医学界新聞

対談 人体の構造と機能

これからの看護教育における解剖生理学の役割

林正健二氏
山梨県立看護短期大学教授
  菱沼典子氏
  聖路加看護大学学部長


 今年4月より実施の新カリキュラムの専門基礎科目では,「人体を系統だてて理解し,健康・疾病に関する観察力,判断力を強化できるよう」,その教育内容の1つとして「人体の構造と機能」を定めている。これに先立ち,すでに平成元年(1989)の前回のカリキュラム改正において,解剖学と生理学は「解剖生理学」に統合され,人体の構造と機能を一貫して学ぶべく方向づけがなされていた。近年,疾病・障害構造の変化にともない,看護婦の活躍する場は病院の中だけではなく,在宅や老人福祉施設などへ,大きく広がりつつある。今回の看護教育カリキュラム再編は,それに対応するものともいえる。医療機関の外に出た看護婦には,これまでにも増して患者・利用者の健康状態のより正確な判断が要求されるといえるだろう。
 このたびのエレイン N.マリーブ著『人体の構造と機能』(医学書院刊)はこのような看護教育の新しい流れに沿ったテキストを提供するという意図のもとに翻訳刊行されたものである。これからの看護教育における「解剖生理学」の役割について,本書の翻訳刊行に力を注がれた山梨県立看護短大の林正健二先生と,以前より独自の枠組みで解剖生理学を教授し,この9月に『看護形態機能学-生活行動からみるからだ』(日本看護協会出版会刊)を刊行された聖路加看護大の菱沼典子先生に対談をお願いした。


看護にとっての解剖生理学

看護と解剖生理学

林正 医学生もしくは医師が解剖学,生理学を学習する目的というのははっきりしています。病気の診断と治療です。一方,看護学生と看護婦さんが解剖生理学を勉強するとすれば,それは看護のためですよね。そこで僕は看護とは一体どういう仕事かということを,新設看護短大の教授に内定してからその開学まで一生懸命考えてきたのです(笑)。
菱沼 結論がお出になりましたか。
林正 いいえ。でも,僕が一番共感したのは,1980年に出されたアメリカ看護婦協会の「看護の定義」(A DEFINITION OF NURSING)です。「看護とは,実在する,もしくは潜在する健康問題に対する人間の反応を診断し,治療することである」という箇処の最後のところを。別の訳では,「診断し,対処することである」となっていて,そうか,1つの言葉の訳をめぐっても,医師と看護婦でこれだけ考え方が違うんだなと思ったものでしたが,1980年のこの言葉は,今でもいちばんぴったりくるように思います。健康問題そのものをとらえるのが医師であって,健康問題に対する人間の反応を看るのが看護職なんだなと。
菱沼 医学における解剖学,生理学は,診断をして治療をするための基礎知識であることが大前提です。でも看護の場合は,病理学的な診断とか治療法そのものを追求するわけではありません。おっしゃった健康問題に対する反応といったもの,それを持ったまま,ともかく今日の生活,明日の生活があるわけです。その病気を持ったまま,その人が今日暮らせる,あるいは明日の生活を計画できる,そこを手助けするのが看護だろうと私は思っています。
 解剖学そのものは人体の構造を明らかにするという意味では1つでしょうが,大切なのは,医学で発達してきた解剖学や生理学の知識を,看護ではどういうふうにリコンストラクションして用いるかということではないでしょうか。
 看護婦が行なっている仕事というのは,生活を助けていく,例えば,食べれない人が一口でも食べることができる,便が出ない人がともかく出せるとか,そういうところにケアの主眼がいくわけです。ですから,看護では体が生活行動をどのように行なっているのかを理解できることと,病気によって組織にダメージを受けたときに,それがどのように生活行動に支障をもたらすのか,そして,どのようにケアをすれば支障があっても生活ができるのか,という看護技術の開発につながるような解剖生理学の知識になれば,非常に嬉しいと思うのです。ところが,現在は医学の枠組みで教育されるため,病気との関連は病棟勤務などの経験によってある程度の力はつくのですが,生活行動を援助するような技術の開発に結びつける力は,非常に乏しいのが現状ではないかと思います。

臨床看護の視点

林正 いま,リコンストラクションという言葉を聞いて,菱沼先生が解剖生理学を教えるにあたって,ADLとかそういうものを柱にして再構築されているのではないかと想像しました。僕は,看護の定義からアプローチしてみたのです。たくさんの理論家がいますよね。昔からお馴染みなのがヘンダーソンです。これは学生時代から知っていました。いちばん最初に病棟に行った頃,あの薄っぺらい本がありましてね。
菱沼 ええ,ブルーの表紙。
林正 あるいは,オレムとかロイとか,これは最近になってから勉強したんですが,彼女たちの捉え方というのは,まず最初に呼吸を重視しています。呼吸重視というのは,生命維持のための救急医療のABC(Airway, Breathing, Circulation)をそのままあてはめたのではないでしょうか。呼吸と循環です。これは推測ですが。そして,各々の看護理論家が14項目だとか8項目だとか,生理学的な適応について述べている,あの順番を比較してみました。そうすると,全部似ているのです。机上の理論だけではなしに,臨床にもっていって適応したものしか,そこには残ってないのです。
 細胞レベルから始まって骨とか筋肉とか皮膚とか,そのような配列の仕方を,僕らは医学生として勉強しましたし,僕が最初に教えた時は,やはり細胞と組織から入ったものでしたが,ある時から最初に呼吸をやり,そして次に循環をやり,消化器をやりと,ヘンダーソンとオレムとロイの看護理論の通りに教えるようにしたのです。重要な順番だと言って(笑)。そして最後に神経系や内分泌,免疫系とか,生体の調節機構として最も重要なものが取り上げられます。
菱沼 最後ですか。私はそれを最初にとりあげるのですが(笑)。学生は,どんな反応ですか。
林正 最初はわからないですよ。
菱沼 まだ1年生ですしね。
林正 ええ,うちは3学期制ですから,9月のはじめに2週間ほど臨床実習があるんです。病棟へ行って……。
菱沼 1年生で?
林正 ええ。病棟へ行ってお手伝いをするというのか,患者さんと話をするとか,ものを貰って帰るぐらいです(笑)。けれども,その実習が済むと,少し解剖生理というのが看護でどのように使えるかということがわかる。それまでの1学期は,悪戦苦闘ですね。

生活行動から身体を捉える

林正 看護学の先生方だったら,医学生を対象とする場合とは教え方の順番も異なるだろうと思っていたのですが,やはり菱沼先生の場合も,神経系などを最初に扱うというのは,これまでの伝統的な教え方にくらべてちょっと変わってますね。
菱沼 そうですね。例えば消化器を講義する場合,神経もホルモンもみんな関わってくるにもかかわらず,その部分はいちばん最後まで触れられず,消化器系は消化器系,呼吸器系は呼吸器系,神経系は神経系……と体の中が分断され,それが一緒になるところまで取り上げないという方法に疑問があったのです。
 私たち看護婦がケアをするということ,食べることに対する援助や,排泄に対する援助というものは,生物学的にいえば何なのかというと,細胞レベルの代謝活動などがそれぞれきちんと行なわれることです。そのために,内部環境の恒常性(ホメオスターシス)が必要で,そのためには循環も,食事も,呼吸も大事だ……というように考えていけたらと思って,組み立て直したのです。この9月に『看護形態機能学-生活行動からみるからだ』(日本看護協会出版会刊)として出版もさせていただきましたので皆さんのご意見をいただきたいと思っています。ですから,私は最初にホメオスターシスなどを扱い,次に調節機構を,そして日常生活行動を体がどんな仕組みでやっているのか,という話をしています。
 学生は体に興味を持って,体ってすごいなと思うところまではいくのですが,では体と自分の日常生活行動とを結びつけられるかというと難しいのです。私はそこを狙っているのですが。

いかに解剖生理学を教えるか

現場につながるように工夫する

林正 看護理論に対応して講義内容を配列するからには,教材選びの時に,看護に関係したものをできるだけ入れたいと思って集めたのです。そういうつもりで書籍,雑誌,新聞を見たりしていると,結構集まります。解剖生理で教科書に書いてある通りのことだけを言っても,学生はもちろん,教える側もおもしろくありません。もっと看護現場に直結するような工夫をしなければいけないと思います。
菱沼 そのような授業をすると学生の反応もよくなりますよね。解剖生理学を私どもは「形態機能学」と呼んでいるのですが,病気のことも含めて取り上げるようにしているのです。
林正 例えば,呼吸について基本的なこと解説した上で,「では,たばこを吸うとどうなるか」というふうなことを1つ入れると,寝ていたのが目をさましますね(笑)。
菱沼 看護をめざして来ている人たちでも,「看護をどう考えるのか」というようなところは,むしろあとになってから考えることで,彼女たちが1年生で持っているイメージというのは,多分に医学的,医療的なイメージなんです。ですから,病気の話などには非常に関心を示すのですが,日常生活行動を援助することには関心が向きづらい。まあ,4年間かかって学んでくれればいいかなと,最近は思っているのですが。

看護とは何か

林正 話がずれるかもしれませんが,「看護とは何か」とか,「看護職とはどのような仕事をする職業なのか」ということに対して,学生さんは非常に揺れていますよね。
菱沼 揺れますね。
林正 そのときに,医師にはできないが看護婦にはできるケアであるとか,薬剤師にはできないけれども看護婦さんにはできる服薬指導であるとか,あるいはOT,PTにはできないが看護婦にはできるリハビリテーションであるとか,そういうものが僕ははっきりあると思うんです。それをきちんと見せてあげれば,本を読まないでもわかるんですね。
 いま筑波大にいらっしゃる紙屋克子先生の仕事などは,看護職でなければできないことです。それを事実として見せています。ですから,紙屋さんの話をして説明すると,看護学生は「なるほど」とわかるんですね。変な精神論よりも,技術としての看護はここまで高尚なことができると。そういうのを絡ませながら解剖生理学をやると,居眠りの回数は減る(笑)。
菱沼 紙屋先生たちのような,本当に看護の技術開発をしている優れた臨床家たち―いまは大学に行かれましたけど―というのは,とてもいい仕事を見せて下さっているのですが,それをデータとして示されていないことが多いのです。また,なぜそうなるかという説明がされてないがゆえに,個人の技で終わってしまったり,その病棟の範囲で終わってしまって,看護婦の共有財産になっていかないのです。それだけ学問として立ち遅れているということなのですが,まだまだそういうものを積み重ねていかなければいけない時期です。それには解剖生理の体の構造と働きの知識というのは,非常に有用なものです。看護を学ぶものなら必ず通らなければならないところだと思います。
林正 医師・医学生のための解剖学,生理学と,看護職・看護学生のための解剖生理学の違いを言葉でうまく表現しようとすると,曖昧模糊になってしまいがちですが,事実として医師はこういう仕事をする,看護婦は医師にはできないこういう仕事をしているということ,これは言葉で伝えられます。
 すると,なんとなく学生たちは納得はしますね。「そのために,これだけの厖大な知識を必要とする」と言うと,またちょっとゲッとなるのですが(笑)。

なぜ解剖生理学を学ぶのか

動機づけが必要

菱沼 私たちの大学には,短大出の現職の看護婦さんが2単位ずつ受講して単位を取得する制度(科目等履修)があります。その講座の中で解剖生理学を取り上げたことがあるのですが,授業の後,アンケートをとりましたら,「看護婦もこういうことができるんだ」という驚きや,「もう辞めようと思っていたけれども可能性があるんだ」「元気になりました」というような反応があり感激したことがあります。すごくいいことをやっているのに,その効果をきちんと証明できない,根拠づけができないために,自信が持てないことが看護婦にはたくさんあるのです。自らの実践に自信を持つためには,看護に必要な体の見方というか,使える知識になるよう整理していく役割が私たちにはあるのではないかと思っています。
林正 医学というのは従来,最も若い学問であると欧米では言われているんですね。これは,学生さんに必ず言うんです。看護学というのは,その医学よりもっと若いんだと。だから,戸惑うところが時にはあるかもしれないけれど……
菱沼 「あなたたちが自分のテーマを1つ見つけたら,それでパイオニアになれるんだ」と。
林正 動機づけになるんだろうと思いますね。普通の教科書を,専門学校ですと1回に15ページ,20ページと,ともかく知識を詰め込む授業になりがちです。そうすると,量の多さ,スピードの速さで大抵嫌気がさすんです。
菱沼 何でそれを勉強しているのかわからなくなってしまうのですね。
林正 どうして必要か。これは,医学生の場合は徹底的にたたき込まれます。特に外科系の医師にとって,解剖学を知っていなければ飯が食えない。はっきりしています。看護学生でも,要するにモチベーションを育てるために必要なのは,「看護とはこういうふうな仕事なんだ。それをするためにこういう知識が必要だ」ということを,いろいろな教材で繰り返し繰り返し説明してあげることだと思いますね。だから,純粋な基礎医学の先生が解剖生理を看護学生に教えたら,これはいちばんつまらない授業になるわけです(笑)。

看護の視点から整理する

菱沼 そうですね。私は,医学と看護学とは別だと思っているので,違う学問領域の方に,「こっちの領域の考え方でやって下さい」と要求するほうが無茶な話だと思っています。
林正 看護婦の養成施設の中にはどうしても臨床の医師に講義を依頼せざるを得ないところがあるようですが,臨床の医師にしてみれば,自分に必要だから当然看護職にも必要だろうと教えてしまうので,看護の視点から見ると必要なことと必要でないことがあったりする。そのあたりの整理は大切ですよね。
菱沼 そうだと思います。
林正 だから国家試験の問題を見ていましても,「あ,医師でないと,絶対出さないな」という出題がいくらでもあるわけです。例えば,「気管と食道は,どっちが体表面に近いか。前にあるか,後ろにあるか」という知識は,気管切開のようなもののためにはどうしても必要な知識ですよね。これは,医師も看護婦も,知っていたほうが絶対にいい。ところが,「大静脈と大動脈は右にあるか,左にあるか」,これは医師は必要ですけど,看護職には必要ないですね。
菱沼 必要ないです。国家試験の問題にはあまりいい問題はないですね。仕方がないので,学生には国家試験の前に問題集で「試験を通るために勉強しなさい」と言っているのです。
林正 それでは,やっぱりおもしろくないだろうと思いましてね。「国家試験にはこういうふうに出ているけれども,これはこういう意味で優れている」とか,「これは,こういう意味でくだらない」とか(笑)。授業にも取り上げています。

何をどこまで教えるか

林正 4年制の大学の学生さんだと,3年制の短大とか専門学校の人がしばしばつまづきの元になる量の多さ,膨大さについては何とかクリアできるんでしょうか。
菱沼 最低限必要な知識,例えば,ここの動脈はみんなが腕頭動脈と言ってもらわないと困るというような,一応最低限と考えられる知識に関しては,プリントを渡しているんです。ストーリーではなくて知識だけなんですけれど。それが,ページ数にして40枚ぐらいになります。学生はそれを消化するのが大変だとは言いますね。
林正 「何をどこまで学べ」と言うか,もしかしたらそれが一番教員の腕が試される部分かもしれない。そういう意味ではエレ イン N.マリーブ著『人体の構造と機能』は,最低限この名前だけは覚えろ,というのが綺麗に整理してあると思いますが,いかがですか。
菱沼 先ほど,動脈の絵を見ていてすっきりしているなと思いました。
 細かい部分は必要のないところもあるし,必要な場合もあるのです。その取捨選択にはきちんとした看護の視点を持たなければなりません。
林正 授業の一番最初にアンケートをとると,「試験に出るところを教えてくれ」「重要なところは繰り返して言ってくれ」とか,「強調してくれ」と書いてくるんです(笑)。
菱沼 それは,今の学生さんの一般的な傾向というか,それこそどこまでやれと言われないと,自分でどこまでやればいいかの判断がつかない。
林正 「教科書を見ればわかるよ」と答えるようにしています。「あなたの得る情報の大体9割は目から入ってくるので,耳から入ってくるのは1割以下なんだ」と。そういう意味で,教科書のいいものをとにかく選択することはこちらのほうの役目だけれども,「しかし,それを使うのはあなたたちだよ」と。
菱沼 ちなみに,何を使っていらっしゃいます?
林正 今年からこれ(エレイン N.マリーブ著『人体の構造と機能』)です。僕としては,ずいぶん楽になりました(笑)。他の代表的な教科書に比べると内容的にはむしろすっきりしています。分厚いようですが,量は少し減っているくらいです。

看護を生かす解剖生理学

自分で判断できる力

林正 解剖生理学というものは,看護婦さんのする仕事の内容が変わっても,あるいは活躍の場が広まったり,新しい方向に進んでも,いくらでも使えるわけです。例えば,訪問看護というのが急速に拡大しています。訪問先ではドクターに判断を仰ぐ機会が減らざるを得ない。自分で判断しなければなりません。そのときは,やはり正確な知識が必要になるわけです。基本は解剖生理学ではないでしょうか。
菱沼 看護婦が介護の方たちと違うのは,体のことを知っていることだと思うんです。今これをしていいか,いけないか,という判断をするときは,やはり体の知識が基礎ですね。
林正 論理的な思考,批判的な思考(クリティカルシンキング)を養うことも大切です。「なぜそれが必要と思うか」「なぜそういうふうに判断するか,根拠を示せ」ということですね。例えば,身体的なものは絶対に根拠を示さないと,介護の人は納得してくれないですよ。そのときいちばん必要なのは,やはり正常な機能の知識,そして病態生理ですね。
菱沼 そう,解剖生理と病態生理。
林正 病態生理と言ったとき,医師は1つの疾患ごとに勉強しますから,そういう内容をまとめた本はないし,コースもないですが,確かに看護職にとっては必要なことです。それも正常な場合がわかっていれば,病気になるとこういうふうに変化するのだと,非常に理解しやすくなります。
菱沼 つながるんですね。病理の基本的な部分,病変さえきちんとわかっていれば,臓器との組み合わせで考えていけるんです。

根拠に基づいたケア

林正 でも,看護婦さんの仕事の中身が今と同じだったら,今以上に使いこなすことは難しいとは思います。さきほど先生がおっしゃったように,2年か3年すると,病棟業務はできるようになるけれども。
菱沼 そうですね。体のこととか病気のことになると,「それは,お医者さんに聞いてください」と言って,逃げてしまうこともありますね。患者さんと信頼しあうには逃げがあっては無理だと私は思います。
林正 きちんとした根拠の下に看護ケアを行なえるという,そういう自信はやっぱり正確な知識がないと無理だろうと思います。
菱沼 いま看護が持っているいろいろな技術というのは,手順だけで,根拠がないものが多いのです。臨床家が編み出してきた手順は,臨床的な効用や勝手のよさからなのでしょうが,なぜその手順が必要かとか,あるケアが患者にどのような効果をもたらすのかという検証はされていないに等しいのです。そのような仕事が山のようにあります。

看護を志す人のために

菱沼 学生が入ってくると,まず,「あなたたちは実に賢い選択をした」と言うんです。「あなたたちがパイニオアになれる学問領域だから,実に将来性がある」って(笑)。「でも,そのかわり今整っていることを期待してはいけない」とも言っています。
林正 まだ権威というのがあまり確立されていないから,何を言っても正しければ認めてもらえる領域で,若い人にはおもしろい仕事ができるいいチャンスだと思います。
菱沼 そうですね,やることがいっぱいあるから(笑)。ほんとうにわからないことだらけですから。
林正 ベッドメーキングの実習なんてあるんですよね。試験があって,そのために居残って練習ですよ。「ベッドメークなんて,ホテルのボーイのほうがよっぽどうまいよ。そういう業者さんにお願いしたらどうなんだろうか」というふうなことを言うと,ちょっと学生さん,考えるんです(笑)。でも,まあ「やれることは身につけといたほうがいいだろう」と。しかし,「それができるようになったから一人前に近づくとは,僕は思わないよ」とは言いますけどね。
菱沼 ベッドメーキングにしろ何にしろ具体的に何かやると,彼女たちの今持っている「看護婦」のイメージにちょっと近づくような気がするために,早くやりたいと言うんですよね。今カリキュラムを変えて,技術を全部2年生以上にもっていってしまいました。学生は「早くやりたい」みたいなことは言いますね。林正先生のところは,1学年の秋口にまず病棟に出る経験が,その後の学習態度を変えるきっかけになるとおっしゃいましたよね。
林正 1年生の時に行なうのは,基礎実習です。ほかのいわゆる専門学校の実習とは,だいぶレベルが違います。本当に見学に近いものです。僕は,行く前にかなり入念なオリエンテーションのようなものをします。すると,帰ってきた時に,「やっぱり解剖生理の知識が必要なことがわかった」と言う人が多いなと思います。
菱沼 臨床実習に出てわかる。卒業して働くようになってから解剖生理が必要なことがわかるという人が,多いですよね。
林正 ほとんどそうだから,勉強している間にぜひそれに気づいてほしいんですよね(笑)。
菱沼 でも,これは永遠の課題ですね。
林正 医者もそうです。頭でわかっていても,本気で勉強するのは卒業してからですね。

体に学ぶ,日常に学ぶ

菱沼 勉強しようとしたときに,どんな本を見ればいいか,どこに解決の糸口があるかということさえわかるようになれば,極端な話,4年間はそれでいいのではないでしょうか。細かい内容はどうせ忘れてしまう(笑)。
林正 そう,僕も必ず言っておきます。試験の前は詰め込み学習で,それはすぐに忘れるけれども,必要になった時に,どこに何があったかということぐらいは覚えておけと。その時にもう一遍引けば,それで済むことだし,日常不断に使うことは,すぐ覚えるようになるって(笑)。
菱沼 日常語と解剖の用語は違いますよね。用語を覚えようと思うのなら,日常的に使うのがいちばん早いです。それから,嚥下を扱った時には,「自分が御飯を食べる時にそれを考えながらやりなさい」とか,自分の体を観察するところから始めると,おもしろいと思うようです。
林正 僕なんか専門は泌尿器科ですから,「おしっこし始めて出し終わるまで,何秒かかるか調べてみたら」とか,そういう形のちょっとえげつないような問いを,いっぱいしますよ(笑)。

――ありがとうございました。
(終わり)