医学界新聞

看護学を学び直すことにして【投稿・抜粋】

山内豊明 Case Western Reserve大学博士課程


医師から看護の道へ

なぜ看護を学ぶことを選び直したか

 私は1985年に大学を卒業し医師となりました。2年間の一般内科研修の後,治る治らないの言葉では割り切りにくい科の代表ともいえる神経内科を自分の専門としていくことを選びました。この科を選ぶに至るには,自分なりに迷いと戸惑いがありました。神経内科の医師として患者さんのかたわらにいるときの無力さと難しさを日頃からしみじみ感じていたのです。つまり,医師としての既存のロールモデルでは済ませられない限界を自覚していたのかもしれません。
 2年間の一般内科研修の時には,循環器内科や呼吸器内科のように華々しい手技によって,生死の境をさまよう患者さんに微力ながら手助けをすることができ,医師としての存在感を多少なりとも自覚することができた気がしました。一方で人間の生命力の力強さも目のあたりにして,医師が患者さんを治すわけではなく,本来患者さん自身が持っている治る力を最大限に発揮できるように手助けをするのが医療者の役目であることも痛感していました。それに比べると,神経難病の患者さんに対して働くには医師はあまりにも無力ではないかと感じざるを得ませんでした。
 そもそも病気が治ったとはどういうことかと考えると,医学部で教わった医学の概念枠組みでは捉えられない視点が無視できないことを痛感していました。そしてこの視座は,まさに看護の観点に基づくものではないかと自分なりの考えに至り,医学,看護学という領域の枠組みを超えたもっとグローバルな視点を求め,看護学を1から本格的に学ぶ決心を固めました。そこで,看護系の大学教育を受け直すために,1995年3月末日で2年間勤めたカリフォルニア大学サンディエゴ校を辞職しました。

看護系大学の選択

 米国でも看護学自体は大学教育となってやっと100年が経ったところです。1893年にジョンズホプキンス大学で初めて大学ベースの教育が開始され,看護学士教育は1909年になって初めてミネソタ大学に看護学部が大学組織の一部として登場しました。私は,日本にはない先進的なプログラムを率先して開発し進めている学部を大学選びのプライオリティとして探しました。
 当初,私はジョンズホプキンス大学にある看護学修士と公衆衛生学修士を同時に取得するジョイント・プログラムに進学したいと思っていました。この教育課程こそ,私が長年思い描いていた看護のフィロソフィーを中心としたトータル・ケア・コーディネート,言い換えれば保健医療関連の各分野の学際領域をカバーするものではないかと思いました。
 米国では看護学の大学院に進学する場合には看護学学士を持っているか,あるいはそれに相当する教育を受けている必要があります。さらにほとんどの場合,米国でのRN(Registerd Nurse:日本の正看護婦に相当)の免許を持っていることを要求されます。さらには多くの大学で看護職としての臨床経験を要求されます。私の医学部卒,医学系大学院博士課程修了の学歴は米国のMD,PhDに相当するという認定を受けていましたが,これでは看護学大学院の入学基準を満たしません。そこでまず看護学の学士号を取得しなければならなくなりました。しかしこれは幸いなことで,もともと看護の視点を学びたいとしていた私には願ったりかなったりでした。看護学の基礎教育を受けることなしに大学院に進んでしまっていたらと考えるとヒヤッとします。確かに,先入観を持たずに別の分野に飛び込んでいくことも1つの方法でしょう。しかし,それはやはり基礎を知った上でのことで,それなしにただ闇雲に進んでいくことは危険なことだと思います。1995年1月から勤務のかたわら夜間にサンディエゴ州立大学看護学部の大学院で看護管理学,看護研究などの授業を履修していた時にもまず看護の視点の基礎は絶対に学ばねばと痛感していました。この基礎はどうしても必要であるというフィロソフィーを確立し,貫いている米国の教育体制にはつくづく感心しました。

新しいカリキュラム:コンバインド・ディグリー・プログラム

 私のような経歴の者が看護学の学士号を取得するには通常の4年制教育課程に学ぶほかに米国ならではの方法がありました。それは看護学以外の学士以上の学歴を持つ者へのキャリアチェンジコースです。
 このコースは看護学士課程の専門課程部分の取り直しであるため,原則的には2学年分の時間がかかりますが,このコースの多くでは集中コース方式(accelerated program)を採用し,休みなしの12か月ぶっ通しで修了します。
 さらにこれに修士課程まで連携したものが全米各地に計9つありました。この修士課程まで連携した教育課程は学士と修士を併合したという意味からコンバインド・ディグリー・プログラム(以下CDP)などと呼ばれています。この日本にはない特殊な教育課程は私の興味を強く惹きました。私のようにキャリアチェンジを図りたい者にはまさにうってつけのコースです。
 そこで20数年前に米国で初めてこのCDPを開設し,最も永い歴史を誇るニューヨークのPace大学にひかれて,そこに進学することにしました。このCDPに入るためには,看護学以外の学士以上の学位を持っていることと全米大学院共通試験(GRE)に合格していることが必要条件です。このプログラムへの入学は競争が激しく10倍ほどにもなるとのことです。
 こちらの平均的な学生(留学生ではなく現地の一般の学生)は1学期に12から15単位を履修します。それがCDPでは,限界といわれている18単位になる学期もあります。これ以上単位を履修する時には学部長の許可が必要になる,要は無理だというのです。CDPに在籍する学生の勉強量は相当で,実際には,特に学士課程部分は,仕事を持ちながらのパートタイムの学生身分では無理です。学業に専念できる態勢を整えたフルタイムの学生でないととてもつとまりません。
 ある学期では講義が週12時間,実習が週15時間でした。週2日の実習日は朝6時半から午後4時位まで,週4日の講義は午後から夜に2時間から4時間となっています。さらに各学期の平均点が83点(評点でB)を切ると続く学期に進めませんので皆必死です。点数を維持するために1学期の取得科目を半分にして学士課程を2年かける者も多くいます。同様のことが修士課程でも見られます。最終的に2年半という最短期間で修士まで修了し,ナース・プラクティショナーになれた者は同期の40名のうちで10名以下でした。

看護教育の実際

アセスメント教育の充実ぶり

 最初の学期には看護総論,基礎看護,精神看護などがありました。基礎看護ではベッドメイキング,体位変換,フォーレ挿入,点滴バック作り,などの基本手技は当然ながら,全身のフィジカル・アセスメントを行なう手技の取得に相当の時間が割かれていました。バイタルサインは当然のこととして,頭部ならば,対光反射,眼球運動,眼底鏡による眼底の観察,耳鏡による鼓膜の観察などを含めたアセスメント,胸部の打診,肺の聴診,心臓の聴診による心雑音の鑑別,腹部の触診,打診,聴診,四肢の機能評価,12対の脳神経系の評価も含めた神経系のアセスメントなど,完全なフィジカル・アセスメントができることが要求されます。
 この全身のフィジカル・アセスメントについては,果たして看護職に必要な手技・知識なのかという日本の医師や看護職の方からの指摘を耳にしたことがあります。ICU・CCUなどでは連日のように胸部X線を撮っているので心拡大の有無をナースが胸部を打診する状況がありうるのかという指摘もありました。確かにその後の病棟実習などでは実際の看護業務の一部として全身のフィジカル・アセスメントが行なわれている場面にはほとんど遭遇しませんでした。しかし,問題の身体部分とその関連領域に焦点を置いたフォーカス・アセスメントはしばしばナースたちの手でなされていました。このような重点アセスメントをすることが可能なのも,系統的に基本的な全身のフィジカル・アセスメントをする力を身につけているからです。その意味でも,この全身のフィジカル・アセスメントについての教育は欠かせないものであると痛感しています。

役割と責任に準じた実習

 実習では最初の頃はベッドメイキングや食事介助などの比重が多かったのですが,学期が進むに連れて与薬などのRNでなければ許されていない業務についての実習比重が増えていきました。米国の病院内では,日本の正看護婦,准看護婦,看護助手などに相当する職層があります。実習病院ではそれぞれの職層の業務範囲が比較的明瞭であったこと,特に私たちのCDPは看護職への入門教育が学士レベルであるうえに,学士課程終了後には修士課程に進みナース・プラクティショナーやクリニカル・スペシャリストになることが前提になっていたこと,などの理由からかRNに準じた実習が多かったように思います。
 実習科目によっては医師の回診で看護の立場からの所見や意見を求められることがありました。医師,特に経験を積んだ医師は,相手の私が看護学生であろうと真剣に話し,学生からの意見を求めました。ある時医学的に突っ込んだ話になった時,相手の医師の顔つきがかなり真面目なものとなりました(決して険悪になったわけではありません)。病室を出て,私がこれこれこういう経歴で勉強しているということを話すと,その医師はニヤッとしてなるほどと言っていました。しかしこのエピソードは私が医学出身ということが明らかになる前の出来事でしたから,相手の医師は私を一人の看護学生として認識した上でのディスカッションだったのです。看護が一人前に扱われていると実感したうれしい一場面でした。

看護学修士過程:ファミリー・ナース・プラクティショナー専攻

 Pace大学のCDPの修士課程部分にはいくつかの専攻がありましたが,その中にファミリー・ナース・プラクティショナー(FNP)養成課程もありました。同級生の多くと同様に私もこのFNP養成課程に進学することにしました。
 この養成課程のカリキュラムは講義・セミナーを中心とした科目群と臨床科目群からなり,前者には看護理論学,家族関係論,保健政策論,看護研究などあり,後者は看護アセスメント,疾病論などがあります。家族関係論は,ファミリー・ダイナミックスが主題となっているような映画を観ては登場人物同士やその周りの社会との相互関係を明瞭に解釈していく,などの面白いアプローチ方法を取り入れた講座でした。MATA,医学部時代には教育の一環としての公衆衛生学などがありましたが,ここでの保健政策論は主に看護実践の自立や社会進出の方法論を学ぶもので,その違いと勢いには驚きました。
 これらに比べると臨床科目群は医学モデルを中心にしたものが多く,看護実践の独自性を求めつつも,すでに社会的立場を確立している長い医学実践の枠組みを完全に無視することのできない現実を感じました。このことはともすると医学モデルの排除ともとられかねないほどの一部のエキセントリックな看護実践モデルの方法論の限界を示しているようにも感じました。そしてこのことは,臨床科目の最初の講義で教官が“From today, no more nursing diagnosis."(今日からは看護診断とはお別れよ)と言った時の,講義室中に湧き上がらんばかりの学生たちの大喝采からしても,私一個人の実感ではなさそうでした。医学への進学の勧めを断わってまでも看護をめざしてきた者たちにまで,なぜ看護診断モデルが愛想をつかされたのか,ということは深刻な問題として受け止めなければならないでしょう。

これから

看護学博士課程

 1997年5月,本来ならばこの年の秋から年末までかかる予定のPace大学での教育課程を,予定より半年以上も早く,看護学修士課程まで修了しました。当初,計3年間の修業期間を見込んでいましたので1年残った計算になります。1996年の秋に,遅くとも1997年8月までには修士課程が修了する目処が立った時点から,その後のことを模索していました。
 オハイオ州のクリーブランドにありますCase Western Reserve大学看護学部には,アカデミック・ディグリーのPhDとは別に,その基本的なコンセプトをPhDと異にするプロフェッショナル・ディグリーであるND(Doctor of Nursing)課程があります。米国の看護学博士課程で,アカデミック・ディグリーとプロフェッショナル・ディグリーを併せ持つ大学はこのCase Western Reserve大学だけです。現在日本では看護学の博士号はすべて学術博士であり,これは米国のPhDに相当します。このことを考えると日本に存在しないNDというプロフェッショナル・ディグリーには非常に興味をそそられました。
 さらにこのND課程は合計4年ですが,看護学の修士号を持っていると4年目に編入することが可能でした。また多くの看護系大学院では進学するにあたって臨床経験があることが必要とされていますが,この編入については臨床経験の有無は問われてはいませんでした。ということから修士課程修了後の進学先をここに絞って手続きを進め,1996年11月に面接を受け合格通知をいただきました。
 正式な進学はこの5月にPace大学修士課程を修了してからということでした。しかしそれまでの期間に正規学生でなくともnon―degree seeking studentという身分でCase Western Reserve大学で単位を取得することが可能でした。そしてその取得単位は正式進学後に正規の単位として認められるというシステムがあります。当初の予定の98年春までにはなんとか博士課程を修了する目処を立てたかったので,クリーブランドに移る前に可能な限り単位取得をと考え,1997年の1月と5月に5日単位の集中講義を取りました。毎日10時間の講義と翌日までの宿題に追われますが,後日レポートを提出して合格すれば3単位ずつ先取りすることができます。

おわりに

 私はPace大学では米国の看護学士課程教育,修士課程教育,ナース・プラクティショナー教育,キャリア・チェンジャーのための移行プログラムを身をもって経験することができました。続くCase Western Reserve大学では日本にはないプロフェッショナル・ディグリーとしての看護学博士課程教育を受ける機会を得ました。これらを通じて,進んだ基礎教育,アドバンス・プラクティスのための教育,広く優秀な人材を取り込み教育するシステム,そして看護実践の立場からプラクティスとアカデミアを統合していこうとする方法論などを勉強し,広く見聞を深めていきたいと思っています。

*なお,この山内氏の投稿全文は「看護教育」 の11,12月号に2回にわたり掲載される。(週刊医学界新聞編集室)