医学界新聞

「第56回日本癌学会総会」より


シンポジウム「ゲノムの不安定性と発癌」

 「Science」誌がDNA修復酵素を“Molecule of the Year”として選んだのは1994年のことであり,また「Cell」誌が年頭号のレビューに“It was a very good year for DNA repair”というタイトル記事を載せたのも同じ1994年である。発癌のプロセスにおけるミスマッチ修復の意義はこの数年の間に確立されたが,シンポジウム「ゲノムの不安定性と発癌」(司会=癌研 野田哲生氏,東大医科研 中村祐輔氏)では,遺伝性非腺腫性大腸癌(HNPCC)の原因遺伝子,また家族性乳癌の原因遺伝子であるBRCAなどが話題になった。  

HNPCCとミスマッチ修復機構

 ミスマッチ修復機構に関する近年の研究から,HNPCCの原因遺伝子としてhMSH2hMLH1hPMS1hPMS2hMSH3hMSH6などが判明し,ミスマッチ修復機構の異常がヒト発癌過程に関与していることが強く示唆されているが,その発癌機構の詳細は不明である。
 馬塲正三氏(浜松医大)は,外科の立場からRER(Replication error 複製異常)の臨床応用を検討。HNPCCの日本最大家系を含むAmsterdam Criteria(AM)に合致する家系11例,Japanese Clinical Criteria(CC)合致家系11例,一般大腸癌124例について,MMR(ミスマッチ修復遺伝子)とRERの解析を行ない,「AM家系11例中2例にMMRの体細胞変異を認め,RERの検出率はAM家系内大腸癌94.7%,CC家系内大腸癌46.7%,一般大腸癌13.7%である」と発表。また野田氏は,ミスマッチ修復機構の生理的機能の解析とHNPCCモデルマウスの樹立を目的として,ジーンターゲティング法により,Mlh1遺伝子に変異を持つマウスの作製を試み,これに成功したことを報告した。

BRCA2と遺伝的不安定性

 BRCA1BRCA2は家族性乳癌の原因遺伝子として単離され,癌抑制遺伝子と考えられており,BRCA1タンパクとRad51タンパクが細胞内で複合体を形成し,BRCA1Rad51と共同で組み換え時のゲノムの安定性を制御する機能を持つことが示唆されているが,1994年にBRCA1の単離に成功した三木義男氏(癌研)はBRCA2と遺伝的不安定性の関係を発表。
 マウスではBrca2の発現はBrca1と同じような制御を受けており,細胞周期のG1期からS期への移行時に発現のピークが認められる。このように,BRCA2の機能や制御機構は,BRCA1と高い類似性があることから,両遺伝子は同じ経路において作用していることが予想される。三木氏は,「転写活性化機能やRad51との相互作用によるゲノムDNAの安定化機能が明らかになったが,タンパクの大きさからさらに多くの機能を持つことが推測され,この制御機構の破綻によるゲノムの不安定化が発癌につながることが示唆される」と指摘した。


シンポジウム「癌とテロメア・テロメラーゼ」

 テロメラーゼは,染色体末端にあるテロメアの複製をde novoに合成する酵素として,1985年に繊毛虫類テトラヒメナにおいて初めて同定された。また,1989年にヒトの細胞株であるHela細胞においても同様の活性が確認され,加えて細胞の持つ分裂可能回数とテロメア長との相関関係が明らかにされた。以来,ヒト正常細胞にはテロメラーゼ活性がなく,癌では高頻度に検出されることがわかり,テロメラーゼは癌診断と制癌のターゲットとして注目されている。
 シンポジウム「癌とテロメア・テロメラーゼ」(司会=東工大 石川冬木氏,広島大 井出利憲氏)では,ここ数年,癌研究者の間で高い関心を集めているこのホットなテーマが討議された。

テロメア・テロメラーゼと癌診断

 まず司会の井出氏は,「テロメア・テロメラーゼと癌診断」をレビュー。
 テロメラーゼ活性は初期の癌でも高い陽性率を示し,また細胞診にも応用可能なことから,早期診断への適応が期待される。しかし,正常細胞でも幹細胞を含む生理的再生組織には弱いながらも活性があること,測定を阻害する組織因子が癌組織に存在することなどから,診断マーカーとしては活性のカットオフ値設定のためにも定量的な測定が必要であることを指摘。今後の課題として,前癌組織における活性の意味や,活性の強さ・テロメア長と悪性度および予後との関係を明らかにすること,活性が検出されない癌において示唆されるテロメラーゼ非依存的なテロメア維持機構の解析などをあげた。

テロメラーゼ活性とその臨床応用

 檜山桂子氏(広島大)は,肺癌の腫瘍マーカーとしてのテロメラーゼ活性測定の意義を検討。肺癌と非腫瘍性呼吸器疾患患者の細胞診・気管支肺胞洗浄細胞について半定量的TRAP(Telomeric Repeat Amplification Protocol)法によってテロメラーゼ活性レベルを比較した結果,「前者の細胞診検体では約3分の1の症例で活性が検出され,その多くは強いシグナルを示した」と報告し,「半定量的なテロメラーゼ活性の評価は肺癌診断および生物学的特性のマーカーとなることが期待された」と述べた。
 改変したStretch PCR法(後述)によって各種の婦人科組織(子宮頸癌・子宮体癌・卵巣癌),前癌病変,良性腫瘍のテロメラーゼ活性レベルを比較検討した京 哲氏(金沢大)は,「子宮頸癌・子宮体癌・卵巣癌は正常および良性腫瘍に対し有意に高いテロメラーゼ活性を認め,前癌病変の活性は低く,癌との間に有意差を認めた」と報告し,テロメラーゼ活性の定量的解析が,癌診断およびスクリーニングへ応用され得る可能性を示唆した。
 次いで,吉田和弘氏(広島大)は大腸癌,乳癌,膀胱癌におけるテロメラーゼ活性とその臨床応用例を検討。大腸癌症例では92%の腫瘍部で,大腸内洗浄液では癌症例中60%でテロメラーゼ活性が検出されたが,炎症性疾患では検出されなかった。また,乳癌組織で73%,膀胱癌組織では63%がそれぞれ陽性を示すことを報告し,「テロメラーゼ活性は腸内洗浄液や尿,便,細胞診材料を用いた癌の分子病理学診断として有用である可能性がある」と示唆した。

テロメア・クライシスモデル

 テロメラーゼを高発現した腫瘍のテロメラ長の規定因子と臨床経過を検討した檜山英三氏(広島大)は,「テロメラーゼ活性を高発現した癌のテロメラ長は,その活性レベル以外の因子に規定され,その1つは癌細胞の増殖能であった。こうした腫瘍のテロメラ長は悪性度と相関し,短縮例は化学療法が無効な予後不良例に多く,テロメア仮説からもテロメラーゼをターゲットとした治療のよい適応と考えられた」と報告。
 また,「テロメア・クライシスモデル」という概念の提唱者として知られている司会の石川冬木氏は,最後の演者として登壇。
 癌は加速的に悪性化する(癌の進化)ことに特徴があるが,石川氏によれば,悪性腫瘍でみられる短小化したテロメア長と強いテロメラーゼ活性(テロメア動態)の2条件が癌の悪性化原動力の1つとして重要。テロメラーゼ活性を抑制することで,悪性腫瘍の進行を緩徐にする可能性が期待され,そのためにはテロメラーゼ活性化機構を分子レベルで知る必要がある。
 これまでは,哺乳類テロメラーゼの構成タンパク質をコードする遺伝子の報告はなかったが,石川氏は独自に開発した新しい検出法Strech PCRによって,テトラヒメナの構成タンパク質としてすでに報告されているp80と相同性を有するラットのクローンを見出し,最終的に約8.2kbの新規遺伝子TLP1(telomerase protein1)の単離に成功。この遺伝子はp240とp230の2種類の遺伝子産物を産生し,抗TLP1抗体は特異的にテロメラーゼ活性と免疫沈降した。またp240/p230の関係をパルス・チェイス実験によって確認したところ,「p240はin vivoでp230に変換されることが明らかになり,ラットの各組織におけるテロメラーゼ活性とp240/p230の量比を検討したところ,活性の強い組織でp230の存在比が高いことがわかり,この変換が活性制御に重要であることが示唆され,TLP1タンパク質はテロメラーゼの構成成分の1つである」と結論した。

Strech PCR法

 テロメラーゼ活性の検出には,感度だけでなく定量性のよさが求められるが,石川氏が開発したStrech PCR法はその要求に応えられる方法である。石川氏によれば,従来のTRAP法は1チューブですべての反応が行なえる簡便性から,臨床検体を多数扱い,活性の有無を検討する場合には非常に有効な手法である。しかし,酵素の生化学的特性を探る場合や阻害剤の探求をめざす場合では,検出法の定量性は不可欠である。定量性におけるTRAP法とStrech PCR法の大きな相違点は,PCRの増幅産物の長さ,つまりタグ配列の有無にあると考えられ,前者は後者に比べて増幅産物の短小化が比較的顕著に認められることにStrech PCR法の特性がある。