医学界新聞

 シドニー発 最新看護便
 オーストラリアでの高齢者対策[第2回]

 痴呆症ケア(2)

 瀬間あずさ(Nichigo Health Resources)


 前回は,施設と在宅での痴呆症ケアについて触れたが,読者の中には「オーストラリアでは,痴呆症の患者は精神病院に入院していないのか」という疑問を持たれた方もいると思う。そこで今回は,痴呆症患者とその家族をサポートする組織団体について述べる前に,オーストラリアでの痴呆症ケアのあり方について,現在へ至る過程を簡単に触れることにする。

痴呆症は心の病いではない

 1970年代後半,痴呆症の患者は軽い行動障害があったり,自分の面倒をみることができなくなったという理由だけで,精神病院に送られてしまう危険にさらされていた。当時のオーストラリアの精神病院は,規模が大きく,人が近づきにくい場所にあるのが普通で,精神病院に入院するということは,多くの場合家族や友人から引き離されることを意味していた。
 1980年代初め,ニューサウスウェールズ州(以下,NSW州)で精神病院の本格的な見直しが行なわれ,その結果,「リッチモンドリポート」が提出された。この報告書では,病院で提供されていたケアサービスに代わって,地域社会をベースにしたサービスの提供が勧告され,その時期に精神病院に入院していた痴呆症患者の立場を一変させる裁判所の判決が下された。
 「痴呆症というのは心の病気ではなく,脳の物理的疾患であり,したがって精神病ではない」との判決がパウエル判事によって下されたのである。痴呆症の人たちが,本人の意志に反して精神病院に入院させられることはないと保障された。また判決は,痴呆症患者のために早急に新たなケア方法を開発しなければならないと,その必要性を改めて確認するものであった。
 その後,痴呆症老人のための家庭的な雰囲気を持つホームを提供するために,特別に設計された小規模なユニットが造られはじめ,痴呆症患者のケアは精神病院におけるケアから新しいケアへと移行してきている。

アルツハイマー協会の役割

 次に痴呆症ケアにおいて大きな役割を果たしているアルツハイマー協会について触れてみたい。
 非営利コミュニティ団体であるNSW州アルツハイマー協会は,痴呆症患者とその家族にサポートサービスを提供する目的で,1982年に設立された。単にサポートをするだけでなく,一般市民を対象に痴呆症への理解を図るための会を開くなど,啓蒙活動も行なっている。この協会が設立される以前は,患者や家族は痴呆症についての情報を個人で集めなければならず,また痴呆症についての情報提供をしてくれる場所もまちまちであった。
 まず,家族へのサービスとしてサポートグループを組織し,NSW州全体では130以上のグループから構成されており,毎月ミーティングを持つなど,情報交換の場を提供している。これにより,痴呆症の影響から生じる問題行動にいかに対処していくか,その知恵を分かちあい,また痴呆症ケアに携さわっているのは自分1人だけではないという体験を共有している。
 その他にも,訓練を受けたボランティアの協力で,ヘルプラインと称して24時間無料の電話でのカウンセリングサービスや,直接専門のカウンセラーに面会し,カウンセリングを受けることも可能である。痴呆症患者の介護に追われる家族にとって,こうして誰かに相談できる機関が存在することは大きな意義があるように思う。
 さらに痴呆症についての教育の一貫として,セミナーやワークショップを計画し,管理のテクニック,介護者として生き延びていくためのケアの仕方なども指導している。また,家族や患者本人に対しての教育だけでなく,この協会では施設,在宅ケアを提供している看護婦やパーソナルケアアシスタントなどのケア従事者に対する教育も行なっている。

専門家のアイデアを取り入れた施設

 NSW州アルツハイマー協会の本部が置かれている「ザビンセントフェアフェックスファミリーリソースセンター」は,有力な大新聞社を経営している一族の多大な寄与により建築されたもので,痴呆症患者ケアの環境はどうあるべきかを示す,お手本の建物である。
 センターの管理者は,「よくなる見込みのない弱い立場の方たちに,最高のことをしてあげるのが自分たちの役目」と話し,デイケアセンターと似通ったサービスを提供しているが,ここは内装だけでなく庭の造園もすばらしい。
 リビングルームやキッチンなどの内装は,痴呆症患者が小さい頃過ごした1930年代風とし,あちらこちらに痴呆症ケアの専門家が考えたアイデアが取り入れられている。散歩できる庭も,センターからは1人で外へは逃げ出すことができないように設計されており,家族は患者を監視する必要もない。介護者と痴呆症患者はこのセンターを訪れ,デイケアセンターとして施設を利用できる。
 例えば,患者の誕生日を祝いたい時はこのセンターに予約を入れ,誕生パーティーを開くことも可能である。さらに,センターに併設されている図書館で痴呆症ケアについて情報を収集している間,患者はリビングルームで過ごすことも可能だ。このように介護者は一時でもケアの役割から開放される。また,ナーシングホームやホステルの痴呆症入所者たちの外出先の1つとしても利用されている。

家族負担の大きい痴呆症ケア

 こんなすばらしい施設があるのにもかかわらず,痴呆症患者を抱える家族は,必ずしも利用しているとは限らない。先日,筆者が勤務する公立病院の一般病棟に入院してきた86歳の患者さんは,長く痴呆症を病み,同じような高齢の夫が患者の世話をし,週に2回デイケアセンターでのサービスを受けていたが,そのデイケアセンターのスタッフでさえも彼女の不隠状態,問題行動は手に負えなくなり救急車で運ばれてきた。
 患者の家族に,在宅でケアしている間どのようなサポートを受けてきたのかうかがったところ,デイケアセンターでのサービス以外はほとんどなく,ずっと家族が行なってきたと話した。どうして既存するサービスをもっと利用しないのだろうかと思うが,そこにはまず家族で世話をしていくのが当たり前という考え方が,このオーストラリアでもある気がする。どこの国でも痴呆症ケアにおける家族の負担は計り知れないものがある。

(以降,奇数月に連載)

●瀬間あずさ氏プロフィール
 東京・小平市出身。双子の姉とともにとりあえず経済的自立を,という観点から看護婦をめざし,1981年に武蔵野赤十字女子短期大学を卒業。武蔵野赤十字病院,慶應大学病院勤務後,1985年にワ―キングホリデーのビザをとり渡豪。
 オーストラリアの正看護婦の免許を取得し,シドニーの公立病院に勤務。1989年より公立ホーンズビークーリンガイ病院に勤務。1995年,ニューイングランド大で学士号修得。1996年より『日豪ヘルスリソース』を開設し,来豪する日本人看護婦をはじめとする医療従事者のオーストラリア研修のコーディネート,通訳などを行なう。本年9月より「痴呆症サービス開発センター」のコーディネーターを兼務している。
 興味のある分野には,高齢者ケア(特に痴呆ケア),緩和ケア,日本人看護婦が海外で働けるための教育などがあり,将来,シドニー在住の日本人痴呆性高齢者を対象としたグループホームを作りたいと考えている。