医学界新聞

 連載 イギリスの医療はいま

 第13回 理想のナーシングホーム

 岡 喜美子 イギリス在住(千葉大学看護学部看護学研究科修了)


 第10回(第2225号)で現役引退後の老人用住宅についてレポートしたが,今回はその次の段階,ナーシングホーム(residential care homeともいう)について紹介してみたい。
 イギリスのナーシングホームは日本でいうところの特別養護老人ホームに近い。ただ日本のそれと違う点は,「今は健康だが病気になった時不安だから」という老人から,寝たきりの痴呆症患者まで,様々な健康レベルの人が入所していることと,すべて看護職が主体となって運営する,ケアを中心とした生活の場であることといえよう。
 イギリスには約1万4000施設のナーシングホームがあり,そのうち公営のものは1/4に過ぎず,3/4は民営あるいは慈善団体による運営である。それゆえ設備やケアの質,料金などにいろいろと差があるわけだが,一般的なホームは日本でも多く紹介されていると考え,今回は民間のケア専門会社による人気最高のホームを紹介する。イギリス人にとっての理想のホーム像をわかっていただけたらと思う。

チャルフォントロッジ ナーシングホーム

 ロンドンの西,豊かなグリーンベルト地帯にあるこのチャルフォントロッジナーシングホームは,ゴルフコースに隣接し,20エーカー(約8ヘクタール)の広い敷地には湖や馬場まである。美しい庭には全天候型の遊歩道があり,車椅子でも楽に移動できる。駅や商店街,高速道路にも近く,隔離されているという感じはまったくない。
 総婦長は「近代的な設備による快適さと,高いQOLを保証する看護の技をご覧ください」と自信たっぷりに案内してくれた。部屋は個室か2人部屋で,各部屋にトイレ,シャワー,衛星放送テレビ,電話,ナースコールがつき,シャワー室は車椅子に乗ったまま使用が可能である。部屋の内装も一流ホテル並みで,窓からはゴルフ場や庭園が一望できる(外を眺めることが楽しみな老人にとって,窓からの景色はとても重要である)。
 豪華なダイニングルームでコースメニューを食べたり,自室でホテルのようにルームサービスを利用したりと,食事の内容や時間の選択の幅は広い。他にも大小様々なラウンジ,遊戯室,図書室,バー,美容室,趣味のための部屋,面会者の宿泊施設を完備する。
 ラウンジの雰囲気が普通のホームと違うことに気づいた。要するに個人の家の団らんの場のようなのである。一般のホームでは,寝たきり老人を車椅子に乗せて起こすところまではやるが,ただその車椅子をずらっと並べるだけで精一杯である。しかしここではちゃんとした安楽椅子に,対話ができるような形で座っている。すると重症の痴呆老人でも,会話をするようになるのだという。
 毎日,レクリエーションセラピストや音楽療法士の働きかけで様々なプログラムが用意されている。車椅子を連ねての外出も多い。

起こす,刺激する,活動させる, 生きがいを持たせる

 入所者に対する看護スタッフの数は,昼間は4対1,夜間は7対1であるが,これは政府の基準より20%以上多い。ナースコールはコンピュータ制御され,何分待たされたかまで記録される。看護の原則は,入所者の尊厳を高めることと,絶対に入所者を抱え上げないことである。そのためのリフトや入浴・排泄介助の機械がたくさんある。これは,看護婦が疲れたらよいケアができないからである(どこかの国の看護婦が聞いたら涙を流しそう)。
 気になる料金のほうであるが,1泊衣食住込みで個室72ポンド(1万4000円),2人部屋57ポンド(1万1000円)からである。ロンドンの一流ホテルでは,食事がつくとこの2倍は取られるから,サービスの内容の割に安いといえる。イギリスでは税制や金利が老人に有利になっているので,中流階級以上なら払えない金額ではない。
 入所者たちと話をしたが,実にしゃんとした人が多いのには驚いた。完全な寝たきりの人は皆無で,皆なんらかの活動に参加している。その秘密は,老人のプライドを高めるような豪華な設備や食事,サービス,スタッフの言葉づかいやケア(とにかく起こす,刺激する,活動させる,生きがいを持たせる)にあるように思われた。
 誰でも自らの意思を尊重され,大切な人間として扱われた時,自己肯定的になり生きる喜びが湧いてくるものである。最初は寝たきりや痴呆で入所してきた老人も,よくなっていくというのが納得できる。
 食堂で糖尿病のため両足を切断した老人に会った。高カロリーのフルコース料理を召し上がっている。治療食は出さないのですかと婦長に尋ねると,彼女は「美食を断ってまで長生きすることは彼の意思ではありません。老人看護とは治療上正しいことを押しつけるのではなく,患者の意思を尊重し,患者にとっての最善を尽くすことです」と答えた。