医学界新聞

診断放射線科レジデントになるまで
アメリカでの個人的体験

伊藤宏彦(Medical Center of Delaware, Christiana Hospital)


アメリカの臨床研修の応募現況

 アメリカで臨床研修をするには何をしなければならないのか,どのようなステップを踏むのかについては,すでに多くの人たちから紹介されている。そこで私は,アメリカにおける臨床研修の実態を簡単にレビューしてから,あくまで私の個人的体験に基づいた,診断放射線科レジデントのポジションを得るまでのインタビューのプロセスについて紹介させていただこうと思う。

NRMP参加の条件

 アメリカでは,4年間の大学教育を優秀な成績で卒業した者がその直後に,あるいは大学院や社会人を経た後に全米の各医学校に入学する。そして,4年間の医学部教育を受けた後に,ほとんどの者が卒業と同時に各科のレジデンシーを始める。ただ全米でも少数ではあるが,大学課程を2年間で終了し,医学校に入れるAccelerated Programというものも存在する。
 アメリカ医学校の4年目は,レジデントのポジション獲得のため,比較的自由な学習スケジュールが組まれている。よりよいレジデンシープログラムに入り込むには厳しい競争が存在する。そのため,これにかなりの時間と労力を費やすからである。
 外国医学部卒業生(IMG)は,アメリカ医学校卒業生と同等の能力を有するという資格として,USMLE(Step1,2)と語学力テストに合格してECFMG Certificateを習得しなければならない。2月のNRMP(National Residents Matching Program)の締切り日までにこれを習得しておかなければ,NRMPに参加することができないが,アメリカ医学校卒業生はStep2に受かっていなくてもよいようである。ほとんどの者が4年の夏に受験しているが,年明けの3月に受験している者もあり,インターンシップをしている間に受験した者も2名知っている。
 NRMPに参加するためには,医学校3,4年の臨床研修の時にお世話になった先生たちから推薦状をいただき,大学・医学校の成績,USMLEのスコア,履歴書と自己PR文をそえた願書を全米のレジデンシープログラムに郵送し,インタビューの招待状を待つわけである。ただ1997年度より,かなりのプログラムがE-mailで応募できるようになったと聞いた。
 招待状がこないと,ここでほぼおしまい,ということもできる。有名なプログラムは,どこも数千という願書の中から,定員の約十倍をインタビューする。その上で,研修先側は応募者をほしい順にランク付けをし,一方の志願者はインタビューに行った先のプログラムを,行きたい順にランクづけを行ない,ワシントンDCにあるNRMPの集計センターにランクリストを送る。そして,そこでコンピュータによるマッチングが行なわれるのである。

放射線科は最難関の1つ

 一言でレジデンシーといっても,科によって難易度の差は大きい。最近の傾向として,全米を通じて最も人気のないのは麻酔科である。以前は麻酔科は,朝は早いかわりに帰宅時間も早く,所得も決して悪くないために人気も高かったが,最近はjob marketが飽和状態ということで人気がなくなった。また私の同僚によると,その理由はわからないが,病理も人気が下がった部門の1つだそうである。逆にいうと日本人にとっては最高の穴場である。
 私のいる放射線科は,2年前までは最難関の科の1つで,各アメリカ医学校のトップクラスが,ポジションを得るためにしのぎを削っていた。そのため,IMGが入り込むのは不可能に近かった。しかし,誰が言い出したのか知らないが,21世紀には放射線科も就職難になるという憶測が出てきたため,ここ2年間はIMGにもインタビューの門を開くようになった。おかげで私にもチャンスが回ってきたわけである。

IMGゆえの試練

 進む科によっては,レジデンシーを始める前に,1年間のインターンシップを他科でしなければならないこともある。例えば,1997年に卒業した者は,1998年7月からの放射線科のレジデンシーと同時に1997年7月からの他科でのインターンシップのポジションも得なければならない。
 つまり,今年の放射線科は2年後のレジデントを応募したわけだが,プログラムによっては一昨年の時点で,1997年7月からの定員枠を埋めていないところもあり,1996年にインターンシップを始めた者や,他科から転科してくる優秀な候補者で,この枠を埋めようとしているプログラムもある。ところがそれを公示しているところもあれば,実際にインタビューに行ってみて,そこで初めて「実は1997年7月からのポジションも一枠だけあるんだが……」などと言われたりもする。
 どのプログラムでもどの科でも,原則としては優秀なアメリカ医学校卒業生を獲得しようとしている。そのため,IMGが第1関門をくぐり抜けてインタビューに招待されたいと思うなら,アメリカ人医師のすばらしい推薦状か,USMLEでの高得点が要求されることになる。

いい加減な気持ちではできない臨床実習

 私はこのことを知らず,とにかく1度受けてみようと試験勉強を十分せずに,模擬試験感覚で受験してしまった。幸か不幸かあまりよくない点数で合格してしまったばかりに,後々まで非常に苦労をすることになった。とにかく1点でも多くとれるよう,準備万端で受験されることを強くすすめたい,それも1回で合格できるように。さもないと,特殊なはからいがない限り,レジデンシーには入り込めない,ということになる。USMLEの合格ラインは75点で平均が82点であるが,私の知っている限りでは,シカゴのノースウェスタン大は80点以上,ニューヨーク州立大シラキュース校は85点以上,カリフォルニア大サンディエゴ校は90点以上でなければ,IMGは考慮しないと明示しているプログラムもある。IMGは最低85点はとるべきであろう。
 また,よい推薦状獲得のためには,アメリカの一流医療機関でのエクスターンシップを早い時期に経験しておかなければならない。日本の医学部によっては,教授や大学のコネクションで可能なところもあるが,さもないと原則としてECFMG certificateを習得してからでないとエクスターンシップもできないという現実があるために,後々非常に難儀となる。さらに,これからアメリカに来ようと思っている有志の方々を憂いさせるニュースとして,1998年度から,ECFMG c1ertificate習得のためにはプラクティカルといって,実技試験が追加されるという情報がある。だからいい加減な気持ではとてもアメリカでの臨床研修は,夢のまた夢ということになることをしっかりと心にきざんでおいてほしい。
 人気の高い科だと多少増えるが,アメリカ医学校卒業生は,少数を除いてだいたい20-40のレジデンシーに願書を出しているようだ。彼らは実際,非常に優秀であり,それがゆえにこの数の願書で十分なのであろうが,日本人に限らずIMGは皆100通以上は出している。

1押し,2押し,3に押しで得たポジション

自分の特異性をアピールすること

 私は一咋年,放射線科のポジションがとれなかったので,インターンシップをフィラデルフィアのトーマスジェファーソン医大病院の内科でしながら,再度,今年放射線科を応募した。十数か所からインタビューの招待があったが,仕事をしながらなので,残念ながらすべてのプログラムにインタビューに行くことはできなかった。
 インタビューに招待してもらうということは,それ自体打ち砕くことができない1つの巨大な壁のようでもあるが,もし,招待してもらえたら,あとは人間と人間とのインターアクションである。
 いろいろな統計が出されているが,このインタビューを最重要視しているプログラムが大多数である。インタビューまでたどりつけたら,半日-1日の間何とかして,自分の特異性をアピールしなければならない。ウソ八百はだめだが,アメリカ人はポジティブな雄大な夢が好きなので,臆することなく自分の夢を語り,他の大勢の優秀な候補者の中にあっても,インタビュー担当者の頭にこびりついて,忘れられないように,印象に残る言動を残してから,その病院を去らなければならない。
 所詮1日で,その人物を見抜くことなど,無理を承知で,病院側はその日の評価を基にランクづけするのである。あとで,選んでしまって「しまった」と思うこともあるかもしれないが,そんなことは,こちらにとってはどうでもよいこと。逆に言えばそこが,IMGが大逆転し得るかどうかのキーポイントである。誠心誠意,全力を投じてほしい。私が何を言い,何をしたかについては触れないが,無事ポジションを得ることができた。

1年間の空白をなくすための行動

 NRMPの原則は,マッチング結果の正式発表まで,インタビュー後は,互いにコンタクトをとってはいけないということになっている。しかし,実際は,病院側が,本当に獲得したい候補者を見つけると,「貴方がほしい。実は内定している」という旨の連絡が入る。ストレートに言うところから遠まわしな言い方のところと,いろいろなバリエーションはあったが,私の場合5か所から,その旨のコンタクトがあった。そして結局,私が第1希望として選んだMCD(Medical Center of Delaware)とマッチングした。ただここで私のレジデントポジション獲得プロセスが終わったわけではなかった。私はすでにインターンシップを行なっていたので,1997年の夏から放射線科のレジデンシーを開始することもできたが,私が当初マッチングで得たポジションは1998年7月からのポジションであった。間隔をあけて,2度,3度とMCDのプログラムディレクターに電話で,1997年からスタートできないかと尋ねてみたが,答えはいつも「No!」であった。
 そうなると,1年間の空白の期間が生じる。私は日本への一時帰国も考えた。しかし,それほど強い興味があったわけではないのだが,日本には独自の研修プログラムがあまり存在していない核医学のレジデンシーを,この機会にアメリカでやろうと思いたち,全米ほぼすべての核医学のプログラムに電話をかけて,私をインタビューしてくれるかどうかを問い合わせた。言い忘れたが,いくつかの科はNRMPとは別個の独自のレジデント募集のシステムを持っており,核医学もそれらの1つである。
 そして私は,ウィスコンシン州のある核医学のプログラムのポジションを得ることができた。ビザの問題を詳細に論じるつもりはないが,ただこの時点で,わたしがJ1ビザというビザを持ってアメリカで臨床研修をしているため,もし核医学のレジデンシーを診断放射線科のレジデンシーの前にすると,大丈夫かもしれないが,ひょっとしたら,いざ診断放射線科を始めよう,という時になって,J1ビザを更新できなくなるかもしれないという危険性があることが判明した。
 さてどうしたものかと考えに考え,MCDのプログラムディレクターに,再び電話で相談し,熱意を込めて,どうにかして今年から放射線科のレジデンシーを始められないかと,依頼の手紙を書いて送った。するとどうであろう。約1か月ぐらいして,彼女から「今年からレジデンシーを始めてもよい」という旨の電話連絡があったのである。

必要不可欠な根気強さ

 当初予定の定員枠を増やすということは,放射線科の一存で決められることではない。決められた病院の予算もあるために,病院全体のレジデント選考,承認委員会の承認を得なくてはならない。加えてACGME(Acoreditation Council of graduate Medical Education)から定員枠の増加の承認を得なければならない。後者が非常に大変である。これを私のためにしてくれて,今年からスタートできるようにしていただいたのであるから,誠にありがたいことである。
 アメリカでの臨床研修といっても,誰がどこで何をするかによって,どうにでもなるので,一概によいとは思わないが,私は自分独自の夢を持って進んで行く限り必ず道は拓けて行くと信じている。そして選ばれた者たちの1人という自尊心というか自己満足感を持って,他の優秀なレジデントスタッフの先生たちと日々をすごせるということは何にもまして壮快である。
 アメリカ医学校卒業生と同じように,NRMPを通じてアメリカでレジデントのポジションを得ることを,一言で表わすとしたら,「根気比べ」である。また,私が今回の経験を通して学んだことは,YESはabsolutely yesを意味し,NOはconditionally yesということである。日本から,アメリカに臨床研修にやってくる医師が,将来とだえてしまわないことを強く望みながら,そのためには優秀さよりも根気強さが必要不可欠であるということを強調して,私の経験談をくくりたい。