医学界新聞

第25回日本救急学会が開催される

社会と時代のニーズに見あったテーマを論議


 さる11月26-28日の3日間,第25回日本救急医学会が,東京の京王プラザホテルおよび東京都庁(救急隊員部会)において,島崎修次会長(杏林大教授)のもとに開催された。 医師部会では,世界的レベルの4人の研究者による招待講演が行なわれたれ,「侵襲と生体反応」をテーマに最先端の話題が提供された他,シンポジウムでは「Critical careにおける新しい薬物治療の試み」,「侵襲とケミカルメディエーター」,「脳浮腫の病態と対策」の3題が取り上げられた。またパネルディスカッションでは「腹部外傷の診断と治療」,「経済的側面からみた救急医療の諸問題」の2題が企画され,多くの参加者を集めた。
 本紙では特に,3日目に行なわれたフリートーキングに焦点をあて報告したい。

病院で火災が発生した時

 これまで本学会で取り上げられたフリートーキング「高速道路多重衝突の初動体制(95年)」,「大都市直下型地震の病院の初動体制(96年)」に続き,今年のテーマは,「机上災害シミュレーション:病院火災発生」(座長=大阪市立総合医療センター 鵜飼卓氏,筑波メディカルセンター 大橋教良氏)。消防庁の報告では1996年に全国で145件の病院火災が発生しており,また同年に起こった川崎医大と聖マリアンナ医大という大規摸な大学病院での火災は記憶に新しいところである。
 このことを鑑み,今回は「病院の火災非難訓練のさらなる充実」を目的に,医師,看護婦や救急隊員の立場から,考えうる火災の経過にそって,さまざまな局面で求められる対応についてシミュレートしていくものを企画。上記の病院火災を体験した藤井千穂氏(川崎医大)と明石勝也氏(聖マリアンナ大)をコメンテーターに迎えて進められた。
 提示された状況は,救急センターを有する500床の病院で入院患者は485名。医師4名,看護婦4,5人という人手の少ない12月の夜間に,救急センター地下で火災が発生,発見後すぐに停電し,非常電源も停止してしまった,というものであった。
 まず最初に大橋氏から,「自分が第1発見者(医師)のとき,どのように消防署へ,また院内の各部署へ連絡をとるか」と,自身の病院の防災マニュアルから答えてほしいとの問いに,(1)発見者自身が119に連絡する,(2)病院の防災センターにまず連絡する,とあげられたものの,ここではきちんと防災マニュアルを把握している医師は少ないという問題が浮き彫りにされた。
 続いて,人員をどのように集めるか,また避難場所は誰が決めるのか,患者をどのように避難させるのかが討議された。ここで集中治療室に収容されている重症患者への対応を考えるべく,8名の患者のうち,6名にレスピレータが装着されている状態」を設定し,このような患者をどうすれば安全に移動させられるかが問われると,各病院からさまざまな方法が報告され,活発に討論が進められた。また集中治療以外にも,夜間透析,新生児センター,出産間際の妊婦,精神科閉鎖病棟,末期癌で臨終を迎え家族が集まっている患者など,細かな配慮が要求される状況での対応のあり方が話し合われた。
 その後も患者を全員避難させた後の対応について,患者の安否の確認方法,患者家族への対応や,押し寄せるマスコミへの対処法,災害対策本部の設置などについて,さまざまな角度から検討された。会場からトリアージが必要ではないかとの意見に明石氏は,「実際その場では,とてもトリアージができるような状態ではなく,気がつくと全員救助をめざしていた」と火災時に直面した医師の精神状態を述べた。
 最後に,藤井氏,明石氏ともに災害時における看護婦の役割はとても大きかったと述べ,看護婦は災害マニュアルをきちんと把握しており,患者誘導やカルテを持ち出して患者の安否確認を行なうなど看護婦が率先して指揮をとったことによりスムーズな対処が可能になったことを述べた。また実際に火災を経験した看護婦からも当時のエピソードが語られ,さらに参加した救急救命士からも提言が行なわれ,各病院と地元の消防署との十分な連携や情報交換の重要性があらためて認識された。