医学界新聞

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臓器移植法と「パンドラの函」

向井承子(ノンフィクション作家)


「ふたつのいのち」

 先日,脳死と臓器移植を考えるシンポジウムに出席した時のこと。重い心臓病と自己紹介する若い患者の方から激しい質問をいただいた。
 あなたは臓器移植に反対している。移植でなければいのちを救われない自分たちが死を直視しつつくらす苦しみをわかっているのか,と真剣なまなざしだった。
 臓器移植法案の内容に疑問を感じて,「慎重な審議」を訴え続けてきた3年半の間,幾度,このような質問をされたことだろう。「健康な者に病人の気持ちがわからない」と言われ,時には「人殺し」呼ばわりされたこともあった。
 その都度,やり切れないものがあった。私自身,必ずしも健康人ではない。幾度か死線をくぐり,いまも難治性の慢性疾患を抱え,心の底には人には伝えにくい孤独なものが居座っている。病む人の心の内側が想像できるだけに,「慎重な審議」を訴えながら同時に苦しみがつきまとうつらい期間だった。
 「あなたは健康か」と問われれば「そうではない」と答えるしかない。だが,その問答は次に,「どちらが健康か,不健康か」という果てのない比較につながるしかない。そのようなことを言い合うために法案に疑問を呈したわけではなかった。
 脳死からの臓器移植は「ふたつのいのち」の治療にかかわる。移植を待ついのちは限りなく新鮮な臓器を必要とする。だが,救命医療にかつぎこまれたいのちは最後の一瞬まで救いを求めるいのちである。異なる医療現場に託された「ふたつのいのち」のぎりぎりのせめぎあいに制度的な解決をはかろうとする方法がわかりにくくて,「ちょっと待って」と考える時間を求めたのだった。
 その経過ではいつも,わが子が交通事故に遇い救急車で搬送された時のことが思い出された。救急車が運びこんだ深夜の病院では頭蓋骨骨折,クモ膜下出血と診断を受けた。だが専門医がいない。半ばけんか腰で病院を移し,幸いいのちをとりとめたが,もしあの時脳死になっていたら,臓器提供を求められたら……と想像すると,おそらく医療不信だけが永遠に残されたような気がする。なによりも大切なのはまずは救急医療,脳死にならないため医療の提供と痛感している。

官主導の「生の打ち切り」となるのか

 私はこの医療の立法化は時期早尚と考えてきた。宿命的に他者の死を必要とする特殊な医療のための「新しい死」の概念には社会が納得できるための時間と経過が必要と感じていたのである。社会が納得しないうちに制度だけを先行させても不毛と不信しか生みはしない。しかし,移植でなければ救われない患者さんのいのちを救うにはどうしたらよいのだろうか。脳死については制度化を急がずに社会の信頼に支えられる方法を医学界自身が積み上げながら,臓器売買の禁止などには公的な厳重な制裁を準備する。この医療の性格にはそういう手順がよいのではないかと考えてきた。
 いまさらの話と思われそうだが,「生きているように見える人」を死者と断定する作業を制度が率先して支える時,どんな効果が社会に及ぶのだろう。事実,一部限定とはいえ「脳死を人の死」とする法が成立して以来,国論を二分した脳死論は雲散霧消した形である。ひたすらに「脳死を死」とする前提の実務作業の進行の様子を報道で見聞きしていると,こうして社会通念が官主導で変えられていくのかと思わせるものがある。
 最近,親しい友人が脳死を宣告された。心停止まで待ったのだが,その間家族の様子を見ながら思ったのは,日本人にとって親しい人の死を納得するには,からだが強張り冷えていき,2度と戻らないと肌身で実感するまでの時間の経過が必要ということだった。脳死判定も心停止の確認も,単に長い死の儀式を始めるきっかけに過ぎないと感じさせられた。
 日本人は特殊,とよく言われる。だが,私が見聞きした範囲内では,いち早く脳死移植を受け入れた欧米でも臓器の提供者は激減していた。それも家族が臓器提供に応じなくなったためである。移植技術の向上が移植を待つ人々の長い行列を生み出し,今度は人々が臓器を提供することにためらい始めた。かなし過ぎる矛盾である。
 法が成立した時,心を過ったのは「パンドラの函のふたをあけてしまった」との思いだった。「死の前倒し」の容認のつぎに来るものは「生の打ち切り」だろうか。「安楽死,尊厳死」の容認に時代の振り子が容易に振れていくのかどうか。すでに,「末期医療」の打ち切りを示唆する厚生省関連の報告書が医療費削減を意図しながら登場する時代である。生き方・死に方は文化と倫理の根源である。決してコスト論議にリードされてはなるまい。