医学界新聞

 Nurse's Essay

 あの世から死者が呼ぶ

 久保成子


 この2~3年の間に,多くの著明な方々の訃報が伝えられました。
 直接的には言葉を交わしていなくとも講演や著書,あるいは演奏会や個展などで少なからず私の人生の時を豊かにしてくださった方々の死は,それを惜しむとともに,自らが置かれている現在の生の時間を,否が応にも意識する機会となっていることに気づかされます。
 さて,20世紀末ということもあってか,今世紀さまざまな分野で活躍された方々の逝去に対して,新聞(主に夕刊)には,その方が遺した業績や言葉,親しかった人々の別れの言葉など,特別な枠組みをしつらえ掲載されています。
 そうした記事の中で,去る4月に亡くなった黛敏郎氏に寄せた,親しい方々の死を惜しむ短文の中で「おやっ!」と思ったエピソードがありました(読者も記事を読み周知のことでしょう)。
 1年前の2月に逝った武満徹氏の親友が急に倒れて容態が悪くなり,驚いた友人たちは「あの世の武満が寂しくて呼んでいるんだ。いまは逝かせては駄目だ」とばかり倒れた友のそばに集まって懸命に看病した結果,その方は快復されたが,黛氏が逝ってしまった……という記事でした。
 「あの世から死者が呼んでいる」という感じ方,考え方が日本の社会の中にあることは私も知っています。母,長兄を続いて亡くし,その3回忌を終えた翌年,虫歯1つない次兄が磯釣りの指導をしている最中に事故死しました。その時周囲の人たちが「もう,これ以上あの世から呼ばれないように」と姉たちや兄の友人たちが口々に唱えながら,昔から伝えられている儀式のようなことを1年間にわたって行なったことを私は聞かされていたからでした。「四国の田舎のことだから」とその時は思っていたのです。しかるに……「死者があの世から呼ぶ」ということが世界的に活躍している芸術家の方々から出てくるとは!
 武満氏の少年時代,自宅にピアノがなく,紙で作った鍵盤で練習していたところ,黛氏が自宅のピアノを好きなだけ弾かせてくれた,というエピソードが武満氏の逝去の際に紹介されていました。また,2人ともガンに侵されての闘病生活の中で,芸術への情熱を最後まで持ち続けた生を生きられ逝かれたこと。因縁?
 日本人の死生観。日本人がその身の細胞に組み込んでいる文化の一側面を見ているようで,とても複雑な気持ちでした。
 人類学者レヴィ・ストロースが日本を2度にわたって訪れた際,「近代化していても,日本人の独自の文化は生活の中に息づいている」と感嘆されたことも思い出したりしました。
 時が少し移り,新聞紙上では「臓器移植法案」の衆議院通過を報じ,その賛否論で埋まっていました。