医学界新聞

カルテは誰のものか-「カルテ開示」に対する私見

王 瑞雲(富士見台医院)


 昨年4月のレセプトの開示に引き続き,医療情報の公開についての論議が各方面で行なわれている。カルテの開示についても,本紙2278号で紹介したように厚生省の「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会」で検討されている。
 本号では,同検討会に意見を寄せられた人の中から,王瑞雲氏にカルテ開示に至る動機など,体験に基づく私見を述べていただいたので紹介する。


カルテは私の教科書

 「カルテは誰のものか?」と,私が真剣に考え始めたのは数十年前に遡ります。私がなぜにそう考えるようになったのか。それはさらに遡って,幼少の時から受けた家庭教育に始まるのです。
 私は幼少の頃,病弱できちんと学校へは通えませんでした。いつも布団に寝かされ,苦い漢方薬の煎じ薬を飲んでいました。鼻汁は年中ズルズルとし,耳鼻科通いもうんざりするくらいだったのです。そんな生活でしたから小学校時代の私の成績といえば,ほとんど1か2。美術だけはなぜか5でしたが,外で,そして学校での私の声はかぼそく,年中メソメソ泣いていたのです。
 小学校低学年から中学年にかけ,私はよくいじめられては泣いて帰っていました。そんな時,母の言うことは決まっています。
 「子どもが悪いのではない。大人が悪いのだ。友だちをうらむんじゃないよ。悪い結果は他人様のせいじゃない。自分に原因がある。よーく考えてごらん。どうしてお前はいつも泣かなくちゃいけないのかを」
 もう少し大きくなった時にもこんな調子で,いつも根本に戻って,「なぜか?」「なぜ今の現象が起っているのか?」と考えるようにしつけられました。

医療に参加した頃のこと

 「現在ある姿にも歴史がある」。私はそう信じるようになりました。確かに世の中のことを,きちんと根元から,出発点からきちんと道筋を知ることができれば,今のことがよく理解できます。それだけではありません。今後起り得ることも,頭の中でシミュレーションできるのです。
 医療活動を始めるにあたり,私たちは予診(ムンテラ)をします。大学病院入局の時,私は私の習慣で1人ひとりの病人にこと細かなムンテラをし,カルテに書き続けていました。その時にオーベンの医師に言われたことは,「カルテに小説を書くんじゃない!」でした。頭の回転がとろい私にとって,患者さんを1つひとつ理解していくために,患者さんの生いたちから今日に至るまでのことをきちんと知らなければ,仕事(診察)すらできなかったのです。解熱剤を使っているために熱がないのか,あるいはもともと熱がないのか,それで病態はまったく別のものと理解されます。

医院を開設

 29歳で富士見台医院を開設しました。1970年3月のことで,小児科医院として保険診療を始めました。その後10年間はそのまま続けましたが,結果として過労で倒れ保険医を辞退し,自由診療としました。来院する子どもたちについて,私は私なりの方法で仕事をしていますが,その中で気づいたことは,やはり過去について知ることの大変さでした。初めて来院される患者さんは,それこそ診察に時間がかかります。他の医師のもとで治療されている方が,途中から来院される場合も多く,「今朝まで服用していた薬は何だったのだろう」と考え,その薬調べに時間がかかります。
 その頃私は,某漢方雑誌に「カルテは誰のものだろうか!?」という一文を書きました。中国へ漢方外来の実習に行った時に,中国では患者さん自身がカルテを持ち,医師はそれに記入するだけという,日本とはまったく違った実情を知ったからです。
 患者さんはカルテの中身をちゃんと読んでいます。それだけではありません。中国に住んでいる私の友人は,その時と同じ状態だからと,自分のカルテに書かれている漢方薬の処方を,漢方薬店で調剤してもらい飲んでいました。でもその時はまだ,カルテを患者さんに渡すということには至りませんでした。
 自由診療とした身ですが,その後体力を回復したため,患者さんの負担をできるだけ軽くしてあげたいとの思いから,家族の反対を押しきり保険診療に戻しました。しかし1991年2月,診療直後に過労で倒れ入院,絶対安静を言い渡されました。その後しばらくは診療を禁止されていたのですが,3月になって自由診療医として再起,自家カルテ(私の診療所では自家カルテと読んでいます)注)を発行しはじめました。
 それは,私の入院先の医師に「君は自由診療医でいいよ。世の矛盾を一身に背負う必要もない」と諭されての決心でした。
 2回目の自由診療がスタートする時に,私は入院先のベットの中でふと思ったのです。「これが私の最後の診療形態になるかもしれない。それなら,自分の思う通りにやってみよう」と。そう決心し,退院とともに大学ノートをどっさり仕入れました。私の書き続けていたカルテは,私にとっての教科書でした。1人1冊,今まで通院していた患者さんたちのカルテを全部新しく作り換えました。

患者さんと共有できるカルテ作りを

私がいなくなっても

 私がいなくなった後も,私の患者さんだった人々は生きていかねばなりません。その人々が,「助かったわ」と喜んでくださることは何だろうかと考えた結果が,「カルテを渡してあげる」ことでした。
 現実には,私がまだ死ななくとも,患者さんたちは,自分のカルテを持っていて「助かった!」と喜んでくださる方々が多いとわかりました。なぜなら,私の医術はほんの狭い範囲。東洋医学の湯液,しかもエキス散が大部分という限られた治療法でしかないのです。私の治療を受けながら,他の大病院,他の医師に自由に通うことができます。他の病院へ行くのに,私にコソコソと隠す必要もありませんし,今までのことを相手(次の医師)に伝えるのに,病人は私に気兼ねする必要もないのです。そして,他科との薬の重複も避けられますし,何よりも病態が変化した時に,とっさにかけ込んだ病院で,その度に私に連絡をとり「どんな薬を使っていたか」と聞く必要もないのです。現実として小児科では,こうした前の医師の処方が必要という場合がとても多いのです。また私が患者さんにすべての医療情報を返しておくということは,患者さんのためだけでなく,私自身にとっても最良と考えています。
 患者さんはそのカルテをを持って,深夜でも救急病院へ行くことができます。その時に診ることになった医師も,スーッと現象を理解しやすいでしょう。
 実際に,私の診療所で発行する自家カルテのお陰で,患者さんたちは重複検査を受けなくてすみました。むろん薬のムダも最少限に抑えることができました。また最近のことですが,5歳の子どもが某病院で治療を受け,5種類の薬を服薬していました。しかし,39度台の熱は下がらずハァハァと荒い息をしていました。薬を見ますと,名前の不明のものもあります。結局,私はその病院へ問合せをしたのですが,そうした場合,もし患者さんたちが服薬している薬の情報を持っていれば,逐一病院へ電話して問合せる時間や手間も省けるのです。

医師ができること

 私はいつも思うのですが,病人はどこで治療してもよいのです。私の理想は「安くて近くてよい治療」です。実利的な私ですから,要は患者さんが現在,また将来にわたって健康であればよいのです。医師の仕事は,それをお手伝いするにすぎません。
 世の中から「病人」の数を減らす努力をすることが医師の仕事であり,今,自前の患者さんの病状消しだけに追われてはいけないのだと思います。今,日本の医療界を見渡して感じることは,本当にみじめな状態だということです。
 まず,なぜみじめな状態なのかと言いますと,医師が時間に,そして経済に追いつめられ「いい仕事をできない状態にいる」という自覚をあまり持ち合わせていないからです。それは教育についても同じです。原則が忘れられてしまっているのです。
 トップに立つ人は,百年の計を持たなければ下々はそれに左右され,不安定な生活を強いられます。つまり,社会的に高い地位に立てる人々ほど,いい仕事をしなければなりません。
 医師は,その社会のリーダーの一員です。その医師がキュウキュウとし,死にものぐるいで外来をこなし,ヘトヘトになっていては話になりません。医療事務の煩雑さがそれに輪をかけているのです。少なくとも,医師にとって自己学習時間は,最低1日2―3時間は必要ですし,1人ひとりの患者さんときちんと対応していくためには,1日に診療できる人数はどの程度だろうと考えなければなりません。そしてその範囲で医師はきちんと生活し,子弟の教育もできなくてはなりません。そのためには医療費はどのくらいにすべきなのか,というところまで計算する必要があります。

患者さんのために

 今,患者さんたちは,ドクターショッピングをしていると悪口を言われたりもしますが,それは患者さんが悪いのでもなく,医師が悪いのでもないのです。患者さんから言えば,納得できる診察が受けられず,よい医療を受けたいと探し回っています。医療者から言えば,何しろこの患者さんの数を限られた時間内にこなさなければなりません。
 「1人ひとりにそんなにかまっていられない」。ニワトリが先かタマゴが先か,私は悩みました。結局,私の所でその悪循環の鎖を切ってみることだと思いました。患者さんが自分のことを正確に理解し,医療内容を少しは理解することで不安を少なくすることができるかもしれません。私の書き続けるその時々の生活指導,栄養指導で,私の所へ通う回数が減るかもしれません。「医・食・住」の自立はすべての人間にとって最低の必要事項です。1人ひとりの人間が,他人(医師も患者さんにとっては他人です)に頼らず生きていけるようになるにはどうしたらよいのか。人類の子孫としての子どもたちにとって,今,人間の社会はあまりにも悲しい状況だと考えるのです。

何事も話し合いで解決を

 おこがましい言い方をしますと,今まで医療者は一国一城の主でした。それに対して,患者さんたちはむろんのこと,ややもすると医療者同士でも批判し合うことは避けられていました。でも私は思うのです。技術というものは進歩しています。常に自分の技術の結果(治療内容)を公表して,はじめて他からの批判をあおぐことができ,進歩できるのでないでしょうか。
 社会全体からすれば,一個人としての医師の経験は,その一代で消してしまうのはとても大きな損失です。1人の医師の数十年におよぶ経験の集積は,社会にとって大きな財産となるはずです。こんな治療法をしてはいけない,逆にこんなおもしろい治療法もある。総括は100年後に出るのかもしれません。
 それでもいいのです。科学は正確な情報を集めることから始まるのです。その意味で,私はカルテは大切な研究材料であり,患者さんと共有すべきものと考えています。
 なお,カルテを持ちたくない人々,精神科の病気でカルテを自宅に持ち帰りたくない家族など,いろいろな例外もあります。私は強制するのは嫌いです。「医院に置いておいてください」とおっしゃる方々のカルテについては,私が預かっていることを最後に申しあげます。何事も話し合いで決定したい,これを私は基本としています。

(おわり)


注)自家カルテ:現在ではB5サイズの大学ノートを使用しているが,理想はA4版。最初の頁には患者自身がつけたカルテのタイトル名を,2頁目には家族歴を,3頁目に本人の病歴として(1)妊娠中のこと(つわりの程度など),(2)母子健康手帳の主な記載(妊娠検診での特記事項),(3)女性の場合は初潮年齢や生理の様子,(4)年齢順の病歴,(5)薬アレルギーの有無などを記載,4頁目からは診療記録として活用。診療歴は,他院での治療内容と医師名をも記入できるようになることが理想。