医学界新聞

1・9・9・8
新春随想

患者の主体的な医療参加をめざして

辻本好子(ささえあい医療人権センターCOML代表)


 お陰さまで,COMLも8年目になりました。単に医療を批判するだけでなく,まずは患者が主体性を身につけようと,活動を通して出会う人ごとに「医療に消費者の目を向けよう!」「賢い患者になりましょう!」と呼びかけつづけています。患者が医療の主人公となるためにも,できることは自分たちで努力し,どうしてもできないことだけ専門家の助けを借りる。活動の姿勢そのものからも患者の主体的医療参加をめざし,ユニークと称されるさまざまな活動を展開してきました。

果たすべき患者の責務もあるはず

 21世紀の少子高齢社会へと時が流れ,「パターナリズムからインフォームド・コンセント」そして「与えるから選ばれる」医療の時代へと,医療現場も大きな変革が迫られようとしています。国民皆保険の恩恵に浴しつづけて40年,私たち患者は受け身のままに甘えきってきました。「先生を信じてお任せしたのに……,こんなはずじゃなかった」と,期待した結果が得られなかった不平不満,果ては不信の声をよく耳にします。
 しかし,そうなる前に「いのちの主人公・からだの責任者」として,果たすべき患者の責務もあるはず,という思いからインフォームド・コンセント患者の自己決定について,患者の立場から考えることが,いつの間にからか私のテーマになっています。
 なにより医療が不確実性と限界性を伴っている現実をせめてもう少し患者が理解し,期待と依存の呪縛から立ち上がること。その上で1人ひとりがそれぞれに「どういう医療を受けたいか?」の意識化と言語化すること。さらには医療者と協力関係を築く一方の担い手となるべく,コミュニケーション能力を身につけるための努力をする。そうした自らの医療ニーズを見つめ直すことと,果たすべき責務を考えることから,患者の自立の第一歩がスタートすると思います。
 しかし現実には,今後さらに厳しい医療制度変革が待ち受け,かつてない勢いで患者にも自助努力,自己責任を全うする心構えが要求されようとしています。例えば,目前に迫ったカルテ開示の問題しかり。規制緩和や情報公開という美名のもと,患者不在のままにこうした制度が一人歩きすることを,どうして患者と医療者とが膝を交えて語り合うことができないものなのでしょうか。
 厳しい現実によって,患者と医療者を隔ててきた深くて渡りきれない大きな「河」が,さらに緊張関係が深まらねばよいと,少なかぬ危惧を感じています(実は患者たちの声からは,カルテを入手するよりもセカンドオピニオンを望むというニーズの高まりを感じさせられているのですが……)。

患者と医療者の連携と交流を求む

 患者と医療者がそれぞれに立場と役割の違いを認め合い,尊重し合って“協働”することに限りない憧憬を抱き,インフォームド・コンセントについても「説明と同意&理解と選択」という患者の立場からの解釈の提案をしています。「説明と同意」は医療者側の責務,そして「理解と選択」をすることが患者側の責務と捉え,医療現場における対話の充実と患者の自己決定が支援される医療の実現に努力して行きたいと思っています。
 時代の遺物となったパターナリズム医療に患者自らの手でピリオドを打ち,21世紀を迎えるに恥じないインフォームド・コンセントを実現させるために,今年もさらなる患者の主体的医療参加をめざしたいと思います。そして,新たな一歩を踏み出そうとする患者の自立を理解し,支援する立場に立つ医療者の方々との連携と交流を,さらに希求しつづけて行きたいと思います。
 昨年亡くなられた中川米造さんから死の直前に,「患者が医療の主人公」「医療はほどほどのものと思え」という造詣の深い遺言と,撒いた種を育てて欲しいというお言葉を頂戴しました。あくまでも患者の立場としてご遺志をしっかりと受け止め,1人でも多くの人々に伝える精一杯の努力をしたいと思っています。