医学界新聞

特別編集 雑誌「精神看護」創刊記念

【座談会】
精神科看護の喜怒哀楽

[司会]宮子あずさ氏
    (東京厚生年金病院)
   橋本きみ氏
(北海道立向陽ヶ丘病院・総看護婦長)
吉浜文洋氏
(いずみ病院・看護長)
   石田昌宏氏
(日本看護協会・政策企画室)


 介護保険創設,医療保険改革の動向に見られるように,医療,福祉領域の制度は日々変革している。その中にあって,精神科領域も現場の声を生かすべく,今後本格的な改変期に向かうことが予測されている。
 医学書院では,これらの時代の要請を受けて,(1)建て前ではない現場感覚,(2)「情報の交差点」としての役割,(3)制度改革の本質と先行きを読む,(4)保健・医療・福祉統合の先駆領域として,精神科看護をとらえ直すことなどをスローガンに掲げた新雑誌「精神看護」を創刊する。そこで本紙では,臨床の現場を熟知している4人に「精神科看護の現場のいま」を語っていただいた。


精神科の看護にはまった理由

人と人とが向き合える場

宮子 私は看護婦になってからの9年間を内科病棟で過ごし,異動により精神科看護に移って2年になりますが,まだもやもやとしたものがあります。そこで今回は,精神科看護における先輩方のお話をうかがいながら,もやもやを整理したいと思っています。また看護をする上での再発見もたくさんあるのではないかと期待しています。
 まず,精神科看護へ入った動機などについておうかがいしたいと思いますが,橋本さんからお願いできますでしょうか。
橋本 私のおります病院は,北海道の最果ての網走にある200床の精神科の単科病院です。
 私は脳神経外科のとてもきびきびとした動きが自分の性に合っていると思っていました。しかし,縁があってと言いますか,網走の地に進学コースの学校を設立することが決まり,その教員として呼ばれたことが精神科看護に入るきっかけとなります。学校ができるまでの2年間,隣接する精神科の病院に勤務をしました。そこは女子の閉鎖病棟でしたが,患者さんたちと接した時に,私はいままで何をしていたんだろうという思いにさらされました。それまでの看護教育が何にも役に立たないという,すごいショックを受けました。患者さんの前に素っ裸で立たされているような,そういう体験をしました。それは初めて「看護って何?」と,自分の仕事を考える機会になりました。また患者さんのところに行くと,本当に人と人と向き合うということが実感でき,看護本来の基本はここじゃないのかなと思えてきたのです。
 でも,学校ができ教員になるのですが,自分の知らなかったゆえにできないことを学生に伝えなければならない,それがすごくつらく,1回生の卒業と同時に「すみません,臨床に戻してください」って(笑)。ひんしゅくものでしたが,むりやり精神科の現場に戻してもらい,それ以来ずぶずぶと精神科看護にはまっております。
吉浜 私は一応,琉球大学の保健学部保健学科(現医学部保健科)の1期生なんです。しかしそこでは看護士の資格は取りませんでした。看護のコースもあったのですが,1期生で,先輩もいませんからどういうところに進んでいいのか,先がまったくわかりませんでした。男子の場合,検査技師の資格ぐらい取っておけばなんとか食えるかなあという具合でした。検査技師の資格は取ったのですが,卒業の頃に偶然に声がかかり精神科医療の道へ入りました。しかも看護助手として入り,結果的に3年間看護助手として働いていました。実はすぐに「しまった!」と思いまして,卒業したての5月か6月にもう1度学校へ戻れないかと相談に行ったんです(笑)。そうしたら,卒業するまでに単位を取らないとだめ,制度上そういうことはできないと言われました。留年していればよかったんですね。
 3年間働いて行き詰まりを感じ,いろいろ考えてみたいと思い,都立松沢看護専門学校に入りました。看護助手の間は,医療者であるという自覚はありましたが,看護の視点でものを考えたことはありませんでした。看護学校へ入って初めて,看護という仕事が,医療の中で占める位置というのは何だろうと考え始めましたね。
 卒業してから沖縄へ戻り,いくつかの精神科の病院で勤務をしましたが,以来ずっと精神科看護につかっています。

精神科と「体育会系看護」との違い

石田 私は卒業して最初に内科に就職をしました。たまたまその病棟は,1年目の新人でも,先輩のアドバイスを受けながらですが,プライマリ看護もどきをしてもよいという,かなり活発な病棟でした。しかしそれにも飽き足らず,何かおもしろいことはないかと探していたところ,たまたま街で暮らす精神障害者の方々のケアを自営でやっている人と出会いました。しばらくそこに出入りしているうちに,地域での精神看護はとてもおもしろいと感じたのです。普通は病院から入るのでしょうが,私は地域のほうから精神科へ入りました。その後,東京武蔵野病院での社会復帰活動に参加し,通年で2年半ほど,精神科の看護をやりました。
 精神科では,それまでの内科ではほとんどできなかった,例えばコミュニティケアとか,グループ活動とか,看護面談,さらにセルフヘルプグループの支援などを思い切りすることができました。
宮子 私が看護婦になったのは成り行きのようなところがなきにしもあらずですが,精神科にもすごい確信を持って入ったわけではありません。9年同じ職場にいて,ICUか精神科へのローテーションを迫られ,ならば精神科と流れてきました。
 そんな私がいるのは35床の精神科の病棟で,一応開放病棟です。私の場合,橋本さんと同じように,一般科での経験を積んで精神科に入ってきました。内科での看護は,どちらかと言えば「体育会系看護」と申しましょうか。汚い人をきれいにして「ああ,すっきり」とか,「呼吸が止まった! 挿管だ!!」という世界でした。その一方でターミナル期にある患者さんも多かったものですから,精神科に移るにしても,精神的な看護はしてきているから何とかなる,という気持ちでした。ところが精神科へ来たら,もう初日からつまずきましたね。精神的看護と精神科看護がこんなにも違うものかと思い知らされました。
 内科ですと,日常生活の援助の他に,脈をとり血圧は計ってというところから会話が始まるのですが,精神科の場合バイタルサインも安定しているし,ADLも自立している患者さんが多いですから……逆にどう接していいのかわからないというところがありました。他科から移った場合の戸惑いはありませんでしたか。
石田 まず,病院に入った時の匂いが全然違うと思いましたね。アルコールの清潔な匂いではなく,長い間人が住みついたような匂いなんです。それから音も違います,機械音がしません。色もどちらかというと暗いですね。それと生気というか,生きている気の流れみたいなものがあるのですが,その流れ方が違う。何と言ったらよいのかわからないけれど,とにかく生き生きとしていません。ところが,急性症状が強い患者さんが来た時に,急にその病棟の雰囲気ががらっと変わってザワザワとなる。それがとても不思議だなと最初は思いました。
宮子 私がまずびっくりしたのは,ナースステーションの中に何もないことでしたね(笑)。内科は,もう山ほど薬はあるし,器具もたくさんあるでしょう。それが何もないんですよ。本当に丸腰にさせられてしまったなという感じがあって,先ほど裸にされるという発言がありましたけれど,「ここは丸腰で戦うのか」という気持ちになりましたね。確かに看護というのは薬や器械ではないとわかりながらも,そういうものに守られていた自分というのか,それをとても感じました。
橋本 自分を守るものが何もないというか,守られていたということを気がつかない。だから,生身の自分がさらけ出されてしまうと,後になって気づくんですよね。

患者百態

ボーダーラインにある患者

宮子 先日体重が28kgの拒食症の女の子が入ってきたのですが,そうすると縛ってでもIVHを入れて体重を増やすんですね。彼女はボーダーラインの患者さんでもあり,本当に信じられないことをします。カミソリの刃を飲んだり,ボトルを割ってそれを飲みこんだり。閉鎖病棟ではありませんので,そのような手に負えなくなった場合には,閉鎖病棟のある他院に転院させることがあります。その子は30何kgになったところで転院となったのですが,この間あいさつに来たら44kgになっていました。だけど,家に帰ると1週間で5kgぐらい減っちゃうんですよ,食べて吐いての繰り返しで。そんな患者さんもいるんですね。
吉浜 私のいる病院では,入院してくる患者さんは分裂病が一番多くて,拒食症の患者はいませんね。他の精神科関係の看護者からもあまり聞いたことがないですね。
宮子 橋本さんの病院ではいかがですか。
橋本 そんなにひどくはないですけれども,中学生や高校生ですが,摂食障害は何人かは入ってきます。
 つい最近のことで,拒食症ではありませんが,何回も自殺企図をしている境界例の患者さんが,精神安定剤と睡眠薬を多量に飲んで夜中に搬送されてきました。当然胃洗浄して血管確保しますよね。ですけどその時に医師は「何もしなくていい」と言って,翌日退院の指示を出していたと,深夜の看護婦から聞きました。確かに医師も悪いのだけれども,その指示をそのままに受けている看護婦に私はもっと腹が立ちました。自殺を企図するというのは,もっとよりよく生きたいということへの行動の表れです。だから,「先生,この人はもっと生きたいんだから何とかしようよ」とひと声言ってほしかったですね。
吉浜 身体的な問題では,最近特徴的な2例を診た経験があるのですが,1人は多動児といった感じの子で,針を飲んだりいろいろな問題行動を起こして入院してきました。入院する時に,両親に私自身が面接して,その問題行動については細かく情報をとりましたが,入院して2日目でしたか,食物アレルギーが出たんですよ。カップラーメンに入っている海老が原因だと思われますが,喉頭浮腫のようになり大あわてになった。海産物では魚と海草類以外はすべてだめということがわかったのですが,身体面の情報のチェックもれがありました。これは反省しなきゃいけないと思いましたけれど,問題行動が多彩ですと,どうしてもそちらに気をとられてしまいますね。

見逃されてしまう身体症状

吉浜 もう1例は,入院時はうつ状態となっていて,後にアルコール依存症ということになった患者さんですが,多発性神経炎が見過ごされていました。「胸のあたりが痛い」と言うものですから,話を聞いてみると「転んだ」と言うんですね。よくよく聞いてみたら,転院前の総合病院で階段で転倒していて,その原因は足のしびれだということがわかりました。しかし紹介状にこのことは何も触れられていなかったので,こちらの医師も見逃していました。幻覚の出方も,離脱症状とはちょっと違うなという話で,アルコール問題は過小評価されていたわけです。会社が倒産したり,奥さんが逃げ出したりとか,心因となるものが多く,そちらのほうばかりに目がいって,身体のほうのことは前の病院でも,うちの病院の入院時の診察でも十分にはチェックされていませんでした。
橋本 身体症状を精神症状としてとらえて,身体的,器質的なことから起きていると思わないことは多いですね。ヒステリーだと思われていたのが,実は検査をしたら脳腫瘍だったという例もあります。
宮子 内科にいた時に,ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された患者さんが,ただのヒステリーで,患者の田舎の病院で養生したら歩けるようになったという話もありました。
 医師ができない身体的なことを看護者が発見してフォローしていくというのは,それはそれである種のやりがいとなっている部分が自分の中にもあって,それでいいのかどうかが,自分でもわからないままでいますけれども。

お互いが援助者

橋本 精神科看護を本当にやってみたいと思ったのは,拒食症の患者さんとのかかわりからですね。看護婦は感情をむき出しにしてはいけないとか,患者さんとの間に一定の距離を置くという原則がありますよね。そう教わっていたのですが,でもせっぱ詰まった時に私は叫んじゃったんです。
 20代の患者さんでしたが,お姉さんが美人で,「お母さんはお姉さんばかりをかわいがるのは,自分が醜いからだ」と,本人もきれいな娘さんなのにそう思い込んで,自分は死んだほうがいいと,とにかく食べない。最終的に経鼻カテーテルを入れることになりましたが,そうすると拒否するので暴れますよね。その時に「看護婦さん,なんでこんなに私を苦しめる」と言われたんです。私も,「ここまで押さえなきゃならない自分だってすごくつらいんだ」って,普通だとそんなことまで言わないのですが,叫んでしまった。そうしたらこちらの真剣さが伝わったのか,態度を変えて「自分で食べる」と言ってくれました。
 そういう人と人との関係,看護者の言葉のかけ方とか態度が患者さんの変化を促すということがすごい驚きで,こういうことが精神科の看護に求められているのかなと思ってしまいました。いまでは,一方的にケアをするのではなく,私がいろいろなことを教えてもらっています。普通の人間関係ですと構えたりしなきゃならないこともありますが,患者さんと向き合っている時にはそれがなく,そこがすごい魅力でもあります。だからいまでもときどき落ち込んだ時には患者さんのところに行くんですね。そういう意味では,お互いが援助者になっている,そういう関係が精神科の看護にはある気がします。
 それから,昨日外来に手伝いに行った時に遭遇したことですが,一般整形に入院している手術予定の72歳の女性が,部屋を間違えるとか,男性のスリッパを履いたりということがあって,そういう状態では手術できないからと,精神科を受診に来ました。そこでインタビューをしてみると,ところどころは外れますけど,話はなかなかしっかりしているんですね。つまり年齢的,生理的な呆けなのですが,若い医師はそれを理解できず,「異常」として精神科に行きなさいと言う。老いをわかっていないというのは,ちょっと残酷だなと思いましたね。

精神科看護の魅力

家族にどこまで介入できるか

橋本 私,最近感じるのですけれども,子どもが入院している場合のお父さんとお母さんの関係ですとか,それから当人の夫と妻との関係とか,そこに病気の原因が潜んでいるかもしれないのに,そこにタッチしませんよね。原因の根本をそのままに,薬だけの治療でいいのか,逆に私は怖いと思っているのですが。
宮子 私はそこがわからないでいます。というのは,うちはわりと薬中心の医療なんですね。ただ,ドクターと話してみると,「問題が家族にあるということはよくわかる」とはおっしゃるんですよね。
 それと,医療者として家族の問題にどこまでかかわれるのかが,実は私の一番大きな悩みでもあります。
橋本 家族とのかかわりで私たちのできることは,親も当事者も影響しあっているわけですから,お互いに自分の問題を距離をおいて見られるように示唆していく,そういう介入方法なのではないでしょうか。変えるというのは難しいですよね。患者さんもそうです。だから問題を投げかけ,一緒に考えていく。その程度の介入なのかなと思います。
宮子 看護の世界って自分の限界をきちんと伝えるのがとても下手な気がします。そこがすごく不安なところでもあるのですが,精神科看護を実践していて,それこそ深く深く問題を突き詰めていかなければというタイプの看護婦に限って,家族に土足で踏み込んだり,怪しげな占い師みたいなことになってしまうのではないかと心配です。偉そうな言い方になってしまいますけれど。その点まだ医師は,自分ができることとできないことが,もうちょっとわかっているのじゃないかという気がします。

患者とともに泣き笑い

宮子 いま,私自身がこの科でやっていけると思った瞬間のことを思い出しました。精神科へ移って2か月ぐらいたった頃だと思いますが,私はその頃,内科へ帰りたくて帰りたくて仕方がなかったんです。それはなぜかというと,しみじみと話せない患者さんたちが多いんですよ。精神科というと,うんとお話ができて,ゆっくりかかわれてという印象があったのですが,しみじみと話す機会は内科の時のほうがあったなって落ち込んでしまって……。
 そんな夜勤の時に,ボーダーラインの20歳過ぎの女の子でしたけれども,彼氏に電話したいといって泣きながらナースステーションに来たんですね。「電話したい,電話したい」ってパニックになって,しょうがないから安定剤を飲ませて,話をしようということになったのですが,「家にいたらいまごろ電話をしているのに」と言うんです,真夜中の2時に。そこで,あなた何回ぐらい電話しているのって聞いたら,「80回ぐらい。それで彼が怒って電話をぶっちぎっちゃって……」。でも私も自分の若い頃のことを考えて,「うーん,私も80回はないけど,20回ぐらいはしたことがあるわ」って,そんな話をしながら2人で泣いちゃったんですよ。何かその瞬間に,うまく言葉にできないのですが,やっていけるかもしれないと思ったんですね。
橋本 そういうことの積み重ねが精神科の看護婦としての財産になっていくのではないでしょうか。本当に患者さんとともに泣いたり,笑えたりする場面が大事なような気がします。
宮子 逆に,怒ったということはありましたか。
橋本 あります。
吉浜 もちろんあります。先ほどの多動な児の場合ですが,気を引くためにしょっちゅうたばこを食べるんですね。フィルターの部分だけだったと後でわかりましたが,不穏になるかなと思いつつ叱りましたね。
宮子 看護者自身も冷静になれない場面というのはありますよね。
吉浜 しみじみ話せないのと逆で,つきまとわれてつきまとわれて逃げるのが大変という場合もあります。しつこく確認を迫られることもありますね。精神科でのコミュニケーションというのは実に多彩ですね。
石田 見ていると普通の社会の縮図みたいな感じもします。より建て前の部分を捨てることができた社会というのか……。

早期発見,早期治療は可能?

石田 最近は社会復帰という言葉より,急性期という言葉をよく聞きます。最初の時期にきちんと治療をして,結果として慢性期までいかなくて,入院期間が短くなり,社会復帰も楽にできるということのようですが。
宮子 早期発見,早期治療みたいなものですね。
吉浜 急性期がそんなに注目されているのでしょうか。
石田 医療政策の大きな目標が,入院期間をどれだけ短くできるかという話になってきています。それは一般病院でも精神病院でも同じことです。何年も入院している人への退院を支援するという意味での社会復帰活動というものは,ある意味で過去の遺産になりつつあります。
吉浜 私は急性期治療病棟にいますけれど,その立場から言うと,やっぱり社会復帰活動部門は華やかだという意識があります。精神科でしばらくやっている看護者でも,急性期はつまらないと言います。精神科の魅力は,あのゆったりした時間の流れなんだと言うんですね。けれども最近は,一般科並みに1日3名ぐらい入院してきて3名が退院するようなこともあります。だからあわただしいくて,こういう状態の精神科は嫌だと。で,何で治っていくかといったら,やっぱり薬物で治っていくという感じがどうしてもあるわけですよ。精神科らしい,患者さんとのかかわりがないと感じるようです。
橋本 短期間というのは診療報酬も絡んでいますよね,だから3か月間で帰すようにと。だけど,退院しても入院前の世の中と変わっていないわけで再発してしまう。その繰り返しをするのではという危惧があります。だから急性期に集中すればそれで済むというわけでない気がします。その人がなぜこんな状況になったのかということを考える,看護者としてそういうことをきちんと視野に入れて,「また何かあったらいつでもおいで」という関係づくりをして帰すということがすごく求められるような気がします。

自己管理の可能性

家族,家庭と自分と

吉浜 家族の問題に戻るのですが,回転ドアケースの場合には帰っていく家庭,家族に何か問題があるわけです。だけど,それが何なのかよくわからない。家族の中に何かがあるとしか思えない。ここをきちっと問題にしないと,よくなって退院していってはまた戻って来るということを繰り返して,年に何回も入院してくるわけです。
 だから,家族のことを問題にしなければいけないのだけれども,われわれとしてもどう踏み込んでいいのか,あるいは踏み込むべきじゃないのか,いろいろな議論が可能だと思いますがよくわからない。患者さんが家族と一緒にいる時間が長ければ長いほど再発率が高いというEE(感情表出)関係のデータもありますし,デイケアに来てもらったり,家から距離をとってやっていく方法はないかということを一緒に考えたりというように,そういう程度だったらわれわれにも可能だと思います。そういう回転ドアケースの場合には,患者さんが戻っていく家族の問題をわれわれがどう考えていくのか,そういう課題があると思います。
石田 波風の激しい社会の中で生きてきてそれで病気になったのだから,わざわざ社会に戻る必要はない,このまま入院しているほうが幸せだという考えと,やはり1人の人間として社会に生きる人として戻ったほうがいいという考え方があると思うのですが,最終的な判断はその人本人の課題だと思います。医療スタッフは,どう支援できるのかを考えることはできるけれど,どうすべきかを決定することはできないでしょうね。
橋本 治るということがどういうことなのかが,本当にわからないですよね。病院の中では症状がある程度おさまっても,退院したところが家族や地域,会社での人間関係は変わっていないことが多い。だからまた症状が出てしまう。症状がおさまったから「はい,さよなら」というのではいけないわけで,そのことを私たちはどうとらえればいいのかが,大変だけれども,でも逆に精神科の魅力でもあるのかなとは思いますね。
石田 内科にいた時には,治るのが当たり前というか,治るということは何かがだいたいわかっていて,そろそろ退院できるかなと予測も立てられたわけですが,精神科はそういうのがわからない世界ですしね。
宮子 患者さんを精神障害者という言葉で見るか,精神科疾患の患者さんと見るかで,自分の中の感覚が変わるような気がするんですよね。
吉浜 ついこの間そういう議論を別の場でしたのですが,精神障害者というとらえ方で議論されることが多いですよね。法律もそうなりましたし,でも急性期をみていますと病気という見方がないと困るという感じもします。再発しやすい,慢性化しやすいという問題は確かにあるのですが。

看護は変化を迎える時代

吉浜 ただ昔と違い,糖尿病や高血圧のような慢性疾患の自己管理と同じように,自分で自分の病気を管理するというレベルで考えてもいいんだという考え方が出てきました。治ったからもう大丈夫と退院するけれど,薬をやめたら再発して,それを何回か繰り返すと,経験上どういう状況になると再発するのかが自覚できるようになる。
 昔は経験が経験にならない人たち,何回でも同じ失敗を繰り返して,というとらえ方をしてきたかもしれませんが,違う見方になってきています。こういう発想というのは,絶えずわれわれの臨床現場を変えていくのではないかと思いますね。
宮子 身体疾患と同じような対処が必要な部分というのも,私たちが最初思ったより多分多いんだと思います。糖尿病でインスリンを使っていて,それはもう一生治らないわけだけれども,膵臓障害者という言い方はしません。だけど,精神科に関しては,一生薬を飲むんだから精神障害者だという言い方があって,そういうところから逃れられない科でもあるのですね。
 看護の基本的な姿勢というのは,臓器や疾患ではなくて,もっと人間として見ようということだったと思うのですが,精神疾患の場合は,疾患は疾患としてというところもちゃんと看護者自身が意識して考えていかないと,これまでの流れに流されていってしまうという気もしますね。
石田 逆にそれがちゃんとみえれば,精神科ってすごくすばらしいことをやっていると思うんですよ。最初に言ったグループ活動やコミュニティ活動というのは,内科にもし戻れれば,そこでやったらおもしろいなと思うわけです。例えば,糖尿病教育入院などはグループでやったほうが効果があるんだろうという感じはしますよね。
吉浜 ノーマライゼーション時代の精神科看護は,どうあらねばならないのかと考える必要もあるでしょうね。患者さんたち自身が1人の社会人としての責任性というようなものを身につけなければならない,そのままでは世の中に受け入れてもらえないこともあるでしょうから。
橋本 うちの病院では最近アルコール依存症の入院が増えてきています。でも,アルコール依存症を病気とみなさないで治療をし,言うなれば飲める状況にして帰しています(笑)。肝臓をよくするために内科的な治療を優先して断酒する。だから帰る時には飲める状況になります。なぜ飲んでしまうのかというあたりの専門的なかかわりをしていません。それで,アルコール治療の専門のプログラムを持つ病院に行くようにと患者さんにすすめて,そうしたらAAや断酒会のグループができたんですね。で,そこに看護婦がかかわるようになりました。そうしたら,今度は看護婦が変わってきましたね。
 結局,患者さんの主体性が大事。医師,看護婦,患者さんという上下関係の通じない世界で飲まない日々が長くなる。それがわかって,看護者のかかわりの視点がずいぶん変わってきました。
吉浜 ちょっと精神科の敷居が低くなったなと思えるのは,アルコール依存症の人たちの場合ですね。それほど追い込まれているとは思わないのですが,実によく皆さん受診しますし,入院します。それは断酒会活動の啓蒙がかなりきいているからだろうと思いますが。 本紙 いま精神科の看護は変化を迎える時代とも言えそうですね。
橋本 玉石混淆だと思います。
宮子 まとめ役になれませんでしたが,個人的には,私自身が悩んでいたことなど整理ができ,また今後の勉強にもなりました。今日はどうもありがとうございました。

(1997年10月10日収録)