医学界新聞

コールドスプリングハーバー研究所における
「レトロウイルス会議」印象記
北村義浩 (国立感染症研究所・遺伝子解析室)


マンネリ化とは無縁の活発な会議

 タフツ大学のJ. M. Coffin氏と米国癌研究所のS. H. Hughes氏の2人(写真)をオーガナイザーとするレトロウイルスに関する会議が,米国ニューヨーク州コールドスプリングハーバー研究所で,さる5月20日19時から5月25日正午までの期間に開催された。
 コールドスプリングハーバー研究所は,ニューヨークJFK空港から,車で約1時間の距離に位置する分子生物学研究のメッカで,閑静な,悪く言えば田舎の研究所である。James D. Watson博士が所長である研究所といったほうがわかりやすいかもしれない。参加者のうち150人余りはこのキャンパス内の施設に,残りの400人ほどは近隣の施設に宿泊しての参加である。食事はキャンパス内の施設で1日3食が提供された。宿泊・食事・参加費の全てを含めて,1000ドル(約12万円)というのは安いと思う。
 この会議は,500人以上の参加のもと400余りの演題が発表される,世界最大のレトロウイルスに関する国際会議である。参加者は世界各国に及んでいたが,米国からの参加者が圧倒的に多く,研究者層の厚みを感じさせた。日本人の参加は米国からの参加も含めて20人程度であった。その中には国立感染症研究所から4人,東大医学部から3人というわが国からのめずらしい「団体参加」もあった。  この会議は,毎年5月の最終週にこの研究所で開かれることが恒例となっている,いわば「お祭り」である。しかし,大学院生・ポスドクなどの若い研究者の熱心な発表を見ればわかるとおり,マンネリ化・セレモニー化などとは無縁の活発な会議であった。

レトロウイルスの生活環境に沿った演題発表

 およそ120の演題が1演題あたり15分の口演で行なわれ,残りは3日間に分けて示説での発表となっていた。レトロウイルスの生活環,すなわち,吸着→侵入→逆転写→組み込み→発現→粒子形成→病原性という流れに沿って発表が行なわれた。その中からいくつかのトピックスを拾ってみたい。
 まず,構造解析では,(1)Friendマウス白血病ウイルス(MLV)のエンベロープ糖蛋白質の細胞レセプターへの結合領域のX線構造解析(マサチューセッツ工科大学 D. Fass氏,他),(2)HIV-1の組込み酵素(インテグレース)のN-端末約50アミノ酸のsolution structure(NMR解析)について(米国立衛生研 R. Zheng氏,他)の報告などがあった。
 Zn finger様モチーフを有するこの領域はhelix-turn-helix構造(HTH)を有することが明らかとなった。HTHが核酸への結合ではなく,蛋白質相互のinteractionに働く最初の例である。また同様の結果がHIV-2のインテグレースについても得られたという報告もなされた(オランダ癌研van der Ent氏,他)。
 次に機能解析においては,(1)E型トリ白血病ウイルス(ALV)のレセプターのクローン化(ハーバード大 H. B. Adkins氏,他)。予想されていたとおりB,D型ALVと酷似していたが,細胞外領域に23アミノ酸残基の違いが存在した。(2)cell-freeの系を用いてGag蛋白質の集合にはATPの加水分解が必要であることが報告された(UCSF J. R. Lingappa氏,他)。(3)インテグレースがDNA-dependent DNA polymeraseの活性を有することが明らかにされた(マクギル大 A. Acel氏,他)。(4)RNA helicase Aが,Mason-Pfizer Monkey Virusのconstitutive transport elementに結合して核から細胞質へmRNAを移行させる働きを有することが明らかにされた(サンディエゴ大 H. Tang氏,他)。(5)可溶型のA型ALVのレセプター存在下でのみA型ALVのEnv蛋白質をリポソーム上に分布させることができた(ハーバード大 R. Damico氏,他)。(6)Nef蛋白質がウイルスの構成蛋白質であり,感染初期の,おそらく逆転写のステップに必須であることが報告された(ファンダービルト大 C. Aiken氏,ヴァージニア大 N. Chzal氏,ハインリッヒ・ペッテ研 R. Welker氏,他)。

興味深かった方法論

 最後に,方法論として興味深かったものをいくつかあげると,(1)ecotropicとamphotropicのMLVのそれぞれのレセプター膜蛋白質の機能を調べるため,それぞれに,green fluoroscein protein(東大 増田道明氏),またはVSV-G(パスツール研 P. Rodrigues氏,他)のtagを付加した組み換え体を作製して,解析を進めていた手法が興味深い。epitope-taggingは確立された手法とはいえ,複雑な構造と機能を有する膜蛋白質の研究においても強力な手法であると再認識した。
 (2)ヒトの2つ以上のcDNAライブラリーから迅速に差分クローンを見いだす方法が紹介された(スタンフォード大 R. Pillai氏,他)。簡単に記すと,あらかじめヒトの遺伝子ライブラリーを作製し,MicroArrayerと呼ばれるインクジェットプリンタのような機械で,スライド上に微細な点状に張り付ける(MicroArray)。一方,A,B2種類の細胞のmRNAのcDNAをそれぞれ異なる蛍光色素でラベルされるようにRT-PCRを行なって用意する。この2種類のcDNAライブラリーを混合して,先に作製しておいたMicroArrayにハイブリダイズさせる。これを,蛍光顕微鏡下で観察し,蛍光だけを発しているものを選ぶ。原理的には,106のクローンのスクリーニングが数日のうち終了する。ちなみにこの件に関する詳細な情報は,http://cmgm.stanford.edu/pbrownから入手できる。
 (3)ウイルス粒子(HIV-1,MLVなど)を固定せずに凍結電子顕微鏡で観察したところ,内部の微細な構造が明らかになった。(4)A型ALVのレセプター膜蛋白質(tva)をエンベロープ上に発現させた組み換えMLVを作製したところ,A型ALVのエンベロープ蛋白質を細胞表面に発現している細胞にのみ選択的に感染させることができた。同様に,ecotropic MLVのレセプター膜蛋白質をエンベロープ上に発現させた組み換えMLVを作製したところ,ecotropic MLVのエンベロープ蛋白質を細胞表面に発現している細胞にのみ選択的に感染させることができた(ペンシルヴァニア大 J. W. Balliet氏,他)。
 レセプターとウイルスエンベロープ蛋白質の組み合わせは,どちらがウイルスエンベロープ上にあるかは,基本的には問わないという結果であった。また,S. Snitkovsky氏ら(ハーバード大)は,可溶型tvaとヒトepidermal growth factor(EGF)の融合蛋白質(tva-EGF)を作製した。A型ALVにtva-EGFを混合したものは,ヒトEGFレセプターを有するヒト細胞にのみ選択的に感染できた。レトロウイルスベクターによるベクターターゲッティングの新しい手法である。

会議初の2つの試み

 恒例となったこの会議で初めての試みが2つあった。1つはピアノコンサートで,もう1つは,会議参加申請締め切り以降に明らかとなった,最新の研究成果を発表する約2時間ほどの時間が最終日にとられたことである。前者はWendy Chen氏によるピアノ演奏会で,これだけでもこの学会に参加した意義があったと言っても大げさではないくらいに,素晴らしく心なごむものだった。この研究所が,研究のみならず地域の文化育成に貢献していることの現れと感じられた。後者にはかなり多くの研究者が立候補したようであったが,結局は12人が発表した。このうち抄録にない発表を行なったのは,たった2人だけで,当初の目的に沿ったセッションであったかどうかは疑問である。
 さまざまな手法がレトロウイルス学に適応され,また開発されたりしており,米国のレトロウイルス学者層の厚みを感じた。現代生物学の総花的成果がこの会議にあると言っても過言ではないだろう。
 幸いにも,私は財団法人金原一郎記念医学医療振興財団第11回研究交流助成金の交付を受けてこの学会に参加できた。海外の国際学会でなければ得られぬ情報を得,知的な好奇心を刺激する学問の雰囲気を大いに満喫し,その上,ささやかながらも自分の研究成果を発表する機会が得られたことは,誠に感謝の念に耐えない。末筆ながら,この紙面をお借りして関係各位に深謝申し上げる。