医学界新聞

 Nurse's Essay

 もう病院になんか行かない

 久保成子


 3つの私立高校受験をめざしていた少女が感冒に罹った。1日刻みの受験日程で,熱があるのを押して2校の受験を終えた夕方,高熱を出し地域の病院に駆け込んだ。少女が本命としている高校受験は翌日であった。
 病院の待合室で看護婦から手渡された体温計の示度は40℃近い数値。それを観た看護婦は開口一番,少女に言った。
 「まあ,どうしてこんなにひどくなるまで病院に来なかったの,駄目でしょう! まったくしょうがないわね」
 診察室に入ると,医師も早期治療の効果を話しながら,薬を飲んで安静にするように言った。帰宅した少女は,母親の顔を見るなり,「もう絶対に病院になんか行かない」と言って泣き崩れた。
 「早く病院に行くよう保険証を持たせていたのですが……」と,事の次第を話した母親は涙ぐんでいる。私は言葉を失っていた。
 看護婦であるなら,少女に体温計を手渡す前に額に手を当てれば,高熱の状態にあることをすぐ判断できるはず。
 「まぁ,こんなにお熱があって,つらいでしょう。さあ,中に入って……」と診察室にいざない,受験中のことゆえにと,医師にとりなしながら早急に診察を依頼する。この当然の行為がなぜできなくなっているのだろう。白衣の胸に「主任」のプレートをつけていた看護婦だったというのに。
 『21世紀を生きる君たちに』のメッセージを,少年,少女に遺して逝った司馬遼太郎は,「道で誰かが転んだら,あぁ,痛かったろうになぁ,と感じる心を創っていって欲しい」と語っている。
 こうした,他者の痛みを感じる心,感性の大切さを,社会の中で育てるかけ橋となるのが,看護婦の21世紀に向けての重要な役割だと考えている私にとって,この少女の体験はショックだった。
 どのような「場」「状況」であれ看護援助を行なう場合には,1人ひとりの看護者の「あり方」が,向き合っている人間の平安・幸福を左右し,ひいては,この職業の社会的地位に影響していくことを看護者は知っていなければならない。