医学界新聞

アメリカ留学日記

ペンシルベニア大での臨床研修〔前編〕

長浜正彦(日本医大6年)


初めての診察

 私は日本医科大学の6年時に1年間休学して,アメリカ東海岸にあるペンシルべニア大学に留学中である。前回,(2260号1997年10月13日付)アメリカ留学1か月の感想を書いたが,病院の仕組み,実習の方法,カルテの書き方,患者への対応,診察や検査の仕方,学生の役割が日本とまったく異なるため,わからないことがいっぱいで,この2か月間冷や汗の連続であった。幸い,アテンディング,フェロー,レジデント,そして医学生までが,外国から来た私を手取り足取り教えてくれたので,大きな失敗をすることもなく8週間を過ごすことができた。このようにして私を迎え入れ指導してくれた先生方に心から感謝している。
 しかし,それに甘えてばかりいるわけにはいかない。彼らは,私がプレゼンテーションをした後など,ちょっとしたことを大げさに褒めてくれる一方,休む暇もないスピードで次の課題をどんどん与えてくるからだ。今回はアテンディングドクターから,「見学は今週で終わり。来週から君1人で患者を診るのだ」との宣告を受けた後のことを書いてみたい。

突然の指名

 私たちのグループは週に3回,外来の患者を診る。ある日,いつものようにレジデントと一緒に患者を診察室に迎え入れ,見学しようと思っていたら,なんと,そのレジデントが何の予告もなく,患者に私を紹介して,「彼は医学生です。今から彼が診察しますがよろしいですね」と言って,ポンと背中をたたいて私を患者の前に押しやった。私はいやだというわけにもいかず,引っ込みがつくはずもなく,あたふたと自己紹介し,レジデント監視のもとで,病歴聴取を始めた。私の患者第1号となったのは糖尿病性腎症のフォローアップの男性であった。
「今日はどうしましたか,スミスさん?」
「そうだね,最近頭痛がするんだよ」
 私が“糖尿病の3大合併症状は……”などと考えて診察を始めたとたん,予想もしない患者の返事に一瞬戸惑ったが,何か訴えがあれば,場所,期間,程度を聞くのは日本と同じである。「頭のどの部分が,いつ頃から痛みますか?」と聞いた。彼の頭痛は両側性のもので,あまりに痛い時は鎮痛薬を飲むほどであるが,よく聞くと,高血圧の既往もあり,それ以前にもときどき頭痛を訴えていたことがわかった。
 彼の場合フォローアップの患者なので,特に症状があって来たわけではなく,これといって大きな問題もないので,私は腎臓に関する質問をすることにした。
「最近,体重が減ったりしてませんか?」
「ああ,そういえば最近5ポンドほど痩せたかな」
「そうですか。では尿量の変化とか,排尿時に痛みなどはないですか?」
「無いねえ」
「では,皮膚の変化に気がつきましたか?痒みとか?」
「無いねえ。でも,最近どうも右手がしびれる時があるね」
糖尿病による神経症状だろう。
「では背中の痛みはないですか」
「そういえば腰のあたりが痛いなあ」

レジデントの病歴聴取

 病歴聴取自体に不慣れである上,何の準備もなく,突然指名されて英語でやるとなると正直なところ質問をするのがやっとであった。ともかく,不十分ながらこの2か月で学んだことを駆使して,なんとかひと通りに問診を終えることができた。その後で,今度はレジデントが病歴聴取を続けたが,さすが上手に質問を続けていくのには舌を巻いた。
 レジデントは頭痛についてさらに深く追及し,視力低下や吐き気などの随伴症状や,最近の体重減少がこれに起因しているのではないかということに焦点をあてて聞き,患者の頭痛は明け方に痛みで目が覚めることもあるほどで,そのため鎮痛剤の摂取量がかなり大量であることなどを聞き出した。さらに右手のしびれも頭痛に関係すると考えたらしく,神経学的所見に関する質問をした。さらに,背部痛についても片側性か,放散しないかなどについて聞いた。糖尿病については,薬をきちんと飲んでいるか,食事には気をつけているか,自宅で血糖測定しているかなどを尋ねた。そのようなインタビューのあと,2人でこの患者の診察をした。
 さて,この患者についてどのように対処したか。私は腎臓の値が悪化していることもあり,糖尿病性腎症が進行したと思ったが,レジデントは大量の鎮痛剤服用による急性腎不全の可能性が高いとコメントした。高血圧のコントロールも不十分であり,さらに神経症状を伴う頭痛から脳腫瘍の検査をする必要があると考えて,結局この患者を緊急入院させた。レジデントの質問は実に的を得ていてただただ感心させられた。私の患者との接触はこうして始まったが,診察した後,レジデントが目の前で引き続きお手本を示してくれたので,大変勉強になった。そして心の中で,「今度は自分もこのように診察するぞ」と誓った。

コンサルトに挑戦

アメリカ流医学教育

 私に対する要求は徐々に高まっていく。その内に自分でコンサルトする訓練が始まった。コンサルトというのは,別の病気で入院した他の科の患者に腎臓の異常がある場合,その担当医から私たち腎臓コンサルタントグループに呼び出しがかかり,そこに出かけていって,患者を診て腎臓の問題の対処方法を指示する仕事である。こんな大切な仕事を私にやれというのである。いや,それをする訓練をするというのである。
 そこで私は,レジデント,フェローに付き添ってもらってコンサルトの依頼を受けた入院患者のところに行った。このような場合,患者の担当医と直接話すこともあるが,この時は担当医がいなかったので,まず患者のカルテを見た。以前にも書いたように,それは略語の連続でまるで暗号文である。何とかそれを読んで患者を診察し,いよいよ担当医に指示を書くのだが,私はまだカルテの書き方をまったくというほど知らなかった。付き添いのレジデントとフェローは,なんと4時間つきっきりで私を指導してくれて,私は息も絶え絶えにコンサルトシートを書き終えることができた。仕事はそれで終わりではない。その後,アテンディングの前でそのケースのプレゼンテーションをしなければならない。

ランチタイムの講義

 私は緊張と疲れのため何をどう話したかよく覚えていない。正確に言えたのは患者の名前と年齢だけであったかもしれない。コンサルトの訓練はこうして始まったが,英語の他にまた別の高い高い壁にぶつかって私自身かなり落胆した。そのことをレジデントに嘆くと,その日からランチの席でケースプレゼンテーションについての講義が始まった。私1人のためにしてくれたその講義は,たった1人で聞かせていただくのがもったいないほどのものであった。
 まずコンサルトを受けた理由から始める。そして年齢,性別,人種。どういう理由でいつ入院し,入院後の経過はどうであったか。さらに既往歴,家族歴,アレルギー,次に薬物,検査結果……。結局その週のランチタイムは毎日,ケースプレゼンテーションと病歴聴取,診察の講義となった。私はその週,ランチで何を食べたか何1つ覚えていない。
 例えば,アメリカでは喫煙歴や飲酒歴のほか,麻薬使用の有無,種類,使用量を実に詳しく質問する。この国では,Drugというと薬は薬でも麻薬を意味する。その薬について酒や煙草と同じように期間や量や種類を尋ねた上で,服用方法は煙草のように吸うのか,鼻から摂取するのか,静脈注射かも聞く。そして例えば静脈の場合,当然HIVやさらに心外膜炎までをも念頭に置いて診察するといったような細かいところまで実によく教えてくれた。
 アメリカでは病歴聴取や診察の仕方,カルテの書き方からケースプレゼンテーションの順序まですべてが非常にシステマティックに決まっており,個々のドクターは,そのルールを忠実に守っている。私は寮に帰るたびにその日受けた講義をコンピュータに入力し,アメリカ式病歴聴取,診察マニュアルを作成した。そして翌日,それを持っていってレジデントに再度チェックしてもらい,不足分を補ってもらった。
 また,病歴聴取や診察をする際にはレジデントやフェローにできるだけ立ち会ってもらい,診察後にアドバイスしてもらうようにした。背後で監視されながら診察するほうが患者と2人きりで診察するよりもプレッシャーを受けるが,その分適切なアドバイスをしてもらえるので,私はあえてそのように頼んだ。カルテの書き方についても,毎朝7時から入院患者の診察を始めるレジデントにへばりついて,少しずつ覚えていった。

初めてのコンサルト

 病棟でのコンサルトの訓練のほか,週3回外来で,患者を診て病歴聴取や診察技術が少しずつ進歩していった私に,ある日,アテンディングは,「そろそろコンサルトを1人でやってもらおうか」と言い出した。コンサルトを1人でするということは,病棟に1人で行って暗号文のカルテを解読し,患者の病気を把握し,聞き慣れない薬物のリストを作り,コンピュータで検査値の変動をチェックした上で患者を診察して身体所見をとる。そして以上のことをまとめてコンサルトシートに記入して病室の担当医に残し,さらにコンサルトグループの回診時にアテンディングにケースプレゼンテーションするということである。私は目の前が暗くなる思いがした。
 その日の帰り際にアテンディングは,患者の名前や病室の場所の書いてあるコンサルト依頼用紙をポンと私に渡して,「明日の午後の回診までにプレゼンできるようにしておきなさい」と言った。
 患者は,外科病棟に入院中で,コンサルトの理由は低ナトリウム血症であった。帰り支度をしていた私は,もう1度白衣を着直して外科病棟へ向かった。幸いカルテはそれほど厚くなく,検査値や病歴からSIADH(Syndromes of inappropriate secretion of antidiuretic hormone)の疑いが強いことに気づくのに時間はかからなかった。SIADHについては以前プレゼンテーションしたことがあり,これならば明日の午前中に,どうにかコンサルトシートをまとめられそうだと思ったので,病歴の重要な部分と1番苦手である薬物の情報を書き写して家で調べることにした。

コンサルトシートの作成と診察

 翌日,いつもより早く病棟へ行き,コンサルトシート作成にとりかかった。以前にも述べたが,カルテ用語は英語とはまた別の言語であり,素人のアメリカ人が見ても絶対に理解不可能である。そこへきてどのドクターも独自の達筆で書いているので,私にはカルテ解読は骨の折れる作業となる。よくもここまで読めない字を書いてくれるものだと半ばあきれながら,ひと通り病歴をチェックした。
 患者は80歳の男性,髄膜腫の手術既往があるため麻痺が残っているらしい。大事なことは,低ナトリウム血症の症状を呈しているか,体液貯留を示唆する頸静脈怒張はあるか,また腹部大動脈瘤による雑音が腹部で聴取できるか,そして浮腫の有無であることを頭で確認してから病室へ向かった。正直言って,病室にすっと入れず,意味もなく2回ほど病室の前を素通りしてから,3度目に思い切って患者のいる病室に入っていった。
 患者と握手しながら,自分が医学生であることを自己紹介してから診察を始めたが,意外に冷静な自分に気づいた。患者の痴呆の程度が想像以上にひどく,たまに会話がかみ合わない時もあったが,それが痴呆のせいなのか私の英語のせいなのか判断がつきかねた。患者は眼球運動に障害があり,口が乾燥していることがわかった。頸静脈怒張も,腹部の雑音も陰性であり,心音や呼吸音にも異常がなかった(日本では首飾りでしかなかった聴診器も,アメリカに来てからは必需品となり,何十人という患者の心音を,わかるまで何度も聴かせてもらったおかげで,多少は聴き分けられるようになっていた)。その他には鼠径部の大腿動脈は右側の方がかなり脈が弱く,また浮腫を診ようと四肢を診察すると,浮腫はなかったがバチ状指であることがわかった。SIADHには重要な所見である。こうして,何とか診察を終わりカルテに所見を書いて病室をあとにした。

そしてプレゼンテーション

 そして,回診でのケースプレゼンテーションの時が来た。私は患者の病状,検査結果,診察の所見などをレジデントに講義してもらった方法で発表し,最後に頭蓋内か肺病変に起因するSIADHの可能性が高いとアセスメントを述べた。さらに低ナトリウム血症の是正は徐々に行なうべきであること,バチ状指があることから小細胞癌をはじめとする肺病変の検索が必要であることも述べた。なんとそのあと,思いがけなくこの世のものとは思えぬほどの賞賛を受けた。私は驚きと喜びで体がふるえた。アメリカ人はよく人を誉めるので言葉どおりには受け取れないのかも知れないが,ここは素直に喜んで調子に乗ることにした。
 翌日,私の書いたコンサルト用紙にアテンディングが「以上の記載に相違ない」とだけ書き足してサインをしていたのをカルテの中に見つけた時,私は信じられない思いがした。そして,そのコピーを記念に日本に持って帰ろうかとさえ思った。

つづく