医学界新聞

准看護婦をめぐる動きに,
いま専門職として言わねばならぬこと

林 千冬(群馬大助教授・保健学科)


 昨年12月1日に日本看護協会は,「2001年までに准看護婦要請停止を求めるつどい」を東京の日比谷公会堂で開催。1996年12月に厚生省「准看護婦問題調査検討会」がまとめた報告書の実現を,厚生省などに要請する行動を行なった(本紙2269号,2274号参照)。
 その後厚生省健康政策局は12月15日付で,「准看護婦問題調査検討会報告書の今後の対応について」を,日本医師会長および日本看護協会長あてに通知した。また,この通知は厚生省ならびに両会との3者による合意であることも明らかにしている。
 この通知を受け日本医師会は「准看護婦制度は堅持された」といち早く表明,一方日本看護協会は「看護教育の統合など本会の主張は受け入れられた」との見解を示したが,双方の見解の相違は少なからず現場の看護職に混乱を招いた。
 「看護教育」(医学書院)では,昨年より「『准看報告書』以後の看護教育制度をめぐって」を連載しているが,39巻3号(1998年3月号,2月25日発行)に,これらの事態に関連した「准看護婦をめぐる動きに,いま専門職として言わねばならぬこと」(群馬大 林千冬氏)と,「不透明な意思決定過程に驚きと危惧―『検討会方向書』への対応に関する日本医師会と日本看護協会の『合意』」(東大 似田貝香門氏)が掲載される。
 本号では,2氏の論考のうち林氏の稿を,著者の了解を得て抜粋し紹介する。なお林氏ならびに似田貝氏の全文は,前出「看護教育」を参照されたい。


画期的な「報告書」から1年

交渉の密室性

 「21世紀初頭の早い段階を目途に,看護婦養成制度の統合に努めること」を提言した一昨年12月20日の厚生省「准看護婦問題調査検討会報告書」(以下「報告書」)から1年が経過した。周知のとおりこの「報告書」は,実質的に准看護婦養成停止の方向性を示唆する画期的なものであり,これを受けて厚生省は,平成9年度分として養成停止に伴う移行教育検討のための予算を計上した。そして,私たち看護職者もこの1年,養成停止の早期実現と移行教育の検討に多くの力を注いできたのである。
 一方,日本医師会(以下,医師会)はこの間,先の「報告書」における合意をまったく反古にした形で「准看養成堅持」をかたくなに主張し,これを前提としなければ「各論の議論には一切応じない」として新たな検討会の開催を阻んできた。このような医師会の強圧的な態度により,看護職養成という国民の医療と健康にかかわる重大事をめぐる議論は膠着状態のまま,「報告書」から1年が経過しようとしていた。
 ようやく動きがあったのは,昨年末の12月15日。谷修一・厚生省健康政策局長名で「准看護婦問題調査検討会報告書の今後の対応について」と題する通知(以下「通知」)が,日本医師会長および日本看護協会長あてに送られた(資料参照)。また,この「通知」は直後の各団体の動きから,厚生省,医師会,日本看護協会(以下,看護協会)の3者による「水面下」の交渉の末の合意であることが明らかになった。

 ●〔資料〕

日本医師会長,日本看護協会長あて文書
(19974年12月15日付)
厚生省健康政策局長 谷 修一

准看護婦問題調査検討会報告書の今後の対応について
1 地域医療の確保と看護の質の向上を図る観点から,まず,准看護婦養成の質的向上のための検討から行なう。
2 准看護婦の看護婦への移行教育は,看護職員の資質の向上のため,また,就業経験の長い准看護婦が希望している看護婦への道を広げるためのものとして検討する。
3 1および2の検討のため,年内を目処にそれぞれ検討会を発足させる。

 今回の「通知」に関してまず批判しておきたい点は,ここに至る「3者合意」までの交渉の密室性にある。
 厚生省は,「報告書」以降この1年の(膠着状態の)経過を,国民はおろか当事者に対してもまったく明らかにしてこなかったし,今回の「通知」に関しても何の説明も行なっていない。
 今回の「通知」をめぐっては,当事者の職能団体である看護協会の対応についても疑問なしとしない。看護職者の代表を標榜する看護協会には,会員・非会員を問わず広く当事者──ことに,この間,不安を募らせている准看護婦(士)──に対して,まっ先に情報提供と説明を行なう義務と責任があるはずだった。
 看護協会は,12日24日になって初めてインターネットのホームページ内
http://www.nurse.or.jp/jna/release/release1224.html)に「准看護婦問題に関する厚生省検討会発足」と題する記事を掲載した(この中では,移行教育に関する検討会の発足について「検討会設置を勝ち取ったことは非常に喜ばしい」との評価が示され,合わせて,医師会側の流した「准看養成は継続」の情報について「この事実はない」と否定されている)。
 「通知」内容の重要性から見ても,また,これに対する看護職者内部での誤解や混乱を避けるためにも,そして,看護協会に対する看護職者の信頼を損なわないためにも,今回の件において看護協会には,もう少し迅速かつ積極的な対応が欲しかったと筆者は感じている。

混乱とその責任

 通知が出された12月15日,医師会は各都道府県医師会に向けて,「准看護婦制度は堅持された」と即座に通知し,これに基づき「准看護婦制度存続の方向で厚生省と日医が確認」という報道が一部で流された(メディファックス2898号,1997年12月18日付)。これに対し日本看護協会は「検討会開催は『看護職の一本化』が前提」と即座に反論,厚生省に事実関係の確認を迫った(同紙2899号,同年12月19日付)。
 私たちは,ここでもう1度「報告書」を詳細に読み返してみなければならない。先の検討会においては,准看養成の「改善・継続」か「停止・統合」かについて,膨大な調査とその分析に基づく長い議論が重ねられた。その末に「報告書」は,その最後の結論部分においてこう述べている。
●調査結果においても,多くの准看護婦養成所の長が,現状のカリキュラム時間数では不十分と認識していることを踏まえると,この時間の拡充や教育内容の改善の度合いによっては,准看護婦養成は限りなく看護婦養成課程に近づくことになる。
●したがって,本検討会としては,この問題の解決の道として,関係者の努力により,現行の准看護婦養成課程の内容を看護婦養成課程の内容に達するまでに改善し,21世紀の早い段階を目途に,看護婦養成制度の統合に努めることを提言する。
 以上から明らかなように,先の「報告書」の結論では,真の意味での「准看護婦養成の質的向上」とは,限りなく看護婦養成制度に近づくものであり,必然的に看護婦養成制度の統合につながるということが明確に指摘されているのである。
 准看護婦課程の見直しは,すなわち「看護婦養成制度の統合」につながる。このことこそ,先の「報告書」の長い検討の末の到達点であったにもかかわらず,厚生省側は,またもやこれを後退させてしまった。次回の「准看護婦養成に関する検討会」の中身について厚生省は,全国医療(全国医療等関連労働組合連絡協議会)が提出した質問状の回答文書(12月24日付)の中で,「准看護婦養成の教育内容(カリキュラム)および准看護婦の看護婦への移行教育について検討を行なっていく」との“玉虫色”の回答を繰り返している。
 さらに,筆者が厚生省関係者に問い合わせたところでは,今回新たに発足させる「准看護婦養成に関する検討会」は「あくまでも准看護婦養成についてのみ検討する場であり,制度問題には触れない」とのことである。つまり,先の「報告書」の到達点である「統合」の2文字ばかりか,その内容の核心部分をことごとく無視する姿勢を明らかにしたのである。こうした厚生省の姿勢は,検討会メンバーとして「報告書」に合意しておきながら,その結論を踏みにじった医師会のそれと合わせて厳しく批判されるべきだと筆者は考える。

「移行教育の検討」は緊急課題

問われる看護教育者の役割

 先の「報告書」の到達点を大きく後退させた問題の多い今回の決定であるが,しかし,そんな中でもささやかな前進はあった。言うまでもなく「准看護婦の看護婦への移行教育」に関する検討が,ようやく本格的に開始されることに決定した点である。
 ここまで見てくると,今回の「通知」で示された2つの検討会が,いかに今後の看護職養成教育と看護学教育のあり方に大きな影響を与えるものであるかは明らかである。ことに「准看護婦養成(教育)の質的向上」という点では,私たち看護職者,とりわけ看護教育に携わる者が,看護教育を一本化することの「不可欠性」を,教育内容とその目標・実績も含めてどこまで国民や他職種である医師たちに説得的に伝えられるかが大きく問われているといえよう。
 現在の看護教育は,同じ看護婦養成課程にも2年課程と3年課程があり,設置主体や教育環境も専修学校と短大・大学とでは大きく異なっている。しかし,それぞれの教育の持ち場から発言できることは多々あるはずだ。
 例えば,准看護婦養成課程の1500時間という教育時間数があげられよう。看護婦養成3年課程の教育者は,3000時間の中でさえ日々時間不足を痛感している(はず)。それが半分の時間の中でどのような教育ができるというのであろうか。3年課程の看護教育者にこそ,まず第1に説得力ある反論を行なってほしいと思う。そうでなくとも医師会側は,かねてから「2000時間程度への引き上げ」云々という,まったく根拠のない数字をちらつかせている。
 要は,今回の「通知」を受けて,養成制度問題における看護教育者の役割と責任と力量が,いよいよ問われているということである。そして,今こそ看護教育者の総力をあげて,看護職養成教育の向上がよりよい看護サービスにつながることを,全国民に向けて明確に示すべき時期だということを重ねて強調しておきたい。

国民との対話から共闘へ

 今回の「通知」文書の細部を読み込むと,「看護の質の向上」のためには「准看護婦養成の質的向上」を,「看護職員の資質の向上」のためには「移行教育=看護婦への道の拡大」をという,矛盾した表現の使い分けがあることにもたやすく気づくことができる。しかし,こうした詭弁を打破するには,もはや医療関係者内部での密室の「駆け引き」は突破しなければならない。
 准看護婦養成制度,ひいては看護婦養成制度の改革は,言うまでもなく21世紀に向けて,国民自身がいかなる看護サービスを望むのかという点と切り離して考えることはできないであろうし,その意味では,国民と看護職者との対話なくして真の改革を勝ち取ることもできないと言えよう。国民との対話といえば耳あたりはよいが,その過程では,現在の看護サービスに対する痛烈な批判も覚悟しなければならず,そこには私たち自身が抱えているジレンマがあり,気づかなかった不十分さもあるだろう。
 私たちを取り巻く一連の問題の数々を決して内部で抱え込むのではなく,国民とともにオープンに議論し,ともに改善しようとする取り組みが今こそ求められている。そして,これもまた「患者中心の看護」,「インフォームドコンセント」と言われる実践の,重要な一環なのだと筆者は考えている。
 言うまでもなく看護職者である限りは,いかなる立場にあろうとも制度問題の傍観者でいることはできない。当事者である看護職者自身が傍観者的な立場を取るならば,国民のこの問題に関する理解や支持は決して生かされないし,言い換えれば,それは国民に公平・効率的・良質な看護サービスを提供する専門職としての責任を放棄することに等しい。
 なお,最後になるが,准看護婦養成制度をめぐっては,周知のとおり就労義務づけや無資格看護業務,「お礼奉公」といった問題もまだ残されていることを銘記しておきたい。いまだに現場ではさまざまな労働法違反や無資格看護業務が横行しているのが現状だ。制度問題を考える際には,准看護婦制度の不条理に苦しむ当事者たちが,准看護婦の各層・各年代にわたって今なお紛れもなく存在していることを,私たちは決して忘れてはならないだろう。

(おわり)