医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(23)

メディケイド(3)
-テンケア-

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部助教授


 テネシー州(人口520万人)の新メディケイド制度,「テンケア(TennCare)」が発足したのは1994年のことである。旧制度のもとでは,80万人の被保険者をカバーするだけであったが,テンケアは連邦貧困基準未満の所得しかない低所得者のすべてをカバーし,被保険者は120万人となった。被保険者が50%増加したにも関わらず,メディケイド支出は30億ドルと,制度切り替えの前後で変わっていない。一体,どのような手品が使われたのであろうか?

だまし討ち

 最初の手品は,政治的「だまし討ち」であった。
 「だまし討ち」を画策したのは民主党州知事ネッド・マクワーターと腹心デイビッド・マニングである。2人はテネシー州のメディケイド支出の上昇に強い危機感を抱いていた。メディケイド支出は1986年の10億ドルから,93年には30億ドルと,7年で3倍に膨れあがり,州総予算の26%を占めるようになっていた。2人はメディケイド財政の苦境を救うには管理医療を導入するしかない,逆に管理医療を導入すればもっと多くの州民に医療保険を提供できる,と確信していた。
 しかし,テネシー州にあって医療業界は経済的にも政治的にも大きな力を持っていた(この連載で何度も登場した巨大病院チェーン,コロンビア・HCA社の本社はテネシー州の州都ナッシュビルにあり,同社現会長は,テネシー選出共和党フリスト上院議員と兄弟である)。マクワーターとマニングの2人は,通常の議会工作では,管理医療導入は医療業界の反対にあってつぶされると危惧した。
 1993年の春,マクワーターとマニングによる潜行工作が開始された。州議会の議員に根回しを始め,「増税,サービスカット」という選挙民に不人気な手段を取るよりも,管理医療を導入するのが得策であると,説得して歩いたのである。州議会の会期が終わろうとする5月になって,メディケイドの抜本的改革を行なう権限を州行政当局に与える,わずか1頁半の法案が議会に提出され,実質的な審議を経ずに可決された。議会の妨害を受けずに新制度を実施に移すために,次期会期が始まる94年1月までに新制度に移行させてしまう,というのが2人の計画であった。
 第2の手品は,医療サービス供給側に冷酷ともいえる値引きを呑ませるために強硬手段を用いたことである。
 旧来のメディケイドの3分の2という,極度に「渋い」支払額を呑ませるために,「テンケアに加わらない医療機関は州最大手のブルー・クロス社の医療保険を取り扱えなくする」としたのである。マクワーターとマニングは,ベッド稼働率が60%しかないのにテネシー州の病院は高い支払いを要求しすぎる,と思っていたのである。医療サービス供給側に格安価格を迫った上で,管理医療を運営する保険会社に対しても「1人当たり月100ドル」というバーゲン価格を呑ませたのであった。
 第3の手品は,連邦政府上層部との親密な関係を利用したことである。
 メディケイド制度を大きく変更する際には,連邦政府の認可を得なければならないのだが,メディケイドを管轄する医療財政管理局は,テネシー州のあまりにも性急な改革計画に難色を示した。マクワーターは,隣接州の民主党知事同士として,クリントン大統領とは彼がアーカンソー州知事をしていた頃から親密な関係にあった。医療財政管理局がなかなか認可を下そうとしないことに業を煮やしたマクワーターは,9月に入り,ホワイトハウスに電話をした。クリントンはその後マクワーターを2度ホワイトハウスに招き,2度目の訪問の直後の11月18日,新制度「テンケア」が連邦政府から認可された。

大混乱の新メディケイト

 94年1月1日,州議会会期が始まる10日前に,新メディケイド制度「テンケア」が発足した。
 駆け足で実施に移されたテンケアは,「ベルリンの壁崩壊後の東欧並み」の大混乱を巻き起こした。患者側も管理医療の仕組みに不慣れで右往左往したが,行政側も準備不足で患者の登録手続きは大きく滞った。保険会社も突然の被保険者増加に対応が遅れた。
 「アクセス・メド・プラス」社の場合,被保険者が3万人から30万人に増え,支払い計算のコンピュータ・システムが間に合わず,医療機関への支払いは常時数か月遅れることとなった。格安の価格を呑まされた上に,支払いが滞るとあっては医療機関側の不満が頂点に達したのも無理はない。彼らは94年の知事選に共和党候補を応援し,マクワーターは落選した(マクワーターが創設したテンケアは共和党知事となった後も維持されている)。
 さらに,唐突に新市場が出現した時の常として,テンケアを巡って悪徳業者が跳梁することとなった。
 とりわけ悪名を馳せたのが「オムニケア」社である。同社は,保険勧誘員に歩合制での勧誘を行なわせ,徹底的な「サクランボ摘み」(病気になりそうにない健康な人ばかりを集める操作)を展開した。一切医療サービスを必要としない人を1人加入させれば,州からの年間1200ドルの支払いがそのまま儲けとなるのであるから,サクランボ摘みは非常にうま味のある行為なのである。
 勧誘員は低所得者が済む地域で戸別訪問に歩き,病人・妊婦とは早々に話を切り上げる一方,若く健康な人にはしつこく保険加入を説得した。また,受刑者にはメディケイド加入資格がないとは知らずに,州刑務所での勧誘活動を行なうというお粗末な間違いもしでかしている。
 積極的なサクランボ摘みの結果,オムニケア社の被保険者のうち,(もっともリスクの少ない)14―44歳の男性の占める割合は30%となった(州全体では13%である)。
 また明瞭な詐欺も行なわれた。メンフィス市のあるホームレスのシェルターには,オムニケア社に保険加入を申し込んだホームレス1万7千人に保険書類が郵送されてきた。しかし,メンフィス全体でもホームレスは2千人しかいないのである。詐欺を働いた勧誘員は逮捕されたが,オムニケア社が上げた利益の返還を求めてテネシー州とオムニケア社との間で係争となっている。
 ちなみに,97年8月に成立した財政均衡法で,メディケイドに関する保険勧誘員の戸別訪問,電話販売は,違法行為として禁止されることとなった。

この項つづく