医学界新聞

座談会

臨床検査をいかに使うか
適切な判断でデータを有効に活用する

黒川 清
東海大学医学部長
春日雅人
神戸大学教授・第2内科
松枝 啓
国立国際医療センター
第1消化器科医長
北村 聖
東京大学助教授
臨床検査医学


 臨床検査が医療において重要な役割を果たし,日常診療の場に不可欠なものであることは言うまでもない。したがって臨床医には,どのような検査が必要か,また得られた検査データをどう読み取るか,そしてそれを次のステップにどう反映させるかを判断する能力が要求される。そこで本号では,内科医と検査部の立場から4名の方に出席をお願いし,臨床検査を効果的,効率的に用いる上での留意点,またそのために必要な教育などについて,考えを述べていただいた。


検査データを読む-数値の背景を考える

黒川 日本では,1961(昭和36)年から国民皆保険制度が導入され,健康保険組合などのサービスによって検診や人間ドックも普及し,検査へのアクセスと供給が十分になりました。しかし,臨床ではいわゆる「検査漬け」という現象も招きました。
 また昨今は,医療経済が思わしくなくなってきた一方で,検査を行なうに際して,それが医学的にどれほど意味があるのかを十分検討しなければならないという動きが出てきました。最近盛んになってきた臨床疫学(Clinical Epidemiology)やEBM(Evidence‐Based Medicine)など,「科学的な根拠に基づいた診療行為」という考え方です。
 臨床検査は「検体検査」と「生理機能検査」に大きく分かれますが,本日は検体検査を中心に,エキスパートの3人の方にお話をうかがいたいと思います。

正常値と基準値

黒川 近年,「正常値」から「基準値」へということが言われていますね。
北村 正常値は,概念的には「健常人の成分値またはその範囲」と言えますが,病的状態と健康状態は連続したものですから,この両者を数値で区別することは困難です。そこで登場してきたのが基準値もしくは基準範囲という概念です。
 基準値とは,健康診断などで健常者と考えられる標本群から採ったサンプルを統計的に処理して正規分布に当てはめた,平均値±2SD(標準偏差)の範囲,すなわち95%の人が入る範囲とされています。
 基準範囲を提唱したアメリカのNCCLS(National Committee for Clinical Laboratory Standards)のものでは,飲酒や喫煙の習慣は持たず,血圧は正常以下というように,集団をかなり厳格に定義しています。しかしそれをそのまま日本人に当てはめることはできません。
 基準値は,それを用いようとする集団との条件の一致が課題です。例えば年齢です。私が勤めている東大病院の定年は60歳ですから,職員の基準値を得る場合は60歳以下の人の検体値しかありません。その基準値を70歳や80歳の患者さんに当てはめることには問題があります。あるいは同じ年齢でも,飲酒や喫煙などの習慣によって異なってきます。
 実際の臨床現場で,正常と異常,あるいは疾患のあるなしを分けるのはなかなか難しいです。最近はややトーンダウンして,参考値などと言うこともあります。

検査値が表す内容をどう読むか

黒川 例えばγ-GTPなどはその適例かもしれませんが,いわゆる正常と言ってもそれにはある程度の範囲があるということを,ユーザーである医師や患者がきちんと知っていればよいわけですね。
松枝 データの読み方で一番重要なことは,基準値あるいは正常値が必ずしも病態を反映していないということです。また,単独の検査値だけではすべてを語れないということも,検査値を読む際に知っておかなければいけないと思います。いわゆる正常な値でも実際には異常がある場合,逆に,異常な値だからといって心配する必要のない場合もあります。そこには感受性の問題や特異性の問題があります。その数値が表している内容をどう扱うかが,臨床現場で一番重要な課題だと思います。
 解決法の1つは,その人のある程度継続した変化を見ることです。例えばCEA(carcinoembryonic antigen)という消化管癌のマーカーは,ほとんどスクリーニング役に立ちません。しかし基準範囲内でも少しずつ高値を示してくれば,基準域にあっても癌の可能性を考えなければいけないのです。
黒川 私の専門である腎臓で例をあげると,血清クレアチニンが1.0mg/dlの人がいたとして,クレアチニンの基準値は0.8~1.2mg/dlですから,この値は完全に正常値ですね。しかしそれだけでは異常か正常かを判断する材料にはならないということを医師は知っていなければなりません。
 例えば,体重40kgそこそこの若い女性にとって1.0mg/dlという数値は明らかに異常です。ところが千代の富士のような人なら1.2~1.5でしょう。身体が大きく,筋肉量も大きい。そういうことを常に医師は知っていなくてはいけませんし,そういう教育をきちんとする必要があります。

数値の出るメカニズムを知ろう

松枝 逆に言うと,そういう数値が出るメカニズムをよく知っておかなければいけませんね。クレアチニンがどこからくるかという,数値の基礎となる概念がないとデータが読めません。
 データを読む上では,その数値がどのような機序の上に成り立っているかを考えるプロセスを必ず持つことが,臨床的に非常に重要なポイントだと思います。
北村 われわれ臨床検査医学を専攻する者にとっては,それを教えることが使命だと考えています。しかしご存じのように,現在の検体検査には膨大な項目があって,それをすべて教えることもすべて理解してもらうことも不可能な時代です。いわゆる正常値を無防備に信じてはいけない,メカニズムを知らなければいけないということまではわかっても,検査項目1つひとつのメカニズムを,誰がどのように教えるかが課題だと思っています。
 また一方,メカニズムを知らなくてもとりあえずその検査項目が使えないかというニーズが多いのも事実です。

データ収集を自分で

黒川 医師は自分で検体を見るようにと私はよく言います。病棟で,尿潜血や尿蛋白などはすぐわかりますよね。目で見るといろいろなストーリーが顕微鏡の中から聞こえてきます。感染症を疑ってもグラム染色をせずに「ありません」と答えるようではまずいですね。生身の検体を見るのは大切だと思います。
春日 研修医が沈査などの検査を自分で行なってみるのは大事なことだと思います。
黒川 いまのような時代には全部自分でやることはありませんが,この値を特に調べる必要があるというときには自分で見るべきですね。
松枝 例えば検体を細菌培養に出すと,結果が出るまでは抗生物質の正しい選択はできません。しかし結果が来るまでに2~3日かかるため,結果を待たずして経験的に抗生物質を決めてしまう場合がある。
 そうではなく,病棟でグラム染色をして細菌の染色性や形を見れば即座に診断できるわけです。ですからやはり,データに頼ることもさることながら,もう少し臨床に役立つデータ収集を自分で行なうことに重きを置かなければいけないと思います。
黒川 それを臨床で教える人たちの責任は非常に重いですね。
松枝 アメリカでは,グラム染色で手が染まっていない研修生は次年度に残れないというジンクスがあるくらい,皆が病棟でやります。
黒川 24時間も48時間も培養の結果を待っていられないですからね。

その検査のキーポイントを教える

松枝 それから,教官がすべての検査項目を教えきれないということは確かに事実ですが,キーポイントはあると思うのです。そういうポイントを若い人に教えてあげると,データを読むときに重要な意味を持ちます。例えばBUNとクレアチニンをなぜ一緒に測りたいかというと,それらが糸球体から濾過されたときの近位尿細管からの吸収の違いを考えて,腎障害が前腎性なのか腎性なのか,いわゆる有効循環血液量が減少しているのかしていないのかを考えるためです。
 また消化管から大量出血してもヘマトクリットはほとんど役に立ちません。正常あるいは場合によっては高くなり,72時間たたないと希釈は起こらない。このあたりのエッセンスを知るとデータを読むのが楽しいし,出てきたデータからいろいろなストーリーが想像できます。
 ですから,すべてを教えなくても,その場その場で重要な病態生理を教えていただきたいと思います。把握しているとデータが非常にスムーズに読めますから。

信頼性のある客観的データが必要

黒川 病棟を回りながら学生や研修医を指導することがありますね。その時に,ある検査の結果が出て,さてどうするかと聞くと,ある人は「現状のままでよい」と言い,またある人は「注意したほうがよい」と言います。しかし,それぞれどういう根拠,どういう臨床データに基づいて言っているのかという議論がないのです。そういう議論を,普段の回診や病棟でやっていなければいけないと思います。
松枝 私もそれは大賛成ですが,日本はやっと最近二重盲検法によるプロスペクティブな無作為抽出試験が緒についただけで,データがまだ確立していません。したがって,客観性のあるデータがあるかどうかという問題もあります。
春日 血糖値について言えば,いま日本では40歳以上の人の10人中1人に耐糖能の異常があります。これは人間ドックの成績で出たのですが,血糖値は景気動向指数とよく相関するのです。バブル後に景気動向指数が低下したときにも,やはり何千人かの平均の血糖値が落ちてきているそうです。ですから,少なくとも血糖値に関しては,人間の本来の値ではなく,いろいろな因子にモジュレートされて動いているわけです。
 そこで,治療が必要かどうかを何から考えたらよいかという問題があります。日本糖尿病学会でも糖尿病の診断基準を改定しているのですが,昔に比べて,どのくらいの血糖値であれば合併症が起こるのかが,かなり解明されてきました。
 例えば,食後2時間値250mg/dl以上が合併症が起こるか起こらないかの境目だというデータがありましたが,最近は180~200mg/dlの人にすでに大血管障害が多くなっているというデータがあります。やはりこれからは臨床疫学的データを参考にして判断のための値を決めていかなければいけないと思います。

クリニカルディシジョンレベル

北村 いまわれわれは,クリニカルディシジョンレベルという概念を持ちはじめています。大きな集団を長期にわたってフォローして,「この数値以上だと何らかの疾患がある」ということを調べるのです。それがたとえ現在の基準値の範囲内であっても疾患を合併しやすいのであれば,それ以上の値にならないようにするわけです。
 このように,いわゆる健康な人を集めた統計だけではなく,大集団を使った研究に基づいて得た値を使っていこうとしていますが,日本では人数は集まるけれども,なかなか長期間フォローするような研究が出てこないようです。
 臨床検査医学からすれば,そのディシジョンレベルを決めたいのですが,これはいわゆる正常値の問題と比べものにならないくらい医師によって異なります。いろいろな項目についてコンセンサスの得られた数字が出せるとよいと思うのですが。
春日 特に研修医の教育を考えた場合には,ディシジョンレベルを知ってもらうことは重要だと思います。
 もちろん背景にある病態生理,なぜそういう数値が出るのかを理解するのは非常に重要ですし,教育すべきだと思います。個々の症例ではいろいろなことがあって応用がきかなければいけませんから。しかし,マニュアル化してはいけないけれども,ディシジョンレベルをある程度最初に理解してもらうのは大事だと思うのです。まず初期段階として,ディシジョンレベルが明らかにされるということは,昔に比べれば1つの進歩ではないでしょうか。

疾患や年齢によって データの意味は異なる

松枝 難しいのは,疾患や年齢によってデータの持つ価値と意味が違うという問題があることです。
 われわれがよく消化器で使う炎症性反応のCRP(C反応性蛋白)は,消化器以外の医師からは非常にセンシティブだと思われています。しかし,消化器科の医師が見てみるとまったくセンシティブではないんです。CRP0.3mg/dl以下を正常として,数値が正常なクローン病の患者さんに内視鏡検査をすると,50%以上の人に大きな潰瘍がたくさん存在します。しかし,インセンシティブだということを逆にわれわれは利用するのです。つまり,0.2~0.3になったらさあ大変だと思うわけです。
 しかもCRPは蛋白ですから,栄養状態が悪い患者さんなどの場合,非常に低くなって基準値以下になることもあり得るわけです。したがって,疾患においてその数値がどういう意味を持つかは,専門領域の医師が伝えていかないといけない。
北村 私はそれで大きな失敗をしました。東大の外来で,CRPがあるから血沈をやめようとしたのです。すると,いま言われたように炎症性腸疾患を扱っている外科の先生と,リウマチを診ている先生からクレームが来ました。自分たちが扱っている疾患はCRPより血沈のほうがはるかに感度が高いのだというお叱りを受けて,再開することになったのですが。
 われわれ検査部も,その専門によって重みがどう違うかということをまだ理解していない面があって,それをまた若い人に教えるのは難しいなと反省しました。
松枝 病変が大腸にあると,バクテリアがいるから数値が動きます。ところが小腸だけの病変だとCRPがなかなか動かない。そういうことも専門的に知っていないといけませんね。検査値の読み方というのは奥が深い。

「なぜその検査が必要なのか」考える

黒川 日本の場合には医師の他流試合がないから,施設によって言うことが違って困りますね。データが正常かどうかは言えるんだけれど。「なぜそれを測るのか,どうして数値が0.1変わったことに意味があるのか」という議論をしなければならないと思います。

ショットガンアプローチに見る不安

北村 現在は外注検査,つまり外部の検査機関が非常に発達していて,専門家しかできないような特殊な検査も,全国どこでもオーダーすれば出てくるわけですね。これは非常によい環境ではあるのですが,なぜその検査をやらなければいけないのか不明な場合もある。要するに,検査漬け,検査のやりすぎにつながります。これも臨床検査医学に課せられた問題ですが,どうしたらよいかは難しいですね。
松枝 一番大きな原因としては,ショットガンアプローチとよく言うように,あらゆる検査のデータがないと安心できない医師がいる状況があります。つまり,問診と身体所見で問題を煮詰めて,一番最後の詰めとして検査をするという姿勢がない。
黒川 それは教えるほうもそうだからではないですか。指導者に「なんでこの検査をやっていないんだ」と質問されるのがいやだから検査してしまう部分もあるようです。でも本来は逆に「なぜそれをしなければならないのですか」と言い返せないといけない。そこで「これを見落とすかもしれない」と言われたら,「見落とす確率はこの場合どのくらいですか」と言えなければいけませんね。
北村 そういう確率を臨床検査医学では出していません。ある疾患でこの値が異常になる確率とか,この検査をした場合にある疾患を除外できる確率などについての,誰もが認めるような研究はあまりなされていません。
黒川 ある程度の規模で,そういうプロジェクトを計画していけばよいわけです。僕はできると思います。大規模に研究する必要はないんだから。

検査に出す前に考えるプロセスを

黒川 私がアメリカから日本に帰ってきたのが1983年の終わりですが,その年にアメリカでDRG(診断群別支払い方式)が始まりました。これは,「この疾患で入院したときに保険が払うお金はこれだけ」と決まっているものです。そうすると,医療をなるべく早く終わらせて,保険会社から来るお金を使わないようにすればするほど病院が儲かるのです。もたもたしていろいろな検査をすると赤字になってしまうから,そういう下手な医者はいらないと言われます。
 ただし何事もいきすぎはいけないと思います。アメリカがそうなってきて私たちが一番心配したのは,研修病院がどうなるかということでした。やはり大学病院などでは教育のために検査をどうしても必要とする場合がありますから。
北村 東大病院でも,3年前に経済的な理由から検査を減らそうという動きがありました。臨床では困らなかったのですが,だいたい半減しましたね。
松枝 大学病院で非常に無駄な検査の出し方があるのを知って驚いた経験があります。要するに,検査を出すということに対して考えるプロセスが入ってないのです。検査を出すニーズや必要度をじっくり考慮した上でオーダーするというような。
黒川 考えるプロセスを失ってきてしまったようですね。

セット検査

春日 病院によっては検査がセットになっている場合がありますね。2~3の検査が必要なときも,例えば肝障害のセットの検査を全部やる。あれも時間的理由やその他からどうしても使ってしまうのかもしれませんが,やはり不必要な検査を多くしている原因の1つだろうと思います。
北村 それとは別に今度,日本臨床病理学会では,経済的で一番有効な最小限のスクリーニングの基本検査セットをつくって公表しました。内科の初診時に行なうと,何らかの疾患があれば必ず引っかかるというものです。これは疫学データに基づいてつくられています。さらに,血液疾患,膠原病,肝疾患などの代表的な疾患に関しては,この疾患を疑った場合にはこの検査をやりなさいというマニュアルも公表しています。
 学会では,非常によく考えてできたものなのでぜひ広く使ってほしいと思っているのですが,やはり,なぜこれなのか考えるプロセスを持った上で使ってほしいですね。
黒川 患者さんが来て問診をすれば,医師は何らかの思考プロセスをとります。いくつかの診断名を考えることもあるし,病歴や家族歴でも仮説を立てながら聞いていくものです。その上で,何を見るか考えながら身体診察をする。その訓練があまりにも行なわれていないですね。北村先生がおっしゃった話はありがたいけれど,「なぜそれを選ぶのか」がその前にあります。

セット化の2つの側面

松枝 学会が出されたようにセットをスクリーニングで使うのはよいのですが,異常値が出て,さて何をするかというように,次へ次へとつなげるためには頭を使わなければいけませんよね。
 だから,検査のセット化には2つの面があると思います。非常に便利だけれども,自動的にオーダーする医師をつくってしまうおそれがある。
北村 考えるプロセスを重視する方ばかりだとよいのですが,検査項目の選択に頭を使うほど自分は暇でないという考えの先生もいます。それでショットガン的に検査をして,その中で異常値が出ると検査部に「これは何を表す数値ですか」という電話がかかってくることがあります。凝固系や腫瘍マーカーが多いですが。
 ただ,以前,外科手術後に血が止まらず,よく体をみたら紫斑が3つ4つあり,「これは出血傾向だ」という症例の検査が来ました。そこで凝固検査と名のつくものを全部チェックしたところ異常値がいくつか出たのです。珍しい検査ですから電話がかかってきて,「どういう意味ですか」と聞かれました。
 こういう事例があると,出血傾向というところまで判断したならば,検査を1つひとつ覚えるよりも,事前にセットをつくっておいて,「これをチェックすれば出血傾向の大まかな診断はできます」としておいたほうがよいのかなという気もします。

検査の次の行動を展開できるような教育を

黒川 極端な話ですが,医師が検査値だけを見て患者を見ていないことがあります。熱があって,CTを撮って,3週間後にまたCTをすると言うから,患者さんを見にいくと,ケロッとして元気なんです。それだけ検査をして何もわからないのだったら,いったん帰してまた2週間後にいらっしゃいと言えばよい。
 冗談でよく言うのですが,病院が経営的にきつくなってきたら,医師がそれぞれの患者1人につき1週間の検査で使える金額を決めておいて,それ以上の検査費用は医師が自分で払い,ただしどうしても必要な検査ならば病院が払うようにしようと。ゲームのようですが,そういうことを考えるのは大事です。患者さんを診て,いかに早く適切に診断して適切な処置をするかは腕の見せどころですから。

治療経過中のフォロー検査

北村 診断もさることながら,治療のときにどういう頻度で採血するかは医師によってかなり違うみたいですね。ですから,治療経過中のフォローにどういう検査をどのくらいの頻度でやるかを,エキスパートの医師がきちんと教えてほしいです。たいていの教科書は診断までが立派で,経過は「予後不良」の一言で終わっていたりして,不十分なものが多いように思います。
黒川 ある治療をすると,どの検査項目でどういう反応があるかというのは,それぞれの疾患ごとにあるでしょうね。
北村 ヘモグロビンA1cを週3回測っている研修医もいました。すぐ指導に行きましたが。
春日 それはヘモグロビンA1cがどういうメカニズムでできるかをよく理解していないからでしょうね。
黒川 厳しく指導しないといけない。しかし,それは本来直属の指導医が行なうべきですね。
松枝 医学界のトレーニング方式が,いわゆるチームアプローチではないのでしょう。大勢の医師が,みんなで患者を見てディスカッションし合うという方式でない。だから自分だけで検査して,報告して,上の人間はその報告を信じてしまう。
 われわれの科では,若い医師が「上からうるさく言われて時間がかかって仕方がない」と文句を言うくらいですが,私は「上がうるさく言ってくれて,君の考えに新しい息吹を吹き込むのがトレーニングなのであって,自分の思う通りに患者をみるスタイルしか身につかないのだったら10年トレーニングをしても進歩がない」と言っています。検査のデータの読み方も,上の人間がきっちり教えないと,検査の次の行動が展開できません。

最初の教育が肝心

春日 例えば糖尿病患者の血糖コントロール状況を調べる時に,経口血糖降下剤を使っている人の1日血糖をとる研修医がいます。インスリンを使って非常にブリットルであれば,1日血糖をとる必要がありますが,経口血糖降下剤では基本的には大きな血糖の変動はありません。空腹時血糖値と尿糖をフォローすれば十分で,血糖のコントロール状態は尿糖に非常によく反映されます。
北村 スペシャリティがいて,そういう医療のコツのようなことを口伝えで教えてくれる施設はよいのですが,専門家が揃っていないところでは,多くの場合は本などで勉強するわけですね。しかしそのときに,フォローの仕方や経過の見方など,コツのところが記載されていない場合が多い。診断まではできるが,治療ができない,あるいは治療結果を評価できないという状況が出てくるのではないかと思います。
春日 基本的には,その医師にとって最初のトレーニングが,その後の考え方の中心になると思います。ですから初めに過剰な検査を身につけてしまうと,将来医療保険の審査で「検査が多すぎる」と注意されても,「大学病院ではこのようにしていました」と答える人がいるらしいですね。そういう意味でも,最初の段階で,必要な検査を効率的に行なうことを勉強するのは大事だと思います。
松枝 大学病院では研究としていろいろなデータをとりたいという面もあると思います。それならやはり,研究データのための検査だということを若い医師に教えてもらわないと。その検査が臨床にすぐ役立つとか,必須の検査だと思われてしまうと困るのです。どうもその区別がされていない気がします。
黒川 すべてに行なう必要はないけれどもこういう理由でやっているんだよということを教育するのは,臨床の現場でも大事だと思います。

病歴と身体所見から検査の必要性が

松枝 例えば甲状腺の機能検査で,昔はフリーT3,T4は測れませんでしたよね。TSH(甲状腺刺激ホルモン)を測るのもなかなか難しかったし,かなり頭を使っていろいろな検査を組み合わせて,甲状腺の機能を解釈していました。いまの現場ではどうですか。すぐにフリーT3,T4,TSHの検査をしていますか。
春日 やはりフリーT3,T4,TSHの組み合せが代謝状態を一番敏感に反映すると思いますし,わが国ではよく使われています。
黒川 測るのはよいけれど,すべてを測る必要はないし,診断がついたあとに1か月に1回とか2週間に1回もする必要はないでしょう。例えば甲状腺機能低下症だったら一番よいマーカーはTSHです。それをまず調べた上で,もう少し病態を理解するためにフリーT4などを検査するのはよい。しかし教育という点では,「どうしても1つだけ選べといったら何を選ぶか」と聞くべきですね。
松枝 アメリカではTSHを測る前にアキレス腱反射をチェックしていないと大変です。病歴と身体所見から検査の必要性が出るというプロセスを強調したいし,それが医療経済の上でも役に立つアプローチだと思います。
黒川 そうすれば,限られた医療費をより必要なところに使えると思います。検査漬け,薬漬けという非難はそこにも原因があるわけです。いま反省期に来ている気がします。

検査は材料の1つ

黒川 本日は各専門のお立場で,臨床検査からみた医療を分析していただきました。なぜその検査をするのかを常に考えながら検査をすれば,データの読み方というのは自然にわかってきます。日常的にそういう意識を持ってほしいと思います。
 教育の場では,私は,医師は知的職業なのだからもっと頭を使えと必ず言います。「頭を使うのには金がかからない。検査を頼めば必ず金がかかる」とも言っています。特に侵襲的な検査の場合には,自分の身内だったらやるかどうかを必ず聞きますね。「それでもやる,その理由はこうです」と答えてくれればよいのです。
 検査というのは,診断,治療,それからそのあとのフォローに非常に役立ちますが,それはあくまでも患者さんのマネージメントをいかに最良のものにするかという目標を達成するための材料の1つだと思います。つまり,それが検査の上手な使い方でもあるわけです。
 本日はどうもありがとうございました。

(おわり)