でも,連携に資するような高齢者総合機能評価表,コミュニケーションの共通の基盤となるものを作らなければならないと思います。ただ,煩雑性の克服が大きな課題となってくるでしょうね。しかし,そういうものをチーム医療に使ってみる中で,本当の医療と介護における連携ができるのではないかと思います。
井藤 老年医学会の努力として,「高齢者の総合機能評価」というのはこういうものであるという,ある種のスタンダードを出しておけば,全国のさまざまな施設がそれぞれ手探りで試行錯誤を繰り返す必要がなくなるわけです。英国の老年医学会はそれをやっています。各施設がその施設の,あるいは地域の実情に合わせて,モデファイさせるという形で利用していけばいいのです。たたき台としてのスタンダードを,どこかが提示していかなければなりません。
鳥羽 チーム医療はフィルターというか,茶こしみたいなものだと思うんですね。医師はいろいろな病気を診断して,その中で病気に関するものだけをデータとしてチーム医療に出しますので,そこで医師としての茶こしがかかっているわけです。同様に他の職種の方からも専門家の目で同様の茶こしをかけてもらう。最低限チェックしなければいけない項目はなるべく少なく搾るけれども,茶こしで残った問題はそれにつけ加えて用いることができるようにする。そんなスタンダードができないものかと考えております。
井藤 もう1つ大事なことは,高齢者総合機能評価という方法論そのものを評価する手段を,私たちはまだ持っていないということです。その方法論の有効性を証明する方法を開発する努力をしないと,結局は根づかないということになりかねません。
井口 その努力も,看護婦や介護の人たちと一緒にやっていかないといけませんね。
井藤 またケアについても,本当によいケアというのは何なのかということを,やはり私たちはまだ評価する手段を持ってないわけです。それが妥当であるかどうかということを評価するシステムを,至急開発していく必要があるのではないでしょうか。
佐々木 例えば,私は夜寝る時にまっすぐ仰向けに寝るというのが常識かなと思ってたら,あるところでは何度だか上体を起こして寝るそうです。全員,そのようにやっているという高齢者施設がありました。同様に日本全国どれが正しいのかということが,明確でないものがたくさんあると思うんです。食べるにしても,前を傾けて食べさせたほうが誤飲しないという説があるけれども,本当にそうなのかどうかという客観的な成績もない。座るにしても,腰痛を起こさないためには深く腰掛けるべきだという人と,浅く腰掛けるべきだという人と,両方いるくらいです。
 老年医学自体にこういうふうに介護をすべきですという,自信を持ってサジェスチョンできるほどの臨床的蓄積がまだないのが現状です。

今後の老年医学がめざすもの

社会的要請に応える老年医学

佐々木 そこで今後の老年医学がめざすものは何かとお話しを進めたいと思うのですが,いかがですか。
井口 私たちの立場から言えば,しっかりと老年者を診ることができる医師を育てることだと思います。先日,国際老年医学会があって豪州に行って来ました。そこで老年医学教育のシンポジウムがあって,老年科の医師というのはどうあるべきか,老年医学の教育はどうすべきかということを,盛んにディスカッションしていたのです。
 彼らは,老年医学ということに対して自信と誇りを持っていることは確実です。その座長は,大学の老年科講座は絶対に必要だと言っていました。なぜかというと,どこの大学の学長も自分が入院する時にはみんな「老年科へ」と言うというのです。確かに今,80歳を過ぎて病院に入院しようとしたら,多くの病院は臓器別診療になってしまっていますから適切な入院先は少ないです。やはり,老年者をトータルに診ることができるところを作っておかなければならない。大学だけではなくて,市中病院にも絶対に老年科の医師は必要です。
 そして,それは急性や慢性の疾患がある老人を,しっかりと診ることができるのは当然ですが,十分な決断力を備えた人間であり,チームリーダーになれる人でなければなりません。そういう医師を育てていくことこそ,老年医学がめざすべきものです。豪州のシンポジウムでも最後に座長が,「ドント・ギブアップ(老年医学の教育をすることを諦めるな)」と言っていました。
井藤 老年医学というのは医学的側面を持つと同時に社会的要請によるものでもあるわけです。老年医学が他の科から独立した形で存在するということの混乱性は,いつだってあります。1人の人間をある年齢以上は違う分野で扱っていいのかという問題を含むからです。
 しかし,実際に老年者が1つの個体の中に種々の病気を抱え,その病気のゆえにさまざまなディスアビリティを生じ,社会的不利益を被っているのであれば,援助の方法として,すべての病気をすべての専門家が集って各々の立場から治療するということはあり得ない。情報を収集し,総合し,その上でその人にとっての問題を整理し,重点目標を決めていくという,舵取りの役割が必要となります。それは患者にとっても,医師同士の中でも必要だと思います。
鳥羽 老年医学としては,先ほど佐々木先生が言われたような,療養上の疑問点がたくさんあります。わかっていることとわからないことをはっきり示して,わかっていることについては早く社会に還元していくことも私たちの役割です。
 一方,できあがってしまったディスアビリティに関してですが,例えばQOLなど定量化できないものを定量化していくことが,今後の老年医学に課された役割だと思います。本来,人間全体のQOLというのは,文化的な,趣味的な,もっと広いものを含めたものですから,医学以外に,社会学や文学者と一緒にQOLを計れるような,定量化できないものを定量化して,ケアとか医療全体としての成果を計るような物差しを作るのが,今後の課題のように思います。
佐々木 私たちが今後やるべきことも見えてきたと思いますし,ようやくこのような問題に本腰を入れて取り組むべき時代が始まってきたという気がいたします。本日はありがとうございました。

(了)