医学界新聞

「心臓病患者シミュレータ(愛称“イチロー”)」が
アリゾナ大学医学部に設置される

高階經和〔(社)臨床心臓病学教育研究会会長〕


はじめに

 「心疾患診断訓練用シミュレータ」の内容については,昨年に詳しく紹介(本紙2182号,1996年3月11日付)されたが,本シミュレータは1997年3月16-19日,カリフォルニア州のアナハイム市で開催された第46回アメリカ心臓病学会(ACC=American College of Cardiology)において展示され,3日間の学会期間中を通じて300名を越す世界の心臓病専門医たちが熱心に『イチロー君』を診察し,大きな反響を呼んだ。その後いくつかのアメリカの大学医学部をはじめ,ヨーロッパやアジア近隣諸国の医科大学からも問合せが相継いだ。また「新しい心臓病患者シミュレータ」のタイトルのもとに,国際的心臓病学専門誌(“CARDIOLOGY”Vol. 88, No. 5. 408-413; 1997)にその内容が発表された。
 そして今回,アリゾナ大学医学部心臓センターの所長であり,内科の主任教授であるエーヴィー教授(Prof. Gordon A. Ewy)からのリクエストに応え『イチロー君』(英文名:SIMULATOR “K”)がアリゾナ州トゥーソン市にあるアリゾナ大学に設置されたのである。
 すでに国内では50台の『イチロー君』が大学医学部や看護大学でも活躍中であり,また来年のアメリカ心臓病学会にも出展されることが決まった。

アリゾナの空は晴れて

 1997年10月5日午後3時20分,UA-2033便にてアリゾナ州砂漠の都市トゥーソンに到着した。今回,私はエーヴィー教授に客員教授として招かれたが,『イチロー君』を製作した片山英伸氏(京都科学常務取締役)と同社の安西崇氏が,器械点検整備のために同行した。すでにエーヴィー教授の秘書から連絡があり『イチロー君』が無事1週間前にアリゾナ大学に到着しているとのことであった。
 空港には私の親友であるエーヴィー教授が自ら出迎えてくれた。彼の車の窓を通してハイウェーの分離帯には,日本の街角に立っている電柱程の高さに聳え立つサワロ・サボテン(インディアンの言葉では“SAGUARO CACTUS”という)が目に入る。車を運転しながらエーヴィー教授は「あのサボテンは20年間に1フィート(約30センチ)しか成長しない。だから,あの電柱のような大きさのサボテンは,多分200年くらい経っているのだろう。それにサワロ・サボテンはこの地域100マイル四方にしか見られないめずらしい植物だ」と話してくれた。エーヴィー教授の教室では多くの日本の医師たちが研修を受けており,すでに教授も数回日本にも来られ,友人も多く,かなりの日本通でもある。
 エーヴィー教授と車の中で翌日の打ち合わせの話をしているうちに,左手にアリゾナ大学の巨大なキャンパスが見えてきた。学生数は4万7000人と聞く。鮮やかな緑の芝生の広がるキャンパスやトゥーソンの街は,人工的に開発された街で,その生活に必要な水のすべては遥か彼方の湖から送られて来るのだという。エアコンが一般家庭に普及するまでは,夏はあまりにも暑く,ホテルでさえ夏の間は閉じていたと話してくれた。その日の外気温は何と38度!アリゾナの10月の気温にしては異常に暑過ぎるとか。「エル・ニーニョ現象だね,これはきっと……」とエーヴィー教授が私に問いかけるようにつぶやいた。
 やがて大学医学部のすぐ側にあるホテル「アリゾナ・イン」に到着した。長い空の旅の後,旅装を解く間もなく,喉が乾いたのでホテルのレストランで「何かを飲もう」ということになった。地元のメキシコ・ビール「ドサケ」(Dos Equis)は旨味と濃くがあり,日本人好みの味だと思った。そのためビールの小瓶を3本も飲んでしまった。その後,夕食をとったわれわれは急に睡魔に襲われ各自の部屋に戻り熟睡したのである。

『イチロー君』の乗り物酔い

 10月6日午前7時(日本時間:10月7日午後11時)コテージ風のホテルのテラスで朝食をとった。昨日ここに到着した時の酷暑とは比べものにならないくらいの爽やかな朝の風,気温は摂氏10度ぐらいであろうか。
 午前8時,エーヴィー教授が車で迎えに来られた。アリゾナ大学病院は現在も増築中であり“Arizona Health Sciences Center”と呼ばれる一角には「アリゾナ大学心臓センター」,「がんセンター」をはじめ「基礎医学研究センター」などが病院を中心に隣接して設置されている。心臓センターが現在も内装工事を行なっているため,病院の6階にある内科の1部屋を医学部の学生たちの『イチロー君』研修用に使うことになったが,なんとその部屋には先客がいたのである。マイアミ大学医学部のゴルドン教授らが27年前に開発した心臓病患者シミュレータ『ハーヴェイ君』が部屋の中央に陣取っていた。
 さて,廊下に置かれた3つの大きな木箱に『イチロー君』のマネキン部分と,コンピュータ,そして電空圧制御装置と心音発生用のアンプを入れた『本体』が収められていた。しかし,一見して外部の木箱が輸送中に損傷している。「これはひょっとしたら……」という不安な予感が片山氏の脳裏をよぎったようだ。
 3つの木箱の梱包を解いてわかったのは,まず『イチロー君』のマネキンを収納していたケースが大きく凹んでいたことである。『本体』が納められていた木箱もかなり損傷していた。はたせるかな片山氏の不安は的中した。「これは大変なことになった」と感じた,と同時に「今年3月のアメリカ心臓病学会ではすべてうまくいったのに」という思いが交錯したのであろう。緊張した面持ちで片山氏と安西氏は器械を慎重に組み立てていった。しかし,スイッチを入れた直後,『イチロー君』は作動を始めたが調子はよくない。脈波や心音を正常に出していないことがわかった。旅の疲れのなか,輸送中の予想外の衝撃が『本体』にかなりのダメージを与えたのかもしれない。すぐさま器械の総点検が始まった。『イチロー君』はグロッキーだ。

『イチロー君』の紹介

 午前の時間はあっという間に過ぎ,12時からスタッフ・カンファレンスが始まった。前日にエーヴィー教授と打ち合わせた通り私が紹介され,『イチロー君』開発のヒントや,その機能そして完成までの経過について約20分間のスピーチを行なった。
 「昨日,空港でエーヴィー教授に会った途端,彼は私に“今度のシミュレータは『ハーヴェイ君』のガールフレンドじゃなかったのかね。女の子だったら『ハーヴェイ君』に紹介してやったのにな……”。それで私は“いや,残念ながら『イチロー君』は女の子じゃなかったんですよ。まあ彼の日本から来た『弟分』だと思ってください”」と答えました――途端にスタッフ一同は大笑い――「まあ,今日は『ハーヴェイ君』と『イチロー君』の比較でもしてみましょう。彼は兄貴だから体重が350キロ。それに比べて『弟分』の体重はわずかに50キロ。彼の身体所見はカム装置によって機械的に作動していますが,『弟分』はコンピュータに入力されたデータから,電空圧制御装置によって身体所見が作り出されます。ですから頸静脈波,全身の動脈波,そして心尖拍動もすべて空気圧の変動によって再現されます。このシミュレータの開発には私と東工大の清水優史教授と京都科学の片山氏がチームを組んで研究を完成させました」
 1人のドクターが,「患者からのデータをどうしてコンピュータに入力するのか」と質問。
 「心機図によって得られたデータをスキャナーで取り込みます」
 するともう1人のドクターが「心音の聴診は自分の聴診器で聴くことができるのか」と質問。
 「その通りです。患者さんから4つの心音マイクを通してサンプリングした音をコンピュータに入力し,必要に応じマネキンの胸部に内蔵された4つのスピーカーを通して,胸壁に自分の聴診器を当てて聴くことができるのです」
 またもう1人のドクターが「最近のアメリカ医師会雑誌(JAMA)で内科や一般研修医の約20%が聴診できないという報告があった。これからアメリカの各大学でもこのシミュレータが必要になりそうだな」と発言。
 「実は最近の日本のテレビでも同じような問題が特別番組で取り上げられました」
 「おや,日本でもそうなのか?」と香港からきたルイ助教授。
 「これは単なる既成のシミュレータではなく,自分の興味のある患者の身体所見をすべて入力することができますから『患者のレプリカ』だと思ってください。先生方はこれから『イチロー君』を『ハーヴェイ君』の弟だと思って,学生諸君に研修指導をなさってください」と話を終えた。
 続いて,片山氏が「今回,私たち研究チームは『イチロー君』を日米の医学教育の相互理解に役立つよう,21世紀へと続く友情の印としてアリゾナ大学医学部心臓センターに寄贈いたします」と挨拶するや,スタッフ一同の拍手が沸き起こった。かくして『イチロー君』はアリゾナ大学医学部の医学生やスタッフの臨床研修のため,教育活動を開始することになったのである。
 その日の午後も私たちは『イチロー君』の総点検と再チェックを行なったが,多くのスタッフのドクターたちが立ち寄り,脈を取ったり心音を聴いたりしながら,誰もが「すばらしい教育用の器械だ」と認めてくれた。アメリカ人はめずらしく新しいものに対する好奇心が旺盛である。それに比べて,どうもわが国では新しいものを素直に受け入れようとしない傾向がある。それが文化の違いなのかもしれないし,日本人の特性かもしれない。
 夕方はエーヴィー教授ご夫妻とともにホテルのレストランで夕食をとった。

メキシコ国境を眺めて

 10月7日午前8時,再びエーヴィー教授の車で大学病院に向かった。エーヴィー教授が自分で『イチロー君』の操作の仕方を説明してほしいとのことで,私が約1時間説明を行なった。教授は『イチロー君』の操作をすぐさまに吸収したようである。
 午前9時20分にプリシラ夫人が迎えに来られて,世界的に有名な「ソノラ砂漠博物館」へ案内していただいた。トゥーソン市の市街地から小山を越えたところが,見渡す限り「サワロ・サボテン」の林立する「ソノラ砂漠」である。そしてわずか30分のドライブの後に件の博物館に到着した。
 私は8年前に来たことがあったが,博物館は見違えるように大きく整備され,砂漠に生きる「ガラガラ蛇」「タランチュラ」(体長15センチにもなる毒蜘蛛)「大トカゲ」をはじめ,可愛い砂漠の人気者の「プレーリイ・ドッグ」や「ハミング・バード」(日本名:蜂鳥)をはじめ,めずらしい小動物の姿が見られ,思わず時空を越えた空間にいる自分を発見した。博物館の丘からわずか60マイルのところが,メキシコ国境である。私たちのアリゾナ大学滞在わずか2日間の貴重な時間を無駄にしないようにと,プリシラ夫人も随分気を遣っておられたようだ。午後には再び大学病院に戻り,慎重に『イチロー君』の最終チェックを夕方まで行なった。その結果,どうやらすべての機能は正常に戻り,完全に研修が行なえるようになったのである。
 大学病院を出るとすでにあたりは薄暗くなっていた。砂漠の気温はすでに10度以下になっていた。そして翌朝午前6時15分の飛行機で,私たちはトゥーソンを後にした。あっという間の短い旅行であったが,200年を越えて悠然と立っている「サワロ・サボテン」の姿がいまも私の網膜に焼きついている。