医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(18)

組織犯罪(5) -帝国の落日?-

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


ABC現象

 世界最大の病院チェーン,コロンビアHCA社(以下,コ社)による営利第一主義の医療の展開に対し,医療の質の低下を危惧する勢力による反撃が繰り広げられ始めた。全米の多くの州で営利企業による非営利病院の買収を規制する法律が次々と制定されているが,いずれもコ社の進出を規制することが目的である。経営状態の悪い病院を抱えるコミュニティでは,病院の運営改善策を策定するに当たって,「Anything But Columbia(コロンビアに買収されることだけはイヤ)」というABC現象が起こることが普通となった(ABC現象の恩恵を被っているのが病院チェーン業界第2位として急成長を続けているテネット社であるといわれている)。
 コ社に対する最大の打撃はメディケア(連邦政府の管轄する老人医療保険,22452247号連載参照)の過剰請求容疑に関する連邦政府の強制捜査の開始である。強制捜査が97年3月に開始されたことは第16回(2261号)で述べたが,7月16日には全米7州のコ社関連施設35か所で一斉に抜打ち家宅捜索が行なわれ,連邦政府はコ社に対する本格的追求姿勢を改めて明確にした。コ社に対する捜査拡大の動きに連動する形で,7月18日,保健省主任監査官ジューン・ギブス・ブラウンは下院通商委員会で証言に立ち,「メディケアはさまざまな不正請求のために230億ドルもの過剰支出(総額の14%)を強いられている」と強調し,メディケア詐欺を防止する強い決意を表明した。倒産の危機に瀕しているメディケア財政の立て直しのために政府は一生懸命頑張っているという姿勢を示すために,現政権がコ社摘発を利用しているという観測もなされている。
 3月の強制捜査開始以来,株価は2割以上下がり,コ社の重役陣は危機感を強め始めた。連邦政府との対決姿勢を強め「何も心配することはない」と言い続けるワンマン会長スコット(コ社の創業者)が経営実権を握っている限りこの危機を乗り切ることはできないとの了解が重役たちの間で広まった。7月16日の連邦政府による強制捜査拡大は,スコット追い落としの格好の口実となった。7月25日スコット,そして彼の片腕として戦闘的事業拡大策を実行してきたバンデウォーター社長の辞任が発表された。

全面降伏

 新たにコ社の会長となったのはトーマス・フリストである。彼は外科医であるが,父親とともにHCA社を創設し,スコットの創設したコロンビア社との合併後,副会長として新会社の経営陣に加わった。彼はコ社株2.4%を所有する個人筆頭株主であるが,ワンマン会長のスコットがすべてを仕切っていたために,副会長といっても経営の実権はまったく持っていなかった。彼は会長に就任するや否や,これまでの積極拡大路線・営利第一主義から180度方向転換し,患者ケアをコ社の最優先目的とすると同時に企業倫理を立て直すために全力を尽くすと表明した。医師への病院所有権分配制の廃止,経営陣に対するボーナス制の廃止,メディケア過剰請求の捜査対象となった在宅ケアサービス事業の売却など,スコット路線との決別を次々と表明した。外部の法律会社と契約し,これまでのコ社の運営に違法行為がなかったかという独自内部調査を開始するとともに,今後違法行為が2度と起きないようにするために外部法律機関による監査体制を導入することも表明した。さらに,連邦政府捜査への全面的協力を約束し,できるだけ早い時期に連邦政府との話し合いを始めたいという意向を明らかにした。

イメージ回復に躍起

 フリストが全面降伏ともいえる方針を示したことは,連邦政府による捜査拡大に対するコ社経営陣の危機感の強さを反映している。二重帳簿など動かぬ証拠を押さえられている以上,法廷で争うことは得策ではない。今後連邦政府から莫大なペナルティを科されることはわかり切っている。ここまで悪役イメージが広がれば,株価が下がるだけでなく,患者離れが進むかも知れない。経営に対するダメージを最小限にくい止めようとすれば,路線の全面転換を強調するとともに,連邦政府に対する恭順の意を示すしかない,という判断が働いたことは想像に難くない。
 7月30日,コ社のフロリダ州での財政を担当していた重役3人がメディケア請求に関する詐欺容疑で6月25日にすでに起訴されていたことが明らかにされた。連邦政府による第二波の強制捜査はこの起訴の後に行なわれたわけで,捜査が下級重役3人の起訴で終わることはありえず,捜査の最終目的は経営トップの訴追にあると信じられている。実際,今回辞任したバンデウォーター社長は,辞任後にウォーターゲート事件を担当した元検事ジェイムズ・ディールを弁護士として雇い入れている。

転んでもただでは起きない

 連邦政府の捜査拡大に大揺れのコ社であるが,7月23日,ウォール街に衝撃的なニュースが走った。病院チェーン業界1位のコ社と2位のテネット社との間に合併交渉が進んでいるというのである。いずれ連邦政府との間に司法取引を結ばねばならないが,その際に巨額のキャッシュが必要となることは火を見るよりも明らかである。今のうちに合併により体力を強化しておく,ということが理由の1つである。それだけでなく,コ社を立て直すためにテネット社の経営責任者バーバーコウの手腕に頼りたいという理由も大きいといわれている。テネット社の前身による組織的医療犯罪が摘発された後に連邦政府との間の司法取引が速やかに成立したのはバーバーコウの卓越した手腕によるものといわれているが,彼は連邦政府に多額のペナルティを支払いながら同時にテネット社の経営をも立て直すという離れ技を演じているのである(2260号連載参照)。コ社のスコット,バンデウォーターが辞任することが合併を進めるための必須条件であったとともに,合併後の経営実権はバーバーコウが握るとされ,実際には小さいテネット社が大きいコ社を救済することになるという観測もなされている。
 合併交渉のニュースが流れた直後,下がり続けていたコ社の株価が反転し,10%跳ね上がった。転んでもただでは起きないとはよく言ったものである。 

(この項おわり)