医学界新聞

「米国癌学会特別カンファレンス: 細胞シグナルと癌治療」に参加して

門松健治(名古屋大学・第一生化学)

 米国癌学会がイギリス,ドイツ,オーストリア癌学会,およびオーストリア生化学会と共催する今回の「AACR 特別カンファレンス」は,“Cell signaling and cancer treatment”と題し,2月23~28日,約300人の参加者を得て行なわれた。ミュンヘン空港から学会の用意したバスに乗り約2時間半。真冬のオーストリア・チロルのインターアルペンンホテルに着くと,あわただしくチェックインし,午後6時に始まるカンファレンスに間一髪,間に合った。

標的分子を定める

 臨床医学,基礎医学,薬物開発。参加者はこのうちのどこかに身を置く者であろうが,発表は口頭,ポスターともに,基礎医学を中心に3者がほどよく混合したバランスのとれたものであった。
 分子生物学の進歩も手伝って,細胞内あるいは細胞間の分子動態がかなり明らかになった現代における医薬開発の潮流は,正常と異常の細胞の分子動態の差を見きわめ,標的とする分子を決定し,それに対する阻害剤や促進剤を開発することにあるようである。したがって癌に限って言うならば,従来型の「cytotoxic」を特徴とする医薬のみならず,「cytostatic」な医薬の開発(例えばある癌でEGF受容体のリン酸化が無秩序な細胞増殖の原因であるとするならば,リン酸化されたEGF受容体を特異的に阻害し,癌細胞を殺すことをめざすのではなく,その増殖を抑制することをめざす)へ,科学者たちの目が向いていることを肌で感じた。

聞きごたえがあった新薬開発の戦略や成功事例の話

 プログラムは,(1)増殖因子とレセプター,(2)細胞内シグナル伝達,(3)細胞周期,(4)サイトカイン,(5)アポトーシス,(6)浸潤と転移,(7)血管新生の順で進められた。発表される内容はすでにphase Iの臨床試験に入っている薬の話題から,基礎生物学の話題まで大きな幅があったが,基礎医学に身を置く筆者には,新薬の話,特にそのアイデアが新鮮でおもしろかった。
 EGF受容体のチロシンキナーゼを阻害する方法の1つとして,キナーゼのATP結合部位に競合して結合する化学物質の開発を試み,EGF受容体特異的阻害を得た発表があった。また,肺癌のうち小細胞癌は多種の神経ペプチドを放出することで知られるが,そのうちのサブスタンスPを標的分子として,グルタミン残基をD-トリプトファンに入れ替えるなどして半減期の長いアナログを作製し,この癌に効奏した発表もあった。さらに,EGF受容体の仲間であるerbB2の機能阻害のために,一本鎖の抗体の注入により,erbB2小胞体に停滞するようにし,細胞表面に露出させないことに成功した話もあった。今回は,オリゴヌクレオチドによる阻害の話題はほとんどなかったので,これがどの程度まで進んでいるのかは把握できなかったが,いずれにせよ数々の新薬開発の戦略や成功事例の話は聞きごたえがあった。

興味深かったアポトーシスのレビュー

 基礎生物学のの分野は,細胞周期のセッションが若干見劣りする印象を持ったが,全体に充実した内容であった。特に著者には,caspaseを中心にしたアポトーシスのレビューがおもしろかった。
 caspaseはinterleukine converting enzyne(ICE)とced3(線虫におけるアポトーシスの主役の1つとして見つかった遺伝子)に相同性を持つプロテアーゼの総称で,現在すでに10ほどのメンバーが見つかっている。特にced3に近いメンバーが重要らしく,アポトーシスのシグナルはcaspaseのサブファミリーを活性化するが,これがさらに別のサブファミリーを活性化し,さらには,DNA複製やRNAスプライシングなどをつかさどる蛋白を分解することで細胞死に導くとする。この経路の途中には,ミトコンドリアから細胞質内へのチトクロームCの移動が重要であるという話も加わった。
 アポトーシスについては今まで随分いろいろな役者が出てきて混乱の時期があったが,その時期もかなり近い将来終る気がする。一方で,癌,発生,老化といった分野でアポトーシスの持つ生物学的意味の検証はますます重要になってくるに違いない。

ポスター会場にて

 筆者は,ヘパリン結合性成長因子,ミッドカイン(MK)を題材に研究を続けているが,今回はMKがNIH3T3細胞をトランスフォームすることについてポスター発表した。多くの人が興味を持って発表を見てくれた。
 MKとはどのようなものか。まずその発見の経緯の説明から始まり,いくつかの実験のサジェスチョンあり,共同実験のプロポーズありで,何人かの科学者と知り合えたことは大きな収穫であった。
 一方,聞く側に立っても,ポスター会場はなかなかおもしろかった。国立感染症研の上原至雅先生から,ソフトアガーアッセイの代わりに,より簡便なpoly HEMAを用いるアッセイを教えていただいた。
 イスラエルの科学者が用いた「kemptide」と呼ばれるペプチドシークエンス法を利用した蛋白の32Pラベルもおもしろかった。イタリアの科学者が使ったLewis肺癌細胞はC57BL6系のマウスに移植可能な細胞で,ジーンターゲティングを行なう(C57BL6マウスを通常用いる)筆者の研究室には貴重な情報であった。

チロルのこと

 真冬のチロルはさぞかし寒かろうと覚悟して行ったが,予想に反して雪も少なく暖かい日が多かった。地元の人々にとっては,このシーズンが1年の内で最もかき入れ時になるのだが,どうにも今年の暖冬は頭を痛めていた。
 ホテルから車で約1時間のところに,冬季オリンピックが過去2回開催されたインスブルックがあった。学会の昼休みにツアーが組まれてこの町を観光することができたのだが,暖かいおかげで足元も気にせず快適な観光ができた。魅力的な雰囲気の旧市街を中心に歩いて回ったが,後にガイドに,アパートや持ち家の費用を聞かされると,筆者の住む名古屋市に近い物価とわかって驚いた。山中の小さな町,インスブルックは,しかしながらなぜか来訪者の気持ちをなごませる美しい町であった。
 欧米で開催されるカンファレンスの例にならい,今回も早朝から講演が始まり10:00~15:00の長い昼休みの後,夜の部が催されるというスタイルであった。スキーのできない著者は,ことにこの長い昼休みをどうして過ごすか悩んだが,結局,前半は時差ボケの補正に使い,後半は先のインスブルック観光あるいは学会参加者との会話であっという間に時間は過ぎ,結構充実した時間を過ごせたように思う。

おわりに

 学会の最終日は,市長主催のレセプションに続いて,フェアウェルディナーが用意されていた。レセプションでは,地元の衣装を着けた楽隊の演奏があったり,地元の蒸留酒が振る舞われたりで,外国人にはなかなか楽しめた。ディナーで隣に座ったスイス人によると,このようなゴージャスなディナーを設定するのは,日本人とオーストリア人ぐらいだと,誉めたのか,けなしたのかわからない評価をしていたが,隣国同士でほとんど生活習慣は変わらないというものの,国民気質の微妙な差異も見受けられておもしろかった。筆者にとっては,研究の上でも,個人的な興味の上でも,得るところの多い学会であった。
 最後に,この学会参加にあたり,金原一郎記念医学医療振興財団から研究交流助成をいただいたことに感謝申し上げます。