医学界新聞

対談

フィジカル・アセスメント

これからの看護に必要な技法

福井次矢氏
京都大学附属病院教授・
総合診療部
森山美知子氏
山口県立大学・
看護学部


 訪問看護の普及は,看護婦が単独で直に患者と触れ合う機会を多くしたが,一方では患者管理の責務も担うことになった。また,医師が常勤しない老人保健施設や老人ホームなどでは,患者・入居者に対する看護婦のより正確な判断が要求される場面も増えてきた。患者の健康状態を把握することは,患者の抱える問題に対し早期に解決をはかる手だてともなる。このような要因から,専門職としての看護婦には患者アセスメントの的確さが要求されるようになり,日本でも「フィジカル・アセスメント(身体診査技法)」が注目されてきている。
 ヘルスアセスメントは,アメリカの看護教育では必須科目となっているが,日本ではこの6月に医学書院から『写真で見るフィジカル・アセスメント』(監訳:福井次矢他)が出版される。また昨年末にビデオ『フィジカルアセスメント―成人の身体診査技法』(森山美知子監修,文化放送ブレーン)が先行発売されている。
 そこで本号では,福井,森山両氏に,フィジカル・アセスメントはどういうものなのか,またどのような場で必要となるのか,今後の展望,医師と看護婦との協調などについて対談していただいた。(1997年2月28日,収録)


フィジカル・アセンスメントとは

医師から独立した技術として

福井 今回は,看護界ではフィジカル・アセスメントがどのようにとらえられているのか,またどうして注目されるようになったのかなどをうかがいながら,話を進めていきたいと思います。森山先生は以前からフィジカル・アセスメントに注目されているようですが,看護におけるフィジカル・アセスメントの生まれた背景を説明いただけますか。
森山 アメリカでは看護職の専門化に伴い1970年代にはこの技法が基礎看護教育に取り入れられていたようです。日本では,医師が教育をするという形で,頻度の多い領域の特定のアセスメントについては昔から行なわれていましたが,1994年頃から「フィジカル・アセスメント」という言葉で注目されるようになってきました。看護婦が医師に従属しないで,自分たちできちんと患者の身体も診ることができる。また,心理・社会的な面からもアセスメントできるというように,より独立したものとして位置づける意図があったようです。
 私は,1994年に済生会山口総合病院の看護婦さんと一緒に『看護診断のための看護アセスメント(原題:Nurses' Handbook of Health Assessment)』(医学書院刊)を翻訳しました。タイトルは『看護診断……』となっていますが,看護婦の書いた「head to toe(頭尾アセスメント)」を紹介した本だと思っています。
 それから,アメリカでは医療コストの値上がり,無医地区や学校保健,女性のプライマリヘルスケアのように,医師があまり入り込んでいない領域をカバーする必要があったという状況からナースプラクティショナーが生まれましたが,フィジカル・アセスメントは彼らに必要な技術でした。
 大きなウエイトを占めるのがコストの問題です。アメリカでは医療費の抑制策が強いのですが,特に今のマネージドケアになった時にナースプラクティショナーがとても重宝されはじめました。と言いますのは,医師ではコストがかさみますが,ナースプラクティショナーが最初のスクリーニングの部分を行ない,簡単な疾患については治療も行なうようにすればコストが浮くからです。また,医師の時間も浮き,ゆっくり患者さんにかかわれるようになってきたという流れがあります。
福井 フィジカル・アセスメントでは,どういう点に特に注目されるのでしょうか。
森山 フィジカル・アセスメントには,大きく分けて2つのレベルがあると思います。いわゆる頭尾アセスメントと言われる,システマティックに全身を診ていくもの。そしてもう1つは,状況に応じて身体の一部を特定し診ていく場面です。例えば「お腹が痛い」と訴えがあった場合に腹部や関連部位の限定された部位をチェックする方法です。

医師と看護婦の違い

福井 日本のこれまでの看護教育では,システマティックに診る方法はあまり教えてきていないのでしょうか。
森山 多くの学校では教えていませんでした。また,今まで看護婦は医師の診察現場の見よう見まねで,医師の立場から診るようなアセスメントが多かったのではないでしょうか。それを,どう看護援助に結びつけていくかが問われてきている時期なのだと思います。
 訪問看護ステーションや老人保健施設の増加で,看護婦の役割は充実してきています。そのような中にあって,看護婦は医師がいない場所で自分の判断によって動かなければいけない場面に遭遇するようになってきました。そこでは,やはりきちんとした技術を持っていなければ,患者さんからの大事なサイン(身体徴候)を見逃してしまうのではないかという気がします。
福井 患者さんのサインを診て判断するというのは,これまでは主として医師が行なってきたことです。看護の視点と,どう違うのでしょうか。
森山 医師は,フィジカル・アセスメントを医学診断,病気に結びつけていきます。しかし,看護では患者その人個人のライフスタイルに合わせて,その場でどう援助するかに結びつけていきます。また,そのアセスメントした内容,例えば脳梗塞の時に視野狭窄があるとか,ROM(可動域)はこの程度だから,物品はこちらに置くほうがよいとか,ROMの範囲から自分で着脱できる服に変えようと考えていきます。
福井 それは結局QOLとのかかわりになりますね。
森山 そうですね。実はアメリカの看護学生にはこの技術が必修で,学部で必ず学習します。私はアメリカの大学院でクリニカルスペシャリストのコースを取りましたが,専門看護実践においても必修でした。ですから,この技術を試そうと老人のデイサービスセンターに毎日のように通い,自分で全身のチャートを作って,チェックし,トレーニングをした経験があります。
 そうしますと,いろいろな問題がみえてきました。例えば転倒1つをとってみてもさまざまな原因があるわけですが,生活の場の改善,住居環境を変える,ちょっと運動をするなどのことで解決できるものが多くあります。それは看護婦でもできるものです。また,異常を発見して心臓専門医に患者さんを紹介したこともあります。日本においても,いわゆる急性期治療を必要としない老人の場面にもフィジカル・アセスメントは有効だと思います。
福井 そうだと思います。目的が,結局は看護計画に役立てるということなのですね。私たち医師も,同じ目的でやっているつもりなのですが,医師とナースのコミュニケーションの問題もあり,情報が共有されていないのかもしれません。

医師との棲み分け

福井 私もアメリカのナースプラクティショナーと一緒に働いた経験があります。でも,こういう技法を身につけた看護婦さんが今の日本にたくさんいたとしても,医師との仕事の役割分担において,お互いの了解がないと無駄になる可能性がありますね。フィジカルイグザミネーション(身体診査)の情報を十分役立てるように,相互の役割分担の理解を深めるための試みは,何か行なわれているのでしょうか? 少なくとも私が今まで働いてきた病院では,そういう動きはなかったように思いますが。
森山 急性期病院では,確かに棲み分けが難しいですね。けれども,そういう観察をしなければならない場面があります。単純なところですと,手術後の呼吸音のチェックなどがあげられると思います。
福井 ICU看護では,かなり前からされていたのではないですか。
森山 ええ,していました。一般病棟でもかなり以前からチェックをしていますが,呼吸音の種類をきちんと聞き分けられる看護婦さんというのは少ないですね。
福井 医者も案外少ないようです(笑)。呼吸音については,用語の統一,コンセンサスが長い間得られていなかったこともあって,記述が難しいという問題もあります。
森山 老人ホームなどは医師よりも看護婦が主体になって診る領域だと思いますし,今の老人病院の体制は,私は医療経済的にみて非常にロスが多いと思っています。その領域に看護婦がもっと主体的にかかわっていけば,経済効果も大きくなりますし,異常があった時は専門的に医師に診てもらうというようにすればよいと思います。デイケア/デイサービスに来た老人をチェックして,病院の外来がサロンのように使われることを緩和することもできます。
福井 ただ,そうなってしまうと,医師はますますフィジカルイグザミネーションをしなくなりますね。それでなくても,確かに診察をしないで,血液検査やレントゲン写真に飛びついてしまう傾向にあると,一般的に言われています。
 ただ,基本的には看護婦さんができることはどんどんやるべきだと私は思っています。ただし医師が,フィジカルイグザミネーションをしなくなる傾向が助長されるのではないかという,マイナーなポイントも押さえておく必要はありますね。

ナースプラクティショナー

看護婦にフィジカル・アセスメントは必要?

本紙 アメリカでは,一般の看護婦さんもシステマティックなフィジカル・アセスメントをしているのですか。
森山 ナースプラクティショナーほど専門的ではないにしてもしていますね。ただ先ほども触れましたが,アメリカでは大学の学部教育で,ナースプラクティショナーがするような,目の中を覗いたりする技術までも教えます。
本紙 日本では,看護婦さんがフィジカル・アセスメントをすることに,医師とのコンセンサスは得られているのでしょうか。
福井 今はないでしょう。少なくとも多くの医師とナースの間でディスカッションされたり,コンセンサスが形成されているということはほとんどないと思います。
森山 ないと思います。アメリカでは州によって異なりますが,ナースプラクティショナーに処方の資格もあります。修士課程を修了し,6か月の現場トレーニングを受ければOKということです。
福井 でも,医師のカウンターサインが必要ですね。私はずっとしていましたが。
森山 いいえ,必ずしも必要としません。まったく必要とせず,ナースプラクティショナーが独立して働くこともできます。そうなってきた背景には,看護がアメリカの医療の中で独立する闘いをしてきた,という動きもあります。
本紙 なぜ看護婦さんにフィジカル・アセスメントの技術が必要なのでしょうか。
福井 ある日突然,今までしなかったことをナースがしはじめるということに,確かにパートナーとしての医師のほうに戸惑いがあるかもしれません。医学教育的には医師の能力は5つの要素から成り立っていると言われています。まず第1に生物医学的および心理社会学的な知識,第2に技量,3番目が態度で,4番目が情報の収集能力です。それがインタビューのテクニックであったり,フィジカルイグザミネーションであったりするわけです。それから5番目が判断と決断,つまり総合的な判断力ということです。この5つは少しずつオーバーラップしているかもしれませんが,概略的には医師の臨床能力はこのような要素から成り立っていると考えられるわけです。
 身体徴候についての情報収集は,医師の専権事項のように一般的に思われていたのではないでしょうか。でも,看護婦さんも重要な身体徴候の変化を観察することが多いわけですし,変に軋轢を感じることになってしまってはいけないと思います。
 聖路加看護大学長の日野原重明先生は,20年以上前から看護婦さんにこの技術を教えてこられました。また一般の人を,看護大学生に教えることのできるレベルまで教育するセミナーも開いています。そういう意味では,看護婦さんがフィジカルイグザミネーションできるようになるのは,私自身は当然だと思っています。しかし実際のところ,アメリカでフィジカルイグザミネーションをシステマティックに行なう看護婦は,私はナースプラクティショナーしか知りませんでした。彼女らは特別なトレーニングを受け,資格を持っていました。森山先生の話ですとその役割について,医師の側からの理解もあったと思います。

病態生理学から学ぶ技術を

森山 ナースプラクティショナーが今日あるのは,闘いの上で獲得した資格です。彼女たちは,例えば医学部を卒業して何年目までの医師と新しいナースプラクティショナーの技術の達成度はどう違うとか,患者さんのコストパフォーマンスはどうか,異常の発見はどうかという調査をし,どちらが患者さんに満足を与えられるか,結果を出していったわけです。そうしましたらやはり初期の段階では,ナースプラクティショナーのほうが能力が高く,コストも低く済んだのです。
 患者さんも,ナースプラクティショナーのほうがドクターに比べて話を聞いてくれるし,教育もしてくれて安いということがわかってきました。だからこそ伸びていった職種です。お互いにメリットが理解できれば,基本的には医師と対立するものではないと思っています。
福井 そうなんですね。結局そこにいくと思います。外国には新しい医療の流れがいろいろな面でたくさんありますけれども,それらのほとんどを推し進めている重要な要因はコストです。今の日本では,まだ日々の臨床の中で,私たちが肌で感じるような強さでコストの要素を考慮することは少ないように思います。
 アメリカの一般臨床医がかつて感じていたような,コストのドライビングフォースというのはまだ弱いんですね。それは医師だけでなく,患者さんにも言えることだと思いますけれど。
森山 確かにそうですね。ただ,フィジカルイグザミネーションを特殊なものとしてとらえる必要もないと思います。今までにも,例えば手術の後に医師は「任せたよ」と言って帰りますが,その後は,看護婦がチェックしていたわけです。言うならば,イグザミネーションの知識を部分的に使っているわけですよね。
福井 そう,決して新しいものではありません。
森山 今まで,看護婦は医師の見よう見まねで覚えてきました。これをきちんとシステマティックに病態生理学から学ぼうということです。アメリカの看護学部の学生は医学部の学生と同じレベルの本を使用します。例えば異常反応が出たらどう読み取るかということを,学部の段階で習います。そのような教え方は,日本には今までなかったと思います。
福井 少なくとも病態生理まで把握した上でのフィジカルイグザミネーションでないと,頻度の高い疾患については繰り返しによって理解できても,ちょっと違う病態や病気になったら対処できないということが起こりえますね。
森山 看護婦は,医師に比べて使用する頻度が低いにしても,何回かは「あ,この時に」という場面があります。
福井 医師が見逃すのは,ほとんどがフィジカルイグザミネーションをしないからで,そういう点では,看護婦さんは常に患者さんの側にいますし,話を聞いたり,フィジカルイグザミネーションをすることによって異常を見つける頻度は高いと思います。医師の場合,入院中の患者さんについては,状態が安定すると1週間に1回ぐらいしか診察しなくなることが多いですからね。

Evidense-Based Medicine

福井 私たちは,回診の時に「どうしてそう診断したのですか」「この診断の根拠は何ですか」と必ず質問をします。「こういう治療をしたい」と研修医が言うと,「根拠は何ですか」と聞く,そういう問答を繰り返しています。医師の世界では,今や世界中で,Evidense‐Based Medicineです。何かをやろうとすると,「その根拠は?」ということばかりなんですね。
森山 看護婦さんに対しても,そう聞かれるのですか?
福井 私は,現在看護婦さんと一緒に回診するわけではないので,そのような機会はありません。ただ,クリニカルティーチングの真髄は根拠の探究に尽きると思っています。看護にもこのようなトレーニングが必要なのではないでしょうか。それには客観的なデータがないといけない。きちんとしたデータに裏づけされたケアとなると,医師の場合以上に少ないと思うのですが。
森山 看護界での主流は,看護過程,つまり問題解決だと思います。いろいろな患者さんの問題やニーズがあった時に,それに対してどう解決を図っていくかというプロセスですが,そこに私たちなりの何かを根拠につけ加えなければいけないことから,身体的な側面においてはフィジカル・アセスメントを拠り所にしたいという気持ちもあります。
福井 それはそれでいいと思います。医師の側の視点と十分にオーバーラップする部分です。でも,目的が違います。例えば医師はこれに加えて種々の検査データを疾病診断の目的に使います。
 看護婦さんは看護診断と看護計画に使用する目的ですから,目的が微妙にずれているというところは,やはりお互いに理解する必要があります。フィジカル・アセスメントのできるベテランの看護婦さんが研修医を教えてくれる場面があっても当然いいわけです。

フィジカル・アセスメントの教育とこれから

誰が指導をするのか

本紙 日本では,まだ看護教育現場を含めてフィジカル・アセスメントを習ったことのない人が圧倒的に多いわけですね。
 アメリカでは,看護学部の学生が病態生理までを学んでいるというお話がありましたが,日本でも在宅看護論が看護基礎教育カリキュラムに入りました。その意味では,フィジカル・アセスメントが授業の中に取り入れられるようになると考えられます。ところが,日本ではまだ習った人が少ないという状況ですし,教える人たちがいるのだろうかという危惧があります。そこを踏まえて,どのような教育方法が展開できるのかを教えていただけますか。
森山 最初は技術を持っている人,つまり医師から習うのも1つの手段だと思います。それから文献を探すことも必要でしょうね。教材としては,ビデオや福井先生が訳された本があります。
福井 これから出版される『写真で見るフィジカル・アセスメント』は,非常に実際的な本です。臨床に必要な質問もかなり具体的に書いてありますし,フィジカルイグザミネーションのやり方も,実際の写真にそってわかりやすく書いています。ただ,先ほど出た病態生理学的な考え方があまり書かれていませんので,どちらかというと,表層的なマニュアルのレベルにとどまっています。これはこの本の性質上しかたのないことなのですが。
森山 ビデオは本当にフィジカル・アセスメントのテクニック編となっています。いわゆる異常とか正常かなどを考えずに,単純にビデオで紹介できる性質のものということで,テクニックにしぼりました。私はアメリカから日本に戻り,3年にわたりフィジカルイグザミネーションの講習で全国をまわりましたけれど,もっぱらテクニックの伝達でした。そこでもっと効率性をねらいビデオ化を考えました。
 ビデオ化にあたっては,アメリカのナースプラクティショナーに出演を依頼しました。私のかつてのクラスメイトです。私は現在,毎日患者さんを診ているわけではありませんので,その微妙な手つきについては表現できません。やはり,実際に毎日患者さんに接しフィジカル・アセスメントをしているナースプラクティショナーの技術を尊重し,実演してもらいました。これをご覧いただき,だまされたと思って全部覚えきることがすごく大切だと思います。看護大学の教員や臨床の看護婦さんたちが,これをみて技術を修得するということに使っていただければ嬉しいのですが……。
 それから,このビデオでは具体的な実践方法を映像化していますが,骨の何番目をどう触るか,どういう叩き方をするのか,どういうことを聴くのかということに関する詳しいことまでは収めきれていませんので,『看護診断のための看護アセスメント』などを参考にすればより効率的かもしれません。
福井 これはビデオの解説書なのですか。
森山 そのようにも使用できます。

経験のある人が指導を

本紙 訪問看護に携わる人も十分利用できますね。
森山 もちろん,訪問看護の人たちには必読書といえます。そこにかかわる保健婦さん,訪問看護婦や老健施設,老人ホームに働く看護婦さんに有効だと思います。
 私がアメリカに行ってとても感動したことを強調しておきたいのですが,それは看護教育の現場でも,臨床で実践しているナースプラクティショナーがフィジカル・アセスメントを教えてくれたことです。ロールモデルとして見事なテクニックを学部の学生から大学院生にまで提示してくれます。でも,日本ではフィジカル・アセスメントを教えようとすると,実践を伴わない教員が指導をすることになります。確かに勉強はされているのでしょうが,それでは臨床の醍醐味とか,微妙なところ,大切な部分はあまり伝えられません。
福井 それはそうだと思います。やはり,看護学生に教える人自身に実際の臨床経験がないと,非常にあやふやだということは学生にわかってしまいます。かといって医師が教えると,「これは医者がやるものだ」というメッセージを無意識のうちに伝えてしまいます。ですから,理想的には医師が教えてはダメなんですね。ロールモデルになる人がやるべきなんです。でも,ティーチングスタッフがいない時,まだ養成されていない時にどうするかというのは難しい問題です。
森山 看護教員が医師から技術の指導を受け,ビデオなどで学んだとしても,やはり自分が現場に行って何十例もこなさないといけないと思います。私はナースプラクティショナーではないのですが,習いたての時には,近所のおばさんや一緒に住んでいる人をつかまえては繰り返し復習しました。それから,デイサービスに行って習いたてのテクニックを試しもしました。教員であるならば,自分が身につけたものを学生に提示していかなくてはいけないだろうと思います。
 自分が大学の教員という立場でおこがましいのですが,今の看護系の大学というのは臨床と遊離してしまっているように思えます。医学部の教員は臨床に携わりながら大学で教えますが,看護系はそうなっていません。そういう意味では,理論に実践が伴っていないように思えるのですが……。

これからの看護のツールとして

本紙 日本で看護婦さんがフィジカル・アセスメントを実践している施設はあるのでしょうか。
森山 徹底はしていませんが,私が講習をした病院では実践をしているところがあります。
 先ほども言いましたが,私がアメリカでこれを習った時に,そのテクニックに感動しました。看護学校から,フィジカル・アセスメントを教えてくださいと依頼を受けて行くのですが,私としてはその感動があるものですから,一通り教えてから「この次はテストをしますから覚えてきてください」と言うと,教員はスーッと引いてしまうんですね。だまされたと思って覚える期間があってもいいと思うのですが,それをしないで頭だけで覚えた気になってるというのはちょっと悲しくなりますね。
福井 臨床手技を評価するのが,医学の分野でも1つの流れになっていて,OSCE(客観的臨床能力試験)というものが北米では広く行なわれるようになってきました。本当の実地の能力を評価しようとするものです。欧米,特にカナダでは全医師がOSCEを受ける必要があります。日本では,医師についてまだそこまでいってはいませんし,手技,実技を評価するということが,本当の意味で根づいていませんから,難しいですね。
 おそらく森山先生はアメリカだったからできたのではないかと思います。そういう手技を徹底的に身につけるということは,一般的に言って日本の学校では軽んじられてきたように思います。これからは,変えていかなければいけないと思います。
今はフィジカル・アセスメント導入の最初の段階ですね。ですから,こういう本やビデオでフィジカル・アセスメントに興味を持ってくれる人を増やして,実際に看護の現場で役に立てて,そうして看護婦さんのコミュニティも医師のコミュニティにも認めてもらうことが必要なのでしょうね。そのようなプロセスを踏みながら,何年もかかってようやく,現在アメリカでされているレベルに達するのだと思います。
森山 そのうちに,ここは医師が診てくれたから,私たちはサポートをする。ここは看護婦が先にチェックしているから,医師はそれを参考にしながら次に進める,というような,共同作業ができてくるといいですね。
福井 医師と看護婦が,カルテも一緒に書いているところならば比較的簡単にそうなると思います。医師のカルテも看護記録も違うところに置いて,互いの交流が少ない医療をしているところでは時間もかかるでしょう。―あまり明るい話にならないね(笑)。
本紙 言い換えれば,今までそのような教育がされていなかったからだとも言えると思います。これからの明るい見通しを祈念して終わりたいと思います。今日はありがとうございました。