医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(27)

管理医療に対する反攻(1)-「患者権利法」制定の動き-

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部助教授


 管理医療を簡単に定義すると,「医療コストを減らすために,医療へのアクセスおよび医療サービスの内容を制限する制度」ということができよう。ここ数年,その価格の安さゆえに,あっという間に管理医療がアメリカの医療保険の主流となったが,管理医療の広まりとともにアクセスやサービスを制限されることに対する批判・不満も増大している。
 反管理医療の動きの中でも最たるものが,クリントン大統領による「患者権利法」制定の動きである。大統領1期目に,国民皆保険制を導入しようとした同大統領の医療保険改革の試みはあえなく挫折し,94年の中間選挙における民主党大敗北につながったのであるが,98年の中間選挙をにらみ,管理医療に対する国民の根強い反感にアピールする「患者権利法」制定を政策の中心に据えることで,共和党に対する失地挽回をねらい,いわば皆保険制問題の仇を管理医療問題で討とうとしているのである。

戦時下の医療保険業界

 医療費支出が国民総生産の7分の1を占める米国にあって,医療保険改革の動きは即,大きな政治問題となる。当然のことながら医療保険業界は患者権利法による規制強化を嫌い,大統領の究極の目標は皆保険制への移行にあり,患者権利法制定もその長期作戦の一環であると警戒感を強めている。国民に受けのよい患者権利法はいわば「トロイの木馬」であり,大統領の真のねらいは皆保険制という砦を手に入れることにあるというのである。
 医療保険業界は,規制強化が医療コストの増大および保険料値上げに結びつくという反患者権利法キャンペーンを開始し,有力共和党議員に対し「大統領が患者権利法を制定しようとしている現状は業界にとっては戦争状態を意味し,これに反対するためには戦時下に相当する対応をとらねばならない」という檄を飛ばしている。伝統的に「大きい政府」を嫌う共和党には,政府による規制強化・弱者への保護のための支出増にはもともと条件反射的に拒否反応を示す体質があるが,患者権利法制定の動きは世論に好感をもって迎えられており,中間選挙への影響も考えねばならず,共和党は対応に頭を痛めている。

患者権利法案の中身

 大統領諮問委員会により提案された患者権利法案の中身を見てみよう。アメリカの管理医療がかかえる問題のすべてがこの法案に要約されているといってもいいすぎではない。
(1)情報の開示:医療保険,医療サービスを提供する人(医師・看護婦等)・機関(病院等)に関する詳細な情報(資格,経験年数,患者の満足度等)を提供することを義務づける。
(2)医療機関・保険を選択する権利の保証:患者が良質の医療サービスにアクセスできるよう医療機関・医師を選ぶ権利を保証する。保険会社はネットワークの中でカバーできないサービスについては患者がネットワーク外でサービスが受けられることを保証しなければならない。また,患者が居住地近くで医療サービスを受けられるよう配慮しなければならない(加入するHMOから他州の医療機関での骨髄移植を強制された小児白血病患者の悲惨な症例がニューイングランドジャーナルオブメディスン誌に紹介されている;96年334巻543頁)。
(3)救急サービスに対するアクセスの保証:救急受診に対する「事前許可」制を事実上禁止し,またネットワーク外の救急施設でも当座の処置を行なえるようにする(骨折の子どもを救急に連れていった母親が,保険会社に連絡を取ったところネットワーク外の病院と知り,あわてて医師に治療を中止するよう頼むという事件は珍しくない)。
(4)治療の選択に参加することの保証:患者が自らの医療に関するインフォームド・デシジョン(情報を与えられた上での選択)を下す権利を保証する。治療に関し可能なすべてのオプションについてそのリスクとベネフィットを説明する。治療のオプションには無治療も含め,かつ患者が治療を拒否する権利を保証する。患者が前もって下した判断を尊重する(例;「意識状態が低下したら治療を打ち切る」)。「口止め条項」(連載第4回=2206号参照)を医師との契約に入れることを禁止する。
(5)尊厳,非差別:患者の尊厳は医療のすべての場で保証されなければならない。医療の場において,人種・性別・年齢・性的嗜好・遺伝情報・保険の有無/種類などで患者を差別してはならない。
(6)秘密の保持:患者の医療情報に関する秘密を保持することはもとより,患者が医療の記録を閲覧し,コピーを所持する権利を保証する。患者が医療記録の訂正を求める権利を保証する。
(7)保険会社の決定に患者が同意しない場合,患者が不服を申し立てる権利を保証する(これについては次回以降詳述する)。
(8)消費者(患者)の責任:最善の医療を享受するためには患者自身が賢くならねばならない。治療方針の決定プロセスに患者が参加することを奨励する。医療者の立場に対する理解,他の患者に対する気配りなど,医療を受ける際の常識をわきまえる。

誰のための医療保険政策か

 患者権利法制定の根底にある理念は,医療のあるべき姿に対する理念に他ならない。医療保険改革の努力が「銭勘定」に終始するどこかの国とは根本的に違うのである。患者権利法案をとりまとめた「医療保険改革に関する大統領諮問委員会」は97年3月に発足したが,34人の諮問委員には,支払い側・医療サービス供給側の代表に加え,当然のことながら消費者の代表として患者の権利擁護運動を推進する団体の代表も含まれた。
 医療サービスの受け手である消費者(患者)こそが制度改革の影響を蒙る第1の当事者であり,医療保険政策の決定に直接の当事者である消費者(患者)が影響力を行使できない国があるとすれば,その国の医療保険政策は「医療保険政策」と呼ぶに値しない。

この項つづく