医学界新聞

ベスイスラエル病院での臨床疫学の実践

寄稿 能登 洋 ベスイスラエル病院(アメリカ)内科研修医


 東京海上メディカルサービスのプログラムで,ニューヨークのベスイスラエル病院の内科臨床研修を始めて早くも3年たちました。アメリカに留学して体系的な医療研修を積むことができ,また日本の医療を客観的に見直すことができて非常に有意義な経験をしました。
 アメリカで研修を受けて最も感銘を受けたのはサイエンスとしての医学が合理的で体系立っていることです。この点で日本がまだ後れを取っている分野の1つが統計学・疫学の臨床応用です。
 evidence-based medicine(実証に立脚した医療)は比較的最近に確立されて普及したアプローチですが,これは臨床方針決定に際して,系統立たない個人の経験や,病態生理学だけに頼ることなく臨床試験・研究の文献報告(=実証)を客観的に批評し検証して,それを実際の臨床に適用・実践する手法です。このアプローチにより,個々の症例で最適な検査・治療法を選択できるだけでなく,医師個人が最新の医学知識を維持することができます。evidence-based medicineには日本でも少しずつ焦点が当てられてきています。
 そこで今回は,実際にアメリカの病棟で3年間教わり実践してきたevidence-based medicineを紹介しましょう。

evidence-based medicineの意義

 臨床の場では医師個人の知識・経験は限られていますし,偏っています。古典的生理学では説明のつかない臨床現象も数多く存在します。そのため新たな臨床問題を解決したり,常に適切な治療を行なったりするためには,最新の臨床試験・研究報告を活用する必要があります。また,医学は急速に発展しエントロピーが増大しているので,時代に遅れないようにするために絶えず最新の文献を入手する姿勢を持つことが必要です。
 臨床の場で,最新の医学を適切に活用するために生み出されたのがevidence-based medicineで,文献検索,文献批評,適用評価の手順を踏むものです(表参照)。


 evidence-based medicine実践で気をつけなければならないのは,evidence(実証)が教科書に載っている生理学や一般常識と異なる場合があることです。有名な例として,「コレステロール値を下げると心疾患による死亡率が低下するが,心疾患以外による死亡率が増加し,理論や常識に反して全体の死亡率は減らない」ということは,つい最近まで多くの臨床研究が示してきたevidenceです。では,この常識とevidenceのどちらを信用し活用したらよいのでしょうか。
 実際の臨床の場で(特に患者にとって)興味があるのは,病態生理学よりは転帰や結果です。特に罹患率と死亡率,リスクと利益・効用です。ですから臨床では教科書より文献によるevidenceを活用するのが合理的です。しかし,すべての文献が正しいとは限りませんし,研究の組み方や結果の解釈に不備があることも少なくありません。報告を鵜呑みにするのではなく,正当に批評して個々の症例に適用する手法が重要になるのです。
 前述の,コレステロール値を下げると非心疾患死亡率が増加するという例については,これを示した多くの研究は(1)母集団が十分大きくない,(2)交絡因子(confounding factor)の寄与が大きい,(3)コレステロール値と非心疾患死亡率との間に直線関係がない,(4)生物医学的に意味をなさないなどのことから,因果関係が確実でないと言えます。
 最近の2年間で,ようやく大規模臨床研究の結果がいくつか発表されましたが,いずれの研究でもコレステロール値低下による非心疾患死亡率の変化は認められませんでした。以上のことより,一般論として高コレステロール血症は治療する意義があると言えるでしょう。もちろん個々の患者への適用に関してはその患者のリスクと効用,合併症,予後なども十分に検討しなければなりません。統計学的に有意であっても臨床上意味があるとは限りません。

evidence-based medicineの実践報告

 臨床試験・研究は,診断,治療,予後,因果(相関),コスト分析,決定分析,ガイドラインのカテゴリーに分けられ,それぞれのカテゴリーに応じて質問提示,文献検索,文献批評,適用の手順を踏みます()。ベスイスラエル病院では毎週レジデントによるevidence-based medicineカンファレンスを開いています。前もってレジデントが,自分たちが受け持った実際の症例から質問を作り,チーフレジデントがその中からディスカッションに適当なものを選抜します。質問作成にあたってはカテゴリーごとにその焦点を明確にしなければなりません。  実際にあがった質問の例を示します(太字が焦点です)。

●診断  HIV陽性の50歳男性が発熱と咳を主訴に受診。胸部X線で空洞形成を認める。喀痰抗酸菌検査の感度と特異度は?
●治療
A)40歳女性が上気道感染症で受診。患者は薬剤服用を望まない。亜鉛剤による上気道感染症治療の効果安全性は?
B)心不全を持つ74歳男性。アミオダロン投与による死亡率絶対危険度減少相対危険度減少はどのくらいか?
●因果/相関
A)皮膚筋炎と診断された35歳男性。悪性腫瘍の合併の相対危険度はどのくらいか?
B)腎機能障害を持つ78歳男性。頭部CT撮影を必要とするが腎機能悪化の危険度を低下させる造影剤の種類はあるか?
●ガイドライン
 上記の皮膚筋炎の男性に必要な悪性腫瘍スクリーニングは何か?

 質問が選択されるとテューターとなる当番のレジデントが質問を受け取り,文献検索をして適当な文献を配布します。テューターは1週間かけてディスカッションの準備をします。現在のところ特に系統だった講座やセミナーはないのですが,準備にあたっては教育指導医長や統計士が個人的にアドバイスをしてくれます。テキストとしているのは,JAMAに連載されているUser's Guides to the Medical Literatureです。
 カンファレンスではまずテューター役のレジデントが文献のバックグラウンド,目的,研究デザインを解説した後,3グループに分かれてそれぞれ研究の正当性,結果評価,実際の患者への適用性について話し合い,最後にテューターの指揮で各グループが結論を発表し,全体の意見をまとめます。実際に適用する際には統計学的意義を臨床的判断と統合することを忘れてはいけません。
 カンファレンスにはチーフレジデントや教育指導医長も参加して指導してくれます。evidence-based medicineを実践していくには教える側も率先して最新の医学を維持するよう努力する必要があります。

ジャーナルクラブ

 ベスイスラエル病院ではevidence-based medicineを導入してからあまり時間がたっていませんが,似たような目的でかなり以前からレジデントによるevidence-based medicine形式のジャーナルクラブを開催してきています。
 ジャーナルクラブは主に文献の批評能力を育てるためのものです。レジデントが毎週1人ずつ自分の興味のある臨床試験や研究文献について,正当性と結果の批判的解釈のプレゼンテーションをします。専門医や統計士と相談して準備し,1時間ほど1人でプレゼンテーションするので,まさにレジデントにとっての檜舞台です。レビュー形式のジャーナルクラブも最新情報の入手には役立ちますが,evidence-based medicine形式のジャーナルクラブは批評能力の習得にも役立ちます。

統計学・疫学の重要性

 日本では検査のオーダーや結果の解釈が合理的でなく,感性に頼っている傾向があり,感度(sensitivity),特異度(specificity)などの統計学的特性を日常から念頭に置いている人はほとんどいません。それはせっかく大学で統計学や疫学を学んでも臨床への応用を教わる機会がほとんどないためです。
 このように検査結果を臨床像に照らし合わせて解釈しなかったり,検査を乱用したりすると,偽陽性(false positive)が増えて検査精度が落ちてしまいますし,そもそもそのことに気づいていない人も多くいます。
 アメリカの研修では,検査をオーダーする際には感度・特異度を含めて理由をよく尋ねられ,検査精度を上げるために検査前に病歴と所見を十分考慮(=臨床的判断)して検査適応を絞り,検査前確率(pre-test probability)を高くするようにとうるさく言われます。例えば病歴と所見の上で凝固異常や基礎疾患のない患者の場合,凝固機能(PT/aPTT)を「念のために」測定することは正当化されません。また,方針決定に際して出典文献を求められることも少なくありません。
 臨床疫学に遅れていると,臨床試験・研究を組んだり正しく結果を分析したりすることができません。日本の先端技術が世界のトップクラスではあっても,例えば早期胃癌検診の有用性などを世界の医学界に説得できないでいる一因は,ここにあるのでしょう。また危険管理対策の遅れにもつながります。
 検査や治療方針決定に関するジャーナルや文献報告を読む際にも,統計学・疫学の知識がないと正しい評価や適用ができないのは言うまでもないでしょう。メジャーなジャーナルであってもすべての文献が信頼できるとは限りません。自分でそれを批判的に判断できなければならないのです。

最後に

 このように,アメリカではevidence-based medicineが病棟で身近に実践されており,その有用性・普遍性が広く認められています。最後に忘れてはならないのは,evidence-based medicineは単にevidenceを普遍的なガイドラインとして金科玉条にすることではなく,医師個人の臨床的アプローチとevidence適用の統合によって,患者ごとに最適な治療を実施するのだということです。evidence-based medicineは患者に始まり患者に帰着するのです。