医学界新聞

「機」から「器」への移行

 本学会は,1964(昭和39)年から「日本消化器病学会」へと改称した。従来の「日本消化機病学会」を改めたものであり,「機」から「器」へ衣替えしたのである。
 思えば,本学会の前身,胃腸病研究会を1902(明治35)年に「日本消化機病学会」と改称して以来,半世紀以上の長きにわたって親しみ用いてきた名称であった。
 この間,「機」か「器」かについては,幾度となく論じられてきたところであって,あえて「消化機」を用いてきたのは,ある意味では本学会の伝統でもあった。とはいえ,本学会のより一層の発展を思うとき,戦後における新しい国語教育の浸透から一般社会にも受け入れやすい表現に変えることとしたのである。
 とはいえ,この名称変更は本学会にとって大いなる決断を要する出来事であった。例えば,かつてあった実験消化器病学会(京都,松尾巌初代会長,1926年設立)および消化器病学会(名古屋,岡田清三郎初代会長,1934年設立)では,ともに当初から,「機」ではなく「器」を用いていた。とくに大正末に発足した,京都派と呼ばれた実験消化器病学会は「消化器」を使用すべきであると強く主張していたのである。
 これに対して,当時の南大曹会長は「消化機」には腎臓,肝臓などのさまざまな臓器が含まれているのであって,「消化機」とするのが正しいと書き送ったことが話題となった。
 それより10年も前の明治末から大正初めにかけて,北村精造ならびに湯川玄洋の意見として,この問題提起があったが,「機」は誤字であっても創始者長與稱吉の意を尊重して改めることなどないという見解が出されたという。
 昭和初期の総会においても,とりあげられる演題は消化機能を象徴する糖尿病や食養学などの分野が多かった。ところが戦後,演題数が増えるにつれて,食道,胃,小腸,大腸,肝,膵などの消化器関係の分野のものが目立つようになった。
 ちなみに,戦後復刊した最初の本学会雑誌(第44卷第3・5号)の表題が『日本消化器病学会雑誌』と「器」を使っているが,これは単に印刷上の手違いであり,次号からは「機」に直している。
 とはいえ,冒頭のように,社会一般の流れにそって,本学会は「日本消化器病学会」として新たな歩みを踏み出すこととなった。そして,これを機に長い間悩まされ続けてきた「機」か「器」の問題は一応終止符が打たれたのである。

(「日本消化器病学会100年の歩み」より抜粋)

(画像写真:順天堂大学消化器内科・放射線科提供)