医学界新聞

 連載 イギリスの医療はいま

 第15回 ホスピスの新しい流れ

 岡 喜美子 イギリス在住(千葉大学看護学部看護学研究科修了)


 日本では,「イギリスはホスピス発祥の地」として有名らしい。実際のところ,初めて「ホスピス」という言葉が使われたのは4世紀頃のヨーロッパであり,最初に死にゆく人の看護を専門に行なったのはフランスのリヨンにあったホスピスである。

ホスピスから在宅死へ

 イギリスのホスピスが有名なのは,近代ホスピス運動の先駆者となった聖クリストファーホスピス(1967年開設)ゆえであり,現在このホスピスはホスピス情報センターのような形で世界中のホスピス関係者の教育,研究に多大な貢献をしている。そのような関係からか,「イギリスではホスピスがとても発達していて,不治の病にかかると皆ホスピスに入所して尊厳ある死を迎えるのでしょう」とよく言われる。
 しかし,1995年の統計をみると1年間に約16万人が癌で死亡しているが,そのうちホスピスで死亡しているのは約2万8000人にすぎない。約10万人以上は在宅で死を迎えている。これはホスピスで死を迎えるよりも,住み慣れた自宅で家族に看取られるほうが,患者の苦痛が軽減され,また家族にとっても満足度が高いという結果から,ホスピス運動の流れが在宅死の方向に変わってきたためと思われる。この家庭での闘病,そして看取りを支えるのが,ターミナルケア専門の訪問看護婦とデイホスピスである。

デイホスピス

 イギリスには現在約220以上のデイホスピスがあり,そのうち2/3はホスピスに付属している。今回は,デイケア専門のPaul Bevan Houseを訪ねてみた。
 ここは地域の基幹病院の敷地内にあるが,うっそうとした森に囲まれ,山小屋風の建物が実に美しい。1995年に開業し,現在は1日に15人を受け入れている。
 利用者は10時にホスピスからの迎えの車に乗り,15時30分までホスピスの中で入浴,整髪,食事などの基本的なケアを受ける。また1人ひとりの要望に応えて,その人に最も合った心身の苦痛の緩和法が施される。例えば,アロマテラピー,指圧,マッサージ,水治療法などがモルヒネ等と併用して用いられる。
 それ以外にも絵画,編み物,音楽,庭仕事,フラワーアレンジメントといった趣味に打ちこめるように講師陣(ボランティア)を備え,またカウンセリングの訓練を受けたボランティアが話し相手を勤める。遺言の書き方や死後に備えての法律相談にのってくれる弁護士やソーシャルワーカー,牧師なども必要に応じて登場する。看護職はホスピスにおける中心的存在であり,ペインコントロールや一般的なケアだけでなく,このようなさまざまな人材やサービスを利用者のニーズに合わせてオーガナイズすることが重要な仕事となっている。
 ある60代の女性利用者は,麻薬を使用しながらも常に痛みを訴えていた。しかしパッチワークを習い,その作品がバザーなどで飛ぶように売れるようになるとまったく痛みを訴えなくなり,平安のうちに亡くなったという。「計算通りの投薬だけでなく,死に瀕してもなんらかの生きがいを与えることが,苦痛緩和の特効薬」と婦長は言う。

ホームケアナーシングサービス

 このデイホスピスは,世話をする家族にとっても昼間は休養したり,パートで働きに出ることもできるので大変好評である。しかし,昼間だけでなく,夜間もとても家族だけでは看られない,あるいは1人暮らしである場合はターミナルケア専門の看護婦がホスピスから派遣され,朝まで泊まりがけでケアをしてくれる。これがホームケアナーシングサービスである。
 この制度は,1969年から聖クリストファーホスピスで始められ,現在では全国で6000人以上のターミナルケアのトレーニングを受けた看護婦たちが24時間体制で訪問看護をしている。彼らは一般的なケアとともに,疼痛コントロールやカウンセリングを行なう。看護チームの中には,看護職としての資格はないが,経験のあるボランティアが含まれており,場合によっては彼らが夜間の家庭看護をすることもある。
 このホームケアも,いくらかの政府の援助はあるが,利用者から料金をとらないのでやはり資金繰りが大変である。そこで,このようなホスピスや看護ケア団体は資金集めのためのさまざまな募金活動を行なう。その最たるものが直営リサイクルショップであろう。
 イギリスの町には,必ず何軒かのチャリティーショップがあり,1年間で1店平均の利益は1000万円にもなる。そのような店を何百軒も持っている団体もある。日本でもこのようなリサイクルショップができないものかと思うが,日本には寄付する古着や雑貨は山のようにあっても,運営を支える膨大な数のボランティアを確保することが難しいのだろう。