医学界新聞

第8回開発途上国派遣専門家研修に参加して

澤田和美 (東京医科歯科大学医学系研究科博士後期課程・母子看護学専攻)


 読者の中には開発途上国での保健医療協力を志して医師,看護婦になった方や,将来は途上国での仕事に就きたいと思っている方もおられるでしょう。しかし,どのように海外での仕事にアクセスしていいかわからなかったり,またはどんな仕事が待っているのか,はたして自分の力量でできるかと迷っている人も多いことと思います。探してみると,開発途上国への足がかりはいくつかあるのですが,こういう情報が案外オープンでなかったりします。幸運にもそういうチャンスに巡り会え,開発途上国協力について学び考える機会を与えられたのでご報告いたします。

5週間の国内研修と 1週間の海外研修

 (社)国際厚生事業団は厚生省管轄の国際医療を実施している団体で,さまざまな研修活動を行なっていますが,日本人を対象とした海外派遣保健医療専門家養成事業にはエイズ・人口対策人材養成研修,国際緊急保健医療支援研修,そして開発途上国派遣専門家研修があります。今年2月から3月にかけて行なわれた開発途上国派遣専門家研修は,日本国内における国際保健医療専門家を養成する数少ない研修コースの1つで,今回で第8回になります。
 以前,本紙にも募集が掲載されていたことがありますのでご覧になった方もいらっしゃると思います。毎回,前回の評価にもとづいて期間およびカリキュラムが変更されていますが,今回は国立国際医療センターにおいて5週間の国内研修の後,ネパールでの1週間の海外研修があり,研修内容の発表会,報告書提出で修了しました。

今回は10名の参加者,そして すでに49名の修了者が誕生

 今年の参加者は医師4名(公衆衛生,内科,外科,眼科),薬剤師1名,看護婦3名,助産婦1名,疫学専攻者1名と専門分野がさまざまで,経験も青年海外協力隊,NGO(AMDA等)での経験のある者や日本での臨床経験はあっても途上国は初めての者,これから東大国際保健学科で学究生活に入ろうとする者とこれまた多様でした。そして出身地も北から南までさまざまで,日本での地域保健医療に関わっている者がおのおのの働きの場からの意見交換もできました。
 ちなみに1989年から始まったこの研修の修了生はすでに49名おり,その後JICAの専門家として活躍している者をはじめとして,国立国際医療センター国際医療協力局派遣協力課の医師になった者,研究者としてハーバード大学でDALY1)を考案したC.J.L.Murrayのもとで研究に携わってる者など,それぞれの場での開発途上国の医療協力に活躍しておられます。

国内研修の前半は知識編

 回数を8回と重ね,練りに練られたカリキュラムの概要は,国内研修の前半は知識編で,疫学,人口問題,被災民,Health Economics,貧困予防対策,女性と開発(WID,GAD2)),そして案外知らない日本の地域保健の歴史など広範でしたが,開発途上国の保健医療問題の性質上,医学保健学領域のみならず,経済,社会学的な分野にわたります。それぞれの結びつきをあらためて確認し,現在の知見を整理することができました。
 また,マラリア,熱帯寄生虫病,下痢症とORS3),ビタミンA不足といった日本の医学,看護学教育ではあまり学ぶことのできない内容を,その道の研究,実践に従事している講師から聞くことができました。そして経験豊かな講師による途上国における薬事事情,栄養問題,口腔保健,現地ニーズとプロジェクト案件の発掘など多岐にわたり,実状とどんな形の協力が可能なのかを模索することができました。
 1日1コマ2時間を3コマ,一流の講師陣による講義を受けましたが,向学心旺盛な参加者は2時間の講義では足りず,休憩時間を削って質疑応答,そして裏づけとなる文献・資料をたくさんいただきました。

後半は思考のトレーニング

 国内研修の後半はこれらの知識をいかに応用し,組み立てていくかといった思考のトレーニングでした。開発途上国への政府間援助において,しばしば相手国政府高官とのやりとりを行なう場合には,あうんの呼吸や以心伝心など日本的なコミュニケーション術は通用しません。いかに相手に主張させつつ,こちらも主張し,納得させるか,そんな思考とテクニックを身につけるためのディベート演習。そしてプロジェクトサイクルマネージメント(Project Cycle Management PCM)の初級コース,プロジェクトの計画・立案手法の研修を3日間かけて演習しました。
 この手法は,参加型,目的志向型のプロジェクト立案方法で(財)国際開発高等教育機構(FASID)が開発援助プロジェクトの計画・実施・評価の一連のサイクルを運営管理する手法を導入し,普及を図っているもので,JICAにおける保健医療プロジェクトの標準的な手法となりつつあります。
 このころになると私たちは座学を離れて,相互に意見を交わすことが多くなり,10名の参加者は和気あいあい,けんけんがくがくとおのおのの背景をふまえての意見や考えが噴出し,意見がまとまらないことにもしばしば遭遇しましたが,それでいてその違いから学ぶところも多くありました。

最後の5日間は事例研究

 国内研修の最後の5日間はJICAのプロジェクトの実際を,派遣協力課の医師,看護婦から聞き討論を行なう事例研究でした。つわもの揃いのこの課の先生方の話は,病院協力,公衆衛生協力の手法と政府間援助のノウハウ,国情のアセスメントの方法といった普遍的な側面と知識をもとに,いかにその国の状況に併せて応用していくかを,裏話を交えてお話下さり,感心したり,びっくりしたりの連続でした。
 総論の講義で,国立国際医療センター国際医療協力局長の古田直樹先生は「国際医療協力に携わる者は自分のweaponを持つことが必要だ」とおしゃってました。誰にも負けない知識と技術,そしてそれを応用する柔軟な思考,この両者を具備することができて,はじめて多くの問題を抱えた開発途上国の医療プロジェクトの中で仕事ができるのだろうということがわかってきました。

ネパールでの1週間の海外研修

 さて,このように理論と知恵を蓄えて,いざネパールへ。
 正直言うと「1週間でこの奥深い国の何がわかるの?」という研修ではありましたが,すでに終了したプロジェクト,そして現在進行中のプロジェクト訪問を通して,プロジェクト評価の一端について考えたり,実際の運営を垣間見ることができました。
 また,ネパール政府保健省の訪問,JICAネパール事務所,大使館など政府間援助には欠かせない機関を訪問することもできました。国内研修中と同様,各参加者のバックグラウンドの違いから,見たいところも違えば感じ方も異なり,毎日,訪問先から帰った後のディスカッションも盛り上がっていました。海外研修の最後は,日本の援助で創設され,16年間保健医療協力が継続したトリブバン大学医学部病院において,今回の研修で学んだことをプレゼンテーションしました。この中でネパール固有の問題と,日本の保健医療と通ずる問題が浮き彫りにされました。

一生に1回は国際医療協力が できるシステム作りを

 国際厚生事業団参与の我妻尭先生は,国内研修中,講師のバックグラウンドの紹介を通し,また講義を聴講し,私たちの未消化な部分のフォローをしてくださりながら,「1人の医療者が,一生のうちに1回は国際医療協力をできるようなシステム作り」の必要性について語っておられました。
 現実には日本の臨床と途上国の臨床は疾病構造が異なり,日本での臨床がそのまま途上国で活用できるという場面はそれほどありません。そして,途上国では臨床能力のみでなく,社会科学的な要素が必須になってきます。したがって,私たち医療者は国際医療協力に必要な幅広い知識と技能を身につけておく必要性を痛感しました。
 さらに,今後はアフリカ,南米への協力がますます増えるということを考えると,英語のみでなく,フランス語,スペイン語などでのコミュニケーション能力もますます重要になってくるものと思われます。
 今回の修了生のうち数名はすぐにJICA医療専門家としてプロジェクトに従事します。また,何人かは病院での仕事に戻り,また学究生活を続ける者もいます。
 知識は古くなっても,思考法やネットワーク,政府・関連機関へのアクセスの仕方を学んだ私たちは,開発途上国での活躍が実現できる時まで,日々それぞれの持ち場で研鑽を続けるつもりです。残念なことに,国際厚生事業団によるこの研修は,初期の目的を達したものとして今回で一旦中止だそうです。

人材養成のためにも 何らかの形での継続を

 これまで聖域であった政府開発援助(ODA)に対する予算総額は頭打ちになっているようです。これからの開発協力は無償資金援助に代表される建物,機材等の供与を中心とするハード重視の援助から,途上国の自立を促すための適正技術移転,人材育成,組織制度作りといったソフト面を重視したプロジェクト方式技術協力などの開発協力が増加することでしょう。また,住民が自分たちの問題を自分たちで解決する参加型の協力も増えるでしょう。
 特定の分野の研修とは異なり,本研修のように開発途上国における保健医療のみならず,社会を洞察する力も身につけ,広範な領域の有機的な結びつきを学べる研修は,稀少であると同時に,これからの国際保健医療協力の人材を養成する上で重要な役割を果たすと思います。今後何らかの形で継続されればと,一参加者として願わずにいられません。
 最後に本研修に際しご支援くださった厚生省,国際厚生事業団,国立国際医療センターの皆様に深謝いたします。

注釈
1)DALY: Disability Adjusted Life Year(障害調整生存年)
 疾病負担(Burden of Disease)をはかる単位で,YLL(Years of Life Lost;早死損失年数=期待可能生存年に対し失われた年の総計)とYLD(Year of Life Lived with Disability;障害共存年数=障害とともに生きた年を死と比較して重みづけをして加えた総数)を足したもので,疾病の種類ごとに時間の単位で測定される。
2)WID,GAD: Women in Development, Gender And Development
 女性と開発の考え方は,開発への女性の参加や女性の受益に配慮するWIDから,女性のみを対象として区別するのでなく,ジェンダーに配慮し,女性の置かれている状況を社会的問題として捉えるGADを最近では用いることも多い。
3)ORS: Oral Rehydration Salts(経口補水液)下痢に起因する脱水に対する治療に用いられる。