医学界新聞

連載
現代の感染症

5.性感染症(sexually transmitted diseases, STD)

川名 尚(東大分院・産婦人科)


 HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染ルートとして性行為感染が最も重要であることが判明して以来,性感染症に対する関心が特に高まってきた。考えてみると,性行為のような「密接な接触」は,感染微生物の伝播には誠に好都合で,成人における重要な微生物の感染様式である。
 従来,「性病」というとダーティなイメージがつきまとうため,性感染症はとかく軽視されがちであったが,以下に述べるように,もっと関心を持たなくてはなるまい。
 性感染症は性病と称される4つの感染症を含んだ,性行為により伝播するあらゆる感染症を包含する広い概念である。その関連する微生物は,ウイルスから寄生虫に至るまで大変幅広い()。これらの中で,この20年間ぐらいのうちに出現してきた,主にウイルスによるものを,従来の性病を第1世代の性感染症として区別し,第2世代の性感染症と呼ぶ学者もいる。第1世代の性感染症である性病は,抗生物質の発見により治療が可能となったが,第2世代のウイルス性の性感染症は,未だに治療法が確立していないばかりか,予防のためのワクチンも開発されていない。

最近の動向

 本邦における性感染症の最近の動向を,厚生省の感染症サーベイランス事業のデータからみて見たい。この事業は,全国の約550の診療所や病院を定点として毎月1回,5つの代表的な性感染症を報告するシステムである。これらの定点の年間平均報告数の年次推移をに示した。
 実はトリコモナス症も報告の中に入っているが,本症は性行為以外の感染経路もあることから,性感染症の動向をみるにはやや不適当な面があり,この図では省いて示してある。
 男性についてみると,1988年では淋病が圧倒的に多く,次いで陰部クラミジア,そして,性器ヘルペスと尖圭コンジローマという分布であった。淋病は,その後やや増加したが,1991年をピークとして,1993年にかけて急激に減少している。これは,「エイズキャンペーン」の効果と経済的な不況によるものを考えられている。しかし,その減少傾向は,1993~4年を底として,1996年には再び増加に転じていることは,注目すべきことであろう。この間,淋病の減少に伴って陰部クラミジアが第1位になった。陰部クラミジアも一時やや減少傾向はみられたものの,この1~2年は横ばいである。
 女性では,陰部クラミジアが1988年から1992年にかけて増加し,1993年以降は大体同じくらいである。注目すべきは,性器ヘルペスが第2位になったことである。性器ヘルペスは男性でも減少傾向はみられていない。単純ヘルペスウイルス1型と2型によって発症する本疾患は,代表的なウイルス性性感染症である。このウイルスは,感染すると仙髄神経節に潜伏感染するが,これがしばしば再活性化されて再び皮膚粘膜の表面に現われて感染源となる。特に単純ヘルペスウイルス2型による場合は,よく再発するので感染源になりやすい。このようなウイルスの性質が性器ヘルペスが減少していかない理由の1つである。

性感染症の制御を困難にするもの

 性感染症の制御を困難にしているのは,1つは性感染症は人間の種族保存のための本能的な行為に伴うことであることと,もう1つは,この感染微生物を無症候に性器に排出あるいは保持している人がかなりいることである。
 例えば,陰部クラミジアについてみると,妊婦の約5%くらいが罹患しているにもかかわらず,そのほとんどが無症候である。単純ヘルペスウイルスについてみると,例えば性器ヘルペス以外の患者や妊婦について子宮頸部のウイルスの分離を行なってみると,1回の検査で0.5%の頻度で分離されてくる。検査を何回かくり返せば,恐らく,もっと多くの人がウイルスを排泄していることがわかると思われる。尖圭コンジローマの原因であるヒトパピローマウイルスも,5%以上の女性が無症候に感染していると考えられている。
 これらは,無症候であるため本人も感染していることに気づいていないので,多くの人との性行為を通じて感染を拡げていくことになる。HIVに感染してもエイズを発症するまでの長い間は無症候であり,しかも性行為によって他人に感染させることができる。
 エイズの蔓延を防ぐには,このような無症候性のHIVキャリアからの性行為感染を防がなければならない。
 このことは,性感染症の蔓延の制御と全く同じことである。性感染症の制御のためのノウハウはとりもなおさずエイズの蔓延を防ぐためのノウハウでもある。