医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(21)

メディケイド(1)
-無視できない市場-

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 アメリカでは,通常の医療保険は保険会社により運営され,消費者(患者)は医療保険を商品として購入する。医療保険の価格は高く,大企業などに勤めていれば雇用主から手厚い補助が受けられるが,個人で医療保険に加入するとなると毎月数百ドル以上を負担しなければならない。アメリカには公的医療保険制度が2種類しかないからである。1つは老人向けのメディケアであり(2245,2247号参照),もう1つは低所得者向けのメディケイドである。
 現在,メディケイドは低所得者・身体障害者3700万人(全人口の14%)をカバーしているが,子ども・妊婦に手厚い制度となっており,全米の子どもの2割,妊婦の4割がメディケイドでカバーされている。

州が運営するメディケイド

 メディケアが連邦政府により一括して運営されているのと違い,メディケイドは州ごとの運営となっている。貧困層のありようが州によって異なるからである。州は連邦法により定められた基準を守る限り,独自のメディケイド運営ができるようになっている。
 メディケイドの支払いは,州および連邦政府が共同負担するが,連邦政府の負担は50-80%となっている(貧しい州に対しては連邦政府の負担割合が大きい)。メディケイドは,メディケアとともに1965年に創設されたが,その支出は増加し続け,1995年には州・連邦合算で1520億ドルに達している。連邦政府はメディケア・メディケイドを合わせると,公的医療保険に2500億ドル(総予算の16.4%)を支出している。
 メディケイドは通常の医療サービスをカバーする以外に,他の医療保険がカバーしない長期ケアをもカバーする。例えば老人が脳卒中を起こした場合,メディケアは急性期のケアおよびリハビリテーションはカバーするが,ナーシング・ホーム(介護付き老人ホーム)での長期介護はカバーしない。脳卒中の後遺症で長期介護が必要となった場合,患者は年間3万5000ドル(平均)のナーシング・ホームの費用を自弁しなければならない。自弁できない場合,その費用はメディケイドが支払うが,患者は年金など,なけなしの収入のほとんどすべてをメディケイドに差し出さなければならない。
 冷たい制度と思うか暖かい制度と思うかは意見が分かれるであろうが,メディケイドは,ナーシング・ホーム全入所者260万人の68%,全コスト700億ドルの52%を負担しているのである。
 医療サービス供給側に対するメディケイドの支払いは渋いことで有名であった。同じ医療行為に対するメディケイドの支払い額を保険会社のそれと比較すると,病院への支払いは60%,医師に対する支払いは45%に過ぎなかった(1990年)。
 メディケイドの患者は診ないという医師も多くなるわけで,1991年のアメリカ医師連盟の調べでは,メディケイドの患者は断っているという医師が26%に上った。メディケイドの患者が医療サービスにアクセスできない状況は,「一部の地域では,メディケイド患者を引き受ける整形外科医を見つけるのは,アラスカで熱帯鳥を見つけるぐらいむずかしい」とまでたとえられた。

メディケイド患者を奪い合う

 皮肉なことに,メディケイド患者が医療サービスにアクセスできないという問題は,管理医療の隆盛とそれに伴う医療市場の変化によって大きく「改善」されることとなった。医療サービス供給側が「メディケイド患者は儲からないから診ない」という選り好みを許された時代は終わりを告げ,今やメディケイドの患者を医師や病院が競って奪い合うという状況が現出している。保険会社による値引き要求を呑んできた結果,メディケイドの支払額は相対的にそれほど「渋い」ものではなくなってきたからである。
 また,保険会社の保険でカバーされる患者の数が減り(その代わり無保険者が増えている),有保険患者の市場規模が縮小化しつつある現状にあって,メディケイド患者が構成する市場を無視できなくなっているのである。
 メディケイド患者を奪い合うという逆転現象は,特に産科領域で顕著である。1984年に妊婦に対するメディケイド受給資格の所得基準が緩やかにされた結果,メディケイドで出産費用をまかなう妊婦の割合は増え続け,1986年の15%から,1994年には39%と倍以上になった。妊婦の4割がメディケイド患者という時代に,メディケイドの母親は診ません,などという悠長なことは言っていられなくなったのである。
 産科開業医が「メディケイドの方もどうぞ」と新聞に大きく広告を出すこともありふれた現象となった。数年前までは「メディケイドの貧乏人が来る場所ではない」とふんぞり返っていた産科開業医たちが,メディケイドに頼る貧しい母親たちを「お客様」として遇するようになったのである。

この項つづく