医学界新聞

第12回日本がん看護学会学術集会見聞録

外京ゆり(宮崎県立看護大)


 第12回日本がん看護学会学術集会は,石垣靖子会長(東札幌病院副院長)のもと,昨年11月21-22日の両日,札幌市の教育文化会館において開催された。学術集会は例年2月開催だが,今回は開催地の厳寒期の諸事情が考慮されて会期が繰り上がったために,昨年は2月と11月の2回開催,今年は学術集会が開催されない年となる。
 参加者は約1800人だった。会場周辺の“ななかまど”が真っ赤に色づいていて美しかった。

日米のがん専門看護婦による討論

 初日,石垣会長のあいさつがあった。(1)日本の癌死が3人に1人に近づき高齢化も進むので,人を死に導く“天寿がん”が増えていくのではないか,(2)緩和ケアは,終末期の症状コントロールだけでなく慢性期においても重要になってくる,(3)看護者の倫理的役割は,実践の質を高める環境づくりに始まり,その人のありのままを肯定して関わるプロセスを通して望ましい成果へと反映される,(4)癌患者の在宅医療のシステム開発においては,医療の受け手の立場に立った生活への視点が重要,などの内容が印象に残った。
 引き続き,現在,国際がん看護学会長であるKonnie H. Yarbroさんによる特別講演「アメリカにおける癌専門ナースの歴史とその活動」が行なわれた。アメリカでは,抗癌剤の臨床治験において看護者の行なった患者教育・直接的なケア・患者の擁護・代弁・看護管理などの活動から,ケアと看護教育の規準が明確化されたこと,それが医師からの積極的評価を受け,癌専門看護者の組織化・癌看護の研究・社会環境の動向への対応など,より社会化された活動へと発展して,1975年にアメリカがん看護学会(ONS)が誕生したことなどが紹介された。現在,全米200万人の看護者がONSに参加しているそうだ。臨床経験が長く5年前に修士号をとったというエネルギッシュなKonnieさんに,癌専門医の夫君がフロアから熱い視線を送っていた。
 初日午後のパネルディスカッション「がん看護における倫理的課題とナースの役割」では,アメリカ看護協会の倫理と人権に関するセンターの所長だったColleen Scanlonさん,誕生したばかりの日本のがん専門看護師(CNS)の1人である淀川キリスト教病院の田村恵子さんらの参加により,また,翌日のシンポジウム「21世紀のがん看護の発展に向けて」は,Yarbroさん,Scanlonさん,スローン・ケタリング記念がんセンターのナースNessa Coyleさん,がん看護CNSである東札幌病院の濱口恵子さん,同じくがん看護CNSの神戸大学医学部付属病院の吉田智美さんにより討議された。
 パネルディスカッションでは,インフォームド・コンセントや自己決定など,倫理先進国アメリカに見習うべきことが多いという看護者以外の日本人パネラーからの発言が相次いだ。そんな時,フロアから「アメリカ人の同僚から『医療者は西洋の科学で教育されているからそれがわかるが,患者たちはそうではない。日本固有の互いによりかかった文化は自己決定を阻害しない。互いの人格を尊敬し合うのにどういう違いがあるのかなど,原則は同じでも行動パターンの違いを見つめ,日本を大事にして,日本文化の中で看護倫理を確立しなくてはならない』と指摘された」との発言があり,会場のあちこちから大きな拍手が沸き起こった。
 海外からの演者が多く招かれた背景には,1998年イスラエル,2000年ノルウェーに続き,2002年,サッカーW杯日韓共同開催の年に,第10回国際がん看護学会学術集会開催の日本誘致計画があり,その前哨戦としての意味あいがあったのかもしれない。しかし,初日夕刻のサテライトセッション「がん看護の臨床研究」の演者は,唯一カナダからのがん看護研究者Margaret Isabelle Fitchさんによるものであったが,本集会の演者がアメリカに偏っていたのは私には物足りなかった。

一般演題発表からの収穫

 ポスターセッションを含めた一般演題100題は,両日とも4会場に分かれて参加者と共有された。私は「病期の進んだ患者さんに対してどのような看護実践が望まれるか」という問題に関心をもって参加し,2つの収穫を得た。
 兵庫県立看護大学実践基礎看護学の内布敦子さんは,平穏な死を導くために患者自身が死について語ることを支援する看護介入の1例を報告した。
 患者は57歳女性,肝臓癌,腰椎転移のため下半身の知覚・運動麻痺,痛みは薬剤でコントロールされ,本人の希望で死の1か月前まで自宅療養。看護者は,死までの3か月間を15回の訪問でサポートした。体位変換や清拭など直接ケアを通して信頼関係を得たと確信できた6回目の訪問から,言語化への介入を意図的に開始。
 (以下引用)……体の感じを表現してみることを勧めると,「まだ長いような気がする。内臓が強いから」と言い,「皆にさよならと言うことはつらい」と泣いた。自分が死ぬことについて誰かに話すことはあるか問うと「死ぬことを話すと皆こわがるので話せない。がんばれと励まされるので話せない。聞いてもらえると言える。話したい」と言う。看護者は死について話したい時はいつでも聞く約束をし,その後は訪問の度に話すチャンスをつくった……。
 この関わりから内布さんは,死についての言語化を支援する方法として,介入時期を見定め,患者が話しやすいことを語ることに始まり,看護者は死について話すことから逃げないと約束し,患者が死んでいくことを話したい相手を聴けるように励まし,場を設定するなど8項目をあげた。この報告は,患者と家族と看護者の関係性を踏まえ,かかわりの事実から実践上のヒントを導いた。看護研究の原点をおさえ優れていると思う。また,この看護介入の背景には,看護者自身が死を直視できるよう,専門家のコンサルテーション支援があったという。平穏な死を導く支援の実現のためには,看護者自身がそのプロセスにおいて鍛えられ磨かれる必然性を示唆された。
 一方,会場ロビーでのポスターセッションでは,在宅ホスピスケアを特化した訪問看護ステーションを広島市内で1年半前に開始した馬庭恭子さんからの報告があった。在宅ホスピスケアを可能にする要件として,(1)診療所レベルの医師の参加,(2)家族の介護体制,(3)医療・介護機器類の整備をあげていた。
 「拠点となるホスピスなしに訪問活動とは,勇敢ですね」と聞いたら,「厚生連という農協系の病院で3年間の訪問活動の経験があり,いざという時はその病院と医師がバックアップしてくれるし,市内のどこにどんな医療機関があるかがわかるから」と。看護者が知悉した地域で,医療ネットワークを開発したうえで可能となった実践だとわかった。また,馬庭さんは「『癌になったら看護婦さんに相談しよう!』と市民のみなさんが言ってくれるようになることが夢」という。素敵な夢だと思う。
 かつてがん看護に携わっていた頃から,私は「どんな状況においても,その人が人間に本来備わった自然治癒力を大切に,よりよい状態を創造していけるように支援し,ともに成長したい」を基本姿勢としてきた。次回の学術集会には私も研究報告をしたい。そして今後の学術集会の内容の充実に期待したいと思う。